〝出来事〟はどうしようもなく、取り返しようもなく起こる。しかし緻密に分析していけば、それは〝偶然〟ではなく〝必然〟だったと考えることができる。だが本当にそうだろうか。〝出来事〟は〝偶然〟も必然〟も超えた決定的衝撃なのではあるまいか――〝「必然」と「偶然」、「此岸」と「彼岸」とが交わるパラドキシカルな時空〟ではないのか。自らの内に原罪を抱え、文学と哲学に救済を求める作家の新評論連載!
by 金魚屋編集部
⒉ 〝邂逅(出逢い)
いまさらな話だが、「偶然」とはそもそも何について言われるのだろうか。
もっぱら出来事についてだろう。
出来事とは、わたしたちにとって既知あるいは未知なる、そしていずれも他なる何かに「ばったり出くわす・出し抜けに遭遇する」という経験である。もちろん、出来事はいつも思いがけないものとは限らない。むしろ日常のたいていの出来事は、気にも留めない想定内のルーチンの一部であるかもしれない。そればかりか、想定の範囲内か外かという判断によって篩にかけられる以前の、それと意識すらされない出来事のほうが多いかもしれない。
しかし「今日もまた、何ごともなく無為な一日だったなァ」とあくびをするときにもそのひとの身の上に出来事は起こり続けている。それは必ずじぶんを含めた何ものかとの遭遇からなっている。そしてあるとき不意に出来事として浮かび上がる。大海原に浮かび上がってはじめてそこが海だったと気づく深海魚のように。
ではなぜ〝邂逅〟が「偶然」の本性なのか。これは科学や様相論理学といった「偶然」をあつかう今日の学知からは注目されることのない、と言うよりおよそ一顧だに値しない考え方かもしれない。がむしろ、多くの識者が顧みることのないこの点にこそ、九鬼が着目した画期的な性質がみてとれるのだ。
四、五年前に野暮用でロンドンに出かけたことがある。その時も愛読している小説からグレアム・グリーンの「情事の終わり」を持参した。いうまでもなくこの作家は、映画「第三の男」の原作者として、日本でも名の知られている世界的大作家である。
お読みになった方はご存じだろうが、この作品は戦争中のロンドンを背景にした一人の小説家と人妻との悲劇的な恋愛の話で彼の作品群のなかではあまり評判の良くなかったものだが、私個人は小説技術的には非常に熟達したものだと考えている。
だから私は毎夜、頁をめくりながらロンドンの地図を拡げ、彼や彼女が歩いた大通りや、二人が情事を行ったホテルのある場所、恋人への思いをたち切ろうとする人妻がたち寄った教会など――小説に出てくる場所に赤い丸をつけた。[中略]
そうやって、数日の滞在中、その細部まで暗記するほど「情事の終わり」をくりかえし読み、ミーハーのような気持ちでその舞台を丹念に歩きまわった。
明日、ロンドンを引き上げようか、と考えた日の夕暮れ、私は盛り場のピカデリー・サーカスから自分のホテルまで歩いて戻ってきた。ピカデリー・サーカスに出かけたのも、そこの一角で主人公の小説家が公衆電話を使う場面があったので、その電話の所在を確認しておきたかったからだ。[中略]
ホテルに入って、すぐエレベーターに飛びこんだ。エレベーターのなかに一人の老紳士がいて、親切にも「何階ですか」とたずねてくれた。そして私の代わりにボタンを押してくれた。礼を言って自分の階でおり、部屋に入った途端、落雷に打たれたようにアッと思った。
今の紳士の顔、見おぼえがある。あれは写真で見たグレアム・グリーンの顔だ。
(遠藤周作「万華鏡」、朝日新聞社)
ユングがこれを「シンクロニシティ」と名付け、好んで取り上げたこと、それに一世代も先駆けて九鬼が着目していたことはすでに触れた。自身だけでなく読者から寄せられたふしぎなめぐり合わせの体験談を、「人生の偶然」と題して紹介する小説家の手口と語り口は、いささか予定調和的とはいえ、どことなく椿事に巻き込まれることを、そのてんまつを積極的にたのしんでいるようにみえる。
しかし小説家に書くことをうながしたものは、めったにない出来事を好んで蒐集するコレクターだったからではなく、運命や奇跡を待ち望むカトリックの篤信家だったからでもない。互いに異なる人生の途上にある他人どうしがふしぎな縁でめぐりあう、「偶然」とはとても思えない出来事=〝邂逅〟に、生の本質をかいま見たからである。それはわたしたちがやり過ごしているつもりでいるこの日常のただ中にいつ、誰にでも起こっている。遠藤はそう言っているのだ。
いま遠藤周作を引き合いに出しながらふと思い出した筆者自身の例がある。一九九三年三月一三日のこと、もう三〇年以上前の話だ。とるに足らない出来事である。その晩、珍しく連れ合いが書斎へ入って来ると、本を読みたいと言い出した。ふだんから読書に縁があるとはとてもいえず、筆者の書棚に関心を寄せるどころか「暗くて何だか薄気味悪いわねえ、まるで幽霊部屋みたい」と嫌って近づきもしない(それはそれでいたって適切な反応ではある)のにどうした風の吹き回しだろうと、不審に思いながらも、彼女の気まぐれにつき合えそうな、軽めの本を何冊か適当に選んで机に乗せた。
しばらく迷っていたが、彼女はやがて机の上から一冊の文庫本を手に取った。それは遠藤周作の「狐狸庵閑話」だった。短いエッセイを編んだもので、いつ、どの頁から読んでも肩の凝らない、バカ笑いしながらちょっぴり考えさせる本で、悪くないかなと思って選んだのだ。
彼女は何ということもなく頁をめくると、本の最後、裏表紙をめくった頁の余白に読了した持ち主の署名と日付が記してあるのに目を止め、ちょっと考えてからつぶやいた。「今日って何日だったっけ」お互いハッと顔を見合せた二人は、同じおどろきをいままさに共有していることを認め合った。そこに記されていた日付は遡ることちょうど一四年前の同日、つまり一九七九年の三月一三日だった。
読了後に日付とサインを残した習慣は十代後半のほんの一時期、しかも気まぐれにすぎなかった。本を読むという彼女にはめったにない行動を起こした日が、たまたま選ばれた本の持ち主が昔たまたま記した日付と一致した。それだけの話だが、その本を読んだ当時まだ高校生だった筆者が、まさか一四年後の同じ日に、それを未来の伴侶が手にとって見ようとは夢にも考えなかっただろうと思ったら、少々目まいをおぼえた。
このオチには何の意味があるのだろう。もちろん意味などあろうはずもない。がそれでもあるとしたらその本の中ではなく、異なる時と時の出逢い、二人の人生の交錯といったものの中にしかないだろう。
これまた〝邂逅〟である。
九鬼はこう言っている。
偶然性の核心的意味は甲と乙との遭遇である。「我」と「汝」との邂逅である。我々は偶然を定義して「独立なる二元の邂逅」ということも出来るであろう。
(「諸相」一四九頁)
「独立なる二元の邂逅」とは、前に引用した「勝義の偶然性は二つあるいは二つ以上の因果系列の交叉点に存する(「問題」一四九頁)」という考え方と同じである。
「汝」とは、「我」に相対的な他人のことではない。こうも言っている。
原始偶然は形而上的遊戯の賽の目の一つである。原始偶然は「我」に対する原始的「汝」である。しかもその「汝」は先ず最初に「我」の中に邂逅する「汝」である。
(「諸相」一五四頁)
これは⒈―⑶ 偶然性と他者で述べた、鏡像の中の「じぶんがじぶん自身であるかぎり必ずつきまとう根源的なズレ」、つまり「じぶん」の成立と同時に、成立のためには欠かせない前提として折り込まれるような「他者」のことだろう(くり返すが、ここで「同時に」という点が重要である)。我の内なる汝、汝の内なる我――「じぶん」はそんな「二元の」世界を生きており、いうなれば二股をかけて生きることではじめて「じぶん」なのだ。
この初源の場がまとう「偶然」が〝原始偶然〟であり、それが最初の〝邂逅(出逢い)〟だと九鬼は考える。〝原始偶然〟と〝邂逅〟とは、根源においてひとしいのである。かれがこのことを「形而上的遊戯の賽の目の一つ」と呼んだのはなぜか。その理由は最終回で述べよう。
ではあらためて問おう。〝邂逅〟とは何か。
まず、それは
⒉―⑴ 十字路であり、市場、駅や港湾、ジャンクションであり、ハブ(HUB)である。
駅のプラットホームや空港では人びとのおびただしい往来がある。互いに異なる声たちであふれている。数えられない出逢いが日々そこで出来する。それまでになかった何かがひっきりなしに生じ、人びとの前後左右を横切っては去ってゆく。菌糸を張りめぐらし、四方八方に胞子を拡散しては増殖していく粘菌のように。胞子は遠く未知の土壌と出逢い、そこから市場が立ち上がり、発達し巨大化していく。思いがけない出来事や、奇遇や不意打ちをともないながら。日々そのものが〝邂逅〟という奇蹟にみちている。「ある」という果てしのない大海をただよう木片の孔から突如として首をのぞかせた亀のように。おそらく、九鬼はそう言いたいのである。
かたや、たいていの出逢いは出逢いと意識されもしない。「起きた」と意識の水面に浮上してくる出来事はもっぱら避けがたく、思うようにならないことばかりである。当事者にとって如何ともしがたい遭遇であるとき、それは必然の様相をまとい、ときに運命と呼ばれる。またそれは「そうでないこともできた」という可能性の様相を、えてして後悔や羨望や怨恨の念をともないながら、まといもする。一方に「偶然」があれば、他方には余儀のないこと、「必然」がある。
お互いに親和するもの、逆に相容れないもの、いずれでもない無縁なもの、すれ違いもかすりもしないものどうしが、「偶然」と「必然」とを引き連れながら交差し、軋轢を生じたり和したりするとき、そこに化学反応が起きる。反応は反応を呼び、当事者ばかりか、多くの人びとを巻き込むようにして連鎖反応を起こし、ときには社会全体、地球全体のうねりとなって影響をおよぼし合っていく。わたしたちの社会はそのようにして形成され、変貌と成長をとげてきた。宝くじに当たっても当たらなくても、何も起きない退屈な人生だと思っても思わなくても、化学反応はわたしたちの日々の出逢いの中にある。そこで「偶然」と「必然」とが汽水域のように交わったとき、真の変化が起きるのである。
⒉―⑵〝邂逅〟は、ことばそのものである。
異質なものどうし、異なる文脈と文脈、自己と他者、「偶然」と「必然」――それぞれの出逢いが現実化するもっとも巨大な交通空間、それがことばである。
ごく類型化して言っても、「必然」の側には、アプリオリな論理法則や文法上・語用上のルール、音韻規則、さらにはネイティブにしか解せない語感レベルの暗黙の判断、共通感覚、等々が折り畳まれてあるだろう。
他方「偶然」の側は、表現と意味との乖離、慣用からの逸脱、単独あるいは複数の語が意想外に結びつく連想、意図せずに生まれた表現、言い間違い、吃音、冗語、ことば遊び……それらが「必然」の中にまぎれて数知れず散らばっているだろう。
けれどいくら分類整理しようとも、いざ実践の場となれば「必然」だか「偶然」だか判然としない混然一体とした状態が同居していることがもっぱらだろう。ことばとことばが出逢って深く交わるほどに、あらたな表現と価値という泉が湧き出てくるこの発生と創造の場、とりわけ文学の創作行為では「これはこのように表現されなくてはならない(=必然)」ことと「これまでにない表現をふと思いついた(=偶然)」こととのあいだに、画然とした線引きをおこなうことにはもはや意味がないだろう。
シュメール文字やエジプト文字や漢字のような表意文字では、事物と字柄との間に意味の類縁性が認められる。対して欧米語のような表音文字だと、文字と音の間の結びつきに厳格さが求められ、結果、韻律の醸成が著しい。ストレスとリズムにメリハリのある英米語において詩は、まず音読されるべきものだろう。仏人にとって、リエゾンやアンシェヌマンを多用する母語の音よりうつくしいひびきをもった言語はあるまい。かたやベル・カント唱法を生んだイタリア語は、しばしば母音で終わるため伸びのある歌声に乗せやすい。いかにもオペラが発達した国を思わせる。
表音文字をもつ各国語と比べて、日本語は押韻に適していないのではないか。そう主張する諸家も多かった。それに対して九鬼は、とんでもない、いにしえより日本の詩歌では音韻上の関係がことさら重視されてきたではないかと反論した。
私は押韻の採用を日本詩にとつて不可能だと斷言することに反對する。私が押韻發達の可能を信ずる積極的の理由は、音韻上の關係が古來日本の詩歌にあつて極めて重要視されてゐる事實に基いてゐる。一般に日本の詩歌に頭韻の採用が顯著であることは周知の事實である。記紀の歌や『萬葉集』には特に著しい。
(『全集』第四巻「日本詩の押韻」)
これは筆者の勝手な想像にすぎないが、もし原・日本語といいうるものが実在したとしたら、その実体は音韻の中にあったのではないかと思っている。
〝邂逅〟の歴史そのものと言っていいのが日本語だろう。日本語には、話されたりうたわれたりすることばとの類縁性や相互関係を示すはずの表意文字や表音文字にあたる文字が、端から無かった。しかしだからこそ中国の漢語との出逢いから、これを読み訓すというおどろくべきアイディアを生み出した。かてて加えて、漢字をもとにひらかなとカタカナという二種類の文字まであらたに編み出し、このあと述べる音形式を中心にして、都合三つのそれぞれ由来の異なる文字を臨機応変に使い分けるに至ったのである。しかし肝心なことは、文字の形態は今日の「絵文字」に至るまでさまざまに変化しようとも、音韻の本質はほとんど変わっていないということである。言いかえると日本語の文字形態は、表意文字でも表音文字でもない、「憑音」文字(文字に音が憑いたもの)というべきなのである。
したがって日本語と中国語や西洋諸語との間には、なんら本質的な関係はない。日本語は漢語であったことも欧米語であったこともない。つねに日本語であり続けたのである。これは明治の言文一致運動をはじめとする激動の時代においても、敗戦から八十年を経た今日に至ってもなお残る英米語との奇妙でいびつな関係においても――「サラリーマン」「OL」「ハンバーグ」のような和製英語、「サボる」「コピる」といった五段活用化等々、〝ガイジン〟には意味不明な折衷語は枚挙にいとまない――あるいはかつて大岡昇平が戦後の悪制と憤った現代かなづかいに関しても、ついに変わることはなかった。志賀直哉は苛立ちのあまり、敗戦を機に国語を日本語から仏語に代えてしまえと言ったが、まんざら暴言ともいい切れない事情がこのあたりにある。
日本語のこのふしぎさは古来より異国・異文化との交流をつうじてはじめて、自らを日本語として生成発展させてきたという事情だけでは説明がつかない。日本語の正体は今日に至るまで謎である。というより、およそ正体などないのかもしれない。ただこれだけは言える。くり返すが、いくら文字が改まり流行語が浮沈し話しことばのイントネーションが時にうつろおうと、一貫して変わることのなかったものがある。それが音韻である、と。
その典型が和歌や俳句である。さっき語ったように、実体があるといえるものは五七五七七や五七五あるいは七五調、五七調といった音形式・リズム(くり返し)・季語といった「器」だけで、その中身はどうでもいいとまで極言するつもりはないが、「器」に乗りさえすれば、老若男女、玄人も素人もみな同じ世界に参入し共有できるコミュニティをいまなお形成しているという意味で、これこそ日本人の偉大な発明ではなかろうか。
理髪師は
蟹のごと鋏を持ちて日々の米代稼ぐ我は理髪師
料理人は
おのづから心はずみてわが作るこれの料理は蓋し美味からむ
といふやうに、各人が自己の生活を直ちに藝術意識に高めるといふことは、日本以外の國では餘り見られないことである。日本人は悉く詩人だと云はれるのも道理がある。しかし、日本人がすべて詩人だから歌を作るのか、短歌といふものがあるから日本人がおのづから詩人になるのか、その點は必ずしも明らかでない。
(『全集』第四巻「藝術と生活の融合」)
「あをによし」「ちはやぶる」といった枕詞など、もともとは実体があったのだろうし、「しろたへの」のように意味の連続性が残っていることばもあるが、もはや「死語」というほかなくなったことばが、なぜ歌のなかに入り込むといまもなおオーラを発しているようにみえるのか。
赤らひく 朝ゆく君を
さ蠅なす 騒ぐ舎人は
玉かづら 絶ゆることなく
九鬼はこの歌を、意味上の必然的関係と音韻上の偶然的関係の結合したものだと言っているが、かれに言わせると、
およそ枕詞とは何等か顕著な関係によって二句の連結が完全に行はれ、その結果つひに連結作用が習慣的機械的になつたものである。その機械的形骸の法則性のうちには、過去における特に鮮やかな意識の動きを窺ふことが出来る。
(『全集』第四巻「日本詩の押韻」)
「過去における特に鮮やかな意識の動き」というとき、かれは意味を喪って「形骸」となった歌(器)の中になお宿り続けるいにしえの日本人の「たましひ」に「出逢って」いるのである。
根っから音楽のひとである九鬼は、日本語において音によることばの結びつきがどれほど重んじられるべきかを再三強調している。
日本詩の押韻などを口にするのは、時代錯誤をしてゐると考へられるかも知れない。しかし、私は日本詩押韻の問題を死んだ過去の問題とは決して思はない。行き詰つてゐる現時の日本詩壇に新しい道を切り開く力を有つてゐるものの一つは押韻の問題ではないかとさへも考へるのである。
(同)
たとえば在原行平のよく知られた歌、
立別れいなばの山の嶺に生ふるまつ(松、待)とし聞かばいま歸りこむ
を挙げて、
掛詞として用ひられる語が獨立した韻として用ひられてゐる場合があるのは、掛詞の本質を開明してゐるものである。掛詞は謂はば止揚された韻である。」
(同)
かれが若かりし頃から晩年に至るまでほぼ生涯をかけて打ち込んだと言っていいのが音韻論だった。それは、日本語の正体なき正体をそこに象ろうとした九鬼流の詩学のこころみであった。
律と韻とは詩の音樂的様相である。音樂が心のおのづからな流れとして世界的の言葉であると同様の意味で、詩の形態も世界的の言葉である。民族の特殊性は各〃の國語に特殊的規定を與へて、詩の音樂的様相を更に様相化するのである。いつたい眞に押韻の美を、その日本性と世界性とに於て、味得するには「とらへたき聲ばかり見る葦間かな」といふやうな、音に對する切な憧憬を有たなければならない。また天體の運行に宇宙の音樂を聽いた靈敏な心耳と、衣ずれの微韻にも人知れず陶酔を投げる尖鋭な感覺とを有たなければならない。しかし押韻によって開かれる言語の音樂的寶庫は無盡藏である。韻の世界は拘束の彼岸に夢のやうに美しく浮んでゐる偶然と自由との境地である。[中略] わが國の詩人は、自己に委託された國語の音樂的可能性を發揮させて詩の純粹な領域を建設することを、自分の使命の一つと考へなくてはならない。
(同)
ここには哲学者・九鬼周造ではなく、文人・九鬼周造がいる。詩を音楽的たわむれと考えていた九鬼にとってそれは「拘束の彼岸に夢のやうに美しく浮んでゐる偶然と自由との境地」であり、そこにかれは日本語の正体なき正体を見出したのだった。
ポオル・ヴァレリイは詩は「言語の運の純粹な體系」であると云ひ、また韻律の有する「哲學的の美」を説いてゐる。彼が「純粹」といひ「哲學的」といふのは言語の偶然的關係に基づく構成的遊戲を指してゐるのである。いはゆる偶然に對して一種の哲學的驚異を感じ得ない者は、押韻の美を味得することは出來ないであらう。浮世の戀の不思議な運命に前世で一體であつた姿を想起しようとする形而上的要求に理解を有たない者は、押韻の本質を、その深みに於て、會得することは出來ないと云つてもよい。押韻の遊戲は詩を自由藝術の自由性にまで高めると共に、人間存在の實存性を言語に附與し、邂逅の瞬間において離接肢の多義性に一義的決定を齎すものである。
(同)
音韻、つまり音楽である。かれがどれほど音楽に傾倒していたかはこの後に示すが、ことばと血を分けた兄弟姉妹が音楽である。創り手にとってであれ聴き手にとってであれ、異なる音と音との、あるいは音と耳との交わりによって生まれる音楽こそ〝邂逅〟と言わずして何と言おう。曲作りや演奏に身も心も没入しているとき、あるいは音楽と耳をひとつにしているときほど精神の「自由」をまざまざと実感する瞬間はない。そして、すぐれた曲や演奏になればなるほどこれ以上の、そしてこれ以外の表現はもはやありえまいという必然性を強く感じさせるものはない。「拘束の彼岸に夢のやうに美しく浮んでゐる偶然と自由との境地」にあって、「偶然」と「必然」とは、垣根を越えて手を握り合っている。
かれがその音韻論で追求しようと考えていたのは、おそらく日本語のもつ本質力だった。本質力とは何か。
いつだったか鮎川信夫に、きみなら三好達治の「雪」という詩をどう解釈するか、ときかれたことがあった。こういうときの鮎川信夫は、これこれの理由できみの意見をききたい、というようなことを決していわない。[中略]
雪
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。
たしかにこう応えたようにおぼえている。この詩は、「雪」が幼い男の子も、もっと幼い男の子も、それぞれの屋根で眠らせてしまった。夜更けに、「雪」は幽かな音をたてながら、降りつづけている。雪に響きなどないのかもしれないが、無声の音が、さらさらと聴えてくるようにおもわれる。この雪の聴えない響きは「眠らせ」という能動的な表現が全体に作用をおよぼしているところからきている。これが、つかまえられたら、この詩は、それでいいのではないか。鮎川信夫は、俳人はそう解釈しないらしいといって、たしか石原八束の名をあげた。〈母親〉が、男の子を寝かしつけ、その家の屋根に雪が降りつづけている。また別の屋根の下でもおなじように、幼い男の子を寝かしつけている。子供たちを寝かしつけたあと、〈母親〉の屋根に、雪は降りつづけている、そんなことになるらしい。この解釈では、太郎や次郎を眠らせるのは三好達治のなかに生きつづけている幼児の〈母〉のイメージだ、ということだった。[中略] の現代詩の体験では、「太郎」や「次郎」を眠らせるのが「雪」であっても、暗喩として、かくべつおかしいと感じられない。そこで、解釈が分かれるのかもしれない。
(吉本隆明「初期歌謡論」)
「無声の音が、さらさらと聴えてくるようにおもわれる。この雪の聴えない響き」と吉本に語らせているその力が、日本語ということばの本質力である。「眠らせ」という強度の高い表現もさることながら、力の源泉は特定の語法・語用というより、詩句の内包している「律動」にある。三好達治のこの詩の場合には、七五調の音を基調にした、くり返しと転調である。くり返しと言ったが、この詩は是非とも二行で反復表現されなくてはならない。三行や四行ではダメなのだ。またタテ列に続けて表記するのではなく、改行して右にならえでヨコ並びになっていなくてはならない。さらに「太郎」という、日本人にとって一般名詞と言っていいほど馴染みのある固有名をくり返し行で「次郎」に置き換えることによって「幼な子」たちの姿が普遍化するとともに、「イチ・ニイ」という律動が生まれる。こうして、幼な子たちの棲む北国の家という家を包み込むような降雪の「無声の音が、さらさらと聴えてくる」のだ。これが転調である。この詩に作者の内なる〈母〉のイメージまで読み取る必要などあるまい。俳人の解釈が正しくても誤りでも、詩句の本質に何ら影響はない。それが「現代詩の体験」の渦中にいた鮎川や吉本こそ感受しえた、ことばの本質力である。
九鬼が日本語の音韻に見て取ろうとしていたのも、これと同様だった。それは音楽のもつ力にひとしい。
さっき、ことばと音楽を兄弟姉妹にたとえたが、誤解されないようつけ加えておきたい。ことばのもつ音韻性と音楽とが縁あって出逢い、コラボレーションした末に歌が生まれたなどという、つまらぬ話を筆者はしているのではない。なるほど歌は人びとの尽きることのない思いをことば(詞)に乗せて、はるか遠くの向こう岸の人びとへ届ける舟である。だが音楽は一方で、わたしたちが思うよりはるかに畏怖すべき魔性を蔵している。ことばと音楽とはじつはトレードオフの関係にある。詩と音楽だけが、その本質力において出自を共有しているのだ。そのことがわかっている人はすくない。だが九鬼には直感的にわかっていた。かれをただのディレッタントと思ってはならない。
ある秋の夜、作家の林芙美子と独文学者の成瀬無極の二人が京都の九鬼邸を訪れたときのことだった。
何かの拍子に女史が小唄が好きだと云つたので、小唄のレコードをかけて三人で聽いた。
「小唄を聽いてゐるとなんにもどうでもかまはないといふ氣になつてしまふ」
と女史が云つた。私はその言葉に心の底から共鳴して、
「私もほんとうにそのとほりに思ふ。かういふものを聽くとなにもどうでもよくなる」
と云つた。すると無極氏は喜びを滿面にあらはして、
「今まであなたはさういふことを云はなかつたではないか」
と私を詰るやうに云つた。その瞬間に三人とも一緒に瞼を熱くして三人の眼から涙がにじみ出たのを私は感じた。[中略] 無極氏は、
「我々がふだん苦にしてゐることなどはみんなつまらないことばかりなのだ」
と云つて感慨を押へ切れないやうに、立つて部屋の中をぐるぐる歩き出した。林さんは黙つてじつと下を向いてゐた。私はここにゐる三人はみな無の深淵の上に壊れ易い假小屋を建てて住んでゐる人間たちなのだと感じた。
私は端唄や小唄を聞くと全人格を根柢から震撼するとでもいふやうな迫力を感じることが多い。肉聲で聽く場合には色々の煩わしさが伴つて却つてかえって心の沈濳が妨げられることがあるが、レコードは旋律だけの純粋な領域をつくつてくれるのでその中へ魂が丸裸で飛び込むことができる。私は端唄や小唄を聽いてゐると、自分に屬して價値あるやうに思はれてゐたあれだのこれだのを悉く失ってもいささかも惜しくないという氣持になる。ただ情感の世界にだけ住みたいといふ氣持になる。
(『全集』第五巻「小唄のレコード」)
「生の肉声で聽く場合」と「レコード」の場合とが比較されている。今日でいえば「ライヴ・コンサート派」と「スタジオ録音・オーディオ派」のどちらが優位かという、延々と続いて終わらない議論である。一方の肩だけを持つつもりはないが、筆者には九鬼の気持ちがよくわかる。さながら足場もない山上にごった返す登山客に混じって満天の星を見るか、平日の昼下がり、ひとりプラネタリウムで見るかの違いにも似ている。ふつうはリアルそのものである前者のほうが臨場感といい入力されてくる情報量といい圧倒的であるはずだが、生で味わおうとすると避けられない夾雑音や他人の存在といった妨げが後者では捨象されるのみならず、対象の放つイデーの力が直かに伝わることがすくなくないからである。
それはともかく、五十三年という今日からみれば若すぎる生涯をかけて九鬼周造という人物がこころから表現したかったことがこのエッセイには示されている。かれが哲学という学問をつうじて探求し続けたものは、あるときは「いき」だったり「実存」だったり、またあるときは「時間」だったり「偶然性」だったり「音韻」だったりしたが、それらの多くは人間についての学、人間の実存の学へと収斂するものだった。たんなる嗜みの域を越えて耽溺し続けた文芸の世界も、そこへ合流するための支流のひとつだった。
しかしそれら絶えざる研鑽と学びは、ひとえに「全人格を根柢から震撼」させるこの一刹那のために、「魂が丸裸で飛び込む」ために、もっと言えば人間世界を超え出たなにかに触れるために――「此岸」と「彼岸」の〝邂逅〟を語るためにこそ――あったのだ。大げさでも何でもない。それに値するのが音楽だからだ。音楽のもつ真に天的な、あるいはデモーニッシュな力は、それに目覚めた者にとって他に比肩しうるものなどない。だから「自分に屬して價値あるやうに思はれてゐたあれだのこれだのを悉く失ってもいささかも惜しくないという氣持になる」のだ。その力の源泉は、ひとがことばという世界の苗床、大地を得ることによって人間となった代償として喪われ、いまも人びとのこころの潭底に沈んだきりついに浮かび上がることのない初源の記憶なのである。九鬼が飽きるほどくり返し語った〝原始偶然〟ということばは、じつはそれへの「あくがれ」の表白であるとともに、そこへと遡行しようと願って編みだしたかれ流の言霊の一つだった。筆者にはそう思えてならない。
とは言いながら〝邂逅〟のもっとも核心的な意味は、次にある。
萩野篤人
(第05回)
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*『九鬼周造と「偶然性」をめぐって』は23日にアップされます。
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