偏った態度なのか、はたまた単なる変態か(笑)。男と女の性別も、恋愛も、セックスも、人間が排出するアノ匂いと音と光景で語られ、ひしめき合い、混じり合うアレに人間の存在は分解され、混沌の中からパズルのように何かが生み出されるまったく新しいタイプの物語。
論理学者にして気鋭の小説家、三浦俊彦による待望の新連載小説!。
by 三浦俊彦
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■ その語形からうすうす実体が察せられる「軟尺」とは改めて何であるか?
笹原圭介のこのトレンド理論を詳細に確認するために、印南哲治からしばらく離れて、笹原圭介の短期友人経験者である小説家・両角θが今はなき『武蔵野美術』No.115,pp.44-49に執筆した文章を引用しておこう。
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エステティック・カオス法悦
東亜細亜系エステを題材に小説を書かないかともう何ヶ月も前から私に持ちかけている哲学教師がいる。彼曰く(引用者注:最近の研究によれば、彼という語が笹原圭介を指している確率は通常の親子間DNA鑑定の平均合致率と同じ99.9998%である)、韓国人や中国人のにわかエステシャンたち(ちなみに業界では通常エステティシャンではなくなぜかエステシャンと称する。以下これに従う)との個室での触れ合いは、不充分な言葉を媒介にした肉体本位のコミュニケーションであるだけに、言語が抽象的意味よりも物質性をますます主張しつつあるこの現代の空気とごく自然に正弦波共振するトポスである。世紀末性風俗のトレンドを微妙に僅差先取りした東亜系エステが最も輝き泡立っているこの瞬間に描き留めておかんでどうする。
東アジアの国名や地域名を冠したメンズ・マッサージ・エステは、ちょっとにぎやかな街で通りを見回せば確かにいくらでも看板が目に入る。韓国式エステ、台湾式エステ、香港式エステ、中国式エステ、タイ式エステなどが一般的であろう。「式」がつかない場合もある。「式」がつく場合は、従業員――エステシャン、揉み姫、コンパニオンなど呼称はさまざま――が必ずしも当該国籍の女性とは限らないということだろうというのが、言葉に潔癖な彼の推測だ(ちなみに彼の専門は、今世紀中期の「オックスフォード日常言語学派」およびその周辺である)。実際、日本人女性がエステシャンとして働いている韓国式エステもたくさんある。かつて恵比寿西口にあった『蘭・蘭』は「多国籍エステ」と称し、アジア人女性以外に白人女性も多数勤めていた。他に「和風エステ」「和風韓国式エステ」「宮廷エステ」「シンガポールエステ」そして白人エステシャンオンリーの「北欧エステ」「東欧エステ」(その代表格である歌舞伎町『ヒスイ』には常時ロシア娘4人、イタリア娘1人、スペイン娘1人が待機)といったバリエーションもある。
東亜系エステは、最もソフトな風俗店として、セクシュアリティと日常生活の境界線に位置している。外回り営業マンが契約の合間にちょっと立ち寄って必要経費で落としてもさほど咎められないレベルの「憩いの場」「給精所」と言えるかもしれない。いわばセクシュアリティの縁、裾、皮膜である。歴史によれば文明の発祥は例外なく海沿いや河沿い。果物も栄養のほとんどは皮に集中しているし、カレーやシチューも冷めて皮膜ができた部分が味が一番濃い。今日の性文化の真髄が「性風俗の縁」東亜系エステに宿っているという彼の説も、説得力が皆無なわけではなかろう。東亜細亜はもともと文化のインターフェイスである。彼の折々の言葉をまとめると、二十世紀末セクシュアリティに特有の、鮮明な特徴は次の三つに集約されるということらしいのだが……。
①必ずしも密室性に依拠しない。
②特定の関係性を固定しない。
③非決定的な手順。オルガスム(もしくは挿入)に必ずしも収斂しない。
この三項目に共通する特質は、「オープンなセクシュアリティ」ということになるだろう。学生時代にアブランドの地下ビデオ『女子便所シリーズ』を全巻そろえて悦に入っていた彼としてはさぞ残念なことに昨今とうとう週刊誌やテレビで暴露され公に認知されつつある「盗撮ビデオ」のような性産業も、この三つの条件を満たしているがゆえの世紀末ヒットであることが納得されるだろう。これら全てにもう一つ「文化的横断というオープン性」を兼ね備えたきわめて現代的なトポスが東亜系エステだと彼はどうやら考えているのである。
まず、①東亜系エステはソフト風俗なので、ソープランドやSMクラブやラブホテルのような密室ではなく、個室はカーテンで簡単に仕切られているだけのことが多い。隣の物音がよく聞こえる。エステシャンが随時「痛くないですか?」と男に尋ねたり、背中を踏む段階で「大丈夫ですか?」と尋ねたりするのが聞こえるし、「どこに住んでますか?」「おいくつですか?」「奥さんいますか?」「日本にはいつ来たの?」などと男とエステシャンが通り一遍の会話をしているのも聞こえるし、マッサージしながらエステシャンどうしがカーテン越しに韓国語や中国語でおしゃべりしているのも、手の方がお留守にならなければなかなかの味わいであるという。あ、お隣いま手扱きに入ったな、というのもだいたい気配というか息遣いというか、ベッドのぎしぎしのリズムなどでわかる。いま発射したな、というのもわかる。その直後にエステシャンが「しばらく休んでてください……」と言い置いて蒸しタオルやティシュを処理しに席をはずすからである。もちろんこちらが「背中叩くのは無しにしてね」「腕はやらなくていいや」などと注文出すのもお隣に筒抜けなことを承知なわけで、「ちょっとした露出症共犯関係の気分てところだぜ」と鼻うごめかしている彼なのだが。
「繋がっている感覚」だろうか。エロチシズムの原点は「融合」にあるというのはありきたりな真実だが、二人だけで融合する「セックス」ではエクスタシーの渦の中で環境から切り離される。自我が世界の特異点となる。ところがカーテン仕切りのソフト風俗では、相似形の周りの物音や声によって、自分が環境の中に相対化された日常が持続する。自我はなんら特異点ではなく、オルガスムの最中においてすら開かれた感覚によって世界に触れつづけている。客が絶頂時に自我の内部へ閉じ潰れる瞬間があるとしても、因果のもう一方の端末であるエステシャンは醒めた目でペニスを見下ろしているわけで、世界の客観的風景との鎖は決して途切れはしない。二人の融合ではなく、世界との繋合。
しかも②エステシャンは従来からの知り合いではなく、いわば通りすがりの他人である。心身ともに女に馴染むことを好む客ならば「指名」を利用することになるだろうが(指名客は結構多いらしい。指名が入ったから、といって途中でエステシャンが交代したという経験が彼にも四度ほどあった)、原則的にはどういう女に当たるかは偶然のタイミングで決まる。疎遠性と密着性のブレンド感、作用相反するカフェイン・アルコール同時摂取のユンケル系ドリンク剤感覚にも似たこのささやかな偶然性は、ピンホールカメラやリモコンなど機器の進歩によって被写体の顔までが親近アップで映るようになったトイレ盗撮ビデオの不特定擬似対面感覚に通底している。自我の選択欲で開拓してゆく自由恋愛や自由セックスにはそろそろ正しく疲れて、環境にお任せ融合を決め込む達観が称えられるべき潮時ではないかと彼は呟くのである。自我という特異点が解消される上に、「親近性」「愛」という準特異点も寸止めブロックされ、環境一般に拡がった天然感覚にあくまで引き戻されるのである。さらに東亜系エステは、③オルガスムという準々真正特異点をも疑問に付する。この項目については、東亜系エステのプロセスについて彼が酒の席で必ず高揚口調でまくし立てる解説をほぼそのままここで繰り返さねばなるまい。
ファッションヘルスやイメクラのようなソフト風俗からSMクラブのようなハード・ドライ風俗まで、現代風俗界の主流は「本番なし」である。到達点の想定や特異点的ストーリー込みの物語とは無縁であるというこの特性は、ミニマルミュージック系現代音楽・環境音楽、インスタレーション美術、「やおい」文芸、コンセプチュアルアート、ポスト進化論的パラダイム理論、量子的・カオス的非決定論、等々、大きなことを言えば現代文化・現代思想の各局面で支配的となりつつある「無物語的」トレンドの中、風俗業界も例外ではないことを示しているというのが彼の考えである。東亜系エステシャンは、ファッションヘルスの女などに比べ清潔でナイーブで素人的な女が多い。風俗で働くつもりなどさらさらないが、言葉の問題などのため通常の職に就けず、ビザ切れまでになんとか効率よく稼がねばならない真面目なアジア女性たちの簡便な選択に過ぎないのであろう。都内某超有名大学の経済学部に正規の学生として昼間通いながら夜通しエステに勤めている台湾人留学生に当たったことも彼は一度あるという。
数ある東亜系エステの中で、韓国エステだけは特殊である。他の東亜系エステが二十四時間営業もしくは午前四時五時まで営業といった形をとるのに対し、韓国エステはほとんどが深夜十二時で閉店。そして例外なく手扱きによる「ヌキ」がつく。ふつうは60分コース一万円(女性八千円)。ベッド上で仰向け顔パックから始まる店と、うつ伏せ指圧マッサージから始まる店とに大別されるが、客が全裸になることでは共通している。手扱きではなく口でするなら四千円追加というメニューを提示する店や、五千円追加コースでトップレス、一万円追加コースなら全裸で生尺・キスなどのヘルス的サービスに移行する店もあるという。畳に布団の「和風エステ」は当然ながらみなこのタイプであるらしい。
非ヘルス型の標準韓国エステは、一時間(実質は服の着脱や会話など前後の時間を含めているのか正味マッサージ五十分程度の店が多いという)のあいだにエステシャンは一度も服を脱ぐことなく客に体を触らせるわけでもなく、手扱きの仕方もヌキさえすれば全てといったふうに端正かつ事務的かつ淡白である。この「真顔の性サービス」こそ、通常の性風俗店にない特異かつ一見初歩的その実高度な逆説的色気を醸し出すという主張が韓国エステの持ち味だが、雰囲気よりも性感の到達点を偏重する点においては泰然、旧時代風俗の名残を無為に遺しているとも言えるだろう。
一方、台湾エステや香港エステ、中国エステなどは、厳密には性風俗店とは言えない。もともと個室の構造やマッサージの内容、エステシャンの服装など韓国エステと全く同じでありながら、韓国以外の国名を名乗るエステ店は、元来「ヌキ」なしの純然マッサージ店だからである。「トルコ風呂」以来の国名分別の伝統に沿った日本独特の区分であろう。(引用者注:韓国エステはほとんど「客引き」がないのに対して他の東亜系エステはエステシャン自身による路上客引きが一般的であったことがおろち史研究の結果明らかになっている。ランジェリーパプの客引きギャルらこなれた風俗女と違うのは、店のチラシをおずおずと道行く男に渡すだけで、興味を示す男があっても積極的に引っ張ってゆくでもなく相手の応答をじっと上目遣いで固唾を飲んで待っているような場合が多かったといわれる。しかし、気を抜いてよそ見していた瞬間に反対側からすっと店のあるビルに入ってゆく客が見えようものなら、獲物を追うハエトリグモのように飛んでいって「マッサージですか?」とすがりつき入口で「イラッシャイマセー!(わたしお客一人連れてきたー)」とフロントに向かって手柄を主張するのが常だったという。清楚控えめな客引き段階からのこの勇躍豹変振りがたまらなくてこの一瞬を見るだけのために台湾エステ通いを続けた老人の手記が何種類か残っている)。客はパンツ一枚。料金は一時間の基本コース(オイルなし)六千円、オイルコース七千~八千円、パウダーコース九千円、VIPコース(二人のエステシャンによる同時マッサージ)一万二千~一万六千円というのが通例で、韓国エステと違ってなぜか「シーツ代」が一律五百円、そして十一時過ぎには「深夜料金」と称して千円割増が相場。ヌキなしであることがこれらのエステに、韓国エステにはない複雑な状況をもたらす。つまりオルガスムという「終点」がないために、時間終了近くになったときエステシャンは「延長」をねだることになるのである。彼の経験ではひどいときには背、腹と右脚だけを丹念にオイルマッサージして時間切れと通告され、あとは延長でと言われたという。
しかし、99年4月1日に風俗営業法が改正されて事情が変わった。それまでは深夜十二時までしか認められなかった性的サービスが、終夜認められるように規制緩和されたのである(インターネット上のエロページの規制を厳しくする代償に、ネット外=物質界の規制を緩めたという、よくある懐柔策。正確には「午前1時まで営業ができる」という趣旨のようだが、彼の体験では3時に行こうが4時に行こうがヌキは行なわれたという)。東亜系エステは一律「店舗型性風俗特殊営業店」に移行したのである。とはいっても店舗の外見も料金体系も変わらない。勤めているエステシャンの顔ぶれも変わらない。変貌したのは「VIPコース」のみである。風営法改正以後、コース名はVIPコースのまま、一人のエステシャンによるヌキつき韓国風コースに変わったのである。
北池袋の『ニーハオ』や日暮里の『のんき』、歌舞伎町の『龍仙美女エステ』『八方エステ』のように風営法改正後もヌキなしを堅持している「真面目な」エステもあり(とりわけ北新宿の『台北』や南池袋の『秋桜花』、東北池袋の『ポイント』のように「足ツボ」を柱にした店では男も揉み手として働いており性風俗的雰囲気は皆無である)店構えは同じなので真面目系か否か入ってみなければわからない。この複雑さはさらに、「最後になってみなければわからない」あるファクターによって増幅される。たとえばオイルコースで入るとしよう。エステシャンはマッサージの途中で、二千円余計に稼げるVIPコースへの変更を勧めはじめる。あなたがうんと言うまで彼女の手はただおざなりに動きつづけるだろう。また別の場合は、オイルコース終了後、VIPコースでの「延長」を求められる。彼女らにすれば単位時間あたりの稼ぎに絡んで必死である。ここで応ずるか止めるか、客としてはマッサージでリラックスした直後に短時間ながら熾烈な駆け引きが待っているのである。
韓国エステはこのへんはもともと事務的というかきちっとしてるというか、客の選んだコースにケチをつけることなく要求どおり過不足ないサービスに徹して終わるのが通例だ。以前は相対的に真面目路線とみえた中国系が法改正後にはファジーさというかいい加減さというか国民性というか脱第三世界久しき最早一先進国韓国に比べたときのビジネス意識の後進性というかを露わにし始めたのである。
彼はエステシャンのこうした延長要求に毎回うんざりしながら(引用者注:東池袋のタイ式エステ『ミス・プーケ』はこの点理想のシステムであると評判だった。VIPコース専用店と純然マッサージ店とが分離しているため、後者においてはVIPコースや延長の後腐れ的勧めが一切ないだけでなく、ヌキなしエステとしては唯一全裸を要求される――腰部オイルマッサージの徹底のため――ので、フリチンの局部すれすれにタイ美女の無垢の指が肘が足指が接するという類稀なニアミス悦楽を味わうことができるうえ、ヌキサービス抜きのフリチンというものがいかに恥かしいか、風俗的共犯関係であってこそ羞恥が堰きとめられるところを真顔以上ハイパー真顔の日常マッサージにおける一方的露出がいかに目くるめく羞恥かという裏真実を客は改めて体験することができたのである)、そう、毎回うんざりしながら彼は、ある時からこちらも乗じてやろうという意識に切り替えたのだという。三和出版のマニア誌『お尻倶楽部Jr.』が休刊になったときには落涙嗚咽したほどの尻フェチである彼らしく、消化排泄的場違いの異化効果の美学を思いついたのである。延長をねだられたとき、うーん、僕の顔の上にすわってくれたら延長するけど。ズボン(スカート)穿いたままでいいからさ。と持ちかけるのである。エステシャンの反応がきわめて面白いと彼は言う。韓国エステよりさらに純朴気質の女性たちである。たいていの反応は二種。「どうして?」心底きょとんとするか、よりスタンダードな反応――池袋東口、中国式エステ『彩』のはたちのエステシャンなどはこのささやかな交換条件を聞くや「えーっ!」と絶句し、困り果てたキュートな笑いに身をよじり、いかにも指だけで済む手扱きのお仕事だから辛うじて勤めていられます然のお嬢さん気質あらわにデモー、デモーを七八回繰り返したあげく、おずおずと小柄に似合わぬ巨尻を彼の顔面に乗せたという。騎乗位をも充分想定しそれなりの下着や粘膜の手入れをしているソツなきヘルス女とは違って、そっち系準備なし、シャワーも浴びていない、その辺の道行く無心のOL中高生おばちゃん大学生と違わない普段着の素朴天然尻はズボン越しにもほんのり温かくて海老臭くて、彼は「た、たまらん……!」極上極楽を体験できたというのだが。
彼はこの戦略を別々のエステで二十回ほど試した。首傾げたり驚いたり眉ひそめたり笑ったりこわばったりと、中華民族は尻プレイに疎いのかどうか演技なし・心底からの動揺ばかりとみたが、結局みな応じるのだった。三十分あたり五千円の延長の意義は彼女らにとってそれほどのものなのである。「わたしそんなの初めてですー」とか「わたし処女なのでできません」とか不意を衝かれた動揺時のイントネーションというのは普段よりもずっとネイティブな日本語に近づくのが興味深かったという。(引用者注:それと同時に、むしろ逆に、東亜女の科白が「処女」とか「彼への操」とか現代日本女性が表立って使わぬ系語彙から成っていたのがイントネーションと齟齬を生じてたまらなかったという。とりわけ「Aたし」ではなく「WAたし」という正規発音が最上の悦楽だったらしい)。「初めてですー」はウソではないだろう。こういうことを期待する男はみなヘルスに行くのだから。しかし目的錯誤ならではの日常天然尻にありつくにはこの種エステこそ穴場だったのである。「そんなことしたらくさいでしょう?」と、日本人風俗ギャルの口からは決して聞かれぬ奥床しきストレートな科白がしばしば聞かれるのも中華娘バージョンの日本語の魅力だったという(彼はこうも言った、「考えてもみろよ、恋人のケツ嗅ぐ時だって、ちょっと気の利いた女なら次からそれ想定してヘルス的手入れをしてきちまうだろ。本当の純生尻の芳香味わえるのは東亜系エステだけってことなんだぜ、貴重なことに」……純愛主義の私には彼のこの「恋愛観」ばかりは疑問であった)。
しかし幾度も試すうちにはときおり応じてくれない潔癖なエステシャンにも遭遇して、すごすごと帰らざるをえない苦杯を舐めもした。しかしやがて彼は、潔癖そうかなぁというお嬢さんの場合は、延長打診に対していきなり「顔の上に……」と頼むのではなく、それじゃあさ、と曰くありげな内緒話のふりをしてベッド上に顔引き寄せて耳もとへ(この斜交い抱擁体勢を拒む処女はいなかった)「顔にすわってくれる?」と囁くのが効果的なことを発見した。この頼み方であればまず全員が「うん」と素直に頷くばかりか、「パンツ越しにだよ」ズボンなら脱いでもらうしスカートなら捲くってもらう一段階発展形も難なく了承を得られ、パンツ越し生嗅ぎパターンを賞味堪能できたのである(被覆の情緒を求める彼は肛門露出まで求めることはしなかった)。
また、情緒を高めるために彼は、仰向けで通常マッサージ受けているときにくつろいで目をつぶっている様子を続けて、不意にぱっと目を開いて女の顔を見上げる、という手もしばしば試した。5回に1回くらいは、エステシャンがじっとこちらの顔を見ている瞳に視線ががっちりと合い、彼女がはにかむようにあわてて目をそらすのが堪能できるのだ。薄暗い証明のもとでそらされる視線はいつまでも情緒のぬくもりをたなびかせ、そういうときは後の耳もとでの「顔にすわってくれる?」に対する女の頷き方がまた一段とかわいいのだった。
(引用者注:笹原圭介および印南哲治が1937年南京事件に関して徹底土下座派最右翼に属するに至った直接要因が、このようなエステ中華尻情緒体験ゆえであった、との仮説はもはや動かぬ定説となって久しい。降下双尻に顔埋めるたび、笹原は念仏を唱えるように、かくも可憐純朴な中華女性らに害をなした大日本帝国大日本帝国第10軍第6師団ほかの極悪大罪をひたすら謝罪し謝罪し謝罪し詳細人名挙げつつまた謝罪し謝罪し続けたという証言が多数の元エステシャンより寄せられている……)。
それでも回を重ねるうちには、この内緒話方式ですら通用しない相手にも出会うこととなる。超潔癖なお嬢さんもいたが、たいてい四十過ぎくらいのベテランに多かった。え? やですよそんなの。だめだめ、くさいから。そんなだったら延長しなくていいわ。お疲れ様でしたー(ちなみに、日本人風俗嬢にない中国人独特の科白「くさいからダメ」は、日本人においても、年増にはしばしば見られたという。北池袋の『きたぐち指圧』は年増女で固めた本格性感マッサージ店だが、そこでは跨り依頼に対して「やだよ恥かしい。そんなことしたらくさいし」という科白が高確率で返ってきたという)。そこで彼はもっと有効な戦略、というよりそもそも天然尻を賞味するには流れも自然でなければならなかったのだと反省し、方針を転換した。取引条件ナシで早々に延長に応じ、無条件で手扱きを始めさせるのである。しかしそこが頑張りどころなのだ。彼は密かなる訓練により、射精をいくらでも堪える持続力を身につけていたのである(具体的には毎日、朝に再春館薬品のドリンク剤『絶倫帝王』、昼に同仁堂製薬のドリンク剤『絶倫孔帝液』、夜に日本ハーバルメディカ研究所のドリンク剤『絶倫マグナムZ』を飲み続けることによる勃起中枢の組織的鍛錬だったというが。〈引用者注:これらのドリンク剤には「メチルテストステロン」は配合されていない。偶然選んだドリンク剤の種類という初期条件によって笹原と印南の運命が後に大きく分かれたことに注意しなければならない〉)。女は、自分の要求で客に高額出費させているVIPコースであるから心をこめて扱く。しかし彼のモノは十五分経とうが二十分経とうが怒張したまま充血度増すばかりでピクリとも漏らさない。それどころか萎みがちになったりする。延長の三十分ないしは一時間が過ぎてしまう。自分の技術が至らぬせいだと思っているから射精させない限り延長料金は取れない。必死に扱くがダメ。進退窮まり思いきって「中触っていい……よ」などとスカートの中に彼の手を導いたするケナゲな女もいたりするがそれでも効果なし。途方に暮れた様子の女に、彼の用意の必殺科白「顔にすわってくれたら、すぐイクんだけどな……」。迷っている暇はない。罪悪感も手伝って女はベッドに登って彼の鼻を布越し肛門でふさぐ。とたんに彼は急速勃起即射精に至る(引用者注:パンツに押し塞がれた鼻でわざとスー、スー吸い込む音をたてることにより女が「どうしてそういうことするのー」的羞恥に身じろぎしかける波動の尻蠢動が臭いにもましてエロチックなのだというが、急速勃起即射精を堪えてスースー天国を10秒間以上維持させることは一度もできなかったらしい)。天然尻の意義は彼にとってそれほどのものなのである。円高の生活難でやむなくマッサージのアルバイトをしている苦学生も少なくない中国娘(東大をはじめとする国立大の研究生、正規学生、大学院生として勉学努力している娘たちも多い)にここまでさせるとは罪といえば罪である。むろんこの罪意識が快度を倍増させるというのも彼の認識だ。最近では彼流の鍛錬がさらにバージョンアップして、いくら扱かれてもそもそも一瞬の勃起すらさせないすべを心得たという(この場合は前夜から三種ドリンク剤を抜いておく)。扱かれても扱かれても、フニャチンのままを保つのである、意志の力で(『Hの革命』(太田出版)p.164-5にある斎藤綾子の言説の逆説的応用だというのだが)。女の困惑オーラを全身に浴びる心理的快感もさることながら、軟棒扱きの肉的快感それ自体が馬鹿にならないというか、勃起したときよりも気持ちよいほどだとか。一ミリの勃起も誘えず自分の魅力に自信を無くした女が言われるまま彼の顔面にまたがるや否やペニスは急速勃起即射精、女唖然、即感激。このパターン。北池袋の香港式エステ『鳳仙花』にて、日本へ来て二週間、彼が二人目の客だというやはりはたちのスリムなエステシャンがいっこうに勃たぬ彼のペニスを掌中転がしつつ挫折感に打ちひしがれているのを起死回生、尻蓋法提案で打開させてやったときの快感は生涯忘れまいと彼は小鼻を掻きながら言う。彼が何より愛するのは「マニュアル外的突発事項篇」なのだ。
彼がこれを思いついた遠因は、遠く十四年前、新大久保のSMクラブ『アマゾン』に「黄金プレイ」一回三万円で入ったときの出来事である。「ダイアナ」と名乗る美形大柄の女王様(短大英文科卒、塾で小学生に英語を教えていると冷ややかに自己紹介した)が前日の彼の予約に従って準備してきた下腹(ちなみに黄金プレイを予約限定としているのは、浣腸を用いず自然排便という良心的な店だからである。黄金マニアだろうがそうでなかろうが、初めてのSMクラブの良し悪しを判断する信頼できるテストとして、「黄金プレイ」をまず注文して応えを聞くことをお薦めする)を両手で摩りながらうんうん気張るのだがいっこうに出る気配なく、肛門の真下に息を潜めて待ち受ける彼の鼻先に情けない屁をぷすぷす散発的にひっかけるだけ。70分の規定時間が終わりに近づくにつれ「困ったなあ、困ったなあ……」を繰り返してほとほと済まながっているダイアナ女王様の姿を頭上に、ドライとウェットが、SとMが逆転した二重倒錯大快感の波に彼の全身は洗われまくったのだという。それ以来彼は、「セクシュアリティはアイロニーなり」という私的定説を奉ずるようになった。アイロニーとは、制度的・契約的に定められた効果や役割が図らずも裏切られ逆転する現象である。初期の思惑とのコントラストが相乗的な陰影効果をかもし出すというわけだ。
彼の最新の印象深い経験は、歌舞伎町の韓国式アナルエステ『春姫』でのことだったという。ここは韓国エステにしては珍しい「延長制」で、アナルマッサージという特殊テクを売りにして四十分一万円という価格設定となっているのだが、四十分では直腸入口までしか進まず、前立腺には届かない。そこでたいていの客は延長をするらしいのだが彼はそのとき、アナル挿入初体験にいまいち心の準備ができていなかったのと、二ヶ月に一度出血する軽い痔が気になったのと、エステシャンがちょっとした美形で気はよさそうだがほつれ髪が似合いそうなややくたびれかけた薄幸系年増だったのと、何よりちょうど持ち合わせが少なかったこともあって、交換条件を口にするまでもなく延長を端的に断わったのである。女は四千円、二千円と値を下げてゆき、結局彼に延長の意思が皆無であることを悟ると笑顔でシャワー室へ案内した。彼が個室に戻って服を着ていると、女はなにやらじっと顔をそむけている。薄暗い照明のもとで覗き込めばすすり泣いているのでドシタノ? 問うとぽつり「あ~あ。罰金だ」「……」「お客さんが延長しないからわたし罰金だ」涙三滴。「わたしが頑張らないから罰金だ……」ふーん、そりゃ大変だねえ、と彼はそのまま帰ったのだが、フロントの蝶ネクタイ締めた二人の兄さんの上辺にこやかな「ありがとうございました、またどうぞー」と、あえて覗き込まなければ気づかなかった角度でこっそり泣いてた年増エステシャンの悲しみの、これ見よがし度ゼロの本物さとがじわじわ彼の脳裏に混じりあい、遅効性「切実に生きる意志」のケナゲさを胸中浸透実感させていったというのである。
これを私に語りながら彼がしみじみ言った言葉は、「エロチシズムの本質は一途な期待と悲しみにあり、をつくづく思い知ったよ……」だった。
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笹原圭介の「人間座布団」による尻フェチ速射は、決してエステシャンの肛門に舌も唇も接してはいない、ただひたすら嗅ぐだけでなされたことに注意せねばならない。粘膜露出を求めずパンツ越し密着に限っていたことにも注意せねばならない。笹原の言葉を借りると、決して舐めない理由は「どんな美女のもアジはないがどんな醜女のもニオイはある」ゆえ「舐めても無益・嗅ぐこそ正解」であり、せっかくの女体特有の菊座周辺揮発性臭気は舐めては水分で定着してしまい香り激減、おまけに自分の唾液臭が干渉してしまうゆえ二重の意味で元も子もないというわけである。
ともあれなにより東亜系エステ。ミレニアムの縁あたりから「アジアンエステ」という呼称がインターネットなどでは定着しつつあるようだが、東亜系エステこそが最大のポイントである。おろち文化史「表の創始者」たる印南哲治の源流をなし背景を支えた「影の創始者」笹原圭介の自意識デビューが東亜系エステであったことが語り伝えられたがゆえに、おろち文化に微妙な民族主義とその反動としての反国家主義的急進化の水路が開かれあの第一期大団円・大悲劇の遠因となったということを念頭に留めておかれたいのである。
(第36回 了)
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■ 三浦俊彦さんの本 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■