偏った態度なのか、はたまた単なる変態か(笑)。男と女の性別も、恋愛も、セックスも、人間が排出するアノ匂いと音と光景で語られ、ひしめき合い、混じり合うアレに人間の存在は分解され、混沌の中からパズルのように何かが生み出されるまったく新しいタイプの物語。
論理学者にして気鋭の小説家、三浦俊彦による待望の新連載小説!。
by 三浦俊彦
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■ とりあえず蔦崎は無念と後悔の涙で顔中ぐしょぐしょにしながら裏通りを、クソアマ産ユリカ黄金砕片がまだ唾液に溶け込み続けるむかつきに喉鳴らしつつ唾を吐いては痰を吐いては少量の胃液吐いては自販機で烏龍茶にレモンスカッシュに手当たり次第に買って口すすいではまた唾に痰に胃液を吐いてはフラフラさまよっていたのだが――悲惨なことにはまだ無意味な勃起は収まらず足取りを妨げていた――ついに大嫌悪本体が込み上げてきて大量の嘔吐をぶちかましたのが、高架下のちょうどそれらしい暗がりだった。
それらしい――
とは?
それらしいそこを目撃していたのが、第10回で談話を引用した士農田勝也(現・山口組系鞘富士会組長、当時・無職)ら四人のチーマーだったのである。彼らはその夜ナンパに連続五回失敗して欲求不満にとんがっていたが、蔦崎の嘔吐に注目したのは、その吐瀉の真下、段ボールの谷間に初老のホームレスが鼾をかいており胸元から顔にぶちまけられてもピクリとも動かない様子が、かつて自分等そして仲間たちが連続して蒙った怪尻ゾロのなれの果てを直ちに連想させたのである。
そう、なれの果て。
あれほど夜の街の不良界を震え上がらせ一種畏敬の対象ともなりおおせた怪尻ゾロの所業に変化が生じていたことには、士農田たちも気がついていた。自分等筋金入りの不良を真正面から襲ってひりかましていたあの怪尻ゾロが、あまつさえ幸運をもたらすとまで囁かれた怪尻ゾロが、近頃では何の毒にも薬にもならぬオヤジ族を襲いはじめ、しかも大便の量ばかり多くなり質感から密度からめっきりショボくなっていることに、士農田らのみならず街じゅうの不良どもが不審と怒りを抱いていた。ここで堕落されてしまっては、いったい自分らのあの怪尻ゾロフィーバーはいったい何だったのか。夜の勢力地図を大幅に塗り替えもしたあの糞占いは何だったのか。常識外れの量からして志低い弟子まがいを採り始めたとしか思えぬ最近の有様、こんな杜撰な量産作業へ流れる腑抜け野郎のために、俺たちもとあろうものが右往左往、操られていたというのか。単なる集団的催眠に勝手にかかっていたことになるのか。ふざけるな。
こうした憤懣が溜まっていたところへこの蔦崎嘔吐の現場に出合うことにより、士農田ら四人は一斉に頭に血が上った。どこへぶちまけてやがる。にやけオヤジサラリーマンどもにとどまらず、こんなクソホームレスと俺たちがいっしょだというのか!
「おのれ!」
「おのれ怪尻ゾーロォぉぇえーっ、許せぇん!」
四人はざっと蔦崎をとり囲み、二発ずつ殴り、一発ずつ蹴り、拉致した。
蔦崎はホームレスの顔へ脱糞していたわけではなく嘔吐していたにもかかわらずだ。
四人が、四人ともが何の疑念も逡巡もなく蔦崎公一を怪尻ゾロと決めつけたのは、そう、なによりも蔦崎の圧倒的な容貌が暗がりの中でもしっかり認識され、嘔吐時の苦悶に歪んだ形相がさらに迫力倍増をもたらし、彼ら被害者陣の抱く当初偉大なる怪尻ゾロイメージにあまりにもぴったりだったこと、よって脱糞と嘔吐のズレも、眼前の醜男=怪尻ゾロの身元同定への疑問誘発要因として働くことなく、むしろ「気合入れた糞攻撃から単なるゲロ攻撃にまで堕ちてきやがったと! 前みたいに全人格全内臓力かけた大糞で堂々勝負してみいや!」的怒りを掻き立てただけだったのである。(第10回の談話にあるように士農田は怪尻ゾロ=川延雅志と二度にわたって、暗い街灯のもとであれ面と向かい合って対決し顔にパンチまで入れているはずなのだが、ネオおろちの低品質杜撰糞を目撃しつづけた一年弱の間にイメージが変質し、蔦崎寄りの容貌が意識に定着していたものと思われる。あるいは美醜の形質的両極端はイメージ的に一致するということか)。
蔦崎公一はなにしろ伝説の怪尻ゾロと見なされたので、特級ランクVIP扱いを受けた。すなわち二週間真っ暗な地下室に閉じ込められたのである。堕落さえしていなければ逆に尊敬と歓呼をもって迎えられ、場合によってはリーダーとして祭り上げられすらしたと(小中学校時のように)想像されるが、ネオおろち系の残した低品質大便のおかげで堕落の濡れ衣を着せられた蔦崎は、虚像を尊崇していた我が愚かさに苛立つ不良どもの愛しさ余って憎さなんとかの集団的情念渦に晒されたのだ。
■ 「4巻までではあまり下を覗き込むことはないのに、5巻以降は、ほとんどの被写体がよく下を見るんですよ」
「そうか?」
「ウンコが肛門から切れた直後に下を確認する、という動作が、5巻以降の水洗トイレになってからひんぱんに見られるようになった、ってことです」
「なるほどね」
「理由は単純で、ウンコがすぐ股の直下に横たわっているから、確認したくなるんですね。たぶん意識もしないうちにふっと下を見るわけでね、その動きと目線の僅かのズレとかがまたいいんですよー」
「わかる。わかるなあ。どれだけ出たか、末端の排便感と視覚とを照合しようという、生物学的フィードバック作用だよね」
「『潜入! 某専門学校女子便所』第2巻のあの黒パンタロンの人はウンコを何度も見下ろす顔が下からバッチリ撮られてるでしょ。あのしかめ面、マジたまんないっす」
「アレゃ水っぽすぎて困ったって感じのしかめ面かな。量を見て首傾げる風情が僕ぁたまらないんだ。便器内の排便量に納得がいったような、納得いかないような、微妙な表情が全身の動きに拡散してゆくありさまといったら。ここでもうやめにしてペーパーを巻き取ってお尻を拭くか、まだふんばるか。ほうら、この子も迷ってるでしょ、これで拭き拭きに移行するか、もうひとふんばりやってみるか」
「けなげな判断だね」
「便意の残量の絶対値だけじゃなくて、初期便意量と便器内排泄量とを比較して素早く計算が行なわれて、その相対値からも、ここでやめるべきかどうかの判断がなされているはずで。しかも水洗の場合は、途中で流すかどうかの判断も重要な分かれ目で、外に人の気配がある場合は排便途上で水を流せば音消しにもなるし臭気消しにもなる利点がある反面、排泄全体量を一望に収めて納得するという生理的要求には逆らうことになる。このはざまで揺れるジレンマ、ほんの一瞬のことで本人もこの個室を出たら五分後いや三分後いやひょっとして一瞬後には忘れてしまい二度と記憶表面に甦ってくることのない微細振動、しかしそれこそがこの瞬間には彼女にとって人生最大の障壁であるようなジレンマに眉かすかにひそめながら、モウ一発プッ、と放屁したりするモウこの、人生のミニチュア!」
「ああ、つくづく生物学的フィードバックだ」
「人類生物学的対象だ」
「そうなんです。ああいう便器内見下ろし動作とかそういう所作を見たときほど、ああ俺は今、女を生物学的生態学的観察の対象にしてるんだなァ、いいのかなァ、男と女の関係がこうもシンメトリーを破っていて偏っていていいのかなァ、とかってほくほく悩むんですよ」
「そうだね。野山の昆虫やサバンナの野生動物の生態を観察するノリだよね。女って永久に男の研究対象だよね」
「アシンメトリックだよね」
「男女関係って生物学だよね」
「人間と野生動物の関係だよね」
「水洗じゃないのにあからさまにガバッと下覗き込む動作なんか貴重ですね。『激臭うんこ便所』第5巻の終わりから2番目の人とか」
「好奇心の突然変異体ですね」
些か挑発的なこうした動物学発言に合評会が流れていったのは、他でもない、女性塾生たちが盗撮ビデオ合評会には積極参加する意欲に乏しいからなのだった。他の訓練――屁合わせ会、寝小便合宿、大蛇問答、路上脱糞パフォーマンス、電車内クソゲリラなどなど――には男性会員に劣らぬ熱心さをもって率先参加する女性会員たちなのに、盗撮ビデオ合評会にだけはほとんど興味を示すことなく、おざなりな相槌のみに徹したあげく、いつしかぼろぼろと論壇の輪から抜けてしまったりするのである。
小説家デビュー時に老大家定巻圭三郎に詰られて以来、文学創作上の自覚的一環として全方位排泄文化導入に努めていた小熊誠子があるとき、自らの文芸的自覚から一歩抜け出て(……金妙塾生の女性陣が映像分野ではおしなべてこの無関心ぶり……、これじゃ女性発の文化的貢献の前面開花は望めないのでは……)的反省しきりに、とりあえず女性塾生リーダー格の高塚雅代に向かって「もう少し合評会に積極参加するべきではないか」的提言をしたことがあった。
「だって盗撮ビデオって退屈なんだもの。興味ない映像に無理して付き合ってると他の活動に影響するから」
「退屈なんだもの、って理由が信じられればそれはそれでいいんです。でも男性塾生の中には、『女性には〈ソレ系〉禁止ルールに従って喋る言語変換能力がないのだろう』みたいな誤解を口にする人もいるんですよ。悔しくありません?」
「べつに。自信があれば何言われても悔しくありませんって。言われたぶん〈ソレ系の語〉使えルールのプレ句会で活躍させていただくから」
「だからプレ句会は別にして」
「いいじゃない、得手不得手あったって。正確には好き嫌いだけど。ただの映像見てお喋りなんて退屈よ」
「退屈ですかあ? 男性陣があんなに盛り上がってるのに? それだけの人生成分が盗撮ビデオには詰まってるらしいっていうのに?」
「だって女しか出てこないじゃない。女子トイレばっかり。私らが見たってどうってことないでしょ」
「だったら男子トイレ盗撮ビデオを見りゃいいんですよ。大いに論評しましょうよ」
「男子トイレ盗撮ビデオなんてあるの?」
「ないんですか?」
「ないでしょ」
「そうですか。なきゃ私たちで作ればいいんです。そのためにこの金妙塾で毎月盗撮テクニック講習受けてるわけですから」
「やですよ、男子トイレ盗撮なんて。男の尻なんて見たくもない、危険冒してまで」
「だけど屁合わせ会や虹合宿じゃ男性塾生のお尻を私たち見てるじゃないですか」
「あれは現実だから。ビデオは映像だけじゃないの。話もできなきゃ匂いもしない虚構でしょ。男ってなんでビデオや写真なんかで喜ぶわけ?」
「それは私もわかりませんけどね……。とにかく女性陣がそういう探究心乏しいことでは。そういうことでは、男の価値観レベルについていけないというか、批判することもできないというか」
「そういったって、無理に、ねえ……」
「見ればたぶん面白いですよ、男子トイレってのは。そりゃ女子トイレもあのとおり鼻ほじり・耳ほじり・大あくび・独り言・携帯電話・大放屁してくすっと笑っちゃった・オナニーまがい・尻拭いた紙鼻に近づけてくんくん・その他いろいろがあって十分面白いけど、男子便所はもっとカオスだと思うなあ、落書きする奴なんかいっぱいいるでしょうし、落書き一生懸命読むやつもいるでしょうし、落書きの電話番号メモるバカもいるでしょうし、豪快に痰を吐く奴もいるでしょうし……」
「そうそう」立ち聞きしていた吉丸八彦が口を挟んで(吉丸が金妙塾最古参にして金妙物理学賞受賞者であることを想起されたい。盗撮ビデオ合評会で毎回のようにテーマセッターとなった吉丸的熱情をおろち文化五大淵源の一つに数える論者も最近複数登壇している)、「頭掻き毟る奴もいるだろうし、毒づくやつもいるだろうし、いろいろプラスアルファが付くと思いますよ、腹筋力と括約筋の瞬発力からして屁音も女のとは別次元のがブッ放されるかもしれないし。あと女みたいにオシッコがケツの稜線や肛門に回りこんできてせっかく肛門から覗いてるウンコを水滴で汚染しちゃうなんてノイズが男の場合絶対ありえないから安心して見てられるだろうし」
「安心ですか」
「オシッコの水滴によって汚染されない女子尻排便をわれわれ『ドライ脱糞』と呼んで珍重しているくらいです。男尻ならその快挙が当たり前なんですよ!」
「と言われても、ねえ……」
「真面目そうなビジネススーツ男が便秘の苦しみに顔歪めてフンバる画像なんて、見てみたいでしょう」
「べつに……」
「トイレがきつけりゃ風呂はどうです、裸の男が大勢集まってる公衆浴場。女湯の盗撮ビデオときたら百花繚乱で、もちろん全部女盗撮師が撮ってるんですよね。なにわ書店の『盗撮 新女風呂 夢幻』シリーズなんかは、これぞという可愛い子を脱衣所から湯船へ湯船から脱衣所へと追っかけて撮ってます。女性もこれだけの執念見せてるわけじゃないですか。とはいえ、なにわの女盗撮師も男の需要あって初めてそれだけのことやってるにすぎないわけで、女は女のベクトルで男の欲望の関知しないところで独自に探究心発揮しようってふうにゃならんもんですかねえ」
「べつにねえ……」
「見たくないものは見たくない、ってわけだよね。そりゃ結構です。だけど俺たちの方は見たい。女の尻を見たいし、脚を見たいし、オナラを聞きたいし、息張る顔を見たいし、下痢の噴出模様も見たい。お尻の拭き方をじっくり見たいし、立ち上がって下着を上げてストッキングを上げるときに一瞬ガニマタにするところもよおく見たい。見たいんですよ、われわれは。こっちがこれだけ女を見て探究したいと思ってるのにそっちは男に無関心だっていうんですね。まあいいでしょうよ、男の身体は観賞に堪えない代物だってことは男サイドも重々承知してるんで。でも、よく考えてくださいよ。胸や脚や腰の曲線が映るならそりゃ男女の美の格差が露呈しちまうんで納得ですが、トイレ盗撮の主流は局部アップでしょ。しかも後ろからのドアップが命です」
「だから?」
「後ろですよ。後ろ下半身ですよ。シモ後半身ですよ。これって、作りは男女同じじゃないですか。男女平等じゃないですか」
「男女平等……。だけど男のお尻って毛がボーボーじゃない」
「すべすべの男尻だって多いですよ。胸毛がない男ってむしろ多数派でしょ、同じノリで。同じくモチモチ尻も。最近メタボが増えてるんで」
「皮下脂肪には関係なくない?」
「逆に尻毛なら女だってホラ、『禁断の覗き穴』や『盗撮バスガイド便所』にはモロ尻毛ボーボーが何人もいたじゃない。尻だけ見て男女の区別なんか普通つきませんよ。とくにミクロなピンホールレンズだとね」
「まあそうだわね。なんか覗き部屋だったか何だったか、女だと偽って男性経営者の尻を見せられてた、金返せって訴訟の話聞いたことあるわ」
「でしょ。そんな詐欺が成立するくらい尻も肛門も排泄物も、視覚的に男女平等です。小の方は姿勢に格差が生じてしまいますが大の方は基本的に男女平等。学校の授業などでも前半身シモネタはセクハラに該当して教職が脅かされたりするが後半身シモネタなら笑って済まされる、喋り放題だって稲室さんに聞いたことありますし」
「確かにウンコネタ相手じゃ、あえて苦情言い立てる女子もあんまりいないかもね。脱力系を理解してないと思われるだけっていうか、相手が一見ガキっぽすぎて」
「ガキってのは男女いっしょってことでね。男女平等なんですよ、お尻とウンコは。なにかと陰湿で陰惨な前半身とは違って女が一方的にリスク負ったりしない分野なわけでしてね、後半身は。だからこそ、どうして女が男を観賞対象にしないんですかね、せっかく平等なのに」
「……したくないものはしたくないワねえ」
「それって、差別ですよね。男の心身は観賞に値しないって差別」
「心身って、興味ないのは身体だけですから」
「体と心は分かちがたく結びついてるんですよ。体が美的対象にしてもらえない男は、心の面でも差別されてるんです。女は男を根源的に差別してるわけです。男と女は互いに同じくらい相手を必要とするべしという暗黙の倫理が破られてるんです、女の無関心によって」
「倫理とか差別じゃないでしょ。欲望の問題でしょ」
「だから欲望に差別意識が反映されてるってことでしてね。尻ドアップだったら男女に美醜の違いなんかないわけだから、男子トイレ盗撮にも金妙塾女性陣は乗り出すべきでしょ。男サイドの女子トイレ盗撮と同程度の情熱をもってね」
「反映ってのは違うと思いますよ。差別は政治や文化の問題だし、欲望は生物学でしょうから」
「いや、金妙塾でこうやって文化活動している限りはわれわれ、生物学的なんたらを追認してちゃいかんはずですよ。歴史上ずっと男が女に片思いしてきた事実を、自覚的に考え直すのも金妙塾的コンセプトのうちじゃないかと。いや、いいんですよ、現実にソープもヘルスもストリップもグラドルも圧倒的に女が売り手ポジションを独占してるのはね。その生物学的流れを矯正なんかできやしない。しかしですね、視覚的にも他の感覚的にも男女差のない後ろ下半身に限って言えばですよ、文化で生物学を乗り越えなきゃ、でしょ。乗り越えられる部分は乗り越えていかないと。われわれ男としたって、美的に差別され続ける立場ってのは愉快じゃないわけでね。だいたい差別差別って、女ばかりが被害者みたいに言い立てる風潮あるけど、実際は身体とか美意識とかいった文化の根元においてですな、男の方がずっと被差別者色が濃いままなわけですから」
「身体ですか。スポーツでは同一種目でも男子の方が注目されるでしょ」
「スポーツなんて、性風俗産業に比べりゃ動く金はちっちゃいもんですよ。それにスポーツにしたって、トリプルアクセルとか男子がいくら飛んだって当然だみたいな扱いなのに、女子なら喝采受けるでしょ」
「それは男女で体力差があるから」
「だったら肉体的魅力の差だって、補正して男を優遇してもらいたいもんですな。女に比べたら男は性的魅力に乏しいのは認めるが、その低レベル母集団の中で光ってる個体がいればピックアップして称賛したっていいじゃないですか」
「男性にしては尻毛が繊細で美しいわね!とか愛でるの? そこを愛でられて嬉しいですかね?」
「いや、嬉しさで言えば、風呂や便所で盗撮されてる女の子たちも嬉しくなんかないから……、ああ、どう言えばいいかなあ、もう。〈男が差別されてる〉って本音で勝負したんじゃやっぱ伝わらないのかなあ。〈女が差別されてる〉って建前で行かなきゃ通じないのかな、やっぱり」
「まあ、いくら観賞の対象ったって女性蔑視の最たるものと思われるでしょうね、トイレ盗撮なんて、世間様では」
「トイレ姿ですら観賞の対象になるッてんだから蔑視じゃなく崇拝なんだけどなあ。ま、蔑視というなら蔑視でいいですよ。それなら、互いに蔑視しあえば平等じゃないですかね。男子更衣室盗撮ビデオとか作ればいいじゃないですか。なんで女は男を蔑視し返さないですかね。観賞してくんないですかね」
「ちょいわかりやすくなってきたワ。建前とやらの方で言ってもらった方が」
「女性は差別者のくせにどうしても被差別者になっていたいわけですよね」
「そういうことでもいいワ」
「じゃ建前で行くけど観賞的な蔑視って、探究心ってことですよね。性風俗的なアンバランスが尻毛の観賞においてまで是正されないってんじゃ、男女の文化的格差は永久になくなりませんよ、なんつっても探究心旺盛な方が優位に立つ定めなんです。科学は永遠に男のものです。たぶん芸術もね」
「……」
「科学はともかく芸術なんて、ああいう情緒優位の文化は絶対女の方が才能あるのに、表現衝動に繋がってない。シモネタ的探究心が乏しいせいでどうです、最も女が活躍してる言語芸術の分野ですら、書店の棚ずらっと見ても、筆者の人数では意外と男上位ですよ。評論とか合わせた日には圧倒的に男です。読書量は女の方が多いのに、なんで発信量でも男を圧倒しちゃわないですか?」
「なんか関係なくない?」
「大ありですよ。ネットの男性ヌード画像サイトだって、見てるのは女なんて比率低くてほとんど男って厳然たる調査結果ありますからねえ。おちんちんに興味持つのも女より断然男なんだよねえ」
「画像くらいなら付き合ってもいいけど」
「だからわれわれのコンセプトからすれば男便所盗撮ビデオ作りましょうよって。男女平等の後ろ半身で、女性用に」
「まあ私らは個人的には見たくないわね」
高塚雅代だけでなく説得役だったはずの小熊誠子もまた、もともと盗撮映像観賞欲のようなピュアな心理にその塾生的スタンスが支えられているわけでなかったため、吉丸八彦的情熱の前には白け気味に絶句してしまうのだった。
(第34回 了)
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■ 三浦俊彦さんの本 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■