偏った態度なのか、はたまた単なる変態か(笑)。男と女の性別も、恋愛も、セックスも、人間が排出するアノ匂いと音と光景で語られ、ひしめき合い、混じり合うアレに人間の存在は分解され、混沌の中からパズルのように何かが生み出されるまったく新しいタイプの物語。
論理学者にして気鋭の小説家、三浦俊彦による待望の新連載小説!。
by 三浦俊彦
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
■自分があんな腰砕けだったとは思いもしなかったから。
ああ、ミホ……
オシッコを飲ませてくれないかな、と頼んだのはオレなのに。ああ、なんでオシッコなんて言ったかな。保険をかけたつもりだったのか。怖じ気づいたのか。心の準備のためだったのか。アホだ。アホアホアホ。ほんとにオシッコ飲みたいと思っていたんだったらまだしも……。いや、すごく愛おしかったのだ、ミホが、その夜は。だからこそ……、
だからこそ、いきなりでしょうが。
いきなりウンコでしょうが。
それでしょう、核心は。
なのになんだよ。
1942年中にただちにノルマンディーに上陸して平野部真っ直ぐ突き進んでベルリンを落とせば話は簡単なものを、チャーチルの植民地戦争に付き合ってイタリアに上陸などしたものだから山岳地帯に四苦八苦、戦争がたぶん2年以上は長引いてしまったでしょうが。
主敵はヒトラーでしょうが。対イタリア戦にかまけてる暇なんぞなかったでしょうが。そのくらいだったら太平洋に兵力つぎ込んだ方がまだましだった。あの戦域はまがりなりにも自分の戦いだったから。
ってのはつまり、オシッコでごまかすくらいなら本番やっちゃった方がまだましだったってことだが。ミホ……。
ああ、アホだよ。
返す返すもアホですよ。
主敵の、いや主目的のウンコには擦りもしないままだよ。拝みもしないままだよ。
腰が引けて、モチベーションのないオシッコなんぞで息を調えようとしたものだから、逆に息が詰まっちゃったでしょうが。
いや、さんざんイメージトレーニングしておいてあのざまだから。
ってイメトレは対ウンコ用だったでしょうが!
興味ないオシッコ用のイメトレなんて誰がするかよ。
ああ、重ね重ねバカだった。あんなにあんなにイメトレしまくっで万全を期したウンコを避けて、予備にもならないオシッコなんか頼んでしまった。
オレそんなに自信なかったのかねぇ。
オシッコの方が楽だとでも思ったのかよ。
まあ普通はそう思うわな。
浅はかだったなあ。液体と固体の違いはそりゃ大きいぞ。
雪の日より雨の日の方が歩きづらいんだぞ。
ミホ肉の赤貝一面どろっとした白い愛液を貫き掠めてオシッコが眼前に迸ってきたとき……、受け止める自信がないことに気づいたんだわ。
当たり前だよな。固形物受け止めのイメトレしかしてこなかったんだからさ。
オレはとっさに顔を背けそうになってしまったのだ。しかしなぜだ。いかに対オシッコ戦の準備がなかったとはいえ、ミホのエキスならなんでも歓迎のはずだろう。
いや、ミホエキスが想像ほど輝かしくも透明でも香しくもなかったのは事実だとはいえ、ミホエキスには違いないしミホ本体の姿勢が美的かつ倫理的な意味でエロチックだったことは否定できないのにさ。なぜに恍惚とした幸福感が込み上げてこない。
しかしあまりにマヌケだった。
のっけからこぼしては本物の愛情をお互いの魂に染み渡らせることなんかできない。オレは無理に白濁の混合液を飲み込んだ。とたんに息苦しくなった。想定してなかった粘液混じりのオシッコだものなぁ。
喉がひりついた。生ぬるい塩味が、オレの愛を嘲笑うかのように頬の内側を揺さぶった。胸が……あ、だめだ、息苦しさが吐き気に変わりつつある、と思ったのもつかの間、ミホへの愛情が胸底から湧き上がってきて吐き気を追い散らし、ああああ、ミホのエキスを飲んでいる、ミホエキスだ、エキスだととめどない喜びが膨らんできたのである。そりゃあもう。たしかに膨らんできたのである、愛の喜びが。ごくごく飲みつづけた。
しかしふと、
ああほんと、しかしふと、なんだよ。
ミホの白濁液のほんの小さなしぶきがオレの鼻の穴に入ったのだった。瞬間、鼻がムズッとした。オレは鼻が敏感な方である。映画館からいきなり明るい表に出ると必ずくしゃみを連発する。だからこのときだけのことじゃなかったのだ。しかしこのときは特にキタ。まずかった。ムズッ。ムズムズッ。オレはクシャミを抑えきれず、かといってこのようなミホ的決定的瞬間ときては抑えようという努力を抑えることも当然できず、オレは中途半端なくしゃみに喉を潰されるような形で、
ぶはっ、
と吐き出していたのだ、ミホエキスを、少量の胃液とともに。
あーあ……。
なまじクシャミを押さえたのが裏目にでた。ミホの目には、オレがミホエキスの成分的何かに耐えかねて吐き出したようにしか見えなかっただろう。
あーあ、オレとミホは顔を見合わせた。
ミホはただちにオシッコを中断していた。女は放尿をそう簡単に中断できないものとイメージしていたが(男だってそうだよな)、美穂はよほどの心配力で食い止めてくれたのだろう。ああ、愛だ。愛なのに。それほどの愛なのに。いいよ、やって。オレは再びミホの赤貝に口をつけた。もうなにも考えまいとしていた。とにかく飲み干さなければ、と。
しかしその義務感がまた仇になっちまった。
再放水と同時にオレは本格的に吐き出した。くしゃみの種が残っていたのか、なんなのかわからないのだが最初に一度吐き出したことによって慣性がついたとしか言い訳しようのないぐちゃぐちゃだった。ああ、愛情なのに、愛なのに……、単にむせてるだけだと見せかけようと小刻みな咳を繰り返してみせたが、ゲエエエエと喉が反発する音はもはや撤回のしようがなかった。ミホは俺の顔を避けながらオシッコを最後まで続けたが、もう天井をぼんやり眺めていて、オレの髪櫛削っていた両手の動きも止まって硬直していた。
あ~あ……。
ミホにはなんと……
オレは……
いや、しかし断言する。
名誉と愛にかけて断言する。
最初ッから自信を持ってウンコに挑戦していれば、決してあんな醜態を演じずにすんだはずであると。
■ その日を境に、オレたちは自然に離れていった。ミホからともなく、オレからともなく。
飲めなかったこともさることながら、通俗結末ぶりもまた、ショックだった。
というか……
考えてみればもともと、オシッコでなくたとえウンコにせよイメージトレーニングをあれほど積み重ねなければならないということが、そもそもトレーニングなどという心構えを作ってしまうこと自体が、破局を予告していたに違いない。ウンコとオシッコを取り違えたとっさの判断ミスを言い訳にすることはできない……。
身のほど知らずのこんなことでミホとの熱愛に終止符を打ってしまったオレは、なんとしても己れを罰しなければならなかったのだ。
■ 観念的とはどういうことか。
すなわち、現実のモノを放出するのではなく言語・観念によって、まずは意味もないスカスカ的単語を脈絡なく喋り散らすという活動、さらには非スカ系出版物に載ったスカ記事をピックアップしてそれを満員電車内で朗読する、それへの乗客の反応を隠し撮りするという二人一組活動「ネオクソゲリラ」に金妙塾主流は這い進んだのである。これに対する乗客風景は旧脱糞ハプニングバージョンに比べて実にさまざまで、先ほど一部引用した雁屋F寝小便論が一塾生(三十五歳のコンビニ店長)によって読まれたときは「そうだよ、そのとおり!」などという相槌があちこちからとんだというが、主題がオシッコではなくウンコとなるとあからさまな心神耗弱ないし喪失扱いといおうか、アメリカのように精神障害者の強制隔離が論議される風土とは異なる日本ならではの寛大な、よく見られる酔っ払いや神経衰弱系独り言おじさんへの大らかな無視に等しいものであったのだが(立錐の余地乏しき満員度においては人垣に隠れた遠くから「うるせえ!」と怒鳴る重客もいたらしいが通路往来自在のときは誰も何も文句はつけなかったという)、『金妙塾入塾パンフレット』は、その「無視」の様態を七十九モードに分類している。
(分類名のみ紹介すると「黙視」「陰視」「黙惑」「黙瞥」「黙殺」「黙笑」「黙怯」「黙訝」「黙認」「黙嘲」「黙憫」「黙索」「黙諾」「黙嘆」「黙惜」「黙難」「密囁」「密索」「黙戒」「悟惚」「黙悦」「隠嗤」「憤黙」「黙呆」「黙嫉」「沈躁」「黙脱」「黙錯」「黙忖」「黙敬」「微解」「黙謀」「爆黙」「擬黙」「黙索」「偽忌」「耽黙」「謬殺」「黙悩」「封舌」「駄黙」「躍黙」「黙狽」「黙滅」「浄黙」「専黙」「斜黙」「黙謝」「慈黙」「甘黙」「案黙」「黙揺」「静観」「歪黙」「黙愁」「黙訥」「熱黙」「黙染」「黙絶」「是黙」「濃黙」「黙祷」「黙賞」「純黙」「黙発」「畏黙」「黙慄」「黙測」「冷黙」「淫黙」「断推」「黙抜」「黙憬」「盲黙」「凝黙」「否視」「黙略」「黙質」「瀰黙」。演習問題:それぞれの具体的表情と視線の振幅を推測的描写せよ)。
乗客一般の反応のうちで最も珍しく、新しく発見されたのが番外の「傾黙」という高次モードである。これは塾生中最古参の肛門科医師・吉丸八彦によって予言されていた反応で、乗客がみな体を朗読者の方へ傾けて聞き入るという単純なしかしありそうにない反応である。吉丸八彦は七十八番目の「黙質」反応と七十九番目の「瀰黙」反応が一定条件下では絶えず無視状態から揺らぎを見せるという不安定現象がしばしば観察されていたのに着目し、「瀰黙」の外側軌道に八十番目の反応を想定すればその引力によって揺らぎを説明できる、と考えたのである。ちょうど太陽系の新惑星海王星の存在がルヴェリエによって予言されたと同様の重力力学的理論であった。しかし桑田康介入塾の約四ヶ月前、この傾黙反応が実際ある種の切迫的体験記仕立てのテキストの的確な朗読によって実際に起こるということが三人の塾生パフォーマーによって証明され、吉丸八彦はこの功績で金妙物理学賞を受賞した(盗撮ビデオ割引購入券)。以下、全文を引用する。(石丸φ「黄金に魂覚めた朝」(『ビサールマガジン』1994年夏号)より。なおこの同一文が女性イラストレーター多田峰晴子四十二歳によって都営地下鉄浅草線押上~戸越、私大法学部学生佐古寛司(本名:則武保彦)二十歳によって小田急線内代々木八幡~町田、市立図書館員崎永拓也五十三歳(『コージ苑』第一版「愉快犯」におけるパフォーマー)によって西武池袋線椎名町~東久留米という別個の満員車両空間で同一日同一時に朗読され、三者とも揃って一様なる「傾黙」反応を得、吉丸理論を科学的に検証したのだった。)
〈自分を罰したい欲〉が発狂寸前にまで高まった朝、僕は自殺しようと思い立った。死に方は、黄金死。どうせなら黄金死。何十人の女王様の黄金を一度に食えば、究極の恍惚感とともに逝けるのではないか。定期をおろして、都内のSMクラブに片っ端から電話した。浣腸はだめです。自然便でなきゃだめなんです。
17のクラブの24人の女王様と契約、翌日までにたっぷり溜めてもらうことにした。翌日六本木アルファインに二部屋とって、プレイ開始。基本料金と別に、出た順に一人ずつ24万、23万……1万円、ということにしたので、女王様たちは早く黄金を出そうと室内で体操したりツボを押したり牛乳1㍑パック飲み干したりみんな一生懸命頑張ってくれた。
最初に出してくれたのは銚子市生れのもと看護婦、ソフィア女王様だった。生牡蠣の匂いのする細めの山吹黄金が、長々30㌢ほど途切れなく絞り出て、僕の喉の奥に魔法のように粘り潜っていった。次は江東区生れのフユミ女王様。顔と上半身は細いが腰と腿が超逞しい19歳、息張る声も匂やかに、吹出物だらけのお尻から濃いオナラを七発半、デコボコ罅だらけの便秘塊を三つ押し出した。スジが堅くてニガさ強烈。三番目の堺市生れカズコ女王様は鼻筋の通った美人。細いお尻から白縞つきの中太バナナ便を放り出してくれた。六番目の鎌倉市生れ、身長152 体重80㌔のアイ女王様のは最高だった。前日フルーツとクロレラだけを食べてきてくれたそうでツーンと甘い、軟らか極上黄金だった。九番目になんと目にも彩なる和服で御来室、長い髪がさらっとストレートの府中市生れレイコ女王様の黄金はネバネバ真っ黒くて気持ち悪かったけど一番効きそうで、目を見開いてゴックン。次の山形市生れユイカ女王様のシャーッと真ッ黄色い水下痢を一気に飲み込んだあたりで、焦げ臭いげっぷが続けざまに洩れて胸がむかつきはじめた。いよいよか。色黒でアイシャドウの濃い港区生れルミ女王様と色白で内斜視の青梅市生れマユミ女王様は左右背中合せにしゃがんで息を合せ同時脱糞してくれた。世田谷区生れサヨコ女王様は「あたし黄金は経験ないの」とずいぶん恥かしそう。笑うと左右対称歯が欠けたみたいな八重歯が可愛くて「クサいって言わないでね」コーンやゴマや野菜片がやたら表面に突き出た黄金がみりみりぷちぷち線香花火みたいな摩擦音付きでくねり出てくれた。女王様が恥かしがってくれてると思うと僕の勃起ペニスは更に三割膨脹した。横浜市生れシノブ女王様はどうしても出そうになくて申し訳ないから、と自分の喉に指を突っ込んで嘔吐して下さった。臭くて酸っぱい胃液の風味もさることながら吐く瞬間、久本雅美似の歯茎露出度高値顔歪めてオ、グヲエッ目を剥き涙流した表情は、黄金が覗く瞬間の噴火口の痙攣に劣らぬ味だった。うれしい!このシノブ女王様の苦悶を見て僕は排泄プレイという文化の神髄を悟り、福岡市生れカオリ女王様の息張りと肛門ヒクツキの連動を凝視するうち認識は明瞭となった。直径3㌢の黄金が半身7㌢ゆっくり伸びてしばし停止、湯気。肛門はその間じっと金棒をくわえ開いたまま汗ばみ、ついでカオリ女王様の全身が細かく力み震えたかと思うと黄金の後半がプピっスーっ熱い隙間風まとって現われ――外気に触れていた7㌢分と後半が焦茶/黄土に見事くっきり分れ――カオリ女王様はホッと濃厚な出産の吐息を。授乳する性である女の、食物を無事提供した本能の安堵だろうか。そうだ! レバー味の上質黄金を頬張りながら僕は感動に震えた。女王様たち自身の熱い内臓醗酵料理を貪り喰らい僕は昇天するのだ!僕は女王様の汚いものを食わねばならないのだから確かにMだけど、女王様も自分のクサい秘密の内臓を無防備に晒すのだから羞恥Mだろう。そう、Mがウンコ座りの脚線を表わす形であることを忘れるな。と同時に女王様は僕を便器扱いして尻に敷いちゃう以上当然Sだが、僕は女王様の腸の中身を食べながら彼女の肉そのものを喰う行為をイメージ経験しているから、極限的Sの瞬間を生きていると言えるのだ――合法的カニバリズム! ああ! そして体位も、女の下の穴に男が前の肉棒を挿入する、この機械的な性の定めの反転図なのだ。男の上の穴に女が後ろの肉棒を入れるのだ!
確かにどのプレイ、どの男女関係でもS即是M・M即是Sの関係は成立している。けれど現場で直接自然にSM男女が融合できるのは黄金プレイだけだったのだ。MとS・女と男の役割の転覆、裏返し、理想化、融合、そして極限値なのだ! 長年食糞をやってきて、この深遠な真理になぜ今まで気づかなかったのか僕は。なぜ黄金の香りと粘りにばかり心奪われていたのか。そう、僕のメイトはみな、羞恥心をほとんど持たない女性だったっけ。あっけらかんとウンコしてくれて、羞恥Mになる要素が欠落していたっけ。僕の方も豚みたいに喜んで食うばかりで便器Mの文化的自覚に乏しかったし。それがこの日、黄金初体験の女王様も含めヨソのクラブ初対面どうし大勢見守りあう中の排泄劇、物質のカタチ輝きを競いあいナマの女の羞恥が久し振りに露出して、ああ、僕も死ぬ覚悟だったから真正Mになりきることができて……。僕は目覚めた。黄金郷は性の桃源郷だった。
推定3500㌘の黄金を胃に詰め込んで、火のようなげっぷを吐きながら帰宅した。胸が灼けるように重い。翌朝には三途の川と期待したが、暁五時に偏頭痛とともに目覚めてスゴイ臭いの下痢が大量に出た。顎が痛くて鏡を見ると唇の周りから首筋にかけて赤紫の大粒オデキがいっぱい出来ていた。顎の痛みと微熱が一週間続き、やがてオデキは黄色く脂肪塊めいて変色し、乾いてぼろぼろ次々剥がれて落ちた。今でも口の周りにシミとアバタ状の痕が残っている。ふう。結局死ねなかったな。預金も半分以上使っちゃったけど、そう……せっかく捨てずにすんだ命、どんな恋愛より奥深いと知った黄金プレイ。そうだ、好奇心と羞恥心が丁度同じくらい強い女性パートナーを見つけて真剣に楽しもう。ははは、人生これからなのだ。
なんとなく見覚えある文言と響き合っていないだろうか?
そこがまことにおろち文化史表層の曖昧かつ決定的な合流点を深ぶかと予示していたのである。
なお、朗読の合間に、匿名の乗客による合いの手が一度だけ差し挟まれたことが記録されている(於西武池袋線)。
「なんだ、それだけ食えば、米も肉もただの食い過ぎで逝けそうじゃないか。萎えたな」……
■ ネオクソゲリラはそのコンセプト上、端的な突発事件として周囲から受け取られる必要があったために、路線・時刻をできるかぎり変えて組織的プロジェクトたることを見破られないようにし、巷間に流布せぬよう努めていたのだったが、路線・時刻を特定しないという戦略には、後の吉丸八彦の証言によればもう一つ意味があって、さまざまな時空に周到に分散化されたネオクソゲリラがいかほど口コミで伝播し予備知識獲得済みの耳目に現場遭遇されうるものか、あるいは同一乗客に複数回遭遇されうるものか、という確率論的調査をも、その車内反応から探ることをも密かなる目的としていたらしい。加えて同時に、複数回遭遇と相成る乗客は、仮想的に「タイプψ」と名づけられ、金妙塾的価値観を共有する特異体質の素因可能性大、として何らかの接近ありしだい金妙塾側としては勧誘に出る手筈であったとも言われる。
桑田康介の入塾日にも、当時まだタイプψは一人も発見されていなかったが、「朗読ネオクソゲリラ」の反省検討会が一室内で行なわれていた。前日に早稲田大学研究生かつ英会話教師のデイヴィド・ブラヘニー(ニューヨーク出身・二十九歳)が午後七時半から営団地下鉄丸の内線本郷三丁目~南阿佐ケ谷で朗誦した文章が同じ口調で再び朗読されていたのである。電車内現場で撮影されたビデオが同時にモニターで再現されており、ブラヘニーはその中の自分の語りに正確にかぶせて朗読していく。この朗誦現場が(そう、現場ではブラヘニーはテキストを見ずに、暗記した日本語長文を瞑目朗誦していたのだ! 暗誦モードはブラヘニーが初であった)、朗誦者と乗客の顔が交互にアップで再現されている。外国人による「ネオクソゲリラ」も初めての試みで、電車内での奇妙な「日本語練習」に乗客はみな呆れ顔ながら基本は「黙嘲」「黙憫」そして「黙狽」各々約三分の一ずつといった標準反応だったようだ。事前に二百回朗誦練習をしたというブラヘニーがアクセント怪しくもそこそこ澱みない日本語で諳んじとおした全文は――
(第29回 了)
縦書きでもお読みいただけます。左のボタンをクリックしてファイルを表示させてください。
* 『偏態パズル』は毎月16日と29日に更新されます。
■ 三浦俊彦さんの本 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■