偏った態度なのか、はたまた単なる変態か(笑)。男と女の性別も、恋愛も、セックスも、人間が排出するアノ匂いと音と光景で語られ、ひしめき合い、混じり合うアレに人間の存在は分解され、混沌の中からパズルのように何かが生み出されるまったく新しいタイプの物語。
論理学者にして気鋭の小説家、三浦俊彦による待望の新連載小説!。
by 三浦俊彦
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■ ミサちゃんはかわいいなあ。かーわーいーいー。かっわいっいなっ。ミーサちゃんっ。かわいい、かわいいい、かっわっいいいいーーっ。ミサちゃんは~~~~~、~~かわいいっ。
姫里美沙子は「いいとこのお嬢さん」だった。一人娘だった。家柄に釣り合う男と結婚しなければならないとされた。女子大在学中から何度も見合いをさせられた。外交官の息子だの大銀行のなんたらだの地方議員のかんたらだの。
大学卒業後は勤めなどせず家にいろという理由不明の両親の意見をよそに都内に一人暮らしを始め、田町の歯科医院の受付を勤めたその期間も、親からの見合い攻勢は続いた。
美沙子は抵抗した。「今どき、家」を強調されることへの抵抗もあり、すぐ後に述べるような審美的自意識にもとづく不条理感もあり。嫌々ながら応じはするものの、見合いのたびに、わざと仏頂面で通したり、会話の中でありもしない種類の男性関係をほのめかしたり、現地のトイレで化粧を全部落としてすっぴんに成り替わったり、似合わぬピンクの眼鏡をかけたり、ひたすらぶちこわしに努めた。たいてい同席している両親はそのたびに叱り、嘆き、義理のある先方様に申し訳ないと泣いて諭した。もともと経済的上流階級にとっては男子への期待が自然である反面、女子に階級的自覚を求めるのは無理がある。階級的に上位の男子であれば多くの女子を吸引し子孫を増やすという進化論的有利さゆえに男子こそ家系繁栄の期待の星となりうるが、女子は、いかなる階級に属していようが産める子の数は平等である。むしろ下層階級にとってこそ、女子は期待の星となりうるのだ。気立てがよく美しければ王子様の目に留まって、生家の社会的階級を一気に引き上げることができるのだから。社会調査でも、上層階級では男子の方が可愛がられ、下層階級では女児の方が可愛がられる傾向の強いことは確かめられている。
なので、姫里美沙子が家家家イエと諭されるたびに感じた違和感・理不尽感は、進化論的根拠があったと言えよう。むろん美沙子が男子であったなら、勝ち組の家柄に生まれながら一夫一婦制の足枷によって無限に子を成す特権をむざむざ封印せざるをえない不条理に毒づいたことだろうが。
ただ、美沙子には親不孝の趣味はなかった。両親が心から困惑しているらしいのを見るにつけ、そして初対面の男から「オカシナ女」と見られることへの羞恥心がさすがに頭をもたげてきつかったりもしたため、お見合い十回目あたりからは露骨な不貞腐れ戦術や悪印象醸成戦術はやめることにした。無理に突っ張ることなしに家柄主義への抵抗と自分的納得との折り合いを付けようとした。現在おろち学で「F戦術」および「G戦術」と呼ばれている方法を美沙子は(人類史上おそらく初めて自覚的に)実践したのだった。「F戦術」および「G戦術」は、相手の心にマイナス印象を焼き付ける方法ではなく、自分自身のテンションおよびコンディションを下げて、親都合のお見合いなんぞに迎合してない私、私自身の私、という内面を専ら確保する技巧である。見合いの相手に不快感を与えず、両親にも反抗の色を見せず、それでいて見合いの通俗性を解除できる「主観(POV)技法」の代表例であった。
ともあれものごころついたとき、姫里美沙子はかわいいかわいいと言われることにうんざりしていた。かわいいアレルギーと言ってもよかった。もちろん、大人が年端のゆかぬ子どもを「かわいい」という常套句で褒めたり煽てたり機嫌をとったりすることは日常茶飯であり、だからといってすべての子どもが<かわいいアレルギー>になるわけではない。美沙子の場合は、同年の子どもや年上の子どもにしきりにミサちゃんかわいいっ、と追いかけ回される経験が頻繁だったからである。しかしかわいい少女のすべてが<かわいいアレルギー>になるわけではない。かわいいという一人称的事実と引き替えになら、日常生活における相当の面倒にも耐える気になるものだ。そう、事実でありさえすれば。しかし美沙子の場合、自分のことを全然かわいいと思っていないのが問題だった。しかも複雑なのは、美沙子自身がそう判断しているのみならず、客観的事実として見ても、現在残されている彼女5歳~22歳のどの写真・ビデオ映像を見ても、かわいいとか美人とか評するに些かも値する画像は一つもない。ごくごく平凡な、上唇が多少まくれ気味かつ頬が出っ張り気味であるほかは特徴のない、魅力に乏しい顔立ちである。にもかかわらず小学校、中学校、高校そして大学と、常時二三人の男から「かわいい」と言い寄られすり寄られ閉口していたのである。
姫里美沙子が「いいとこの一人娘だから」? いや、注釈しておくと、男どもの言い寄り攻勢は、「いいとこの一人娘だから」という動機によるものではない。姫里家の社会的地位に関する情報は、特定方面以外には漏れないような措置が家族親戚によって張り巡らされていたからである。美沙子自身、大学生になって見合いを勧められる、いや懇願されるようになるまで、姫里家のランクについてほとんど知らされていなかったのである。換言すれば、結果として隠し通せる程度のランクであったということであるが、かりに姫里家のランクが知られて、その格に感服する男がいたとしても、一般に男の恋愛感情は、女のそれと違って、相手の社会的・経済的地位によって左右されることがほとんどない。姫里家の家柄も経済力も、美沙子の恋愛対象化レベルを引き上げる役には立たなかったはずである。
ともあれ、家柄その他の不純な動機がかりに判明すればそれだけ楽というものだったろう。美沙子には自分がモテ女である理由がさっぱりわからないのだった。しかもモテはやされているのは主に顔なのだ。自信の裏づけを欠いた賛辞ほど暴力的なものはない。これが彼女のそもそもの「第一次悲劇」である。しかし美沙子は健気に耐え、誰も恨んだりはしなかった。なにぶん多方面の相互無関係の男たちが長期にわたって次々と「かわいい美沙子さん!」(そう、なぜか美沙子にアプローチする男たちは「美しい」「かわいい」式称賛語をナマのまま乱用する傾向にあった)と眼前へひざまづくというベタな光景を突きつけられては、いたずらだとか共謀とかの疑念介入の余地もなく、自分の客観的容貌の質がいかようであれ、確率的に考えて男たち各々の本気と真剣さを痛感せざるをえなかったのである。美沙子にはそう察するだけの統計科学的知性は備わっていた。だから世を恨んだり不条理を呪ったりする道へただちに迷い込むのではなく、素直に前向き人生を演じ、言い寄る男たち――高校生の時には写真部部長の下心から自主制作作品のモデルに起用されて県コンクールで金賞を得たり、なぜか地元ホストクラブのナンバーワンホストから古風なラブレターを十通ももらったりした――のうちから気に入ったのを選んで淡い付き合いを楽しんだりもした。
それだけの男の目が現に惹きつけられたということ自体、姫里美沙子は実は美人なのではないか、規格外とはいえ客観的魅力を備えた美形に他ならないということではないか、そう疑う向きもあるかもしれない。しかし、
①第7回おろち幾何学会における姫里美沙子の写真・ビデオ画像の詳細フラクタル的・電子顕微鏡的解析結果発表が、いかなる座標変換のもとでも美沙子が最近二十年間美女群像の域値外にある事実を示していること
②おろち元年以前と以後とで、女性美の基準が変わったという証拠はないこと
③周囲に「なぜのあの子があんなにモテるか」的怪訝の声が絶えなかったこと
④ほとんどの男との付き合いが二ヶ月以上持続しなかったこと。これは美沙子自身の自己評価と相手の評価が食い違う甚だしさが時々刻々ずれていった果ての断絶と見ることもできるがそれよりむしろ相手の男が、アプローチ時の自分の美的錯覚に気づいて、美沙子が何の変哲もない凡庸女であるという視覚的事実に目覚めたためである可能性大であること(――ただしG戦術の効果を考慮せよ。後述)
等の傍証から、やはり美沙子には一片の客観的美も宿っていなかったと判定せざるをえない。ただ、錯覚とはいえ現におびただしい男たちが美沙子に類稀なる美を見る幻に陥ったこと自体は客観的事実であって、そのような幻惑的資質が本当に美沙子にあったのかという疑問が残りはするし、さらには十数人の、いつまでも美的錯覚から醒めず準ストーカー的情熱に及んだ男たちも三人や四人ではなかった。君の瞳がとか、君の美貌がとか、美沙子の神経を逆撫でするような科白で電話攻勢が続いたりした。まだしも美沙子が一目瞭然の醜女であれば、逆説美というものも美学的根拠を持ちうるであろう以上、冗談やウケ狙いとしてより本物の賛辞として、そう、ちょうど蔦崎公一にして己が醜貌を慕って集まる女どもの真意を微塵も疑わなかったばかりか適度に愉しみすらしてきたのと同様の自家貫禄というのか、自信が生じていたことだろう。しかしいかんせん何度でも繰り返し強調せねばならないが美沙子はまことに平凡な、美しくも醜くもない、見どころのない俗顔であり、どこといって色気もないスタイルだったのであってみれば、逆説的自信に満ちることすらできはしなかった。美沙子は次第に、一旦は理性で回避した道を転がるように歩み始めた。すなわち、世の不条理を露骨に呪い始めたのである。
見合い攻勢はそんな中で始まったのだった。
見合い相手の多くもまた、美沙子の初期戦術、つまり不貞腐れ戦術系の防御にもかかわらず、媒酌人を通じ「もう一度会いたい攻勢」をさかんにかけてきた。せめて前向きに生きようと心がけていた美沙子も、初対面でほとんど相槌も省略し通した自分のような女のどこに「いいとこの坊ちゃん」どもが魅力を見出したのか、ほとほと人間というものを疑いはじめ、広義においてついに世を呪いはじめたのである。
ただ、耐えることには慣れ鍛えられていた姫里美沙子が運命の蓄積のみから、何のきっかけもなくただちに世を恨み呪う灼路を走りだしたわけではない。ある一言が引き金となったのである。見合い相手のうち、本人の熱心さと美沙子サイドの親の懇願に負けて二度目のデートに応じた唯一の男が引き金である。臆面もない錯覚ぶりがバーのボックス席にて両手で美沙子の左手を握りながらじっと黙って目を見つめつづけるという重篤度へ陥っていた製薬会社社長の息子三十一歳に対しきっぱり「これまでです」と宣告したところ、男は表情を一変させて「ちくしょうばかやろう、ちょっと見た目かわいいからって鼻にかけやがってョ。美人はこれだからいやなんだ、チッ覚えてろよ呪ってやるバッキャロー!」的捨て科白を残してコップ二つ倒して去っていったという顛末に遭ったからで、美沙子は呆気にとられテーブルクロスを伝う水をスカートでなすすべなく受けながら、店中の視線を浴びるにつけても捨て台詞「美人」と実物とのギャップを客たちは後でどう話の種にするんだろう等々赤面を通り越してじわじわ怒りが込み上げ、何であたしが呪われなきゃなんないの真実美人だったら今の科白も有難くいただいとくけど何よとことん勘違い野郎。ああ馬鹿馬鹿しい呪いたいのはこっちだよそっちがそうならもう、ええいこっちから、と呪詛道直進を決意したのであった。これが美沙子の複雑微妙なる「第二次悲劇」である。
(哲学的注・もとより捨て科白ほど信用できるものはない。下心から自由であるだけに。まさしく男たちの対美沙子美的感動は本物だったというまた一つ強力な傍証がこれであって、とすればますますこのような確率的不条理が一体なぜに生じたのであろうか? いや、確率でいえば前述のとおり、互いに共謀の余地なき相互独立的多数の男が姫里美沙子に言い寄ったのである以上、男ら各々の恋愛感情・審美的感動は紛れもなく確率論的本物である。ここで問題としたい確率は、そもそも非美人美沙子にどうして男らの心底の審美眼が惹きつけられ、トップアイドル並ですら一生かかっても得られぬほどの賛辞を一年二年単位で集めることがありえたのであろうか、という確率的不思議である。むろん人間の趣味とは不思議なもので、客観的凡顔の女にでも、必ず、美を見出す男というものはいる。しかしそのような男女のペアが出会う確率は稀少であり、それが美沙子の場合は二百回以上のその種出会いが一身に生じたのである。これは、男女が地球上を思い思い自由意思に則ってランダムに行き来しているかぎり、およそ起こりえない確率的不可思議である。奇跡である。しかしここでもまた、他の場所で論及した人間原理的説明があてはまるだろう。私たちははじめから姫里美沙子に注目していてその女がたまたま低確率の運命に当たっていたという偶然の一致を見たのではない。逆である。たまたま低確率の運命に当たったがゆえに、結果、その女に今注目しているに過ぎない。そして、低確率現象(珍しい現象)が起こることはむろん珍しいが、低確率現象が地球上で全く起こらないということはそれにもまして珍しい。珍しい現象は絶えず膨大な現象群のごく一部のどこかで、たえず必ず起こっている。そのうちの一つがたまたま姫里美沙子であり、それに従って私たちは彼女に、ひいてはおろち文化に注目したに過ぎないのだ。反おろち陣営の唱える「低確率ファインチューニングの不合理」仮説は成り立たないのである。)
「第二次悲劇」は単なる切っ掛けというか、自覚の節目である。その以前より姫里美沙子の中では半ば無自覚の呪い体勢が熟成しつつあったのである。美沙子は世の不条理に対しいかなる仕方で呪いをかけたであろうか。前述のとおり、今日「F戦術」「G戦術」と呼ばれるやり方だった。「G戦術」に至った経緯はたとえば次のようなものだと推測されている(発生的には先である「F戦術」についてはすぐ後で触れる)。お見合いまたはデートのとき意識的に素っ気なくしても、上の空を装って返事を三回に二度省略しても、目の眩んでいる馬鹿男には通じない。基本冷静かつ無感動体質の美沙子もやがて苛々してきて、神経が膀胱や腸にくる。すると尿意や便意をこらえる結果、気が散って自然と相手に素っ気なくできて、装うまでもなく上の空が実現できるようになる。自然さが本物の無関心として相手に伝わって、さしもの独り善がりの鈍感馬鹿男も白け失望しはじめ、美沙子の真のゲシュタルトを正視できるようになり、ようやく覚醒し、離れてゆく。こうして美沙子は、自然と男を拒絶できることになると。この発見が重なるにつれ美沙子は、次第に意図的に我慢体勢を作るようになった。すなわち、気が進まぬ見合いおよびデート(すべての見合いおよびデートという意味だが)の時には必ず、トイレを我慢したままで――耐えることに関しては鍛え尽くされていた美沙子ゆえ――出かけるようになっていったのである。今日、望ましくない相手と自然に別れる雰囲気を作る目的で用いられる「G(ガマン)戦術」だ。メール末尾に「いつかこちらからご連絡いたします。では、お元気で」と書いて相手からの連絡を封じる「お元気で戦術」と並ぶポピュラーな自然戦術である。
尿意だと切迫度が急角度すぎて上の空が目立ちすぎ、「ナチュラル上の空」醸成のためには便意の方が適していることも確認できた。なにしろ意図的に不貞腐れる必要がないので、親や媒酌人の目から見ても一応協力的ないい娘さんと映る。まさかトイレ我慢とは誰も思わない。偽悪的な親不孝も卒業できた。
G戦術の妙味は、心ここにあらず自動演出によって相手を無難に白けさせる効果にとどまらない。拒絶確認効果も大きな比率を占める。お腹に汚いウンコを満杯に溜め込んでるクソアマにあんたは一生懸命言い寄って愛を囁いてるんだよ、なにがかわいいきれいだ美しいだよ、バァァーカ、そう思いながら男の甘い言葉を聞き流していると、心底相手がバカに思えてきて、もともと拒絶的な気持ちがさらに心底拒絶の拒絶に固まって、心置きなく拒む用意ができていくわけだ(ちなみに美沙子の見合い以外の異性経験はたいてい、見知らぬ男に街で見初められたり、歯科の患者に帰途待ち伏せられたりのパターンが常で、相手に予め注目していなかった美沙子としてはほとんど「お見合い」感覚で始まった。よって、見合いだろうがそれ以外の出会いだろうが、美沙子側にすれば同等に格式ばった体験性が、便意内蔵デートの私的ビザール度と齟齬をきたしてほとんど倫理的快感というべきものをもたらしたという)。そしてさらには、こっちの切羽詰り来たる波状便意に気づかず自分本位に喋りまくっている能天気な男に腹立ちも覚えて、拒絶感に迫真性が加わるのであった。
「実行の引金」たる前述腸神経反応より以前に、美沙子がこの便意内蔵戦略を思いついたもともとの遠因というのは、女子高時代のウラ校風であった。美沙子は、親の指定した都内ブランド大学附属高校推薦枠を拒んで茨城県内の女子高に進んだのだが、バス通学的辺鄙な畑中にあるその女子高はやや遅れてきたブルセラブームの只中にあり、クラスの三割以上の生徒がパンツの通販を手がけていた。近くにブルセラショップがあるわけでもないので、東京でAVモデルをしているOGの仲介により、東京の業者に顔写真とともに穿き古しパンツを売却するアルバイトが人気だったのである。その際、単純に汚れが激しければ激しいほど高く売れるということから、みんな朝トイレの前も後ろも拭かずに登校し帰宅までそのまま生活するというのが定石だった(後で汚物をなすりつけておけばよいではないかというのは素人考えで、大方自らマニアでもある専門業者の目にかかると、生活の中で自然についた汚れであるのか、人為的につけた安易な汚物であるのかは一目一嗅ぎで看破できるのだった)。下校時に五六人集まってこっそりパンツの染みを比べあうのも流行っていた。共鳴体質にはほど遠い美沙子自身はこのブルセラアルバイトに参加しなかったが、友人らのたゆまぬ努力を間近に見聞きしており、けっこう感動的いや哀愁的だと思った次のようなエピソードにも触れたのである。高値売却を続けて逃している子がその主な原因として「顔写真の質」を業者から指摘され、クサッてブルセラから足を洗ったのだったが、それでも「拭かず登校」だけは続けているので一見空虚なその行為の理由を美沙子が質したところ「昼間じゅうお尻の痒みをね、我慢する快感っていうかさ、家に帰ってから一挙にお尻拭いて、ウォシュレットするときの解放感っていうかこれ、たっまんなくて。病みつきになったってゆーか」なのだとわかり(茨城の拭かず登校少女の一典型風景が塩田慎太郎『でんでん武士』最終回(『ヤングマガジン』2000.5.2.増刊号)で追懐されている)、理念を失った即物的感覚への堕落の情けなさを美沙子は痛感したのだった。そして、いずれは自分こそ「理念のために耐える」女になりたいものだと志していたのである。
恋愛文脈そして見合い文脈での馬鹿男撃退というのは、かつての友人たちの勤しんだ理想的ブルセラ染み製造売却道に比べれば芸術性に乏しい私的矮小なる理念にすぎないかもしれなかったが、美沙子としてはここに至って自然なる下半身系我慢実行のタイミングを得たのである。ただ、「拭かずデート」を採用せずに(採用していたら尻の汚れや痒みが気になってこれも「ナチュラル上の空」を実現できる「F戦術」の先駆となったはずだが)「便意内蔵デート」へアレンジしたのは、まずは単純に、美沙子は痒みに対する抵抗力に自信がなかったためだった。しかしガマン戦術から拭かずモードへの回帰、いやさらに進んでお漏らしモードの新規活用すら考えざるをえないこともしばしばだった。すなわち、どうしても悟る気配のない重症男に対しては、並んで歩いたり横並びに座ったりしているとき少しずつ、拭かず尻から屁を、拭かず股から尿を小出しに洩らしていって周りに微妙メタン/アンモニア臭アンチロマンチック・バリアを張り巡らし、重症馬鹿男の潜在意識に揺さぶりをかけて、覚醒を促す戦法も適宜採用したのである。(これはときに「M戦術」とも呼ばれるが、周知のように今日「F戦術」「G戦術」ほどには一般的でない)。
美沙子はいつもこうして毎回見合いおよびデートのたびに四、五時間は我慢しとおした。帰宅してトイレで、あるいは帰宅途中の駅トイレでという場合もしばしばだったが、どっと出る大便と来た日には、ほれぼれするほど大量で、色硬さはその日によって良質だったり不良だったりした。
ほどなく美沙子は、相関関係を発見した。
大便が暗濃色を帯び臭気強く不良のときは、いやなデートだった。
まあまあ普通のときは、可もなく不可もないデートだった。
明淡色に輝き臭気仄かに良質のときは、考えてみればなかなかいいデート、いい相手だったのである。デートの最中には拒絶体勢を保つことに専念するあまり、相手の好感度に気づかなかったりしたが、帰宅してゆっくり排便する段になって、ああ、いい男だったなあ、いいデートだったんだー、拒むことなかったんだなー、としみじみ後悔したりした。しかし、便意戦略の効果は絶大だったので時すでに遅し、たいていの場合、男は脈なしと判断して、そして何よりも美沙子への美的錯覚から覚醒して離れてしまっており、二度と戻ってはこなかったのである。
これは単に事後判断、すなわち帰宅して良質排便があればその日の男はよかったと後から価値付けしているに過ぎないと見ることもできるだろう。しかし、デートが快適であり男の印象がよければ快適波動が体内に浸透して腸内のコンディションを調整し、良質の大便を形成する、という因果関係には多々納得できるものがある。少なくとも、怪尻ゾロをめぐる黄金占いに比しては三桁ほど信憑性上なることは確言してよかろう。
そうこうするうちついに、そう、これは誰しも予期されたであろう通りの、単純な「第三次悲劇」(「最終悲劇」)が訪れたのである。
帰宅後の後悔を重ねることに耐えかねた美沙子は、次こそ好機は逃すまいと自覚を期してデートに臨んだのであるが(男の美的錯覚をすでにして安易に許容しきっているこの段階で当然、天意の懲罰現象が美沙子の身に用意されていたといえよう)、GW最終日に舞浜を一緒に歩いた高校世界史教師三十三歳がまさしく、理想の男であることに現場で気づくことができたのである(池見は一介の教師であるものの、親経由の見合い相手だった。G戦術のおかげで非反抗的な見合い拒絶を続けていた美沙子の様子に、「非家柄系の選択基準による相手」が娘の意に沿うのではと母親が妥協した事例であると思われる)。池見葦次というこの元早大ラグビー部レギュラーは、見合いで美沙子のG戦術に撃退された後、納得できずに美沙子の勤める歯科に患者として通いはじめ、帰りにいつも斜め向かいのフルーツパーラーで待ち、診療終了後美沙子が出てくるのを待って話しかけるという断片的接触を一ヵ月半の間続けていた。その辛抱強いナチュラルストーカーぶりにほだされた美沙子は、初対面時の印象を思い出せぬまま二度目のデートに同意したのだが、東京ビッグサイトの健康博覧会を見てから東京ベイN.K.ホールで格闘技バーリ・トゥード『プライドΣ』を観戦するという池見趣味の流れにおいて、道々一歩ごとに彼の話術の巧みさと朗らかな笑い声に魅せられてゆく自分に気づいたのだった。まずい、この人だ。たぶん今までで一番の超いいモノがするるっと出たあの日のあの人だったんだ。あれで「相関関係」に気がついたんじゃないの。なんてこと、忘れてた。あたしは今このお腹のせいで心ここにあらずになってる、いつものこのパターン、この人にだけはこのままじゃいけない、あたし今ほんと相槌もろくに打ててないのにこの人ったら気を使ってそこそこのオリジナルジョークを飛ばしたりしてくれてる(「最終悲劇前兆逆説型」)、何ていい人なの、これ以上便意の障壁でこの人との間に溝を広げるのは得策じゃない、早くどこかトイレに入ってすっきりしなければ、そう本格的にG戦術放棄の場を探し始めたのはN.K.ホールを人並みに流されるようにして出たところだった。プライドΣ観戦中は、桜庭和志の膝がどうの、アレクサンダー大塚の肘がこうの、小川直也の顎がああのといった池見の熱っぽい途切れなき解説を中断するに忍びずまたアリーナ席から遥か頭上外側奥にまで登りつめねばならないトイレは遠すぎたこともあって我慢を持続していたのである。ようやく帰途東京駅八重洲口の料理屋の座敷にふたりして落ち着いたときに、美沙子は「トイレに行ってきますね」と立ったのだが――、そう、今になってみれば、この料理屋の暖簾をくぐった直後にトイレに直行せず、座敷にいったん腰を下ろしお通しが運ばれてきてしまってから立とうとしたのが姫里美沙子の運の尽きだった(「最終悲劇特異点」)。畳を摺り足で三歩移動して三和土を擬した廊下へ降りようとしたとき、美沙子の直腸内は沸騰し脈打っていた。不吉な波動。午後九時を過ぎてまだ男と付き合っていることはすっかり防御道を窮めつつあった美沙子として近年異例だったため、その時いつもならちょうど最寄駅や自宅トイレで一気大排便に雪崩れ込んでいるはずの時刻にあたっていたし、そもそも池見葦次への好感が美沙子の頑なだった心情を解かし腹筋を温かくほぐし揉み弛ませていて、さあ五分後からはこの好ましい男と心置きなくおしゃべりできるんだという期待もあいまって、実際美沙子の腸内はほとんど愉悦的なほどの逆説鳴動にわくわく踊りまくっていた。
そうした気の弛みつつ張り詰めた一瞬にありがちなとおり美沙子は、ストッキングの足で座布団の端を踏んだとたん僅かな空気層が繊維の間でスライドして滑降し、ミクロの浮遊が重なり、するっ、どーんと四つん這いになった。その刹那下半身の堰が切れ、我慢尻の緊張が崩壊して、スッブォーッンッッッ、栓を抜くような破裂音と重なってブリベリバぶりん! はっきり布の裂ける高周波とともに美沙子の双尻の間から金色に輝く紡錘形が音速で飛び出したのである。一瞬の大開脚体勢によりのびきったパンストの薄れ目裂け目をすり抜けるようにして、外気の低圧に急速にさらされ伸びきった直径五センチ・長さ三十九センチロケット弾は真っ直ぐに池見葦次の鼻に命中し、弓なりに反って鼻下から後頭部までちょうど両眼の間・鼻筋眉間頭頂沿いに黄金の鶏冠をペーッタリ形成した。生暖かい粘体に突如巻きつかれ目見開いている池見を、四つん這いのままゆっくり振り返って視野に収めた美沙子はそのままの姿勢でしばらく池見とうつろに見つめあった後、案の定最良質の黄金色だったわやっぱりいい人だったわという相関関係を大確認する暇もなくブッ、プッススゥゥゥゥーン、これはパンツおよびパンストの中央にあいたばかりの穴から超濃厚の屁を――その時ちょうど障子を開けた仲居の証言によると紋所の雲のような輪郭確かなガスがくっきり照明に映えつつ蒸気の粒々がはっきり唐草状に渦巻いていたというのだが――これも池見の顔めがけて、先のミサイルの弾道を正確になぞってたっぷり十秒間吹きつけた。美沙子は――、あ~アと正面に向き直り、もぉ~おしまいと尻上げスタイルで頬を畳に失神していたのだった。失神――古典的女子力の極致、女性的責任放棄の伝統的奥の手に逃れたわけである。異臭にくらっと立ち眩んだ仲居が池見葦次の肩に手をつき、唖然硬直していた池見をはっと目覚めさせたのであった。
その場を池見がどう始末したのかは定かでないが、美沙子が目を覚ましたのはタクシーのドアから自宅マンションの入口で池見になにやら気遣われ話しかけられてうんうん頷いている自分を見出したときだったという。そのまま一人で部屋に入って着替えも履き替えもせずバタンとベッドに眠りこけたのだったが、今日の研究では、美沙子の黄金ミサイルは、弾頭部分が強固な便秘塊になっていて、それがパンツおよびパンストの裂け目を一気に分け貫いたため後続本体の超健康バナナ便、弓なり的軟らか部分がほとんど下着に触れず、汚れも湿り気もなく快適に眠れたのであろうということになっている。ともあれこの日から美沙子は絶望のあまり三日間ベッドに横たわりつづけた。電話が鳴りつづけていたのを放置しつつ、四日目の午後に着信記録をチェックしてみると、二十三回中十七回が池見からの電話だった(残りのうち三回は無断欠勤した歯科医院から)。
停車不能の高速道路ドライブ中助手席で尿意催し大騒ぎし泣きまでした挙句失禁し床シート全面小便びたしにした女が美沙子の女子大時代の友人にいて、パンツ購入等誠実な後始末を尽くした彼氏だったがそれ以来会うのをやめたとまるで手柄話のように話していた彼女に当時美沙子は肯定的相槌だけは打ったものだが、しかし姫里美沙子は、自分の失態を相手にかぶせて関係を断つような気取り女の眷属ではないと自覚していた。そして池見があの黄金色どおりのナイスガイであったならあんなことで愛想を尽かすことはあるまいと、しかし純粋にあまりの他に例なき光景(この時点ではもちろん美沙子も誰も、あのロケット砲的排泄術が「テレポートロケットおろち」として知られる人体芸術の先駆けであることは認識していない)を展開した自覚もあったため、謝罪とお礼のどちらを先に発声すべきか迷って日が経ち、池見に電話したのはようやく職場に復帰してから一週間後だった。むろんその間、ダウン中にあれほど着信していた池見からの電話が一つもかかってこなかったのが気にはなっていた。
電話には池見葦次の妹と称する女が出た。そして、兄は一週間前に急死しましたという。「えっ?」池見の勤務先の高校に問い合わせるとその通りだと。池見葦次は「急性心不全」で死亡していたのである。むろんこの死因名は、本当の具体的死因について何も述べていないに等しい。後に焼香に訪れたおり詳しく聞くと、池見葦次は授業中に突然ひどく咳き込み始め、体を二つに折って苦悶の咳を爆裂しつづけた挙句かっと目を見開いて正面に向かって巨大な痰の塊を吐き出し、最前列の茶髪男子の顔面を直撃した後、ふた回りピルエットを踊って教壇上に倒れたという。その痰は黄金色のずっしりしたものであり、直撃された生徒は一瞬息が詰まって保健室に運ばれている。
この死に方を聞いた美沙子が、池見の死因は自分のあれにある、と直感したのは紛れもなく自然なことであったろう。ただ因果関係は見当がつかなかった。美沙子だけでなく、今日のおろち学にとってもである。美沙子は消化器系の病気を持っているわけではなかったし、そもそも池見が美沙子の黄金ミサイルを鼻もしくは口から吸引した可能性は高くない。池見が射出した痰塊は即時処分されてしまってその成分はもはや不明であり、池見の死体からは特別な菌や化学物質は検出されなかった。ただし因果関係があることは確実だろう。
しかしである。美沙子が池見に抱いた好意からして、あれは理想の良質便だったはずだ。有毒成分など含まれていたはずがない。それともこうだろうか、美沙子自身も気づいていない危険な警戒心が池見に対してわだかまっていて、糞中の該当成分が池見の命を奪ったとでもいうのだろうか。いや逆に、池見の心の方が実は陰湿暴力的ストーカーの芽を孕んでいて、それがそのまま美沙子成分として池見に跳ね返っていったのだろうか。いわば自分の生き霊に殺されたというような。真相はもはや闇の中である……。
(第8回 了)
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■ 三浦俊彦さんの本 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■