三輪健太朗さんの映画批評 『映画金魚 No.006 その涙を疑う理由はない - 『風立ちぬ』 』 をアップしましたぁ。三輪さんは学習院大学大学院身体表象文化学専攻博士後期課程在籍で、日本学術振興会特別研究員 DC を勤めておられます。専門分野はマンガですが、マンガと映画の比較研究をテーマにしておられます。今回は宮崎駿監督の話題の新作 『風立ちぬ』 批評です。昨日の木原さんのテレビ映画評に続き、今日もいいできですよぉ。石川は嬉しいでございます。
宮崎監督の 『風立ちぬ』 については、既にさまざまな批評が書かれています。不肖・石川が読んだ限りということになりますが、三輪さんの 『風立ちぬ』 評が一番この映画の本質を衝いていると思います (決して身贔屓ではありません)。この映画についての批判ポイントは大きく2つあるようです。① 戦争賛美映画ではないのか、② あまりにもぬるい男女の恋愛幻想が描かれているのではないか、というものです。
三輪さんは ① の批判について、『自己中心的な人間の半生を描くことで、この作品は一貫して 「夢」 の個別性を強調している・・・。主人公の夢は、堀越家の夢ではなく、妻の夢でもなく、・・・実のところ、この徹底した個人主義こそが、この作品を戦争讃美から遠ざける最大のエクスキューズとなる』 と書いておられます。また ② の批判については、『二郎が自分の夢の中に生きているように、菜穂子もまた自分自身の夢の中に生きている』 と論じておられます。作品は多面体ですから様々な読解・批評があるでしょうが、三輪さんの読解が、恐らく宮崎監督の意図に最も近いのではないかと思います。
この作品が宮崎監督の大きなターニングポイントになるのはほぼ確実だと思われます。『風立ちぬ』 で宮崎監督は、自己の欲望と資質に忠実に映画をお撮りになったとも言えますし、もしかすると、現実を空想に昇華して異次元世界を作り上げる力量の衰えを見せ始めたとも言えるかもしれません。いずれにせよ巨匠が進んで新たな試みを為し、自ら苦しい正念場を作り上げたのは確かなようです。
僕たちは宮崎監督が映画を撮り始めるまで、アニメ映画から 〝巨匠〟 が、〝作家〟 が生まれ出るとは思っていませんでした。『風立ちぬ』 に続編はないでしょうが、作家にとって、このままでは終わらない、終われないための作品かもしれません。イーストウッドやウディ・アレンの映画を見るように、僕たちは宮崎監督の映画を見続けていく必要があるでしょうね。
■ 三輪健太朗 映画批評 『映画金魚 No.006 その涙を疑う理由はない - 『風立ちぬ』 』 ■