イケメンチンドン屋の、その名も池王子珍太郎がパラシュート使って空から俺の学校に転校してきた。クラスのアイドル兎実さんは秒殺でイケチンに夢中。俺の幼なじみの未来もイケチンに夢中、なのか? そんでイケチンの好みの女の子は? あ、俺は誰に恋してるんだっけ。そんでツルツルちゃんてだぁれ?。
早稲田文学新人賞受賞作家にして、趣味は女装の小説ジャンル越境作家、仙田学のラノベ小説!
by 仙田学
第六章 スキンヘッドは心の鏡(下)
湯あたりぎみになったおれは、ひと足先に横になろうと、ひとりで部屋に戻ることにした。
ロビーには生徒たちが溢れていた。
部屋を行き来する連中の、扉を開け閉めする音やスリッパの音がけたたましく響く。
渡り廊下を渡り、宿泊施設のある別館に移ると、だが一挙にひとの気配がなくなった。
廊下の突きあたりを曲がりかけたところで、目の前にひんやりとした影が現れた。
「おっ!!」
「……」
薄暗い明かりのなかに浮かびあがっているのは、羊歯の姿だった。
ジャージの上下に包まれた、華奢なからだの輪郭が、赤いビロードの絨毯と蝋燭の光にぼかされて、洋風の幽霊のようだった。
「し、羊歯か。ははは。まだ風呂入ってないのか? もうすぐ風呂の時間終わんじゃないの」
心臓が口から飛びだしそうなほど暴れている。おれは乾いた笑い声を絞りだした。
「もう入った」
羊歯はほんの少し首をかしげてみせる。
首すじのあたりから、石鹸のにおいが立ちのぼった。
そうだよな、時間的にもう間にあわねえ。
にしてもなんでおれ、羊歯がまだ風呂に入ってないって思ったんだろ。
そうか、髪か。おれはやっと思いあたる。
風呂あがりとはとても思えないほど、羊歯の髪が乾ききっていたからだ。
そうか。ヅラだからか。おれはまた思いあたる。
おそらく羊歯は、つるっつるの頭を誰にも見られないうちに入浴を済ませるため、夕食も摂らずにさっと風呂に入り、いままで身を潜めていたのだろう。
なんだかおれは、羊歯に悪いことをしているような気になってきた。
「大丈夫? 腹減ってないか? ポッキーなら」
「いまのうち。誰もいないから、早く来て」
おれの言葉に、羊歯は言葉を重ねてきた。
羊歯に腕を引かれるまま、おれは階段のところまで戻った。
ひとつ上の階へあがると、羊歯は廊下を奥へ進んでいく。
「この階って、女子用の階だろ。やばいって。誰かに見られたら」
おれの額を脂汗が伝った。
隣に蛸錦や池王子がいるならまだいい。
修学旅行の晩に男子が女子の部屋に乗りこんでいくなど、気恥ずかしくなるほどベッタベタな振る舞いだが、気恥ずかしいくらいの話で済む。
ひとりで乗りこんでいったとなると、話は変わってくる。
端的にいって、マジだと思われる。
兎実さんの三日月形の目が軽蔑に歪む映像が頭をよぎった。
未来に首を絞められているおれの映像も。
「誰もいないから。みんな、いまお風呂行ってるから」
「そういえば。男子と女子で風呂の時間ずらしてあったっけ。じゃあしばらくは……って、そんな問題じゃないって!」
「シッ!」
人さし指を口にあてると、羊歯はドアのひとつに耳をつけた。
影のように気配を殺してドアに張りついていた羊歯は、やがておれのほうを振り返り、こくりとうなずく。
「気のせいだった。誰もいない」
羊歯はゆっくりとドアを開けると、なかに滑りこんだ。
「おお、羊歯の部屋ここだったの。じゃあな。ははは」
自分の部屋に戻ろうとしたおれの腕を、ドアの隙間から伸びた羊歯の手が掴む。
「早く。入って」
強い力で引き寄せられ、おれは部屋のなかへ足を踏み入れてしまった。
「なに? なんだよいったい? やばいって。怒られるって」
身をよじって羊歯の手から逃れようとしたおれは、なかの光景に絶句した。
……盗賊に荒らされた跡か?!
足の踏み場もないとはこのことだ。
あたり一帯に服やらタオルやら化粧品やらがぶちまけられ、床が見えない。
その上にはボードゲームだの駄菓子だの雑誌だのゲーム機だのがトッピングされており、健全なる修学旅行生の部屋にはどう逆立ちしたって見えない。
それにしても、この既視感はなんだろう。どっかで見たことあんだよな、この光景。
「そう、兎実ふらの」
「部屋!」
ついひと月ほど前に、未来と羊歯と三人で不法侵入した、兎実さんの部屋の光景が蘇った。
服や雑誌や空き缶や弁当の空容器などがぶちまけられ、絨毯のように床を覆っていた。
どう控えめにいっても、ゴミ屋敷。
誰にでも輝くような笑顔を振り撒き、喜びの花を咲かせてまわる、ふだんの兎実さんの姿とは何億光年もかけ離れたその光景に、そこはかとない恐怖をおれは感じたのだった。
そう、恐怖。
おれの知っていた兎実さんが、おれだけが知っていると思いあがってまでいた兎実さんが、じつはどこにも存在していないのかもしれないと、気がついてしまったがゆえの。
夜空に見えている星が、じつは何千年も前の光の残像にすぎないと知った子どもの頃のように、めまいを覚えるほどの恐怖だった。
恐怖の記憶は、だが一瞬で掻き消された。
「お、おい、なんだよあれ」
おれの目が吸い寄せられたのは、奥の鏡の前に落ちていた、ピンク色の服にだった。
丈の短いピンク色のワンピース。
ふわふわしたレースのたっぷりとついた白いブラウスが、その内側から覗いていた。
そばには猫耳カチューシャが落ちている。
「メイド服」
「……だよな。いったい誰の」
聞くまでもなかった。
部屋じゅうに散乱している荷物はすべて、兎実さんのものだろう。
メイド服も、バイト先のメイドカフェから持参してきたものに違いない。
だがなんのために網走にメイド服を?
聞くまでもなかった。
「消灯時間のあと、これに着替えて池王子珍太郎の部屋へトランプ持ってくって、兎実ふらが」
充分に想定内、というか想定のド真んなかの回答だ。
風呂にいく前に、メイド服を体にあてて鏡に向かい、頬を染めている兎実さんの姿がよぎった。
池王子のこと、片時も忘れてないじゃねえか!!
膝から力が抜けていき、おれは床に尻をつく。
ぶ~~~~~~~っっっ! ぶっ、ぶぅ~~~~~!!
「なんでブーブークッションがあるんだ?!」
「もちろんそれも兎実ふらの」
聞くまでもなかった。
クローゼットの前の、わずかに見えた床に、おれたちは並んで座った。
ダメだ。中二の頃から、おれは五年間も兎実さんに憧れ続けてきた。
その裏面を見るたび、おれのハートはメスで短冊切りにされたうえ溶鉱炉に放りこまれたような、激烈な痛みにさいなまれる。
必要以上ここに留まっているのは精神衛生上よろしくない。
「ええと。な、なんだ? なんか話でもあんのか? おれあんまり長居できないんだけど。だって兎実さんたち戻ってきたら」
「なんで」
羊歯はまた、おれの言葉を遮った。
「なんでって、女子が風呂入ってるあいだに部屋に忍びこんでたなんてばれたら、おれの社会的生命は一瞬でジ・エンドだよ」
時刻を見ようと、ポケットの携帯をさぐった弾みに、羊歯の肩と肩がぶつかった。
「あ。ごめん」
肩越しに、羊歯の体温が伝わってきた。
華奢な体は火のように熱い。
鎖骨の浮いた薄い胸もとから、汗と石鹸の混ざったにおいが漂っている。
ぐるぐるメガネの奥で、切れ長の目が濡れたように光っているのが見えた。
みるみるうちに、羊歯の頬が真っ赤に染まっていく。
「どうした? 顔赤いぞ。熱あるんじゃ?」
「え……?」
おれは羊歯の額に片手をあて、もう片方の手を自分の額にあてた。
軽く汗ばんではいるが、熱はなさそうだ。
なのに、ますます羊歯の頬の赤みは増していく。
呼吸が速まり、膝を抱えている手が震えはじめた。
わかりづらいけど、微熱でもあんのかな。
いつも未来が熱をだしたとき、そうしているように、羊歯の額に自分の額をくっつけようとしたとたん、
バッチ――――――――ーン!!!
おれは掌底を顔面に食らい、吹っ飛んでいた。
「ごめん……蚊がいた」
顔を押さえながら起きあがると、羊歯はひとりぶんほどの間隔をあけて座り、顔を反対側に背けていた。
「おぉ。すまん。おかげで刺されなくて済んだよ。代わりに鼻血がでたけどな。はは」
おれはポケットからティッシュをだし、鼻に詰める。
真冬の網走に蚊という取りあわせの珍妙さに気がつく余裕はなかった。
羊歯は大きなため息をひとつつくと、こちらへ向き直った。
その顔はもう、赤くなかった。
「先斗町未来は、池王子珍太郎のことが好き」
羊歯はぐるぐるメガネの奥の切れ長の目で、おれをまっすぐに見据えてきた。
「え。なに?」
キャッチボールをしている相手からいきなりアサッテの方向へ球を投げられたようだった。
おれの目は点になっていただろう。
「先斗町未来は、池王子珍太郎のことが好き」
羊歯は同じ言葉を噛み締めるように繰り返した。
「ははは。面白い! 未来が池王子を! たしかに、それは笑えるネタだわ。来年の四月一日は、それで蛸錦に嘘ついてみるな。じゃあ」
腰をあげたおれの腕を羊歯は掴んできた。
「よく考えてみて」
おれは座り直した。
「考えるもなにも。池王子が転校してきてから、未来は全力であいつをヘコませようとしてたじゃねえか。鏡を分捕ろうとするわ、覆面レスラーの格好で襲いかかるわ。プロレス対決で引き分けてからはそれもなくなったけど、それにしても好きってことは……」
なにかから必死で気を逸らせるためにしゃべり続けていることに、おれは気がついていた。
まるで歯医者で歯を削られているひとが、痛みをこらえるため太ももに爪を立てるように。
覆面レスラーの格好で池王子に襲いかかっていったとき、未来はたしかに全力で池王子をヘコませようとしていた。
ところがプロレス対決で引き分けた瞬間から、ふたりは固い友情で結ばれた。
お互いを「イケチン」「ジュニア」と呼びだしたのもそのときからだ。
体育館の便所で池王子が羊歯に襲われたときも、未来は止めに入った。
――いじめちゃダメっ!! かわいそうじゃんっ!
そう叫びながら、羊歯を池王子から引き離したのだ。
生きているうちに未来の口から聞くことになるとは、夢にも思わなかったセリフだった。さらに、
――イケチン大丈夫?
と池王子を助け起こし、介抱までし始めた。
あれほど余裕のない表情をした未来を、おれはそれまで見たことがなかった。
まるで、未来にとって、池王子はおれなんかよりずっと大事な存在になってしまったとでもいうように。
それからというもの、未来と池王子はいがみあわなくなった。
なにか言い争っているときでも、なんというか……楽しそうなのだ。
ふたりはすっかり接近したようだった。
お互いに好意を抱いているように、見えないこともない。
おれの頭のなかで、欠けていたパズルピースが音を立ててはまっていった。
兎実さんの一件をおれは思いだしたのだ。
兎実さんの手帳を拾った未来が、その字が汚すぎるからと、おれに命じて書き直させたこと。
保健室で、眠っている兎実さんの髪を未来が剃り、ツルツルにしようとしたこと。
五年来の親友の兎実さんに、未来がぶつかっていった理由は、ひとつしかなかった。
電車の吊り革を持てないのと同じ。
しょっちゅう手洗いに立っては何十分も手を洗っているのと同じ。
三百枚入りのウエットティッシュを持ち歩いているのと同じ。
なにもかも知りつくしているはずの兎実さんのなかに、知らないことを見いだすたび、潔癖症が発動し、つるっつるに磨きあげずにはいられなくなったのだ。
兎実さんにぶつかっていったのと同じ理由から、未来は池王子にぶつかっていったのだと、おれはどこかで思いこもうとしていた。
池王子のなかになにか堪えられない乱れを感じとり、潔癖症からきれいに拭い去ろうとしているのだろうと。
そして兎実さんのときと同じように、他人の心のなかから乱れを無くすことなどできないのだと悟って、ようやく距離をつかめるようになり、近づいた、ように見えたのだろうと。
だが。
羊歯の言葉と、体育館の便所での態度を思いだすにつれ、未来は池王子に、それ以上の気持ちを持ち始めているように思えてならなくなってきた。
――先斗町未来は、池王子珍太郎のことが好き。
おれが口を開きかけたときだった。
ガタンッ!
鈍い音が響いた。
たしかに、この部屋のどこかから。
凍りついたように固まるおれの隣で、羊歯が手足を縮め、そっとあたりを見まわした。
未来か兎実さんが帰ってきた?
おれたちはしばらく息を殺していたが、それきり音は聞こえてこなかった。
「……だから、私はふたりのために手伝いたい」
羊歯は細い声でつぶやいた。
「え? なんだって」
羊歯の言葉の意味をおれは手繰り寄せようとするが、磁石に木片がくっつかないように、その意味は頭に入っていかなかった。
ふたりって、誰と誰?
手伝うってなにを?
「池王子珍太郎と先斗町未来。ふたりの仲がうまくいくように手伝う」
羊歯は目を逸らしたまま、だがきっぱりとそういった。
「ふたりの仲って。百歩譲って、未来がその……そうだとしても、池王子がそう思ってるとは限らんぞ」
好き、という言葉は、どうしても口にすることができなかった。
「かまわない」
「かまわないって」
「兎実ふらを、これ以上、池王子珍太郎に近づけてもいいの?」
兎実さんの名前をだされ、おれの心臓は鷲掴みにされたように痛んだ。
未来と池王子がくっつけば、さすがの兎実さんも池王子につきまとわなくなるだろう。
いや、兎実さんのことだから、あの手この手でしかけてくるかもしれない。
だが池王子自身にきっぱり断る口実ができれば、兎実さんにもどうにもできなくなるはずだ。
「だから、池王子珍太郎と先斗町未来は近づけなきゃ。そのためには……」
羊歯はぐるぐるメガネ越しにおれを見据え、低い声で話しはじめた。
「……そんなこと」
おれは言葉を失った。
羊歯が口にした提案は、おれの想像を遥かに上まわるものだった。
もし失敗に終わった場合には、取り返しのつかないことになる。
だが成功すれば。
兎実さんが池王子に媚を売りまくる、悪夢のような現状とはオサラバだ。
同時に、未来と池王子が微笑みながら話す姿をこれから嫌というほど見なければならなくなるだろう。
それは……それだけは……、
考えただけでも、
…………ラ……、
ラッキ――――――――――――――――っっっっ!!!!!!!!
あいつらがくっつけば、おれは未来にこき使われることもなくなるんだ!
十七年もの奴隷生活からの、解放だっ!!
「革命ら――――――――――――!!!」
けたたましい叫び声があがったかと思うと、
ガッコ―――――――――ンッ!!!
岩が砕けるような音をたてて未来のスーツケースが弾け飛んだ。
ぱっくりと左右に分かれたスーツケースのなかから、桃太郎のように、いや孫悟空のように出現したのは、
つなだった。
スーツケースを蹴って、つなは宙に舞いあがる。
そのまま両膝を揃えておれの腹の上に落下した。
「ぐほうっ」
「いーしゃんはぁっ、ほんとはおにいしゃんとプロレスしたいんらょ? この、このっ」
お気に入りの猫耳パーカーのフードを揺すりながら、おれの胸をぽかぽかと殴ってくる。
「待て待て待て。なんでおまえがここに……ぬぐっ」
「いーしゃんのケースに詰められてきたんだにょ」
「み、未来が連れてきたの? ばれたら停学じゃ済まねえぞ。あーもうっ」
「いーしゃん、おにいしゃんとプロレスしたいんらょ? でも恥ずかしいから、つな連れてくたんらょ?」
「なにわけわかんないこと」
「どおりゃあっペンディラム・バックブリーカー!!」
つなに襟首を掴まれ、もがくうちに、足がつったらしく激痛が走った。
「をををををを」
「しっ」
つなに覆いかぶさってきたのは羊歯だった。
「なぁに羊歯しゃん。もごもご」
羊歯はつなの口を手で押さえている。
学校帰りにたびたびうちに寄ることが増えていた羊歯には、おれや未来よりもつなの扱いに長けていると思えるときがあった。
「ほんとぉいーちゃん?! すごぉい★」
「映一に買いに行かせたんだよ。ラデュラのマカロン! 本店にしか売ってない限定モノなんだ」
……兎実さんと未来の声だ!!
数日前に、千葉の奥地まで、有名菓子店の本店へマカロンを買いにやらされた記憶が蘇る。
駅からずいぶん歩いたんだが、マフラー忘れて凍えかけたっけ。
いや、そんなことはどうでもいい、未来と兎実さんが戻ってくるんだぞ。
兎実さんの私物が散乱した部屋の真んなかで、妹に馬乗りになられている姿を見られたら。
「あっ羊歯ちゃんだぁ★」
「どしたん? お風呂入ったの?」
いつの間にか、羊歯は部屋をでていたらしい。
「入った。それよりさっき、池王子珍太郎がここ歩いてた」
「え! ぃけくんが? どこどこっ?」
「男子用のところと階を間違えたって」
「白々しい! あんにゃろー、ぜったい覗きにきたんだよ! 逃がさないっ」
「ぃけくん、ぃけく~ん(はあと)」
どたばたとふたりの足音が遠ざかっていった。
池王子のためにメイド服まで用意してきた兎実さん。
池王子の声を聞くやいなや、走り寄っていく兎実さん。
これ以上この光景を見ていることに耐えられそうになかった。
未来が池王子とくっついてくれりゃ、この苦しみから逃れられる。
おれは羊歯の計画に乗る決心を固めていた。
(第16回 了)
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* 『ツルツルちゃん 2巻』は毎月04日と21日に更新されます。
■ 仙田学さんの本 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■