偏った態度なのか、はたまた単なる変態か(笑)。男と女の性別も、恋愛も、セックスも、人間が排出するアノ匂いと音と光景で語られ、ひしめき合い、混じり合うアレに人間の存在は分解され、混沌の中からパズルのように何かが生み出されるまったく新しいタイプの物語。
論理学者にして気鋭の小説家、三浦俊彦による待望の新連載小説!。
by 三浦俊彦
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■ 印南哲治の心理的崩壊の経過を整理してみよう。
鮎子の死→黄金死失敗→反セックスゲリラ→おろちプレイ布教における愛なき不毛→朝鮮尻ショックと深化した鬱状態をネオクソゲリラ・金妙塾に詮索欲を刺激され躁化し、鬱×躁正反作用に嬲られてこれ人生捨てるべきか探るべきか風情に引き裂かれつつ闇雲半ば自動機械的に他律活動していた印南哲治は、我が石丸φ黄金哲学の軽薄トレース型稚拙音声化というこれ、ついに著作権侵害的名誉毀損的屈辱に塗れるに及んで――
ほぼ――
完全に自制心を失った。
(この心理的浮沈の経緯を不可視波動によって感知した巷の感性が各々図形化し楽譜化したインスタレーション・コンサートが六本木のストライプハウス美術館、初台のICC、表参道のギャラリー360°、川崎の市民ミュージアム、下北沢のシェルター、代官山のP-HOUSE、吉祥寺のギャラリーαm、恵比寿のカフェ・ドゥ・ヴァンセンヌ、光が丘のIMA、道頓堀のセント・ジェームス、水戸の芸術館、田園調布のGallery Nakama、道玄坂のLa mama、すすきののベッシーホール、原宿のRe-Ma、木場の現代美術館などにおいて多数の環境音楽作家により演じられている)。
吉丸八彦ら金妙塾メンバーをたえず尾行していた印南が、この混乱状態の中でいつ鋭利な切りつけ行為に及んでも不思議ではなかっただろう。しかしそうはならなかった。ふと「香港エステ」の看板をくぐったのが一つの介入項を形成したのである。殺人もしくは傷害行為決行前の最後の夜にいちど笹原的初心で瞑目しておこうという然るべき心がけだったのだが(ちなみにここで一度印南が公然と犯罪者を受け持つ覚悟を決めたことが、後のあの凄惨なハイパーおろち事件実現につながったといわれる)、そこで決定的といえば決定的なキャラクターに出会ったのである。
件の香港エステとは、北池袋のロマンス通り入口に面した『茉莉花』である。ここでエレベーターに乗った直後、ぱたぱたと女が駆けてきて乗り込んできた。これが東亜系エステお定まりのパターンであることは、両角θ著「エステティック・カオス法悦」(第36回)が報告したとおりだ。客引きのエステシャンに捕まるのが気恥かしくていつも隙を突いて陰からビルに入り込む客も多いのだが、エレベーターの作動を彼女らが見逃しはしない。早い者勝ちで客に密着する。このとき印南を確保した女が、運命の「31番さん」であった。
堅肥りで丸顔且幾分コマネチ顔の31番さんは、両膝を同時に使った独特の体重移動による背筋マッサージで印南を快感の極致へ包み込んだが、日本語がほとんどできなかった。「ずっと日本にいるつもりなの?」と尋ねても「ずっと? ずっと、てなに??」
基本単語が通じない。名詞・動詞・形容詞以外の単語が通じないと会話めあての客としてはなかなか辛いものがある。広義の会話目当て客に分類されるべき印南――エステ観賞の本質を奪われて半ばがっかりしていた概念派(←→肉体派)の印南哲治だったのだが、マッサージ自体は真面目でひたむきでなかなか効いたので、乞われるがまままずオイルコースを三十分延長し、さらに三十分延長し、
「おつかれ、さまでした」
の段になってもぼおっと(この女は他の女と違ってVIPコースをせがまないな……なぜかな……)と訝り気味の余韻に浸っていたら、察したかのあるいは思い出したかのごとく「VIPコース、VIPね」と31番さんが問いかける。きたか、と身構えつつこのせがみ方なら、と「うーん」頷いたのだが、その直後に印南は頭を殴りつけられたような大ショックを受けることになる。
というのも、「VIP……。わたし、まっさーじだけ、わたし、おちんちんやらな、いから、ともだちよんでく、るね」と、あっさり31番さんは引っ込んで、代わりのエステシャンが現われたのである。
印南は愕然とした。初めてのパターンだったのだ。笹原圭介の影響でこれまで三十回以上東亜系エステ体験を重ねた印南だったが、どこにおいても歩合制の常として、エステシャンは獲得した客を少しでも長引かせようと努めたものである。それをこの31番嬢はいとも簡単に自分の取り分を放棄して同僚に譲ってしまった。しかもその理由が
「私はおちんちんには触らない」
だというのだ! 印南は感動に震えた。
むろん、両角θ「エステティック・カオス法悦」に見たように、一切ヌキはやらない健全系東亜エステはいくらでも存在し、当然そこのエステシャンたちは下半身奉仕とは無縁である。しかし印南は一々彼女らの清潔さに感動したりはしない。ウェイトレスやエレベーターガールに一々感動しないのと同様である。たとえば真面目エステの代表・南池袋『秋桜』においては、中国で医師として四年間勤めながら(循環器系専門)日本に五年計画で留学し、大学院入学までの間午前中日本語学校に通いながら夜マッサージをしているという美女(外国人は医師免許持っていても日本で営業してはならず、日本の大学医学部を卒業しても日本の医師免許は取れない。鍼もやってはいけない。日本の法律は外国人にきびしい……と彼女はしみじみ話した)に遭い印南は大感銘を受けたが、その感銘は
「ほほお、日本の女医さんが復職を約束されたとて病院を退職して異国で開業もできぬまま裸の男の背中に昇り腹に屈みこんでかくも手指節くれだち手首太く固まるほどマッサージに専心できるだろうか、中国の女性ってのは女性本来の大地の力だなあ……」
的なものだった。ここの31番さんの場合は、通常のポスト風営法東亜系環境にあってエステシャンの中でどうやらぽつっと一人だけ手扱ぎをしないという、その新鮮さだった。
印南の背骨はぞくぞく感動に満たされた。「いかにも指だけで済む手コキのお仕事だから辛うじて勤めていられます然のお嬢さん気質」(両角θ)程度に興奮していた朋友笹原圭介の境地を遥か蒼然たらしめる、まさしく「指だけで済む手コキだって私とてもじゃないけどやれません」の大境地到来である。ここで印南のパースペクティブが一挙に飛躍したといってよかろう。
印南は勃起した。
31番さんが一見「すきそうな」ぽてっと色っぽい睫毛唇をしているだけに、秘められていた「わたしやらないから」がなおさら感動だった。印南の貧小ペニスが、このときは突発例外的に15センチほどにまで膨張していたと察せられる。入ってきてタオルをめくった代打エステシャンがおおおおー、すごいー、げんきーーと歓声をあげたほどだったからである。
この翌日から、印南哲治の『茉莉花』通いが始まった。潔女31番さんの出現は、印南の〈対金妙塾ストーカー行為〉を一時自主中断させるほどのインパクトを有していたのである。31番さん指名、VIPコースで入るのだが、手コキの段に他のエステシャンと交替しようとする彼女を印南は引き止めて、要らない、サービスはいいと言って、通常マッサージを続けてもらう。31番さんの中華尻に指一本鼻先一つ触れたわけではないが、街行く和尻そして朝鮮尻をすら遥かに凌駕するこの淑女のたしなみは、反セックス一人キャンペーンに駆けずり回った体感生々しい印南本人の中枢を大肯定の刺激パルスで満たした。やがてマッサージの時間ももったいなくひたすら会話に耽るようになった。漢字を紙に書きながらの筆談でかなり31番さんの生活――生母は北京にいて養母が千葉に住んでおり週に二三回田端の兄の家に集まることなど――を聞き出すことができ、養母は生母の妹で、二人とも日本人であること、中国人の父は早くに亡くなっていることなどが判明したが、それ以上の応用――養子になった理由は? 手コキサービス拒否でよくこの歩合制業界やっていけるね? お店や他の女の子に何か言われない? どういうスタンスとって納得してもらってるの? などなど31番さんの周辺事情や人生哲学を込み入ったレベルで聞き出したい、そうして惚れ重ねたい、魅力を確認したいという欲求は、暗い照明下での筆談では満たすに限度があり、暗黙知的やり取りで彼女の潔癖爛漫ぶりを間接に味わうしかなかったので、印南は訪れるたびに工夫を凝らした。背と肩に温感プラスターたとえば『点温膏』をずらり二列十六枚も貼ったままにしていって彼女に剥がしてもらったり、足の爪を赤く塗っていって足ツボマッサージのときに彼女を驚かせたり、「……、……」VIPコース料金でオイルマッサージ止まりの奇特な客としてではなく人格的に会いに来てくれる愛しいダーリンとして、片言と手振りのコミュニケーションを31番さんも印南と同じくらい楽しむ表情を隠さなくなっていった。
31番さんはダーリンの目的が必ずしもマッサージではないことを心得ると、印南の要請にしたがって、しばしばベッドで添い寝しながら「会話」をした。全裸の印南に着衣の31番さん(スカートの下にはタイツのほかぴっちりしたゴムのパンツを三枚重ねて穿き、上半身も堅いコルセットでガードしているということだった。「にほんじんのおきゃくさんはす・け・べだから」……スケベというような意外な――この種の店では古風な俗語が生き残っているものだが――単語を彼女は稀に知っていたりした)という構図は、印南の気に入った。役割逆転して31番さんの背中にマッサージを施してやったり、それでも決して股間付近は触らせてもらえなかったのだが「いや」それだからこそ印南は大満足だった。31番さんはキスは許した。ディープキスすら自らイニシァティブをとった。挿入可の性風俗店では基本的に「キスNG」であることを考えると――キスの敷居とセックスの敷居の高度比が日常と風俗とでは元来逆であることを考えると――「下半身なし時々キス」の二人の関係はこのとき自然恋愛の秩序に限りなく近づいていたとまあ言っていい。ジャスミン茶を急須一つ分口移しで飲ませてくれたりもした。何度か
「これからいっしょに食事どう?」「こんどうちに来れば?」
と本気で誘ってみると、そういうときだけ筆談が通じず、彼女がバックレて防御しているのは明らかだったが、それがまた印南には「タマラン……」のだった。ベッドで抱きあいながら耳もとで「かわいいなあ、かわいい、すごーくかわいい、どうしたらいいかなあ、かわいい、かわいいっ」かわいいという語はかろうじて知っているらしかったが「僕の死んだ妻と同じくらいかわいいな。このかわいさを僕は尊敬する。君の潔癖さは崇拝に値する。値するなあ……」だんだん言葉を複雑にしていって「君さえよければ結婚したいなあ。君の瞳でいつも見つめてもらうのが何よりの治療だ。そうなのだ僕は汚れきった男だ。君の清らかさの前にはゴミ同然だ。夫じゃなくて奴隷になるべきだ。僕の家で毎日好きなことしていい。君が好きなことをすればするほど僕は君が好きになるだろうなぁ」……意味が通じていないのを承知で囁きつづけたりもした。忌々しい金妙塾のことはすっかり忘れていた。言葉シャワーを浴びながら31番さんが何もわからぬまま微笑んでいるのかと思うと――自分の俗な贅を尽くした言葉のうち音声波動成分以外の意味的指示的全成分が全部無駄弾として浪費されているかと思うと印南はいいようもなく興奮し勃起した。亡妻鮎子への愛を相対化することに躊躇いを覚えなかったということ自体、印南がこのとき袋小路から脱却しかかっていたことを示すだろう。「求愛攻め」にどちらかが慣れどちらかが飽きたと思われる時間が経った頃いつも印南は、鮎子の黄金を呑み込みつづけていた頃の懐かしい味香り触感食感、微に入り細を穿って31番さんの耳たぶ擦りつけるように囁き始めるのだったが、亡妻の霊に向かって愛の思い出で慰霊をしているムードに浸りかけた……とも考えられたもののふと冒涜的露悪感に一瞬胸を締めつけられもし、鮎子の話題はそっと離れてある日思い立って金妙塾調査の過程で盗み出していたあの
「覗き日誌」
の一節(十回読んでめっきり暗記していた)を順に囁いてゆく手法を試し始めた。ただし単に素材として「覗き日誌」を引っ張り出しただけで、このときも印南の念頭には金妙塾への敵視も(朗唱なら負けるものか……)的競争意欲も全く影を落としていなかったとされている。
「……岩が割れるようにボロボロボロッ、と六七個群れをなすように落下。ひきつづいてイントロにそぐわぬいきなりの太長が、くの字形に撓んで、折れずににゅ、にゅ、にゅ、にゅ、とコマ送り的段階不連続で押し出されてきた。真横からならではの新光景……」「……極太がむくーっと伸びてきたかと思うと、ムム、妙だぞ、芽のようなタンコブのような節くれ的出っ張りが、極太本体よりも一段色の濃い、何だなんだと目を凝らしていると枝部も伸びて一瞬二列化したかと思うと斜めに傾きポロッ、と本体からはずれ落ちた。柔軟便の中に堅固便が埋没していたという珍しい出方……」「……極太長たっぷり三本出終わってさぞホッとしたところで一息後初めてオシッコがシャーっと、これはこれは、なぜうんちより先に出なかったかと不思議なほど勢いよく大量に長々長々……」「……小さいカケラの後、ゆっくりまとも便が頭出したかと見るや不必要なほど後ろに反り返って――真横ならではの超光景――なんと先端が上を向いて「し」の字型に曲がって、尻尾そのものというか、菊門に特別な癖のある人なんだろう、反れた先端がお尻にくっつく寸前でぷっ、と屁とともに切れ落ちて……」「……ぷっ、ぷっ、ぷっ、ぷっ、ぷっ、ぷっ、と二十回くらい、ガスは溜まってるんだがさぞかし一気に出したいのだが肛門付近を覆う便秘塊に塞がれて断続破裂的にオナラが、平均一秒一発の割合で、はじめは強く大きく音低めでダイナミック、次第に間隔が狭まっていって音やや小さく高く鋭くなる……」「……ものすごい勢いでぼとぼとぼとっ、と大量下痢の一挙落下直後、かろうじて固形風繊維状がブランと垂れ下がり、その先っぽを伝わるようにさらにぼたぼたぼたっ、とすさまじいミズグソが。ぷつぷつと音だけは何とか抑えつつ――尻主の羞恥と努力が見て取れるようだ、しかも水を何度も流しながら――抑制むなしくついにぶちきれたというようにブィリーイイイーッ、水洗音をはるかに切り裂く大爆音(あ、と尻主が小さく叫ぶ声がした)が轟いたかと思うとじょっ、じょっ、じょっ、じょっ、じょっ、……残り下痢を惜しむかのごとく、無駄な抑制を諦めきれないかのごとく肛門開閉してじょっ、じょっ、じょっ、じょっ、じょっ、ああ、そんなにガマンしないで行きずりの耳を気にしないでズバーッと一思いに爆発させれば気持ちいいものを、ああ、いつまでも残り水様便を、これがオシッコなら下腹の腹筋のいい運動になるだろうなというような断続的……」耳もとで印南の囁くにゅ、にゅ、にゅ、にゅ、とかじょっ、じょっ、じょっ、じょっ、じょっ、とかいう擬態語が可笑しくて意味わからないながら31番さんは隣を気にしながらクスすすすっ笑いよじれ、ダーリンの頬にキスの雨を降らすのだった。
これだけ親密にベッド上で絡みあう仲となっても決して裾一つ捲り上げるわけでない31番さんの潔癖に印南はほとほと感銘を受けて、
「これはもはや中華尻だけの問題ではない、和尻対東亜尻という偏狭なパラダイムを脱して、全人間的な基準で絶対評価を心がけねば新世紀の知的生き抜きは不可能である」
との認識に達したのである。31番さんが日中混血であるという事実がこの悟りに預かって力あったことは言うまでもない。確かに31番さんは純和尻ではないが、半和尻であるには違いない。しかも母親成分が和尻を寄与した半和尻なのだった。偉大なる31番さんの笑顔に親指でつくづく触れながら、北半島少女の奥床しい含羞みごときに打ちのめされておろち布教を投げ捨てた頃の己れの至らなさをしみじみと反省半分自嘲半分回顧し入りはじめたのである。
こうして印南は、31番さんという半和尻に浄められたことによって……
(第44回 了)
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