小原眞紀子さんの連載評論 『文学とセクシュアリティー 現代に読む源氏物語 (第 019 回) 』 をアップしましたぁ。『源氏物語』 における 〝血筋〟 について考察され、現代文学でそれを最大限に活用した作家・中上健次について論じておられます。小原さんは 『 「血筋」 というのも一種の 「テキスト」 であ』 ると書いておられますが、その通りですね。一族モノ、家族モノ小説は多かれ少なかれ 〝血筋〟 をテキスト化したものですが、その原点もまた 『源氏物語』 にあるのではないでしょうか。
不肖・石川、小原さんの 『文学とセクシュアリティ』 を毎回楽しみに読んでいるのですが、この古ぼけて手垢のついた古典が、新たな視点で魅力ある作品として浮かび上がってくるのを感じます。『源氏』 はものすごく簡単に言ってしまえば男女の性愛中心の物語ですが、性愛の中心になにがあるのかが最も重要だと思います。『源氏』 の登場人物は、対象となる相手を詳細に観察しながら、本質的にはその先にあるものを見つめている。それが 『源氏』 を俗な地上の物語であると同時に、天上の物語にもしていると思います。この構造は現代でも変わらないのではないでしょうか。もちろん地道な資料研究は大切ですが、古典を活かすのは、小原さんのような積極的かつ魅力的な読解だと思います。
また石川も、中上健次は戦後日本に現れた最高の作家の一人だと思います。モノばかりでなく、情報も素早く共有されるようになった現代社会では、世界標準的な感性といったものが成立しつつあります。その一方で、どうしても譲れない民族・国家固有の思想や感受性も際立ち始めています。どの言語で書かれても一定の共感を得られる作品は世界的に読まれるようになるかもしれません。しかしある民族・国家の 〝核〟 を表現した作品もあります。そのような作品は広く読まれないかもしれませんが、のっぺらぼうの作品より文学的価値は高いと石川は思います。中上さんは日本文学を代表する作家であります。
■ 小原眞紀子 連載評論 『文学とセクシュアリティー 現代に読む源氏物語 (第 019 回) 』 ■