音楽ライブのレポートとして Live Report の欄に、小貫信昭「新しい歌が生まれる場所へ」というエッセイがある。羊毛とおはな、という変わった名前のデュオの野外ライブについてのものだ。
それも他にいくつかのグループがある中でのトップバッターだったということで、ジョイントのライブそのもののコンセプト、その中で取り上げられた明確な理由はわからない。ただ、最初の曲は「Over the rainbow」で、会場の雰囲気が変わったということだ。
ライブ、それも野外ライブに集まった観客たちというのは、一言で言えば「聞く気満々」という感じだ。集まったことで、すでに盛り上がっている。そこを、あの曲が外した、ということだろう。緩やかに、穏やかに、音が木や風に吸い込まれてゆく。そこへ観客たちの熱い盛り上がりも吸い込まれてゆくわけだが、クールダウンとは違う。自然に溶け込んだ別の盛り上がり、別の満足が生まれたようにも思われる。
エッセイによれば、冒頭からこういった皆が知る名曲をやる、というのは相当の技量が必要らしい。確かに知ってる曲が流れれば、観客は目の前のステージでのパフォーマンスに入って来やすくはなる。が、それが名曲のカヴァーであるということは、アーチストにとっては逆にハードルが上がることになる。最初のそれを前座として乗り越え、次の曲以降のオリジナルのパフォーマンスで自身の一貫した音楽性をアピールしなくてはならないことになるからだ。
羊毛とおはなはヴォーカルも演奏も、これといった個性を見せつけるわけでなく、だが大変に高い技術をもって観客・聴衆を包み込み、周囲の「環境」の中に放り込んでくれるようだ。
音楽はそれでいい、心地よく安堵させ、よい「環境」となればそれでたくさん、という価値観はきわめて今日的なものでもある。羊毛とおはなという名は聞いたことがなかったが、彼らは皆に仰がれるスターでもなければ、皆がしょっちゅう顔を見る有名人でもない。ただ、求める人たちに山や川の空気のような音楽環境を与え続けていて、彼らもそれで音楽を続けられる環境にあれば、それで十分だろう。
パソコン環境、という言葉がある。昔、駆け出しでパソコン関係のデザインを始めた人が、客に「環境は?」と聞かれ、「はい、いいところです」と答えてしまい、上司が往生したといった話がよく聞かれた。パソコンは一人ひとりに環境を与え、それは個々に違うが、独自の、というほどには違わない。隣りがセブンイレブンであればよいところかも、というのは大方同じだが、あくまで「かも」でもある。
このネット社会で、我々の嗜好は緩く結ばれて、緩くカテゴライズされ、さらに緩くカスタマイズされている。それはごく「自然」なあり様にも見える。音楽への今日的な嗜好は、こういった各時代のあり方をごく端的に示す場合がある。papyrus のような「文芸誌」がほんの短い音楽評を掲載する理由は、本当のところ、そのほかにはないはずだろう。
谷輪洋一
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■