〝よし、その売れていない、秘法を使った旅のプランに、僕たちが最初の顧客になってやろうじゃないか。僕は何でも初めてが好きなんだ。初めてを求めるとき、僕は誰よりもカッコよくなれる・・・〟この旅はわたしたちをどこに連れていってくれるのか。青山YURI子の新しい小説の旅、第二弾!
by 青山YURI子
部屋はどこからか避難してきた人々の簡易宿泊所の体になっている。膝掛けを首元まで引き上げ、座ったまま眠りこむ女。壁にもたれかかり彼女を支えながらぼんやり前方の壁を眺めている男。僕は、彼の目線のちょうど中心へと躍り出る。僕が視線のぼけた幕を破って、リアルな像を彼の前に晒す。彼の目が少し引き締まる。
この空間に居たのは、彼らだけでなかった。もう3、4人の、地面に布団を敷いて眠っている人々。民族衣装を着たまま、身の廻りの荷物を整理する人。携帯電話を片手に、赤茶けた指で子供の背中を叩く者。子供を楽器のように膝の上に横たわらせ、両手三本の指でタック、タックとリズムを鳴らし音を取る。子供は安らかに眠る。13歳くらいのもう大きな子供だった。
彼の安らかな顔を見ていると、僕も安らかに壁にもたれたくなってくる。今日はよく歩いた。朝から、荷物を整理して、森林の中を彼女と周り、喜びを分かちあい、時間の間からぽこぽこ湧き出る泡のような愛情を一つ一つ形にした。人口的に色付けたような突き抜ける青色の下で、派手な愛の饗宴も繰り拡げた。その時初めて、小さな小さな、小指の爪にもバランスよく乗るほどのアンヘラ、真に大切にしたい彼女を見つけた気がした。彼女の考えは一つ一つ刺激的だ。しかし僕は、どれほど彼女に可能性を与えられるのか、とふと考えた。
そんなことを考えながら見渡したその部屋の壁に沿って視線を流すと、四方の壁の前にはさらに多くの人々が位置取っていた。バックパックを犬のようにはべらせ、それが唯一愛情の拠り所のように両手で包み、上に〝ぬか石〟-もちろんこれもルームメイトのスギウラに聞いたーのように頭を乗せる人。暇を持て余しひたすら暇を伸ばしたりこねたり、自分の長い髪を細かい三つ編みに分散させてゆく女。足首の傷を気にしながらもすでにまぶたは重く垂れ下がっており、周りの鈍長な空気をその中に吸い込ませ今にもシャッターを降ろそうとする少女。その親だろうか、角の薄黄色のライトを真正面から浴びて、褐色の肌になっている女。対極の、こちらは真新しい白いライトを浴びて皮膚が漂白されたように映る男。彼に寄りそう男。ヒッピー風の、もしくはバロック期のかつら、スギウラに見せてもらった写真に写ってた、日本の古い民家の虫取り紙が長く垂れ下がったものが重なった海賊風の髪をした男。肌の中で紅葉が起こり、極限に色付くと葉の面積分だけが剥がれ落ちてゆくように、ある部分はまだ太陽に焼かれたばかりの焦げた色、きれいに焼かれた土器の色、サンクリームを塗り残したのか失敗したピンク色、時が経ちきつね色、インディアンレッド色、ある部分は-それが地肌の色に違いない-白桃色に残っている、上半身裸の男。きっと様々なところを旅してきたのだろう。病気だろうか。タトゥを消した跡だろうか。彼と目があった。彼は目の色は「俺もそんな時があった」と言っている。
僕は、よくこの施設の状況が掴めてはいなかったが、フアンとダニエルが水先案内人のように黙って舵を取っていくのをただ付いていくのみだ。彼らがオールを掻いて漕いでゆく先を、見えぬゴンドラの船内、正確に40センチずつ体を離して、客として座し、見つめている。彼らは聞かなくても僕らの行き先を知っているのだろう。後ろをついて行く以外にはいい考えが浮かばない。しかし、なぜこの部屋の壁にもたれ生気を失い、褪せた石像のように固まっている人間たちに深刻な注意を払わなかったのだろうか。その時の僕たちは、はっきりと彼らは僕らとは違う運命にある人間だと思っていた。
四方に人が配置された部屋を進み、次の扉の前に来た。今通ってきた部屋の彼らは、ある瞬間を迎えれば石が灰に変わる脆さを抱えていながら注意深く目を覚ましていた。子供たちを除く大人たちが目を覚ましている状況にはいつも何かがある。僕たちは彼らの視線の池を、進みにくさを感じながら水を押し分けて通ってきた。
扉を開けると階段だった。1の国へ入国したさいに空港からコラージュの国へと続く扉をカードキーで開けた瞬間の印象を、再び感じた。これからまた予測のつかない土地へ足を踏み入れた感じがした。もう午後7時半だというのに。
フアンとダニエルは、扉を開けてアンヘラと僕を通すと彼らは後ろへ回り、蓋のように扉を閉め、僕たちをもう元の通りには、元の世界には戻さないと決め、日本の子供たちが使う実験用プラスチック注射器と空気砲のスポンジ玉さながらに、僕らの後ろを、僕たちが上がれば上がり、僕たちが止まれば止まり、僕たちが後ずされば後ずさった。後ろを振り返っても、彼らは振り返らずに、僕たちの顔を見つめたままだ。ラテンの目が泳がずにそこにある。特に悪い顔ではない。
階段を登りきり、彼らの指示に従って、屋根裏に入るような長方形の床を押し上げ、次の空間に入った。冷たい水の中へと入っていくように、コンクリート造りの部屋はひんやりとしている。通ってきた二つの部屋よりもずっと広くて、寒い。
Image © Matthew Cusick
(第18回 了)
縦書きでもお読みいただけます。左のボタンをクリックしてファイルを表示させてください。
* 『コラージュの国』は毎月15日にアップされます。
■ 金魚屋の本 ■