偏った態度なのか、はたまた単なる変態か(笑)。男と女の性別も、恋愛も、セックスも、人間が排出するアノ匂いと音と光景で語られ、ひしめき合い、混じり合うアレに人間の存在は分解され、混沌の中からパズルのように何かが生み出されるまったく新しいタイプの物語。
論理学者にして気鋭の小説家、三浦俊彦による待望の新連載小説!。
by 三浦俊彦
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■ しかし子どもの先入観とはいえ、「ハッチオン先生は白人だからあるいはアメリカ人だから羞恥心が薄いに違いない、にもかかわらず標準的日本男児のホエザルに比べてあれだから、男女の違いたるや……」といった推論はいかがなものだったろうか。たしかにハリウッド映画などの媒体で白人や黒人がとても黄人には恥ずかしくてできないノリで盛り上がったり奇声を上げたり眉を片方だけ上げ下げしてウインクしたりしているのをみれば(とくに最後のは解剖学的に黄人の9割にとってまず無理である)どうこう突っ込む余地もなさそうだが、日本女子は米国女子や欧州女子に比べたとえば妊娠中絶にほとんど罪悪感もタブー感も抱かずほいほい堕ろしているという当時からの周知的事実をはじめ、日本女子高生がらみの各種統計たとえば財団法人日本青少年研究所発信「結婚前は純潔を守るべきである」なる命題への全面肯定回答率は米国女子高生の3割以下、全面否定回答率は米国女子高生の3倍弱という数値的事実を桑田康介と仲出芳明が目にしておれば(ちなみに日本男子高生に比べても全面肯定回答率は5割、韓国女子高生との比較となると15%未満という数値的事実にも支えられつつであればなおさら)、桑田康介も仲出芳明も人種的補正率を……
いや、あの「磁場」に呪縛されていてはいかなる知識も洞察も後年の国家主義的爆発へと人種的民族的偏見ごと収斂せざるをえなかっただろう。
そもそも二人が感じた「磁場」とは何だったのか?
磁場。
もちろん一種の波動である。
波動とくればバイオリズムであり、体温の残留である。
体温の源は体質である。
そう。
体質である。おろち史上最強の体質がこの峠に作用していたことが今日実証されているのである。
もちろん袖村体質。袖村茂明である。
顔振峠というこの場所は偶然にも(と言っておくべきだろう)、あの超正統ビジュアル体質・袖村茂明の中学一年の時の遠足と同じ場所なのだった。ここにもまたおろち文化に対する「確率的・反人間原理的反論」がしばしば唱えられたが、これに対しては一言、首都圏日帰りに適した国立公園コースとして顔振峠はありふれた遠足スポットだったことを指摘すれば足りる。いずれにしても桑田康介のビジュアル体験はここに記述されたものに限られており、その豊富さにおいて袖村茂明とは比べるべくもない。桑田康介のビジュアル体験に先立つこと十何年前になるだろうか、袖村茂明の顔振峠遠足体験視覚編を記しておこう。むろん袖村であるから……
■ やらせる女はありがたい。やらせない女は尊敬できるが。
尻の臭う女はありがたい。尻のまっさらな女は尊敬できるが。
■ 袖村茂明の入塾の経緯については、不可解なことにほとんど知られていない。袖村が、蔦崎よりもほんの少し遅れて入塾したことは確かであるが、蔦崎のように塾HP等を介して自発的に金妙塾に辿り着いたものか、印南哲治のように新境地開放起爆剤としての潜在力を買われて金妙塾側からの勧誘的働きかけによったものか(OLローントイレが一部の塾生におそらく知られていたであろうゆえ十分ありうることである)、正確には跡付けられていない。ただ一つ間違いないのは、ニアミス路線のネオおろち系を介して金妙塾に接するという経緯だったはずはなかろう、ということである。ネオおろち系と金妙塾-印南哲治との間には、袖村のような共通項を媒介としながらも直接の相互認識は最後の最後に至るまでなかった、という仮説(徹底ニアミス仮説)――これについての後に何度か触れる――がすでに仮説の域を脱して最も信頼性が高いおろち史パラダイム理論の一つとなりえているからである。
袖村茂明が三谷恒明といっしょに入塾手続きを取っているところからすると、三谷が全国窃視穴場めぐりに飽満し、その生来のマニア的嗅覚をもって金妙塾を発見したものと考えられる。インターネット上に何千何万とあるスカトロ情報の中から特に金妙塾を立体視するに至ったのは、三谷のマニア資質もさすが中のさすがであったと言わねばならない。蔦崎のような「黄金死」の一致に触れた場合でもなければ、とりわけおどろおどろしい目立った虚飾などを施してもいないかなり地味な金妙塾サイトをあまたある商業的スカトロサイトから選択するというのは、並みの視力と衝動を備えたマニアではほとんど不可能だったであろうからだ。
三谷恒明は、袖村のパワーを借りてもっぱら自らの窃視欲を満たしていた卑小かつ寄生的な純正マニアと考えられがちだが、今日の研究によれば、三谷は、袖村茂明という特異能力者のトレーナーというかマネージャーというか、ちょうどウラジーミル・ナボコフ描く天才チェスプレイヤー・ルージンの才能を貪り吸ったあげくルージンが並の人間と化す兆しとともに去る魂胆を隠さなかったヴァレンチノフのように、あるいは少年院でスラム街出の少年たちの目つきと上腕筋を日々探ってはマイク・タイソンのような怪物を発掘したカス・ダマトのように、私利私欲というより才能に帰依した無私の鑑定士、人間コレクター的傾向の持ち主だったと言えよう。三谷は袖村のもたらすビジュアル体験の恵みに感覚的陶酔を得ていたというよりも、次から次へと繰り広げられるビジュアル効果の実現そのものに対して感嘆の恍惚に耽っていたと考えられる。というのも、ときおり自分ひとりで「穴場」に出かけ、何時間待っても何日試みても収穫がなく、帰ってきて「うーん、やっぱり袖村ぁ、おまえといっしょじゃなきゃだめだ……。おまえとなら一時間に五六人じゃ済まないもんなあ、やっぱりおまえの才能はすごい!」等々綿々しみじみ嘆じ笑んでいたことが袖村の回想日記に記されているからである。ビジュアルそのものではなく、袖村効果の方に入れ揚げた特異才能マニアが三谷恒明だったのであり、袖村のビジュアル体質波動をさらに増強させようというプロモーター的・トレーナー的行動にあからさまに出たこともままあった。たとえば下見のときは日に一人も入らないことが確かめられていた淋しい公園トイレに袖村を伴ってふたりで待ち伏せているとそぅらみろ……袖村波動に惹かれたかのごとく若い女性しかも黒髪アップスタイルにロングスカートといったバージニティ丸出しの清楚系が一時間ごとに入っては強力排泄音を響かせるといった大現象を次々駄目押し的に確認しつつ、試みれば試みるほどビジュアル頻度が高まってゆくことなども否応なく確かめられて、三谷のベタなトレーナー行為が袖村のネタ寸前的実力に磨きをかけていった、そして袖村自身が自らの偶発的体質に肯定的に対峙し始めたという経緯こそ事実だったようである。ビジュアル遭遇とはまず無縁と思われた首都高速小菅ジャンクション付近の路側帯に試みに車を停めて一時間とリミット区切ってぼんやり車通行密度の揺らぎ度を計ったりしていたところ、まさかとは思ったが五十分ほど過ぎたところで白の軽自動車が二人の間近に停車し、運転席からあたふたと降りてきた
見た目アラフォーの細身の女……
がジーパン下着いっしょにビリリッと引っ下げると低い植え込みのせいいっぱい陰にしゃがんでブッブウウウーッ、号砲一発どろどろと黄土焦茶墨流し二色の大下痢をぶちまけはじめたのである。その場所および方角は三谷と袖村のまさに目の前で、断続的号砲混じりの噴射が一段落したところで女は初めて先着の車と二人の男に気づいたようにハッと振り向き「あ、いやだ、あ、あ、あ……」と両手で顔を隠して尻隠せず吹出物の目立つ円尻震わせながら第二ラウンドを噴火させ始めたりしたのだった。
「なるほど……」
これに確証を深めた二人は翌日念のため駅前商店街の交番のある三叉路でしばし佇みながらこの人通りのここではまさかないだろうと自らの力に恐れをなしたかのように何事もなき反証を半ば期待したのだが、日が沈みかけようしよしさすがにまさかやはりもうこんなところではな、やっぱり限度ってものがなと二人して頷き頷き帰りかけたとき三谷が「アッ」……
と注目した先には、距離ほんの三メートルほど、コンビニ前の狭い自転車置き場で道に背を向けて揃って携帯電話で話をしている灰色セーターに紺ベスト姿の制服女子高生三人が三人とも、空いている片手をスカート真後ろに忍ばせ腿の付け根、というより明らかに肛門付近をぐりぐり掻きほじくっているのだった。ぐりぐりぐりぐり、三者いっせいに……一心に……。ほんの一瞬二瞬ではあったがそのシンクロぶりと全員極白太腿チラリズムぶりと尻突き出しぶりと爪立て深掘りぶりの鮮烈さ――三人が尻部から手を取りのけたあとにも三スカートともたっぷり九十秒間は、皺皺の食い込みとなって指立て痕が残りつづけていたという――がこれはもう、
(その手があったか……)
(これなら雑踏の中でもなにげに可能だ……)
(逃れられない……)
二人は呆然と顔を見合わせていた。
袖村天性のパワー天井知らずというか鰻昇りというか(この時すでにブルセラブームはとうに過ぎていたため第8回に見た「拭かず登校」(正確には「拭かず登下校」)が平均的街中で流行っていたとは考えにくいので、三少女シンクロはまさに袖村視界ならではの奇跡的タイミングだったと言ってよい)、およそサハラ砂漠の真ん中にあるいは南極大陸の真ん中に墜落した飛行機のただ一人の生き残りとなったとしても袖村の前には一定ビジュアルを晒すために妙齢女性が一両日中には便意こらえながら駆けつけるに違いないくらいのことを確信させるに十分だった。かくして三谷自身が己れの特異才能コレクターぶりと袖村パワー育成の使命およびその効果をすら自覚し始めたのも当然だったわけである。いずれにせよ、視界の罠にかかった女性像を収集する不特定多数コレクター魂と袖村波動礼賛の一点買いコレクター魂のと共鳴が、三谷の心にほとんど「袖村中毒」と言うべきマニア陶酔をもたらしつづけていたことは確かなのである。
三谷恒明は確かに本人自体は卑小かつ激凡庸な矮小人物にすぎなかったが、袖村的天分に鋭敏に感応する資質についてだけは非凡なのだった。
さて、こんな三谷と袖村が入塾したことにより、蔦崎公一の……
(第49回 了)
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