YouTubeとは何であり、世の中をどのように変えていくのか。多くの人が変化を感じとりながら、決定的なことにはいまだ口をつぐんでいるように思える。わからないというより、どんな定義もやがて事態が乗り越えていこうとする、という予感がある。それが止められない以上、何を言っても仕方がない。ただ流れを読んで、どこで飛び乗るか。それは論評よりは肉体的な呼吸だろう。
ただ呼吸はそれなりに呑み込むもので、何かを悟って合わせていくものでもある。やはりあれこれ試行錯誤するわけだが、わたしたちが思い出そうとするのは過去の似たような状況だ。インターネットが普及しはじめたとき、テレビが浸透しはじめたとき、どうだったろうか。
ネットはメールでの個々のやりとり、フォーラムなどのコミュニティ、ホームページと呼ばれた個人の広報で認知されていった。YouTubeはその個の要素を動画とし、視聴者を集めるという意味でテレビ的に展開しつつある。かつて映画に対し、お茶の間という個々に細分化された観客を対象としたテレビが二流のメディアとみなされたのと似た立ち位置に、無論YouTubeはある。
そして当時のテレビ同様に、その構えの小ささがそれまでにないパワーを内包することに、多くの人は気づきつつある。わたしたちはテレビで、自分の観たいもの、必要なものを見ているだろうか。テレビの構えと、大きなアナウンスに巻き込まれ、時間を浪費させられているだけではないのか。
桜坂ちゃんねるは、今まさにテレビからYouTubeへの過渡期のメディアとして試みられている。まずテレビ的手法がどこまで敷衍できるか実験中であるようにみえる。なぜならこの点について、桜坂ちゃんねるには少々のアドバンテージがあるからだ。桜坂ちゃんねるのプロデューサーは、ケツメイシ、FUNKY MONKEY BABYS、倖田來未、BoAなどのアーティストへ楽曲を提供していることで知られるYANAGIMANである。
すなわち民放テレビ局のビジネスモデルをなぞり、広告収入を得ていく。資金は仮想通貨(UMXコイン)を発行して確保し、認可された取引所に上場するという先進性もある。UMXホルダーを中心に、桜坂ちゃんねるの登録者数は2月のオープンからわずかな期間で1万人を超えた。
桜坂ちゃんねるは個人を超えた組織力で、動画を毎日アップするという力技を成し遂げている。人々の日常に入り込むにはマメなことが肝要だ。そしてテレビと違い、動画は削除されないかぎりアクセスを稼ぎ続ける。放送枠の奪い合いもない。あるとすれば無数のYouTuberを相手とした人々の興味の争奪戦だ。
が、アクセスを稼ぐだけなら、桜坂ちゃんねるにとってさほど難しくはない。今一番大きな数字をマークしているのは野球関係の、インタビューなども含む情報番組だ。サッカーでも水泳世界大会でもない、日本中の野球ファンがチャンネルに集結すれば、こんなものだ。YouTubeの特性として、流行のものでなくとも特定の情報について突出すれば、あるいは逆にテレビ的メソッドの極致として、YANAGIMANがプロデュースしたミュージシャンが出演すれば、単純に結果は見えている。
桜坂ちゃんねるの実験とは、テレビ的なバラエティ要素をYouTubeの文脈にいかに載せていくか、また今後さらにYouTube的なパーソナルな関心からいかにテレビ的な流行に展開していくか、というところにあろう。思いもよらなかった新しいメディアの姿が立ち上がってくる瞬間を見落としたくはないものだ。
小原眞紀子
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