スペースオペラ&ミリタリー特集、かなり豪華版とみた。万事がWeb化される世の中で、雑誌などというものはそもそもWebでたくさんかも、というコンセプトのもとに文学金魚もあるのだと思うけれど、そしてこの文芸誌レビューも、そうであってかまわないものについてはそこを明らかにする意図もあるのだと思うけれど、そうこうするうちに紙媒体の本質が明らかになっていきつつある。
つまり紙媒体でなくてはならないもの、紙媒体ゆえの愉しみの本質、というような話だ。まあそれはすなわち単行本でしょ、少なくともという結論に達しそうではあるけれど、もうひとつ雑誌でも専門雑誌についてはやっぱり待っている読者、そのワクワク感が残っているものがある。
単なる文芸誌とか詩誌、総合雑誌といったものを手にとると、その先にあるさらに広範な〝総合〟をもはや求めてしまう。広範な情報は、すでに紙媒体の守備範囲ではない。より広く、効率的に情報を集めるということにおいて、紙媒体はネットの敵ではなく、広範囲にわたらないという意味において、権威ですらなくなりつつある。
しかしながらコアなファンが興味を共有できる場としての雑誌なら、目に見える同士たちの実存の証しとして、リアルに集まることの代わりとして、紙媒体である雑誌をワクワクしながら書店で買う、あるいはネットで届くのを待つ、というのもありだ。それはレトロでもあり、でもまだ少しも古びてはいない。手にするのはソーシャルな情報ではなく、パーソナルな愉しみだからだ。
それでこの、わかる読者にはわかる豪華さは、わかる読者にしかわからないワクワク感であるのだが、それでいいのだと思う。その限定された感覚が実はワクワク感を形成していて、その辺の了解が編集部にも手応えとして伝わっていると思う。手にした読者はコアな仲間との再会と、彼らなら理解可能だと期待されるパーソナルな感慨やもの思いに、しばしふけるのである。
たとえばスペースオペラの定義について。豪華になり得るのはまさしくスペースオペラ特集だからなのだけれど、それはやっぱりいわゆるSFとは違う。オペラであって歌わないにせよ、ドラマティックであること。現実の社会組織や国境をはなれたところで、しかし社会が機能していること。そこに暮らす人々の物語が、そこに生きるという前提のもとにではあるが、リアルに描かれること。
ようするに時間軸を未来に置いた時代活劇である。いってみればSFとはすべて時間軸を未来に置いた時代ものなのだが、時代ものと時代劇は違う。さらに時代活劇となると、テーマの軸足は活劇に置かれているのであって、時代背景は未来だろうと過去だろうと、活劇の自由度を増す道具なのだ。
そして活劇といえば、ちゃんちゃんばらばらが付きものだ。その身体性がまさに〝活〟となるのであって、時代劇なら日本刀や鉄砲、スペースオペラならミリタリー的な小道具は欠かせないことになる。ミリタリーファンとは通常、その手段を目的化した人たち、ということになるが、いや、向う側に見ているものを共有する仲間にとっては、そうとはかぎるまい。
水野翼
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■