偏った態度なのか、はたまた単なる変態か(笑)。男と女の性別も、恋愛も、セックスも、人間が排出するアノ匂いと音と光景で語られ、ひしめき合い、混じり合うアレに人間の存在は分解され、混沌の中からパズルのように何かが生み出されるまったく新しいタイプの物語。
論理学者にして気鋭の小説家、三浦俊彦による待望の新連載小説!。
by 三浦俊彦
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■ 桑田康介という一種アンファン・テリブル、その小学生時代のおろち系履歴にしてもさぞ華麗なものだったと想像されるかもしれない。しかし、全くといっていいほど、康介在籍の小中学校ではおろち文化は育っていなかったのである。唯一、これから紹介するささやかな情景が康介の脳裏にこびりついているという事実はあった。日記をつけたことのない康介が、小学校五年秋のこの情景だけは日記帳に記し、中二の夏に青年写真誌に次のような体験記投稿までしているのである。掲載はされなかったようだ。金妙塾掲示板に残っている文章自体は、小五+中二のまぜこぜ文体にもっと後のアスペ推敲の中小断片が加えられたものと考えられている。
おばあさんが死んだとき、ボクは死の瞬間を見られなかったことを「フェアじゃない」と思いました。そして死の瞬間を僕自身が全然左右できなかったことをもっと大いに「フェアじゃない」と思いました。その前の前におばあさんの息子、つまり僕の父親が死んでいたのでしたが、そのときはそう思いませんでした。いや、どこかでずっと思ってはいたのが、順序の逆転した死の完了で表面化したのでしょう。
おばあさんが死ぬ前の小学校五年の遠足でのことです。顔振峠というところでした。父の四十九日だとかで親戚二十人くらいで食べたおそばの残りを前夜おばあさんが温めなおしたあれがよくなかったらしく腹が急激にゴロゴロ鳴り始めたボクが隊列を離れてボーボーの草むらの中へ。天に昇るような快感とともにぶりぶり放出していると、担任の、忘れ物をした生徒のほっぺたにチクチクの無精髭をなすりつける「ザリザリの刑」で人気の四十五歳、ホエザルこと飯島隆文先生(ザリザリの刑を「体罰」だと思う生徒はいませんでした)がやってきたのであわてて身を伏せると、先生の気配が急に消え、不審に思ってふと顔を上げてみると、飯島先生がボクのほんの二メートル足らず真ん前で、気むくじゃらのお尻を丸出しにしてしゃがんでいたのです。先生は周りをしきりに気にしていましたが、意を決したように「ムんっ」と両肘を張って両拳を握りしめたかと思うと、先生の肛門の周りが噴火口のように膨らんで、焦茶色のバナナがにょきにょき出てきたのです。鼻や目にかかる草を気にしながらボクはじっと見ていました。ボクは先生に気づかれないよう尻を両手で裂き広げながら音を殺して絞り出していったのですが、こっちとリズムを合わせるようにして、飯島先生はぶすぶす断続的に無防備な音を振りまきながら、太い三本目を出している。そのときでした。ボクの中で何かがむらむらっと膨らんだのは。みんなと同じくボクも飯島先生が好きでした。でも、鼻や口や腕に管をいっぱい付けられたボクの父親がベッドで苦しんで苦しんで胸を掻きむしるようにして死んだ直後の遠足で、何事もなかったようにガマガエルのようにうずくまって呑気に野糞している飯島先生を見ていると、ふだんのエラそうでタヨレそうなたたずまいとのあまりの落差に、むしょうに腹が立ってしまったのです。ボクはハンカチで自分のケツをぶちゅっと拭うとズボンを上げ、飛び出していって、ボクのウンコのついたハンカチを後ろから先生の顔に目隠し状に巻きつけました。「だ、誰だっ、何をする」飯島先生は手をじたばたさせました。ボクは木の枝で先生の頭をめった打ちにし、まだ長いウンコをくわえたままのお尻を思いきり蹴飛ばして、逃げてきたのです。そうです、今思えばあれを見たのが運の尽きでした。飯島先生は犯人がボクだとは気づいてなかったようですが、一学期までは優等生だったボクの成績があれ以降へなへなと急降下していったことを覚えています。あれから先生の「ザリザリの刑」を二度ばかり受けましたが、なぜかその痛みばかりは相変わらず、というか以前にもまして気持ちよくなっていったのですけれど。
この日、同じ場所同じ時刻で、もう一つのおろち体験が同時になされていた。体験主は、桑田康介の当時数少ない、というより当時唯一の友人であり不登校気味の仲出芳明である。芳明が康介に語った内容を康介が記録し、同青年写真誌の同年別号に投稿したものが次の記録だ。これも採用されなかったようで、金妙塾掲示板に残っている文章自体は、小五+中二のまぜこぜ文体にアスペ推敲の大小断片が加えられたものと同じく考えられている。
男子生徒の間でグローリア・ハッチオン先生の人気がダントツであることは釈然としなかったのです。だいたい小学校になんでネイティブの英語の講師が必要なんだって話だし(ティームティーチングとかって)、ボクに言わせりゃ、アメリカじゃガキだって英語喋るわけでなんでそんなの先生って呼ばなきゃならんのって話。だいたい見てりゃ子供心にもわかるけど教養ないの丸出しだったので。
金髪で青い目なら立派に英語教師でしょって態度が気に食わないというか、日本語全然喋れないしいつもニコニコ大袈裟なジェスチャーしてりゃ務まってるでしょみたいな、とにかくアメリカにいりゃ何の取り柄もなかっただろう平凡な小娘丸出し女が英語ってだけで先生ヅラしてるのがボクとしちゃ反感で。みんななに喜んでたんだろって。
とにかく遠足とか風景とか興味なかったので、みんな昼食べているとき、ぼくだけどの班にも属さずにひとり離れて、斜面の藪のところで昼寝をしていました。
ほんとにぐっすり寝入りかけたときです。枝を踏んでくる足音がして、誰かがすぐ近くに腰を下ろしたようでした。目を開けてびっくりしました。仰向いているボクの視界の右上隅に、真っ白に輝くでかい裸のお尻がドカアンと据わっていたのです。
視界を遮る草はありません。仰向いているボクのこめかみから十五センチの至近距離に、真っ白に輝くでかい裸のお尻がドカアンなのです。ボクは起きあがろうとしましたが、押しとどめるようにブスウウウブッシュウゥーッ、と今まで聞いたことのないドでかい屁が草をなぎ倒す勢いで噴射されたので、ボクは硬直しちまいました。地面に跳ね返った屁鉄砲が、下からボクの右耳をぷいっふわふわ吹き撫でました。(くせっ!)ドブみたいなイヤアな濃い臭いでした、まわりののどかなそよ風とは対照的に。
ちくしょういい気持ちで寝ていたのに、くせえ屁をひっかけられて黙ってられっか、と起きあがろうとしたのですが、それをまた押さえつけるように、真っ黒い泥みたいな大量の粘液がドロドロッと飛び出してきたかと思うとピイーイー、ゴロゴロブィビイイーと漫画の擬音ぽい響きだったので、ボクは笑いをこらえるためにまたまた硬直せざるをえなくなりました。続いてぷぷっしゅるしゅるって焦茶色の泥泥が、出たばかりの黒泥にどしどしかぶさり、五秒ほど間をおいてまたすぐ、逆さ富士のように肛門が飛び出したかと思うとどばどばと真っ茶色のなだれが崩れ出てきました。よくもまあ次から次へと。ボクは唖然としてしまい、真っ茶色いシブキが頬やこめかみにかかるのを避けることもできませんでした。今度は強烈な生ゴミの臭いでした。僕の鼻の奥から脳天に至る筋が一本ピインと痺れまくりました。
何も出なくなってからも、尻は動かずにじっとしています。「んっ、んんっ、んっ、んんっ」と息む声が降ってきます。何か、人格が蒸留されたような深いうめきでした。その声と、チョロチョロとオシッコが垂れてきた源に見えた割目によって、この尻が女の尻であることがようやくわかりました。金色のうぶ毛がいっせいにそよいでいるのがきれいでした。グローリア先生に間違いありません。ひとしきり「ん、ん、ん、ん」が続いたあと、肛門がアンコールって感じでにゅーっとめくれて、黄土色というか山吹色の粘土みたいなのが「まだこんだけ残ってました」的に誇らしげに搾り出てきました。これはイカの薫製のようなうっとりする臭いでした。
というかいいかげん「くどいな……」とか思ってました。あまりにもいろんなパターンでいつまでもいつまでも出てくるので。
グローリア先生は、テイッシュを持ってなかったらしく白いハンカチを2枚重ねて尻を拭いて、ズボンをあげて、斜面を戻り始めました。ボクはなんだか頭に来て、真っ茶色に染まったハンカチを拾って、すばやく石をくるんで、グローリア先生に投げたのです。
石入りのハンカチはグローリアの足もとに落ち、彼女は「え?」と立ちすくみました。
ボクは石や土の塊を集めて、グローリアの野グソに浸しました。グローリアが気を取り直して歩き出したところへまた1個投げました。「だれっ? だれなの? どこ?」
ボクはびっくり。日本喋れんじゃねーかと。しかもすげー自然な喋りじゃねーかと。ほんの二言三言でしたが、ほんとは日本語ペラペラなのがバレバレでした。パニクッたとき自然に出るってことは相当の使い手。ボクは猛烈に頭に来ました。藪に隠れているのでボクの姿は向こうからは見えません。
ボクはじりじり移動しつつさらに3つ4つ、立ちすくんでいるグローリアのまわりにクソ付き石を投げました。彼女の視線を避けながらですが、むこうが探す気になればすぐボクは見つかっていたでしょう。でも、野グソを見られた相手とじゃ顔合わせたくない様子は見えてました。石が足もとに落ちるたびに彼女は身をすくめるだけで。
念のため、彼女が去ったあとでハンカチを回収し、歩道の木の手すりにハンカチ真っ茶色に広げて載せておきました。
おろち史学で「顔振峠二重事件」または「顔振峠三重分の二」と呼び習わされている出来事の記録を続けて紹介した。
本当に重要なのは、同日同時刻にシンクロおろち体験をした桑田康介×仲出芳明が各々の体験を同日中に語り合い、照合して到達した結論なのである。「顔振帰結」と呼び習わされているその大認識とは、意外なイデオロギー色を帯びていた……
(第46回 了)
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