「僕が泣くのは痛みのためでなく / たった一人で生まれたため / 今まさに その意味を理解したため」
by 小原眞紀子
塀
取り囲まれて暮らした
古い塀
木の塀
隙間のある塀に
穴を覗いていた
暇さえあれば
そうやって知ったことだけ
ほんとうのことだと思う
塀の脇には柿の木があって
いっしょに育った
覗き穴の位置は高くなり
柿の木の丈は塀を越え
それでもまだ
取り囲まれて暮らす
黒塀に
ブロック塀のように
隙間が見あたらず
指で触れながらたどる
塀がつきるまで
入口のあるところまで
あるいは出口なのか
塀に沿って
角を曲がると
小さな箱が落ちている
開けば空っぽ
色とりどりの仕切りだけがある
取り囲まれて暮らした
今も続く日々が
過ぎた指の跡がある
鏡
君に話しかけるのは
これで最後にしよう
君の言葉は僕にはわからない
息の抜けるような
その語尾につく音が
僕への批判を表しているのか
リズミカルに同意を促すのか
ただ繰り返して聞くと
僕の言葉は萎える
意味も
主張も
ともなう感情も
矢印の先端がさがって
馬鹿馬鹿しい
馬鹿馬鹿しいことがわかる
君が激しくうなづくのは
何がわかっているのか
僕にはわからない
キリ、という音が一文にひとつ
ケッ、と詰まることがしばしば
ヌウ、とふいに間延びすると
僕はびっくりする
君がそこにいることに
僕は驚き続け
ためつすがめつ眺める
目がふたつ
鼻がひとつ
なんと君は僕みたいだ
そういう唄を僕は歌う
船
缶蹴りの音が響くと
皆ちりぢりになって
僕のなかに海がひろがる
半ズボンで走りながら
とりとめのない空気を切って
小屋の後ろにまわり込み
肩で息をする
小石を入れた缶かんみたいに
鼓動を打つ
意識が波打って
屋根の向うの空へ
日暮れの光が漏れる
雲間を僕は行く
黄金に埋もれた
大陸を目指し
孤島に漂着する
ゴムの木の蔭に横たわる
美女を見つけるのだ
あられもない
薄物をまとって
二匹の猫とともに
僕は彼女を抱き上げて
僕の船に乗せる
果てしない冒険の旅路
彼女がみせる算数のテストは
僕のより30点もよくて
缶かんの音が響く
僕は彼女につかまると
目隠しをして鬼籍に入る
写真 星隆弘
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* 連作詩篇『ここから月まで』は毎月09日に更新されます。
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