柄谷行人のインタビューを久しぶりに読んだ。久しぶりなのは、もっぱら私が不勉強だからか。いや、久しぶりのような気がする、と言うべきか。
芸能人ではないのだから、流行が過ぎたみたいな捉え方は間違っている。それでもあのブームは何だったろう、という感覚はある。女子校の大先輩のご主人が、柄谷行人が自分の「師」なのだと得々と語っていたのを今でも覚えている。
柄谷さんは反原発のデモに参加しているのだそうだ。参加する理由について、いろいろと説明されている。どうして説明が必要なんだろう。今、私の周りの人たちはほとんど皆、原発反対だし、普通の知性と感性があれば当然の帰結ではないか。自身や親族が利権構造に組み込まれていないかぎりは。柄谷さんのような自由な立場で、デモに参加するだけで注目されて話題にしてもらえるなら、誰もが参加するだろう。
参加していることが話題になっているといえば、それこそ芸能人の山本太郎とかだろうが、それはデモ参加によって失うものがあった、という一点に集約される。柄谷さんが失ったのは、デモには参加しないというポリシーらしい。それまではデモに参加しない理由、というのを理論化して述べていた模様である。これもまた、どうしてそんな理由や理論が必要なのだろう。文学者は普通の人と違い、何かをするときはおろか、しないときにも申し開きしなくてはならないのか。
文学者だろうと一般人だろうと、原発反対のデモに参加して主張することは「原発反対」だけじゃないか。それ以外に耳を傾けるべきなのは、根拠を示して主張を補強するもので、この場合には科学者とか行政のインサイダー、最も大きく被害を受けた当事者の言葉だろうに。誰かがそれまで参加しなかった理由、あるいはした理由など、どうだっていい。ある種のデモに参加し、別のデモには参加しない。ごく普通のことだし。
もちろん、これをもって「柄谷行人も終わった」とか「ヤキがまわった」などと言うのは間違ってる。久しぶりに読んで、つらつら思い出せば、この前は湾岸戦争反対のときだった。あのときだって、まるで同じだった。「文学者による湾岸戦争反対」。戦争に反対するのに、文学者も八百屋もあるもんか、といった疑念がさほど膨らまなかったのは、その戦争と私達との間にあった距離によるだろう。原発をよく知るインサイダーでもない、最大の被害者でもない、どのような意味でも特権化され得ない者が「文学者」であることを縁として語る。その奇妙さに気づくのは、今回起こったことと私達との距離の近さによる。
インタビュー中、我々が知るギリシャ悲劇はコンテストで一等賞を獲ったことで歴史に残ったのだ、という箇所があった。自らは文学者として特権化されつつ、こういう形で創作の力を貶める手つきには見覚えがある。私がもっと若い時分は、こういった手品みたいな論理の瑣末なすり替えを、腑に落ちないまま眺めるしかなかった。隙見たようにすり替えられ、へんちくりんな結論に連れて行かれるんだから。柄谷行人にはもう騙されないぞ。論理学の初歩の初歩、コンテストで一等賞を獲った劇がすべて歴史に残っているわけはない。
このインタビューも、もう一本の小熊英二という人のインタビューも、唯一よかったのはインタビューには付き物の顔写真が一枚もなかったことだ。朝日新聞社の良識が最後の一線を示したのか。
長岡しおり
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