「詩人と呼ばれる人たちに憧れている。こんなに憧れているにもかかわらず、僕は生まれてこのかた「詩人」にお会いできた試しがない。・・・いつか誰かが、詩人たちの胸ビレ的何かを見つけてくれるその日まで、僕は書き続けることにする」
辻原登奨励小説賞受賞の若き新鋭作家による、鮮烈なショートショート小説連作!。
by 小松剛生
世の中にはひとつ必要であれば、もうひとつ買わないといけないものがあるらしい。代表的なものは懐中電灯と老眼鏡だ。
懐中電灯は、もし停電が起きたときに暗闇で肝心のその懐中電灯が見つからないと大変だからそれを探す用に、もうひとつ。
老眼鏡はフレームのネジがなにかのタイミングでゆるんでしまった、それを直すときに手元がよく見えるようにもうひとつ。
こんなことを考え始めるときりがない。もっとも今の老眼鏡はとてもよくできているようで、そんな頻繁にネジがゆるむこともないとのことだけど、ひと昔、いやふた昔くらい前はよくあったらしく、実際にメガネ屋さんで老眼鏡を買うと、もうひとつ購入を勧められていたという話も聞く。
「ひとつあればじゅうぶんですよ」
「いえ、あとで絶対に、必要になりますよご婦人」
なんだかとても堂々巡りをしているような気分になる。
「もし商品がお気に召さなければ、返品を承ります」
通販の宣伝文句によく添えられるコピーだけど、ある大手化粧品会社の営業の人に言わせると、これで実際に返品される率は1割をかなり下回るらしい。結局は返品されてしまうリスクよりも、そのコピーを載せることで自社の商品がどこへ出しても恥ずかしくない「自慢の一品」であることをアピールするメリットのほうが大きいんだよ、と彼は言う。
「これがまたアパレル関係だと、ちょっと話は違うんだけどな」
「どういうことですか」
「賢い客は自分が気に入った服をとりあえず片っ端から注文するんだ。そのなかでとくに気に入ったものを選んで、あとは全部返品する。返品理由は「サイズ違い」がほとんどだ」
「なんでそんなことを」
「罪悪感ってやつだろ。「サイズ違いで返しただけで最初はほんとに買おうと思ってたんですよ」っていうふりをしてるんだ」
「はー」
本当かどうか確かめたわけでもないけど、とにかく気が滅入る話だ。
これらの話に通じるわけではないけど、そんな風にして気が滅入ったりしたときに思い出す文章がある。自分の言葉に置き換えるのも面倒なので、ぜんぶ引用することにする。
コツが万人に得られないのは、もうひとつには言語の能力が万能でないということがある。たとえば、「自転車に乗るコツ」というものを万人に伝わるように文章化せよ、と言われたら、それはどんな天才作家でもサジを投げる注文だ。コツは、つまり「あの感じ」は、言語の粗いアミの目ではとらえきれないような流体質のものなのだ。
『コツのコツについて』中島らも
多くの物書きがその魚をとらえようとした。
けれど僕らの使う言語という名のアミでは、あいつは決してとらえきれないのだ。それでも僕らはアミを張る。気が滅入る話だし、堂々巡りどころかそもそも無理難題なことをやっているのはわかっている。
ある人はその魚を「文学」と呼んだ。「メメクラゲ」と名付けた人もいる。「白鯨」「デレク・ハートフィールド」「カオナシ」という個性を与えた人もいた。ロマンとか、愛でもいい。とにかく僕らはその魚に名前をつけた。聖書では神が牛を見つけて「牛」と名付けたから牛が誕生したとはあるけど、まず僕らのしたことは言語のアミを編むことだった。そして張ることだった。
いつか、誰かがつかまえてくれることを祈りながら、でも誰かにつかまえられでもしたらもう自分がつかまえるチャンスはなくなるから誰もつかまえてくれるなと祈りながら。
それが1番、気が滅入る話なような気がしないでもない。
たぶん、気のせいだ。
「む」
辺りが一瞬にして真っ暗になった。
停電だ。
僕は懐中電灯を探した。
「あった?」
「ちょっと待って」
僕は先に買っておいたはずの、もうひとつの懐中電灯があるはずの場所を手探りでさがした。
「あった?」
「もうちょっと待って」
だいじょうぶ、すぐに見つける。
その魚をとらえようとする人間が、もうひとつの懐中電灯くらい見つけられないでどうするのだ。
さあ探せ、探すんだ、僕よ。
おわり
(第33回 了)
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* 『僕が詩人になれない108の理由あるいは僕が東京ヤクルトスワローズファンになったわけ』は毎月6日と24日に更新されます。
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