母親の様子がおかしい。これがいわゆる認知症というやつなのか。母親だけじゃない、父親も年老いた。若い頃のキツイ物言いがさらに先鋭化している。崩れそうな積木のような危うさ。それを支えるのは還暦近いオレしかいない・・・。「津久井やまゆり園」事件を論じた『アブラハムの末裔』で金魚屋新人賞を受賞した作家による苦しくも切ない介護小説。
by 金魚屋編集部
二十七.
鎌倉市内にPという、病院に隣接した介護老人保健施設がある。
隔週ごと、一週間のステイが終わるとワゴン車で車イスに乗ったまま送られてくるたびに、まるきり魂が抜けてしまったような姿で車イスから転げ落ちんばかりに前屈している。「頑張ったね。お疲れさま」心にもないことを言ってベッドへ寝かせるとたちまち爆睡する。
これに比べて、月二回のデイサービスは日帰りだからまだ余力があるらしい。夕方帰宅してベッドへ連れて行こうとすると、玄関を上がった廊下のすぐ真正面にあるモルタルの白い壁に向かって、手すりをイヌワシのようにがしっと掴む。車イスから立ち上がる練習をはじめるのだ。リハビリのときに他の元気な老人たちの姿を見て、オレもまだまだやるゾと刺激を受けてくるのだろうか。けっこうなことだが、もはや腰を浮かせるほどの筋力さえなく、懸垂の真似ごとでもするように上半身を前後へわずかに傾けるのがせいぜいだ。しかもひとたび手すりを握りしめるとアロンアルフアでくっつけられたようにいつまでも手を離さない。「もう疲れたでしょ、お茶でも飲んで休もうよ」と言っても耳を貸さない。だいたいぼくにはしばらく口をきいたことがない。ところが陽が落ちてヘルパーが訪れ「お父さーん。そんなとこで何してるの。ごはんよ」と声をかけられると、ロックが解除されたように手を離し、大人しくキッチンへ連れていかれる。あっそ。オレのいうことだけ聞かねえんだな。放っておくか。車イスは車輪を固定してある。懸垂なんてしている拍子にバランスを崩し転倒する可能性は、筋力の衰えたいまの父親にはまずないと言っていい。ぼくは家事の続きをはじめる。
疲れ果てて早々に眠ってくれるのはいいが、そんなときには早くも夜の九時頃からモゾモゾガタガタギシギシギシとベッドの上がにぎやかになる。そして胸元のホックを執拗にかまい続ける。そのうちオムツのなかへ放尿するといっとき静かになるが、しばらくするとまたベッドがギシギシ音を立てはじめる。そういえば、ステイから戻ってきた一週間分の衣服は四〇ℓのポリ袋ふた袋に入れられ口が結いてあって、袋の真ん中には「汚染」とマジックペンで書かれた貼り紙がしてあった。大小便で汚れた衣類をそう呼ぶらしい。オムツは使い捨てだし、夜間用の着衣はすべてレンタルだ。持参した二週間分のシャツやズボンやトレーナーを身に着けるのは日中の活動時間だけである。それが汚れるということは、父親は昼間も寝かせたまま放ったらかし状態、ベッドでオムツを外し大小便を垂れ流していることになる。誰かトイレへ連れて行ったり、オムツをしてくれるひとはいないのだろうか。夜は「良眠されています。」だって? だったらなぜこれほどの尽瘁状態で戻ってくるのか。この施設ではいったい誰が何を看ているのだ。だいたい人様の衣服を「汚染」とは何だ。
こんな状態にありながら毎日何を思って生きているのだろう。じぶんが同じ状態に置かれたら、と思わないときはない。人間の置かれている状態といえるのか。なのにこのひとはわずかでも分別をたもちながら耐えているのか、それともまったくわけがわからなくなっているのか。わからなくなっているから認知症と呼ぶのだろうし、耐えるも耐えないもないかもしれないけれど、本人はウーともアーとも言ってくれないから察しようがない。こちらから声をかけなければ、眼差しを向けることもない。何かを訴えるでもない。腹が減ったとも喉が渇いたとも言わない。食事を出してみて食えばまだ生きようとしているが、飲んだり食ったりしなくなればぼちぼちお迎え、判断指標はそれくらいしかない。
歯周病のため以前から悪かった下の前歯の残りがグラグラと根から浮きあがり、入れ歯がはまらなくなった。触られるたびに「いたァーい」と小さな子どものように叫ぶ。訪問歯科医を頼んだら感心するほど手際よく麻酔注射を打ち抜歯してもらったものの、これがきっかけになったか食は細り、固形物もいっさい口にしなくなって、主食はお粥とスープ、ハイカロリーゼリーに替わった。手に乗せてやったお椀から自らスプーンで掬おうとするのはいいが、口へ持っていくまでにポタポタとこぼれてしまう。割り込んでスプーンを持ってやろうとすると「ウウー」と怒って拒むところはまだ父親の片鱗が残っている。本人の動きに合わせて気づかれないよう下からさりげなくスプーンを支えてやる。隔週に一度、看護師が来てつまった便を摘まみ出す。「ちょっとガマンしてねー」と言われてもただでさえ夢うつつで状況を理解していない本人は、いきなり肛門から指を突っ込まれ「ウワァァーっ」と悲鳴を上げる。反応らしい反応といったらそれくらいである。手を伸ばせば届くほどの空間に、薄皮に包まれやせ細りはしたもののまだ温もりも重みもある肉塊を隔てたその内側に、想像を絶する世界が宿っている。これはいったい何なのだ。
そんな父親でも、ヘルパーや看護師たちが世話を終えて帰るまぎわ「お父さん、またね。ゆっくり休んでねー」と耳元で声をかけられると、たまに眼をうっすら開けて「ありがとう」「またひとつよろしく」などと返すことがある。彼女たちはビックリして「お父さんって全部わかってるのかしら」「……いいひとなんですわね」「カワイイ」なんて口走る。ボケてもひと誑しは変わらない。
介護用のつなぎ服を昼夜着せている。ありていにいえば拘束衣である。もちろん手足は自由に動かすことができる。けれど服を脱がないかぎり首から下のじぶんの身体には直接触れることができない。一着八千円もするこの服を二着買って、代わる代わる用いている。洗濯した後、雨の日や夜間はいつも二階にある渡り廊下と六畳の洋間を隔てる框に吊るしておく。すぐ下には階段があり、踊り場があってその上に南向きの出窓がある。そこがいちばん風通しが良く、乾きが早いのだ。
ぼくはトイレへ行くとき、必ず二階のトイレを利用する。一階のトイレは父親とぼくがいる和室のすぐ隣で、扉を外してあるから流す音が筒抜けになる。だからわざわざ二階へ上って用を足すのだ。いくらわけがわからなくなっている父親でも、このガキ、オレにはガミガミと大声でわめき散らすくせに、じぶんだけは好きに放尿しおっていったい何様だ、と思われるのがイヤだからだ。ところがどっこい、服が見ている。深夜トイレへの階段を上っていくと、ぶら下げたつなぎ服が闇の中から白く浮かび上がって首を吊った遺体のように微かに揺れている。ぎょっとする。そいつは語りかけてきた。このままお前の親父が死ねば、お前がいつも目にしているこのオレを死んでも忘れることはできまい。お前がじぶんの親にどんな感情を抱き、どうふるまおうと、生きているかぎりお前はオレに頼らざるをえない。ナニ本意じゃないだと? 本意であろうとなかろうとオレの知ったことじゃない。言っとくがオレはお前の幻なんかじゃないぜ。お前の棲む現実世界の下部構造そのものなんだからな。オレを着ているのはお前なんだからな。
二十八.
もう九月だった。
エアコンが終日低く唸り続ける部屋の中にいてもなお、ガラス越しに庭の虫の音がはっきり聴こえてくる。昨夜は台風の影響で夜通し南風が吹き荒れていた。すき間風が肌をかすめると心が騒ぎ、様子を見たくなって玄関から外へ出たら、いきなり虫たちの大合唱に迎えられる。風は生暖かくべったりして、海の臭いを連れてくる。伸ばせば手が届きそうな夜空を白と黒のちぎれ雲が急ぎ足で流れていく。間からときおり月が覗くその光景が何ともすさまじく、囚われとなったぼくは感官の髄のさらに髄まで串刺しになって、そこから青っぽい漿液が流れ出してくるように感じる。ぼくはいまどこにいるんだろう。これは何なのだろう。視つめていると全身が漿液になってあの光のなかへすうっと吸い上げられそうになる。
その前夜、これも台風接近の影響なのか、小さな羽虫の大群が家の中へ侵入してきたことも偶然とは思えなかった。台所で洗い物をしていて目を離した黄昏時のほんのつかの間のことだった。玄関から入って右手、二人の寝起きしている和室へと続く廊下の白い壁面いっぱいに、何千という小さな羽虫が黒塗りの巨きな世界地図のようにへばりついている。まさか。居室をのぞいたらすでに遅かった。蛍光灯の真下にある父親とぼくの布団は、灰をかぶったように虫で覆い尽くされていた。父親は気づかずに眠っていたが、顔の周りは羽虫だらけだった。あわてて掃除機を引っぱり出してくると、いきなり目を覚まされて何が起きたかと怪訝顔の父親に「んー気にしないで」と言って、片っ端から吸い取っては叩き、叩いてはまた吸い取った。不気味なのはどこからこれほどの数の虫が入ってきたかである。エアコンをかけているため居室のサッシ窓は閉め切っており、さらに廊下を隔てた内側は障子窓が部屋を遮っている。他の部屋の網戸とサッシのわずかな隙間から入ったにしても、ほんの数分のできごとである。まるで壁や空中から何かの拍子に沸き出して来た霊的いきもののようだった。
偶然と思えないのは、それから遡って五月二二日の夜に起きたちょっとした騒動がいまも眼に焼きついて離れず、虫たちの出現がこのときの騒動を模倣し再現するように思えたからだ。
父親がまだ入院中のことである。
ゴキブリ駆除のため、プロの業者を呼んだのだ。
相応の金を払ってもかまわない。ガマンの限界だった。この家に住むようになって三か月、姿を一匹も見ないですむ日は一日とてなかった。
その間、手を拱いていたわけではない。かれらの生態や対処法をネットや本で調べまくり、広い家の隅々までチェックし、排水溝から窓枠まで、出入口になりそうな隙間という隙間をことごとく塞いだ。ヤツらのエサや棲み処となりそうなものは、食べカスにいたるまで片づけ廃棄した。殺虫剤ひとつとってもスプレー型、ホウ酸団子型、粘着型、忌避型さらには食器用洗剤やら木酢液やら一般消費者に入手可能なものは片っ端から買い込んできてはこころみた。キッチン棚の下の扉を開けると、昆布だしや削り節に混じって干からびたトウガラシの実が枝ごと大量に見つかった。亡母も手を焼いていたのだ。こうして冷蔵庫と壁のあいだに山積みになった買い物用レジ袋の中から、二階への階段の裏スペースに作られた倉庫の段ボール箱の中から、それぞれ根城と化していた巣を発見して潰し、スイカの種を横に膨らませたような黒い卵と、孵ったばかりのゴマ塩のような幼虫に至るまでまさにシラミ潰しに潰した。その数、数百匹は下らなかった。一匹見たら百匹いると思えと言われるが、まったくその通りだった。
ところがだ。
一向に減らないのである。この家はどうなってるんだ。へっへっへ、やってみなよ。俺たちはいくらだっているんだからな。お望みならどこからでも湧いてきてやるぜ。何しろだだっ広いお前ん家のありとあらゆるところにオレたちの卵を仕掛けてあるんだ。時限爆弾のようにね。ほう、お前いまキッチンの引き出しの中に二つ見つけたな。カーテンの裏側に一つ、急須の注ぎ口の中に一つか。フフまだ序の口さ。せいぜいもっと見つけてごらんよ。いくら頑張ったってお前の負けさ……ぼくをせせら笑うように這い回る奴らの姿を見て、もうダメだと思った。
駆除業者から若者が二名派遣されて来た。ともに二十代だろう。まだあどけなさが残る顔つきだ。偏見と言われそうだが、3Kの典型としか思えないこんな仕事を選ぶ若者もいるんだなと感心した。家庭の事情を抱えているのだろうか、それとも人のやりたがらない仕事に生きがいを感じるタイプなのか。一軒家のばあい、通常二、三時間もあれば終わるという。二人はまず方針と進め方を説明すると、ライトとスプレーと白っぽい練り物を手に一部屋ずつ念入りに調べ出した。一気に根絶するのはさすがに難しい。ゴキブリには通り道があって、そこに餌を仕掛ける。喰らった奴が死ぬと、そいつの糞や死骸を喰らった奴がドミノ倒しのように次々と死んでいく。これが基本戦略で、餌の調合方法や仕掛け方に業者それぞれのノウハウがあるらしい。
二人は家の中を丹念に調べ終えると、不審に感じる場所が一箇所あると言った。それは台所の食器洗い機だった。家を建てた当初からシステムキッチンと一体になっているもので、以前ぼくが扉を開けたら、いきなり干からびた黒い奴が一匹転がり出て来たものだから、注水口と排水口を密封してこれでもう大丈夫と思っていた。とんでもない、ぼくが甘かった。奴らのほんとうの根城はそこにあったのだ。もっとも扉を開けた食洗機の中ではない。そこは何度も見ている。いないことには確信を持っていた。そうではなく、扉それ自体の内部に、重くて分厚い鉄板に守られた扉の中のわずか幅五センチにも満たない狭い空間にあったのだ。そこは何十ものネジで頑丈に念入りに留められてあった。思い起こせば、ここを通るたびゴキブリの糞に特有のニオイがぷーんとしていたのに、そこまではわからなかった。
「これ、こじ開けてもいいスか。ひょっとしたら壊してしまうかもしれませんけど。じぶんらのカンでは、これヤバイっすよ」
ぼくは予感にゾクッと身震いした。
「かまわない。やってくれ」
捻子と蝶番を外し、ブレーカーを落とし電源ケーブルを切断し、外れない箇所はペンチでこじ開けた。若者の一人は電気工事士の資格を持っていた。こんなところで役に立つとは思いませんでしたよと軽口を叩く余裕があったのは、そこまでだった。縦横五〇センチ四方、厚み三センチほどの狭い空間には、食洗機をコントロールする弁当箱ほどの大きさの基盤が入っていた。たとえようもない悪臭がたちまち台所じゅうに広がった。見るもおぞましい光景だった。基盤は溶けていた。腐食してドロドロになった基盤を中心に、扉の内部のわずかな空間をゴキブリの黒い排泄物が堆く埋め尽くしていた。そのなかに、豆粒ほどのクロゴキブリの卵と数千は下らないだろう、米粒大の幼虫とが埋め込まれ蠢いていた。ぼくは絶句した。プロである若者二人もさすがにおどろいて、
「ここまでのは一般家庭ではじめてですワ。飲食街でも滅多に見ませんね」
作業をはじめたのが夜の六時、終わったのが一〇時半。通常ならかかったとしても二、三時間のところ四時間半を要した。駆除費税込ン万円也。食洗機一台を潰したが、家主である父と亡母もこれを見たらきっと許してくれることだろう。黒く蕩けて腐った基盤はかれらの記念(?)に持ち帰ってもらった。こんな状態でよく作動していたものだ。それどころかショートするか漏電して火事にならなくてよかった。この後、ブレーカーを誤って上げたりしないようビニールテープで止め、その上に「触るべからず」とマジックペンで書いた。食洗機はくくり付けなので粗大ゴミに出すわけにもいかず、中に消毒剤をたっぷりと注入してもらったうえ、ガムテープでぐるぐる巻きにして永久封印したのだった。
(第11回 了)
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*『春の墓標』は23日にアップされます。
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