女優、そして劇団主宰でもある大畑ゆかり。劇団四季の研究生からスタートした彼女の青春は、とても濃密で尚且つスピーディー。浅利慶太、越路吹雪、夏目雅子らとの交流が人生に輪郭と彩りを与えていく。
やがて舞台からテレビへと活躍の場を移す彼女の七転び、否、八起きを辻原登奨励小説賞受賞作家・寅間心閑が Write Up。今を喘ぐ若者は勿論、昭和→ 平成→ 令和 を生き抜く「元」若者にも捧げる青春譚。
by 文学金魚編集部
当然のことながら、役者としての自分の仕事に変わりはない。四季で培った能力を、舞台の上ではなくカメラの前で発揮する。それだけだ。
前回の『野々村』でドラマ撮影がどういうものなのか、その流れや概要は一通り経験しているので、少しは余裕を持って臨めると思う。
大きな変化といえば、赤坂だけでなく、前の年に完成した横浜の「緑山スタジオ」も使用するようになったこと。四季を辞めるにあたり、初台から祖師ヶ谷大蔵へ引っ越していた為、そこまで時間はかからなかったが、少々起きる時間は早くなる。もちろん帰る時間も遅くなるけれど、その理由はスタジオの場所のせいばかりではなかった。
「お疲れ様です!」
その日の撮影が終わり、共演者やスタッフさんに向けて頭を下げる。時間は午後八時十分。予想よりも少し早く終わった。明日の撮影開始も早くないので、帰ってからいつもよりゆっくりできるかな……。そんな予想をしながらスタジオを出ようとした時、声が聞こえる。
「じゃあ、ちょっとみんなで軽く食べていこうか」
堺正章さんの声だ。間髪入れず「ハーイ」という返事が周囲から聞こえた。その声の調子を聞けば、共演者もスタッフも喜んでいることが分かる。
どうしよう、とおチビちゃんは考え始めたが、すぐに振り返り笑顔で頭を下げた。明日ちょっと早くて、なんてすぐにバレる嘘をついても仕方ない。一昨日の誘いも断っているし、今日は付き合っておいた方が多分ベター。そう判断した。
ちなみに一昨日、撮影が終わった後に号令をかけたのは津川雅彦さん。この現場の座長役は堺さんだが、年長者である津川さんの存在感も大きい。二人とも役者の父親を持ち、子役としてデビュー。堺さんが三十六歳、津川さんが四十二歳。両者共に油が乗っていてお酒が好きだから、撮影が終わるとさっきのように声がかかる。本音を言えば、おチビちゃん、あまり乗り気ではない。理由はいくつかあるが上位三位(順不同)を挙げてみると――。
まずお酒が飲めない。夏目雅子さんとのコマーシャルがなくなった夜、ビアガーデンで打ちひしがれながらもノンアルコールだったほどだ。
そして酒と同じくらい、酔っ払いが苦手。好きな人はそうそういないだろうから、理由を挙げる必要はないと思う。
最後の理由は、四季出身だから。これには理由が必要だ。『ひめゆりの塔』の沖縄ロケで今井監督から歌をリクエストされたように、「四季出身」というキャリアは人々に何かを期待させてしまうらしい。
実は『野々村』の最後の打ち上げの時も、似たようなことがあった。会場のディスコでみんなが盛り上がる中、ダンスをリクエストされてしまったのだ。今まで力を合わせてきた共演者やスタッフさんの歓声を聞きながら、さすがにこれは断れないなと思いおチビちゃんは引き受けた。
煽り気味の拍手を受けながら身体を動かした瞬間、自分めがけてスポットライトが一閃。何と撮影中、色々と親切にしてくれた照明さんがライトを操っていた。その気持ちだけは本当に嬉しいんだけど……と思いながら、おチビちゃんは眩しい光を浴び続けていた――。
そんな苦い記憶を胸に秘め、乗り込んだのは堺さんの大きなキャンピングカー。これにみんなを乗せて夜の街に繰り出すのだ。
今日もメンバーの中に古手川祐子さんはいない。役柄上、堺さんとはロミオとジュリエットのような関係。この場にいてもおかしくないのだが、彼女はマネージャーのガードが固い。言い換えれば、うまく守られている。沖縄で共演できることを喜び合った時は、こんなこと、予想もしていなかった。
きっと今夜もどこかでお腹を満たしてから、誰かの行きつけのバーに流れて、最後はディスコで真夜中、いや明け方まで大騒ぎをするのだろう。田原俊彦さんはいるけれど、若い男性マネージャーも一緒についてきている。ジャニーズ事務所のマネージャーは往々にして厳しい。言い換えれば、とても仕事熱心だ。今日だって田原さんがいるなら、きっと明け方まで付き合うはず。人気者と同じくらい、そのマネージャーも大変なんだなあ、とおチビちゃんは窓の外を見ながら妙な感心をしていた。
最高視聴率三十九・九パーセントの学園ドラマ『三年B組金八先生』に出演、共演の近藤真彦、野村義男と共に「たのきんトリオ」として注目を集め、満を辞して歌手デビューするや一気にトップアイドルの仲間入りを果たした田原さん――トシちゃんの人気ぶりは、おチビちゃんもよく承知していた。いや、正確に言えば体感していた。
撮影が行われる緑山スタジオは、小田急線の鶴川駅や東急線の青葉台駅が最寄りの駅となるが、どちらも距離が遠いので駅からバスに乗る人が多い。
最寄りのバス停で降りたら、歩いてスタジオの敷地内へ入るのだが、そこにはいつもトシちゃんファンの女の子たちが何人もいた。堺さんや津川さんと同じで、彼は車に乗ってくるから、一目姿を拝むこともままならないが、その辺りは既に織り込み済み。ファンはそれくらいでは諦めない。会えないのなら他のやり方があるのだ。昭和五十七年四月六日の『さよなら三角またきて四角』放映開始日以降、その現象は起きるようになった。
「スズちゃーん」
いつものようにバスから降りて、スタジオへ向かうおチビちゃんに声がかかる。初めは事態が飲み込めなかった。もしかしたら、と声の方向へ振り返ると、トシちゃん目当ての女の子たちが手を振っている。
「スズちゃんですよね?」
確かに私の役名は河相スズ子。でも何の用だろう? 内心首を傾げながら「はい」と軽く頭を下げる。
「わあ、本物のスズちゃんだ。いつも見てます!」
もちろんそう言われて悪い気はしない。ありがとう、と言いながら自然と笑みがこぼれる。
「あの、すいません、私たち、スズちゃんにお願いがあるんですけど……」
何かしら? と近寄ると「これなんですけど」と可愛らしいハンカチで包まれた物を差し出す。
「?」
「お弁当なんですけど、今日トシちゃんいると思うんで渡してもらえませんか?」
予想外の申し出だった。驚くおチビちゃんに渡されるお弁当箱。あっという間に周りの女の子たちも渡してくる。
「えっと、これは……」
一瞬迷ったものの、少女たちの表情は真剣そのものだ。ずっとここで待っていて、ようやく立ち止まってくれる出演者を見つけたのだろう。
「スズちゃん、ありがとう!」
「よろしくお願いします!」
結局そんな声を背中で聞きながら、お弁当を三、四個抱えたままスタジオへ。そしてメイク室より先にトシちゃんの控室を訪れる。彼はストレッチをして身体をほぐしていた。
「あ、おはようございます。えっと……何かあった?」
「あの、コレなんですけど」
そう言って持ってきたお弁当箱を差し出すと、事情が把握できたらしく「ああ、ごめんね」と受け取った。
「さっき入り口のところで……」
「うん、そうだよね。わざわざありがとう」
そう言いながら、器用に包んでいたハンカチの結び目を解いていく。出てきた物はお弁当箱と手紙だった。他の物もすべて同じように手紙入り。トシちゃんは手紙だけ取り出すと、お弁当箱のフタを開けて中身を見て、すぐにフタを閉めた。
「気持ちは本当にありがたいんだけど、コレ、食べきれないんだよね」
確かにスタジオにはケータリングが用意されているし、それでなくても山岡久乃さんが『野々村』の時と同様に料理を振る舞うこともある。
「スズちゃん」
「はい」
「あの子たちにバレないように、スズちゃんが持って帰ってくれないかな?」
別にお腹が空いている訳ではなかったけれど、受け取ってしまった責任もあるし、とおチビちゃんは了承した。実はその時に持ち帰った中のひとつ、スヌーピーのお弁当箱は、ちゃっかり自分のものにして今でも使っている。
「でさ、結局今日の一軒目、どこなんだっけ?」
堺さんの問いかけに、みんな曖昧な答えを返すばかり。すぐに何も決まっていないことが分かった。
「おいおい、何やってんのよ。しょうがないねえ。もうそろそろ六本木着いちゃうじゃない」
そう言いつつもその声は楽しそうに弾んでいる。周りの人も同じく、一軒目が決まっていないことをどこか楽しんでいる。本当みんなタフだなあ、と思いながら少し目を閉じたその時、堺さんから不意に声をかけられた。
「あのさ、この辺りでどこかお店知らない? 軽く食べたり飲んだりできればいいんだけど……」
少し気を抜いていたからだろうか、正直に「はい、一軒くらいなら……」と答えてしまった。その店は「ブギウギハウス」。宇崎竜童さんと阿木燿子さんご夫婦が営んでいる赤坂のスナックだ。おチビちゃんが知っていた理由は、四季の研究所時代までさかのぼる。当時、一期下の音大卒の方に紹介された歌の先生が阿木燿子さんと親しく、そこからのご縁だ。
なるほどねえ、と頷きながら聞いていた堺さんだったが、その判断は早かった。
「よし、じゃあそこにしよう!」
「え?」
「道、分かる? ちょっと教えてくれる?」
「あ、はい」
そんなこんなで十数分後、『さよなら三角』御一行は、おチビちゃんに導かれて「ブギウギハウス」の細長い店内にいた。結果的にお店も喜んでくれたし、何より堺さんたちが楽しんでくれたので良かったが、店を出るまで何となく気持ちは落ち着かず、キャンピングカーの車内へ戻った時には少し疲れていた。
「じゃあ、次はいつものあの店、行っちゃおうかな?」
最後に車に乗り込んだ堺さんの声に、みんな歓声で応えている。聞こえてくる会話をつなげると、多分よく行くゲイバーのことだろう。
「今のところ、雰囲気いいじゃん」
「またいい店あったら紹介してよ」
話しかけてくれる人に笑顔を返しながら、おチビちゃんの視線はトシちゃんと彼のマネージャーを探していた。ただちょうど死角に座っているらしく、この位置からでは見えない。気にしている理由は、先ほど「ブギウギハウス」で聞こえてきた会話だ。マネージャーが席を外した瞬間、トシちゃんが堺さんに「どうにかならないかなあ」と訴えていた。
「せっかく遊びに来てるのに、マネージャー付きじゃリラックスどころじゃなくって」
「そう言うなよ。彼も仕事さ。元はといえば、自分が人気ありすぎるせいだろう」
確かにその通りよねえ、とおチビちゃんは聞くでもなく耳を傾けていた。お酒を飲まないから、眠くでもならない限り、周囲の様子は正確にキャッチできる。
「でも今日ぐらいは何とかしてくださいよ」
そう諦めずに訴えるトシちゃんを、堺さんは冗談を交えながらなだめていたが、気付けば「まあ、そこまで言うならなあ」と押され気味になりかけていた。え、まさか? とすっかり前のめり気味のおチビちゃんだったが、二人の話はそこまで。マネージャーが席に戻ってきたのだ。
その後も何となく気になり様子を窺っていたが、何度か座っている位置を変えたりするうちに、話を続けるどころかさっき話していた痕跡も分からなくなっていた。ただ、そろそろ次の店に移動しようという話が出て、みんなが帰り支度を始めた頃、おチビちゃんは確かに見た。トシちゃんがとても嬉しそうな顔で、堺さんに笑いかけているところを。
そのせいで、ずっと気になっている。なかなか撮影現場でも見られない、とびきりの笑顔の理由は何だろう?
「あ、もうそろそろ着く頃だね」
耳に届くトシちゃんの声は、やはりいつもよりも弾んでいる。
(第39回 了)
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