「新装開店」特集である。というのも、文芸誌そのものがこの7月号から表紙とレイアウトがリニューアルされたから、ということである。そういう単純な経緯なのだが、妙にいろいろと考えてしまった。そもそも短編小説特集「新装開店」って、ヘンじゃないか? 良くも悪くも。
良くも悪くもヘンだが、とりあえず目立つ。なにそれ、と手に取る気になるという意味では、むしろ良い。だいたい文芸誌の特集ときたら、「女のなんたら」といった演歌調か、時候の挨拶みたいなもの、果てはヤケクソに堕ちるという案配。普通のビジネスならまず打ち出すべき、前向きかつ建設的な「新装開店」ほど文芸誌に似合わない言葉はない。
それと言うのも、小説、とりわけエンタテインメント小説に「新装開店」はあり得ないからだ。小説は後衛である。それを認めたところからしか、優れたものは生まれない。少なくとも小説の新しさとは、目指して得られるものではない。のちに振り返られ、その時代の総括とともに認識されるものだ。投資によって即座に回収が見込める「新装開店」の概念とは縁遠い。
にもかかわらず、またそんなことは百も承知の編集部が、自分たちのちょっとした投資によるリニューアルに合わせて、花持ってこいと作家に言う。祝辞を述べ、言祝ぎの歌を歌えと言う。そういうものなのか。文芸誌が作家のためにあるのではなく、作家が文芸誌のためにいる。クライアントは編集部の方で、金を払う方が客なのだから、ご要望には応えなくてはならない。当たり前である。「新装開店」がインパクトを持つビジネスの世界では。ヘンに思う世界の方がヘンだったのだ。
そしてもう一つ、違和感とともに印象に残るのは、「新装開店」された表紙デザインのタイポグラフィがむしろレトロに映ることだ。むしろレトロと言うか、ひどくレトロである。字がびっちり詰まっている感じも、文芸誌ヴィジュアル化の流れに反する。しかしそう思って前号以前の表紙を眺めると、驚くなかれ、やっぱそっちの方が古く見えるのだ。
マンガっぽいイラストは親しみやすいようで、ありふれて見える。他のエンタテインメント系小説誌との区別がつきにくい。中途半端にフレンドリー、ヴィジュアル化したところで所詮は文芸誌だ、という開き直りが、このレトロなタイポグラフィなのだろうか。
それは編集サイドとしては、確かに新しい理念、新しい決意の現れに違いあるまい。ただやはり愕然とするまでもなく、当然のことだが、小説作品はそれとまるで無関係にある。「新装開店」をお題として書かれた短編作品群を読めば、それは明白である。新しいところはあるはずもなく、「新装開店」を背景とした従来の小説が、従来の小説として面白いかどうか。従来の読者はそのように読むだけだろう。
そしてもちろん、「新装開店」というお題で書かれたのに新しみがないから詰まらない、ということもない。「新装開店」だろうと「本日休診」だろうと「閉店セール」だろうと、小説の大勢に変化はない。その小説の微動だにしない後衛性を頼りに、編集は微調整を満喫することができる、ということだろうか。
池田浩
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■