ヨーロッパで異言語に囲まれて日本語で書くこと。次々と場所を移動しながら書き続けること。パッチワークのように世界はつながってゆく。モザイク模様になって新しい世界を見せてくれる。そこに新しい文学と新しい作家の居場所が見つかる。それは『ショッキングピンクの時代の痰壷』であるだろう・・・・。
第三回文学金魚奨励賞受賞作家・青山YURI子による14のfragments実験小説!。
by 青山YURI子
(老人) -『変形』第一章
目が覚めた老人は、居間にいた。25年前に、遅い結婚で新築をした、自宅の居間ではない。暇を持て余し、図書館から引っ張り出してきた、デイヴィット・リンチの初期短編集のDVDを見ながらうたたねをしてしまったことを鬱々とした気分の中、思い出した。あと何日、この船上の旅は続くのだろうか。外に出れば気持ちのよい、この「青い」という形容詞がそのまま当てはまる地中海も、一度船の中に入ってしまえば目を閉じたも同然、巨人の腕の中に携えられた赤ん坊のようにあやされているかと思えば、巨人の胃の中に取りこまれ、目にもまぶしい青い染色された炭酸飲料の中で、時折、残った炭酸に上へふつふつと小波に押し上げられながら、この船は浮いているのか、とも思われる。一度船に入ってしまえば、どんな想像も許される。無論、その絶対的光景の魅力から、個人の想像を許さない青の圧力に、胃の中にふつふつと溜まり込んでいる、本来ならば美しい光景に馳せられ、届けられるはずだった個人的な感傷や感情は、屋内に入った途端、自然と放出されてゆく。
やっと出口を見つけたように、呼吸をしはじめた瞑想的な気分や、ぜひ浸って欲しい、と向こうからやってくる感傷的ムード、過去の人生に関わってきた人間たちが、今見てきた海から引きずってきたブルーの声音で、新たに彼に語りかける。自身と彼らの言葉を聞きながら、そろそろとリビング-そのこじんまりとした船では、そう呼ばれていた-に引き返して行った。人生で一番愛した女の体のように、絶対的に続くその青い光景を背にして閉じた鉄製の扉を音を立てずに丁寧に閉めたその瞬間から、ねじまきオルゴールのように流れだした、人生の印象的なシーンのランダムな回想は、その日再び眠りに付くまで、もはや一度も途切れることはなかった。鍵括弧の形の模様がランダムにすべり止めとして配置されている鉄製の階段を、少し洒落たマリンストライプのサンダルを履いて、音を立てずに、階段の面に平行に靴の底をのせるよう合わせて行った。足元によく注意を払うため、少し腰をかがめた姿勢で、約160センチほど上から、視線がストライプの靴の縁に入り込むつま先に注がれている。足元に注意を促しているはずが、このストライプの洗練された線の、一本一本の上に、昔知人が発言した印象的なフレーズや、懐かしい顔や、もう会うこともない妻の一言が乗り、合わさってゆく。そしてすぐにまた感傷に浸ってしまう。しかしそれは、もの悲しい感傷などではなく、好みのブルーの色合いのように、爽やかで、時には甘酸っぱくて、同じく帰らない遠い青春を思い返すのと同じように、またはレモネードを口に含む時のように、少し酸くとも飲後はすっきりした気分にさせてくれるものだった。
とはいえ、日常は続いていた。日々、更新されてゆく。一日、一日を、若い頃よりも、リアリズムを持って見つめることが出来た。昔は、その日々に取りこまれてしまって、全体の像が掴めなかったが、今は「一つの日」として静かに眺め、たとえそれが自分のものであったとしても、様々な角度から自由に、鑑賞することができる。毎日付けている日記でも、芸術の言葉で言えばよりリアリズム風に、些細な事柄までみっちりと描かれるようになっていて、彼の自身の生活に対する観察眼は年々冴えてきていた。クールベの絵画のように大胆にユーモアを施した筆致で、日々の出来事や、心に浮かんでは消える主題について書かれていた。10年前、5年前でさえも、雑記的に、芸術の言葉で言えば野獣派的にのせていく色のように、出来事が羅列されていたことを考えると、そのノートに目を通す度、自分でも緻密な日常の記述に目をうっとりと細めてしまう。それは、もしかしたら、退職してから10年、暇が出来て、昔の記憶をじっくり回想する中で徐々に培わた力かもしれなかった。上手く泳ぎ切ることにばかり気を取られていた昔からは考えも出来なかったことだ。
人生の後悔は、何一つなかった。
彼にとって、昔の事を思い出すのは、シャワーを浴びるようなものだった。時折海水のシャワーを浴びているように、塩辛い出来事もあったが、あえて口でも開けなければ、直接舌に触れることもなく、ちょっぴり肌がべたつくこと以外には、不快さもふがいなさも痛みも悔しさも、何一つなかった。こうして色々な味のする瞬間を、時の窓から見つめることは、どんなに愉快なことか。子供の頃に思い描いたタイムマシンに、目を閉じればすぐに乗り込むことが出来る術をここ何年かで習得していた。それに、子供の頃に楽しみにしていた未来がこうしてたくさんの実在する過去となって、タイムマシンの訪問地として列挙されているのは、胸の高鳴ることだった。これだけの過去を、胸いっぱいに抱えていることが嬉しかった。ひとつひとつに紐をつけて、風船のようにたくさんぶら下げているみたいだ。その幾つかは、手からほどけてしまい、船内の一階と二階、あちらこちらの屋根の天井に引っかかってしまっていた。彼だけが見る事の出来る、それら過去の記憶で膨らんだ風船は、時折揺れながら彼に向かって微笑みをくれる。
夕食を取り終わると、少しの間リビングで旅の友と「ブルーベルベット」の配役についてあれこれ意見を交わした後で、寝支度をしてもう一度シーツの中に体を硬く挟みこんだ。彼は、パリパリのシーツの内で、どのシーツの端も完全には木枠から出さずに、体が入る分ちょうどよくゆるめられた中央にきつく体を埋めるのが好きだった。それは老いを迎えて、異国の地で土に埋められる自己の姿を想像すると、不思議と安心するせいでもあった。彼は、ゆっくりと、同時にじっくりと、意識してそのプロセスを味わいながら、眠りに付いていった。
* Falls and Flips
(デジタル時計の数字)
友だちの家でよく眠り、朝、目が覚める。グラシア地区の入り口、ディアゴナル駅に近いアパート。部屋の窓からは、人間の大人の背丈ほどの狭い路地で、薄汚れてはいるが明るい雰囲気で、狭いバルコニーからぬいぐるみのような花が巻きつけてある柵、マネキンの飾ってある柵、カタルーニャの旗がかかっている柵。植物に水をやる音が聞こえる。人の声がよく響く。「ジョルディ〜!カ、テンズ、クラウス?」カタルーニャ語の響きが道を渡って100メートル先のジョルディまで届く。カステジャーノ語(スペイン語)で、ケ、ティネス、ジャヴェス?という意味だ。日本語では…ねぇ、鍵を持ってる?!カタルーニャで一番多い男の人の名前、ジョルディは、ジャルディと発音される。ジョルディは誰よりもカタランらしく、静かに自信を保っている。カタルーニャではジョルディという男に恋をすればまず間違いはない。失望させられることがない。どんなことがあろうと、彼は誇りを失うことがない。職は失ったって、カタルーニャ人であるというプライドが彼を支えている。それは容易に失うことのないものだ。だからいつでも自信に溢れ、かっこいい。何事にもすぐに立ち直り、起き上がり人形のように自信を取り戻すことが出来るのだ。
バルバラと呼ばれるセニョーラが花に水をやっている。バルバラ、と呼びかける初老の女は、人の死体でも折り曲げて入れているのかと思う、それほど人間の大きさにぴったりと合う、長細いビニール製のキャリーバッグを引いている。彼女はマーケットに行く。ケ?!と一文字で最近どうなの?と尋ねている。バルセロナは、夜には街の街灯でオレンジ色に染まる。朝になると、白い日を浴びて、茶色い街は、金色に変わる。
眼を覚ますと、アローナはもう仕事へ行った後だった。朝食を作っておいたから、食べてね、ヨーグルトも冷蔵庫にあるよ、とメールが届いていた。私は右側にある、彼女がロシアから持ってきた家族や兄弟や恋人の写真の貼りつけてあるコルクボードを見る。そしてそれを載せている白い木の、ヴィンテージものの箪笥。コルクボードの他には、彼女の教科書(仕事をしながらバルセロナ自治大学の博士課程でコミュニケーション学を専攻していた。)が何冊か重なっており、その横に、小さな、小さな、銀色の置時計があった。これは、世界中を、彼女と一緒に周ってきたに違いない。(アローナは旅をするのが好きで、プラサ・ウニヴェルシダにある、バルセロナ大学の〈歴史キャンパス〉とスペイン/カタラン語で呼ばれている建物(1450年から建っている)のすぐそばの、旅行専門の本屋へよく一緒に通った。)時計は、本のように、閉じるとその半分の大きさになる。チョコレートの一片のように、それが自分の欲求と繋がる何者かであるような佇まいをして一際注意をそそる。「私は、時を必要としているのだろうか、時間はそうまでして、食欲と同じ度合いで人に訴えかけるものなのか。」里菜はアロナのダブルベッドの中で横たわったまま、うつむきの姿勢で、左目で時計をぼんやりと眺める。今頃アロナは職場についているであろうか。昨日、紹介してくれたオランダ人の同僚と朝の言葉を交わしているだろうか。片手に、エスプレッソ用の、日本のスーパーマーケットで試飲のために用意されたような、親指と人差し指、そして少しの中指の力で挟んで口元へ持っていく、小さな白いプラスティック製の使い捨て容器に入れられたコーヒーをすすっているだろうか。職場の人間の半数はカフェコンレーチェを飲んでいるに違いない。職場の10人は、今、カフェコンレーチェを買いにいくために、席を離れているに違いない…。
今日、朝は授業に出ても、出なくてもいい日だから、きっとアローナが昼休みにマンションに戻ってくるまでは、この家にいるだろう。全面赤い色で塗られた壁のリビングで、テレビと、パソコンと、この家で飼われている犬と、ある1日の午前を過ごす。アロナの家で目覚めることは、人生で10回もあるだろうか。去年は一回泊まり、今年は2回、一緒に出掛けて帰りの遅くなった日に泊まる…。
ドアの開け閉めの音がする。壊れたテレビのような、ざらついたノイズの連続が、シャワー室の方から聞こえる。玄関の閉まる音がする。ジュアン、これも典型的なカタランの名前、はまだ家に居るようだ。アロナは四人で一家族用のピソを分け、リビングとバスルームを共有して暮らしている。赤い壁も、かかっている白黒の、フィルムノワールを思い出す恋人たちの一場面の写真も、子供の背丈ほどの、20本もの針金が傘形に下がって、先端にクリップで写真を飾る家具も、アローナのために結婚祝いの言葉が書かれた小さなアンティーク調の黒板も、全てジュアンの趣味によるものだ。24歳同士の若いカップル、アローナの同級生の夫、アレックスはドバイでプログラマーをしている。
と、銀色の時計を見ている間に、こんなにも早く時間が過ぎていく。時間が時計の上を歩いている(ウォーキングマシーンに乗って)ようだ。時間は、次の数字が表れるのを、日本庭園の池の石の道のように、次に彼が行く道なのだと捉えていて、8が9になるのを待ち構えているようだ。ジュアンはもうシャワーを出たに違いない。キッチンの方から音がする…。扉を閉める音。4人のコーンフレークの箱が並べてある上の棚の扉を閉めたのか。中央に鍵穴の開いたブロンズのハンドルを引いてキッチンからリビングへと移る扉を閉めたのか。
と思う矢先にも、もう一度布団に潜るように、この小さな時計を見つめ、いくらでも時を消化していくことが出来る。里菜のこの一年は、たくさんのこんな時間から構成されている。物を一点に見つめながら、永遠と自分の〈意識の流れ〉をなぞっていく。ダロウェイ夫人でも読むように、意識に流れ込んでくる言葉たちを丁寧に見つめる。流される自分の意識と時間を、何度も往復し、その一文へと戻ってくるように、眺めていた。
今、時計は8:47を指している。バルセロナの日は高く上り、直接差し込んでくる日に当たり、時計の秒を指している箇所は、消しゴムで消されたように、背景のグレーのトーンと共に消失し、白い跡が残されている。白い跡は、7の文字の右半分まで覆っていて、今7という文字は、上方の縦の棒、下方の右上がりの斜めの短い棒が、太陽のある方角を指し示すように映っているだけだ。
問題は、8という文字だった。この、時間を指す文字だけは、微妙に部屋の方向へ内向きになって斜めに置かれているせいで、はっきりと部屋の影の中に保護されているのだが、この、7角で、端の斜めに切り落とされた、7つの同様の棒で形付くられている「8」は、それを眺めていると、どうにもこうにも彼、里菜の心に住み付く男の、存在を感じてくるのである。輪郭が、デジタルの文字盤を、鉛筆で書いた線ほどの影を落とすだけ前面に出た、時計のボディの部分、平たい、銀色の塗料で塗られたプラスチック盤が、角に若干の丸みを描きつつ正確に、長方形に囲んでいる。そこに、男らしさを感じるのだ。男らしい、というよりも、働くひとらしい、かもしれない。彼固有の特徴ではなく、彼にも備わっている、何十種類、もっと細かく分ければそれ以上の、男としての特徴的な空気を感じるのだ。その空気を持っていない男もあれば、持っている彼のような男もある。しかしその空気を持っている男は、彼一人だけ、では決してありえない。他にも多くの男性がその空気感を持っている。おそらく、多くの几帳面な、物事を建設的に一つ一つ丁寧にこなしていく性質を持った男の人たち。くい、くい、くい、くいと曲って行く。乱れのない遊泳を繰り返す。規則的だ。でも多少の人間味はあって、その証拠に、角を鋭く放っておくのではなくて、見る者を傷付けないように、そして一周がスムーズにつながるように角が保護してある。その程度の思いやりを持った機能的な性質?!そして、それと同じだけ、時を大切にし、時のリズムも。というより、棒を決められたある位置に移動させて、姿を変える数字。その姿を見ていると、確実に、ある一人の彼を連想させる。肘の所までギリギリに降りるシャツの袖。体格の良い男らしく精悍な腕が伸びるが、それでも余裕がある程袖口は広く出来ている。
8という文字は彼の親指に似ているのかもしれない。-彼女はまだまだ眠く、布団を顎のあたりまで引き上げた。彼の親指の辺りを取り巻く空気が、如実に、銀盤の上にも漂っている。直視してはいけない、彼の恥ずかしい部分を見ているみたいだ。彼の、力が込められて7分目まで赤くなる親指の爪。ピンクい土地と、白い土地との境界線。水平線。本を挟むとき、力が込められて親指の第一関節は大きく〝く〟の字に曲がる。その、出っ張った骨や、その上で反りすぎた指は、収集のつかない気分にさせるものだ。どこに保存したらいいのか、分からない気分に。人目に付くところには、置いておきたくはない。彼を好きな者だけが、彼を所有したいものだけが密かに持つ憧れをそこに映し出していた。
そしてバルコニーから顔を出すと….そこでは彼の心の中へ顔を突っ込んだように思えた。人々は忙しくとも、外の気持ちの良い空気を感じている。石壁に口笛を反射させながら、るんるんとした気分が交感されている。里菜は、彼の心の中に建てられた町にいるようだと思った。青く突き抜けた精神が街を守っている。食べ物の匂いが豊かに漂う。道に水を撒く人。花に水をやる人。壁に付けられた小さな蛇口をひねって出した水で足を洗う人。掬って飲む人。彼の心の中では、人々がこんな風に会話を繰り広げているのだろう。快活に、元気よく知り合い、見知らぬ人に呼び掛ける、返事をする、柔らかにカタラン式の挨拶をする。ゥアラ。カタラン式にエレガントな着こなしで。
彼は、もう一つの生を持っている。里菜が彼を思い浮かべるたび、彼は生の続きを再開する。この街でも、あのプールでも、彼の息吹は鼓動を持って躍動している。こんなにも実感を持って生きている、と彼女は思う。
*
-文字面の中の彼-
ある時から不自由を感じるようになった。彼のイメージはとことん掴みにくかった。完全なアナグラムで移動し、場所をあちこち移すだけではなく正体を隠す。それでもそのアナグラムから、少し考えればまた、それは彼だと簡単に分かってしまう。例えばレンタルビデオ店のツタヤ。その英文字を一目見るだけで何か重要な情報が混ざっているだろうと予感すれば彼だ。例えば「よろこぶ」というスナックの看板を見つけても、「正に彼だ!彼は今よろこんでいる最中であろうか」などと想像する。
彼女は〝タツヤ〟に恋をしたはずである。その渦巻いた毛に、その腕の、〝限りなく透明に近いブルー〟の底で同じ方角に流され、寝そべった海藻のようなきれいな毛を持つ彼に。
会わなくなった間、彼は変形し続けた。
彼が、こんなにも豊かにイメージを変えるとは、考えてもみなかった。1人の人間を愛し始めたはずなのに、里菜は100人もの違う人間に、いまや恋をしていた。100体、別の人間にそれぞれ、自分の引き出せる限りの全ての豊かな感情を、捧げているのではないか、という思いに、囚われ始めることになった。
里菜の思っていた、恋は崩壊した。それまでは、1人の人を、100回愛することが恋だと思った。だけど今は、その一人は10回でも200回でも姿を変え、それを1つの気持ちが追いかけていくのが恋だと思い直した。恋した相手の変形を一つ一つ心にとめて行く作業をしていくことが、この恋の形だと思われてきた。
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以上、「変形」(長編)からの断片
・ 〈第一章 老人の夢 〈(老人)
・ 〈第二章 彼の変形 〈(デジタル時計の数字)
あらすじ
里菜はある老人の夢の中へと迷い込む。彼女は老人の夢の中で息をしている。そこではテストを作る事を生業とし、自身を芸術家として捉えていた頃の、若かりし頃の彼の姿があった。彼女は若い彼と恋に落ちるが、老人は目覚め、男は突如として姿を消してしまう。当然、里菜の送るメールにも返信はない。夢の中に閉じ込められたままの里菜は、彼の喪失に苦しむ。
彼の居ない世界で、日常を過ごしてゆく里菜。
失恋した時手放したはずの、無数の男に関する記憶とイメージ、フレーズ。男の姿を想起させる物、出来事。あらゆるものに、男の姿が映っているようだ。何かの手がかりのように、消えた男のイメージの断片を集め、様々な姿の「彼」と認識できる物と対峙する。陳列される男のイメージ。里菜はそのイメージを把握・整理するのに、日々を追われる。恋をした一人の男のイメージの変形を追う。
行商人がやって来る。彼は人の気持ちを素材に商品を作り、売り渡り暮らしている。彼女が、漠然とした人生初めての大きな『失恋』のイメージや、消えた男のイメージと葛藤しているのを見ると、更に関連する様々なサービス、重要な彼に関するイメージを売り付け始める。失恋につけ込む悪徳商法を繰り広げる。
老人は一年後、今度は老人の姿のままで、夢の中に現れる…。
*****
ザ、ピース
「この強烈なイメージを、どうして描写しようか」ある画家は、右手であごひげ、左手でこみかみの辺りでカーブして先を北東へと位置を変えた白髪交じりの毛先に触れながら、思い悩んでいた。66年間、ボクはナニをしてきたのだろう。画面は炎のように燃え上がり、記憶を映しだそうとしても、近づけた途端、蝋のように溶けだし、手の甲に垂れ、そのまま外気に触れすぐに固まってしまう。手の表側ではこうしてそっくりそのまま、熱を持った記憶を感じることができるのに、と彼は思った。
今まで重ねてきた仕事が、陣痛のように繰り返し、有益に思えたり、無益に思えたり。希望を見出すも、繰り返し、有益・無益・有益・無益に感じられ、突き抜ける痛みを持って過去の上手く行かなかった仕事の思い出だけをひっ掴み、その中へ入れてブンブンと空中に振りかざした。その内に外気の冷たさに触れ、それらの「上手く行かなかった」記憶は6割以上凝固してしまったので、先をジェットコースターの様に素早く折り曲げ結んでしまうと、ソーセージのようになったその固まりを、皿の上に乗せ、リズムよくナイフを動かすと、溶け出した「上手く行かなかった思い出」汁を上手に絡ませ、体よく口へと運び、食べてしまった。そうしてそれらの記憶は、また彼の体内へと戻っていった。
今まで、仕事の不出来に関する、身をしぼませる記憶を再び無にして体内に閉じ込めた後、それらに邪魔されてよく思い出せなくなっていた、描きたかったはずの記憶を探ってみると、アアアそう簡単に見つけることが出来た。それらはこんなものだった;
・ブラウン管の向こうのつんくと会話しながらザ・ピースを歌う孫娘マリア
・孫は黒いテレビと話している。パナソニックの旧型。彼女の周りには近づいてはいけない、という緊迫した空気が漂う。彼女は中継をしている。プロデューサーつんくに、今まさに歌唱審査を受けようとしている。
* Pussy and riot
宙とObra
激しい憎悪と喝采と、声援と丁重に重なり合った雪が激しく重なりあった。芸術的言語をかざしながら宙に舞ったObraや激しく舞い渋る右手中指関節の太く守った形の続く様を見守る。見守り続けていると、ふとカゲった雲の続く様子を指でなで続けるもう一方の腕を見つける。「謎めいた不安な探究」には、ご安心、Tranquila、意図的に施した行為に対するPantallaの薄黄緑色。に侵食してゆく。と、侵食を空に写した雲は横揺れに揺れ、流れた隙間に新しい小道を発見する。少しずつ白くなってゆく道はあたたかく爽やかに突き抜け、緑の瞼にこっそりキスをする。そのキスを7つ、8つ、23つに分けるが、その中の渦はどもりながらも消えることを知らず、爽やかにその素顔を覗いたり写したり隠したり消したりねじったり紐解いたりゆがめたりしながら羞恥心を忘れずに楽しむ。楽しむことの間に流れていく薄紅色の真紅や空間を縦横になぞっているだけの時間には余計なCuadernoが軋み合う。
増え続け束になってゆくCuadernoの間に一枚のメモリーカードの残骸を見つける。青く点滅し続ける様子を右、左、右、前、後ろに仕掛けてあるスクリーンに映す。スクリーンの画面は徐々に大きくなってゆくが、一向に構わない様子である。踵を集めて積み上げたその棚はいつになく青光りし、雲光する間を抜けて遠くへその力細く揺れる7mm方眼にそっと微笑み、いつになく右端の両手を紐でゆったりと結び胸に引き寄せる。それは全てジョルディである。彼はとてつもなく倦怠に襲われていた。その倦怠を避けるために彼の心は新たに靄を産み続ける。倦怠の周囲の靄は新たに卵を3つずつ割って歩いてゆく。その動作には譲歩の余地がないのだけれど、周囲の人間はそれに歓声を上げる。歓声の色は歓喜に変わり、その変わり目に結び目を2つ、3つ加える。欠伸に揺れて咲き続ける蓮華や万華鏡は緑色に涙を流すが、同じ頃薄紫色に張った水を裂く。同じ時間に揺れる万華鏡を覗くと、その中には揺れた臍の緒や潰れた右の肘の先。徐々に鋭利に叫んでゆく彼方には椅子が4つ均等に並んで臓器を振り子の様に用いためらいがちに揺れている。
(第06回 了)
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