偏った態度なのか、はたまた単なる変態か(笑)。男と女の性別も、恋愛も、セックスも、人間が排出するアノ匂いと音と光景で語られ、ひしめき合い、混じり合うアレに人間の存在は分解され、混沌の中からパズルのように何かが生み出されるまったく新しいタイプの物語。
論理学者にして気鋭の小説家、三浦俊彦による待望の新連載小説!。
by 三浦俊彦
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■ こうして印南は、31番さんという半和尻に浄められたことによって朝鮮尻ショックを相対化し遂げることができ、生半な国家主義を捨てることができたと言えよう。しかし、国家主義→コスモポリタニズムという転向が等身大のままあまりに急激に起こると、そう、このときの印南哲治のように単に生理的情緒的レベルで滑るまま流され、最低限の思索を省いたまま起こってしまうと、皮相な転向モドキにとどまり、国家主義→コスモポリタニズム→反国家主義という具合に、短絡的な経緯を辿りがちである。印南哲治の場合もそのパターンだったことは、やがて世を震撼させた再度でも何度でも言及するが所謂ハイパーおろち事件によって判明することになる。
いずれにせよ印南にとって金妙塾はどうでもよくなってしまった。31番さんという半和尻効果の和ませ度は相当なものだったと推測される。どぎつい黄金体験および思弁にドップリ漬かっりまくった日々の爛れが、31番さんのヒーリングオーラで急速に中和され治癒していったのであろう。印南は31番さんの体を布越しに愛撫しながらほぼ悟りの境地に達し、「ふむ……そういえばあやつ等は……あやつ等なりに……」
金妙塾の存在意義を容認し始めた。
黄金文化の枢軸たる食糞領域では我が実践が金妙塾の抽象的模倣を断固として容れぬことに変わりないとはいえ、その他のさまざまな変異に関しては、つまり黄金文化の潜在的可能性の探索に関しては、金妙塾のアプローチの方にいささかの合理性があるとは言えそうではないか。アンチ正常位文化称揚戦略の一環として、そもそも印南自身がかつて女性誌などに仕掛けた一人ゲリラ活動との共鳴パワーが光るのは確かであって、金妙塾の活動ぶりを一転肯定的に見守る方向へと考え直したのである。
癒しにはやはり肯定的効果があるらしい。
ここでおろち文化史屈指のファイン・チューニングが生じた。
印南が最後に31番さんの個室でくつろいだ日、金妙塾のハプニング芸術を称賛する言葉を印南は延々と癒し姫の耳もとに囁きまくったのだったが、その中で、やつらの朗読パフォーマンスはここ池袋直通では丸の内線でよく行なわれていたっけな、という趣旨を、しばしば金妙塾生が車内朗読していた片岡章「携帯便所日記」と深筋忠征「明日の黄金文化」の一節を交えながら繰り返し繰り返し述べたのだった。それが31番さんには
「明日この時間に池袋から丸の内線に乗りなさい。そうすれば携帯に電話するから」という、デートの誘いと聞こえたらしい。かなり不自然な聞き違いだが、とにかくそう聞こえたのだろうというのが現在のおろち学研究のコンセンサスである。印南はダメモトでしょっちゅう31番さんを食事に誘っており、それがほぼ惰性の口癖みたいにもなっていたから、誘いの波動は常日頃31番さんの鼓膜に馴染みの律動を染みこませていたのだった。したがって、31番さんの貧弱なヒアリング力を考慮すると、件の聞き違いはいちおう納得もできてくる。
印南にとっては今や惰性の文句となっていた誘いを、31番さんの方は常に真剣に聞き取ろうとしていた。しかもこのとき31番さんは翌週から生家の売却の交渉で中国へ帰らねばならずいつ日本へ戻れるかわからないと思っていたので、一度はデートに応じようと考えたのだった。こうして31番さんは翌日、「携帯便所日記」「明日の黄金文化」の文言が運命的変換されたメッセージに従って、運命の丸の内線に乗ったのである。
本郷三丁目と御茶ノ水の間で、同じ車両のドア際に立つ西洋人が何かひとりで日本語を喋り始めた。
31番さんには全然意味がわからなかったが、これが、デイヴィド・ブラヘニーの「世紀末末は尻フェチ雑誌が開く/閉じる」暗誦だったのである。31番さんは、車内のざわつきを貫きながら覆うようなその呪文めいた声を聞いているうちに胸焼けがしてきた。ひとつには、電車が大手町を過ぎても、銀座に着いても、いっこうに携帯に電話がかかってこなかったため不安になってきたのである。金妙塾追尾をすでにやめていた印南はちょうどこの時刻、亡き妻鮎子の墓参からの帰途自宅近くのファミレスでガーリックカマンベールピザ(鮎子の懐かしい腸内臭を髣髴させるため印南はたびたびこれを注文していた)を食べていたことが調査の結果わかっている。さらに加えて、31番さんの気持ち悪さは、胸から次第に降りていって、下腹部に集中してゆくようになる。これは偶然ではない。意味はわからないながらブラヘニーの誦声の波動が内容上必然的に31番さんの不安感を直腸へ凝集させていったのと、そして一番大きな要因は、この同じ車両に、袖村茂明が乗っていたということなのである。
袖村が新大塚からこの車両に乗り込んだのは偶然ではない。袖村はまだ金妙塾のネオクソゲリラに出会ったことはなかった。袖村のビジュアル体質の磁場の強さを考えるなら、妙齢女性×ネオクソゲリラの組み合わせ現場を彼が目撃せずに終わるなどということはありえない。そう、袖村はこの日まさしく、金妙塾の女子最年少メンバー・専門学校生・中千穂えりが『排泄百景 サロンDEヒップ総集編』の排泄写真を即興で言語化するという新たな試みが丸の内線内で行われる現場に乗り合わせようとしていた。そう、千載一遇のネオクソゲリラ現場に袖村がついに合流しようとしていたのだった。むろん当人は予期してはいなかったのだが、袖村体質をもってすれば確実に適切な時空点を探り当てるはずだった。
しかし間一髪で乗り遅れたのである。袖村がなぜ最高の時空点を外したかは諸説あって一致しないが、いずれにしても、金妙塾女子最年少メンバーと袖村茂明との邂逅は実現しなかった(中千穂えりは当初の意気込みに反して『排泄百景 サロンDEヒップ総集編』即興朗唱が言語羞恥プレイ化した現実に狼狽え、金妙塾に二度と姿を現さなかった)。
袖村が乗り合わせていれば言語羞恥プレイどころではない、袖村波動によって中千穂えりの物質的羞恥プレイが実現していたはずであり、羞恥度の中途半端さも解消されて、中千穂えりは開き直り的に金妙塾にとどまったはずである。袖村の信じがたい乗り遅れによって、金妙塾は中千穂えりという逸材を失ったのだった(彼女がおろち史に名を残すのは唯一このエピソードによってのみだが、袖村の同乗をスカしたという事実そのものが、中千穂えりの体質的非凡さ――袖村体質に比肩する波動発生源ぶり――を物語っているというのが今や通説である。つまり金妙塾と袖村との波動干渉が金妙塾人的資源に損失をもたらした的一幕が密かに演じられていたというわけだ)。
いずれにせよ袖村はまたとないビジュアル現場を逃した。このニアミスの埋め合わせを自然は必ずや果たさなければエネルギー保存則の破れが生じてしまうはずだった。最後のネオクソゲリラ朗読となるこの丸の内線に、ビジュアル体質袖村茂明が乗り合わせないはずがなかったのである。
朗読者はデイヴィド・ブラヘニー。男。原則として袖村パワーは男の排泄中枢に作用することはない。そこで袖村のビジュアル体質オーラは、乗客の中で最も感応度の高い妙齢女性に、そう、始めから不安に襲われていた上に印南哲治のおろち波動の照射をすでに何日にもわたって浴びていた13番さんという女性にここぞと集中作用したのである。
しかしまだ疑問が残るかもしれない。いかに袖村茂明のビジュアル誘発パワーが漂っていたとて、下後半身的不安を多少とも抱えている女性乗客は回りに数多くいたはずだ。その中でよりにもよってなぜ31番さんだったかと。
おろち的素質が皆無と思われる無垢体質の31番さんだったのはなぜかと。
この見かけ上の偶然に関する最も説得力ある説は、印南哲治が、それまでのペッティング的親密接触において、無意識にあるいはうすうす意識的しながら31番さんの「ツボ」を――おろち系少女たちにしてやっていた運動習慣が指に形状記憶的に残っていたため――31番さんの胸もとの例の「ツボ」を弱くだがちょいちょいと始終つついていたに違いないということである。その刺激が蓄積されて、何週間何ヶ月にも及ぶ遅効時間差効果をじわじわ現わしており、そこへ31番さんがいよいよ印南との恋愛的文脈を焦燥的なほど意識し始めた刹那、感情の弛緩的緊張に応じてツボ効果が一挙――
顕在化した、
というものである。そこに袖村効果が加わったのだからひとたまりもない。袖村効果は他の自然界の力と同様、最も自らを吸い込みやすい「気」、脆弱敏感なルートを選んで作用するのである。
車内は込み合っていた。
ネオクソゲリラの観測は常にある一定混雑度において行なわれるから当然である。
袖村は31番さんの斜め前に立っており、彼女の異変にすぐ気づいた。袖村ビジュアル体質は当然これまでに電車内で女子高生失禁やOL下痢発作を何度も目前誘発していたが、31番さんの様子はこれまでのどの切迫事件の空気とも異なっていた。前屈みに座って、膝の上で両手を堅く握り、眉間に皺を寄せて、一目瞭然の姿勢でいかにも堪えていたのであるが、たいていこういう場合は駅に着くと同時に真っ先に降りることになるはずのところ、彼女の場合はなにやら救い主が次の駅で乗り込んできて救い出してくれるとでもいうように今度こそ、今度こそとドアが開くたびにホームに目を泳がせるだけで、いつまでも降りないのである。
こうしていくつかの駅を経た挙句、
「今日のは……これは露骨だぞ……イントロ長いぞ……」
袖村がいつになくドキドキしながら己の体質的運命を呪い始めたとき、ついに
「プス~~~ッ」
スカシではあるがかなり摩擦音が混じった大きな音がして、袖村以外の乗客がきょろきょろ音源を探りはじめた直後、彼女は中野坂上で脱兎のごとく降りていったのである。
結局池袋から延々と大回りで乗り続けてしまった。袖村自身も、31番さんの切迫感に魅入られるように、御茶ノ水で降りる予定を忘れてついてきてしまったのだった。
(なんたることだ……体質に振り回されたのは初めてだ……)
フォローしなければ、と袖村は思った。乗客が異臭に気づき始めていたからである。
このままでは今出ていった彼女が犯人であることがバレてしまう。
フォローしなきゃ。さっきの彼女は今までの我が体質犠牲者らとは違う。
俺の体質に蹂躙される種類の人じゃない。
31番さんが立った空席に袖村は素早く座った。
袖村の尻に、60度は超そうかという熱気が染みこんできた。31番さんの腸内激流をたっぷり吸い込んだ座席シートが沸騰状態になっていたらしい。袖村尻がガッチリ蓋をしたおかげで、ここが発生源であることは誰にも悟られなかったようだ。
袖村はおそるおそる何度も周囲を確認したが、袖村の耐熱ぶりも気づかれていない様子だった。袖村の尻にはむず痒い熱が波状的に押し寄せ、しだいにほどよい温度へと拡散し、やがて嗅覚的ぬくもりとなってゆっくりと睾丸に染みとおってきた。
(ガーリックカマンベールだな……)
袖村は、睾丸にも嗅覚があることを始めて知った。
座席のぬくもりが温感から嗅覚、いや味覚となって袖村の睾丸だけでなく下半身全体を染め上げた。袖村は下半身浸透性ピザ臭初体験にほのぼのと勃起していた。
まだ朗誦中だったブラヘニーと撮影者稲室憲正がこのときの空気を「チーズの腐ったような臭い」と後に形容したことは第30回に記したが、ちょうど同時刻に印南哲治が自宅の鮎子の遺影の前にファミレスから持ち帰ったガーリックカマンベールピザを供えていたことが判明している。印南が31番さんに恋情を抱いた初期条件として亡妻の面影をほんのり見出していたということが挙げられようが、このとき鮎子の霊を通じて、お供えのガーリックカマンベールピザの香気が「時空トンネル効果」により31番さんの直腸内に充満していたのだとは考えられないだろうか。
下車後の31番さんの下腹部がどうなったかは記録が残っていない。おそらく、袖村の睾丸から下腹部全体を覆った快感度から推測して、マイナス価値を帯びた事件に31番さんが見舞われなかったとは察せられる。
次に印南哲治が『茉莉花』を訪れたとき、31番さんは不在だった。店長も他の女の子も彼女がどうしたか知らないという。それからついに31番さんは『茉莉花』に現われなかった。一時帰国直前の思い出がロマンチックなものから「?!」なものに転じたことだけは確かなようである。
(第45回 了)
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