イケメンチンドン屋の、その名も池王子珍太郎がパラシュート使って空から俺の学校に転校してきた。クラスのアイドル兎実さんは秒殺でイケチンに夢中。俺の幼なじみの未来もイケチンに夢中、なのか? そんでイケチンの好みの女の子は? あ、俺は誰に恋してるんだっけ。そんでツルツルちゃんてだぁれ?。
早稲田文学新人賞受賞作家にして、趣味は女装の小説ジャンル越境作家、仙田学のラノベ小説!
by 仙田学
第四章 ジュニアとコラコラ問答(下)
「行くぞ」
「痛っ、なにすんのあんた。ああっ、ここ破けちゃってる」
全身タイツの肘のあたりを未来は摘む。
なるほど、ド派手に裂け、透き通るように白い肌が見えていた。
覆面の下の表情はわからないが、未来はべそをかいているらしい。
あれは中三の頃だったか。うちの冷蔵庫の奥深くに眠っていた、カビの生えたケーキを勝手に食べて、食あたりで救急搬送されたときと同じ声だった。
「ほらほら、友だちが困ってるぜ。なんだかわかんねえけど。様子見に行こう」
「もう飽きた。帰ってここ直して」
「聞き分けないこといってないで。後で豚饅おごってやるから」
駄々をこねる未来をあやしながら、おれは羊歯のあとを追いかけた。
体育館の角を曲がったが、ふたりの姿はなかった。
グラウンドの反対側でラクロス部が走りこみをしているほかには人影もまばらだ。
「ねえもう帰ろうよ」
いつの間にか脱いでいた真っ赤なマスクを振りまわしながら、未来が何度目かにぼやいたときだった。
尋常ではない力で腕を引っぱられ、おれは仰向けによろめいた。
「便所。便所どこだ便所」
背後からおれを羽交い絞めにしているのは、池王子だった。
鏡を探索しているらしい。
「こ、こっからだと、体育館のなかのが。開いてりゃだけど」
おれがいい終わらないうちに、池王子は駆けだした。
ライオンに首根っこを咥えられたシマウマのように、おれも引きずられていく。
体育館のなかには誰もいなかった。
ついさっきまで運動部が練習していたらしく、汗臭い埃が夕陽のなかを舞っている。
土足のまま体育館にあがりこんだ池王子は、便所に突撃していく。
引きずられていったおれの鼻先で、だが勢いよくドアが閉まった。
「……お、おい、円山。どこいんだ? おい! なあ!」
早くも半狂乱になった池王子が、内側から扉を激しく叩く。
おれも外からドアノブを力まかせに引っぱるが、ドアはびくともしなかった。
「うーん」
額から汗を流しながら引っぱっていると、
「うーん」
おれの顎の下から、似たようなうめき声があがった。
羊歯だった。ドアを開かないよう押さえつけている。
コンパクトミラーを破壊され、池王子は不安感から、便所の鏡を覗きこまずにはいられないだろう。
だがひとりで鏡を見るとぶっ倒れてしまう。
池王子は葛藤にもだえているはずだった。
ドアを叩く音はしだいに大きくなり、やがて啜り泣く声に変わった。
おれの脳裏に、巨大なムカデの映像が浮かんで消えた。
小学校にあがる前の頃、庭で地面を掘って遊んでいたら、ムカデが這いだしてきて、足を刺されたことがあった。
それいらい、ムカデのム、という文字を見ただけでおれは軽く失禁してしまう。
もしおれが、数百匹のムカデとともに小部屋に閉じこめられたら……。
「ももも、も、もういいんじゃないか」
おれらが一週間も前から練っていた計画の趣旨は、池王子を懲らしめる、というものだった。その目的なら充分すぎるほど達成できただろう。
ってか未来は池王子と親友になっちゃたし、もう趣旨変わってるんだよね。
「羊歯ちゃん。イケチン捕獲してくれたの? ありがとう。でももういいんだよ」
おれの後ろから声をかけてきたのは未来だった。
全身タイツ姿で腕を組んでいるものの、珍しく神妙な顔をしている。
とつぜん羊歯はドアから手を離し、歩きだした。
未来はおれと目をあわせ、一瞬困ったように顔を歪めた。
――大丈夫かな、イケチン放置して帰って。
おそらくおれとふたりきりだったら、未来はそう口にしていたはず。
だが羊歯の手前、池王子をヘコませる計画のいいだしっぺとして後に引けなくなってもいるのだろう。
未来も、羊歯の後を追って体育館の出口へと向かった。
出口の扉の前でふたりは立ち止まり、こちらを振り返った。
うながされ、おれも足を踏みだしかける。
「円山っ!」
「ぐほっ」
手負いの熊が襲いかかってきたような衝撃に、おれは床に叩きつけられた。
おれにのしかかってきたのは、池王子だった。
そのまま池王子に両脚を引きずられ、おれは便所のなかへと引きずりこまれていく。
池王子の髪は爆発したように逆立ち、目の下には濃いクマができている。
わずかな時間のあいだにげっそりとやつれたようだった。
「頼む円山、おれを見ててくれっ」
鏡の横におれを並んで立たせると、池王子はポケットから七つ道具を取りだした。
鬼のような勢いで、髪を整えメイクをしていく。
数十秒も経たないうちに、顔色が戻り、目には光がさしてきた。
「ふう。やっとひと心地がついた」
例の決めゼリフがいまにも飛びだすかと思われたときだった。
鏡の奥で小さな影が揺れた。
影は少し揺れるとたちまち縦に伸び、倍の大きさに膨らんで傾いた。
ビュッ、
ゴキッ、
ガチャリ!
鏡のなかのおれと池王子の顔が粉々に砕け散った。
「おまえ……なにやってんだ」
おれはうめいた。
影の主は、羊歯だった。
トイレの掃除用具入れからだしてきたらしい、モップを両手で構えている。
モップで鏡を叩き割ったのだ。
鏡の破片を撒き散らしながら、羊歯はふたたびモップを上段に構える。
巨大な蛇が頭をもたげたようだった。
「冗談……だろ」
顔を両手で覆いながら、池王子は後ずさる。
羊歯はモップを構えたままじりじりと足を進め、池王子をコーナーへ追い詰めた。
ビュッ、ガキン!
ビュッ、ガッコン!
池王子がよけるたび、モップは壁や便器にあたってヒビを走らせる。
すさまじい破壊力だ。
まともにくらえば、まさに現役ばりばりのレスラーだって危ないだろう。
「羊歯ちゃんなにやってんの――っ!!」
おれを押しのけて羊歯に飛びかかったのは未来だった。
モップごと羊歯を抱きかかえ、池王子から引き離そうとする。
羊歯は足を踏ん張り、動こうとしない。
組みあったままのふたりの足もとから、体調のよくない蛙のような格好で這いだしてきたのは池王子だった。
「か、鏡、鏡」
「鏡はほっとけ。とりあえず」
おれは肩を貸して助け起こす。
ヨチヨチ歩きながらおれと池王子がドアに辿り着いたところで、
「羊歯ちゃん! ダメ!」
またもや羊歯が襲いかかってきた。
おれを突き飛ばし、池王子に馬乗りになる。
いっそう大きくみえるぐるぐるメガネの底で、切れ長の目が鈍く光った。
未来をはねのけてきた?! どんだけ力強いんだ羊歯は。
視界の隅に、トイレの奥でよろめいている未来の姿が映った。
両手にそれぞれ、モップとヅラを握り締めている。
抜け殻を残して、羊歯の本体だけが脱けだしてきたらしい。
……ってことは?!
羊歯の頭は、なににも覆われていなかった。
なめらかな楕円体は日陰で育った植物のように青白く、埃ひとつ、指紋ひとつついていないゆで卵のように滑らかだ。
ひさびさに見た羊歯の頭は、全力でつるっつるだった。
鏡のように。
夕陽にほんのり紅く染まった頭の肌に、便所の風景が映っている。
並んだ便器に、個室の扉に、タイル張りの壁に、未来に、おれに、
池王子。
池王子の顔は、鏡のような、羊歯のつるっつるの頭皮のなかで、笑っていた。
田舎のおばあちゃんのような、ゼロ歳児のような、屈託のない笑顔だった。
池王子のこんな表情は見たことがない。
ってより、ここまで安心しきったひとの笑顔は見たことがない。
スキンヘッドのJKにまたがられ、胸倉を掴まれながら。
「ダメだって! 羊歯ちゃん!」
羊歯を背後から押さえているのは、未来だった。
「いじめちゃダメっ!! かわいぞうじゃんっ!」
未来の額には汗が滲んでいる。
……かわいそう??
これ以上ないくらい未来っぽくないセリフに、おれは耳を疑った。
「イケチンいい奴なんだよ! 超意外だったけど。羊歯ちゃんも、イケチンも、大事なんだもん。喧嘩しちゃやだっ!!」
羊歯が急に力を緩めたらしく、ふたりは仰向けにぶっ倒れた。
「イケチン大丈夫?」
未来はすぐにはね起き、池王子を助け起こす。
「……未来」
どうなってんだ? 未来が誰かを助けるなんて。しかも、あれだけいがみあってた池王子を。
これほど余裕のない表情を、これまで未来はおれの前で見せたことがなかった。
ほんのわずかな時間で、未来にとって、池王子は俺なんかよりずっと大事な存在になってしまったとでもいうように。
なぜだか、おれの胸は締めつけられるように痛んだ。
それはともかく……。
緑色の全身タイツ姿で、髪の毛ボサボサの男子を抱え起こし、服の乱れなど直してやっているところは、まるで正義の味方だ。
「映一なに笑ってんの! 羊歯ちゃんのヅ、……」
そうだった。年頃の女子を、ツルピカのままウロウロさせておくわけにはいかねえ。
便所の奥まで走っていってヅラを拾い、羊歯のもとへ届けにいく。
「そうだよおれだよ、なんでもねえよっ」
叫び声をあげたのは池王子だった。
トランシーバーを握っている。
「体育館の前だっ、いますぐ来い!」
裏声で絶叫すると、池王子はよろめきながら便所からでていった。体育館の出口へと向かう。
ほどなく自家用セスナのエンジン音が轟き、すぐに遠ざかっていった。
池王子はぶじ回収されていったらしい。
「羊歯ちゃん、なんで?」
俯いてウィッグをつけ服装を整える羊歯の背に、未来は問いかける。
羊歯は横顔だけをおれたちに向けた。
ぐるぐるメガネ越しに見てとれたのは、凍りつくような表情だった。
「な、なに?」
未来は目を逸らす。
羊歯はなにもいわず、そのまま便所の出口へ向かった。いちど振り返り、
「用務員が見まわりにくる」
といい残すと出ていった。
惨劇の跡も生々しい、放課後の男子便所で佇んでいる、謎の美少女覆面レスラー。
用務員に見つかれば、関係者全員の停学は必至だろう。
おれは全身タイツ姿の幼なじみの手を引き、羊歯の後を追って駆けだした。
体育館の男子便所の備品破壊事件は、池王子が市会議員の母親の権力を使って揉み消したらしかった。
あの日いらい、池王子が未来にちょっかいをだすことはなくなった。
というより、女子全般に軽口を叩かなくなった。
兎実さんにまといつかれても虚ろな目つきのまま、なんやかやと世話を焼かれるにまかせている。
その表情が急変するのは、羊歯の姿を見たときだった。
そもそも羊歯は地味すぎて、席も廊下側の陽の射さない位置にあるし、授業中にあてられたとき以外には声を発することもない。
羊歯の姿を見るためにはよほど目をこらさなければならないはず。
だがたまに池王子の顔色がサッと変わるたび、視線の先を辿ると、そこには必ず羊歯のぐるぐるメガネが光っていた。
池王子はあきらかに羊歯の目におびえていた。
これまでどおり女子たちと戯れていると、とつぜんまた羊歯に鏡を奪われ、襲いかかられるとでもいうように。
そりゃそうだろう。
池王子にすりゃ、なんであんな災難に遭ったのか見当もつかないに違いない。
他の女子たちをいじるのと同じように、未来をいじっていただけだろう。
まさかレスラー姿で戦いを挑んでくるとは。
まさかモップを振りまわす羊歯に追いかけまわされるとは。
因果関係がまったくわからない以上、ひたすら脅えることしかできないはず。
――ちょっとやりすぎたんじゃねえか。
だが、おれにはそのひとことがいえなかった。
羊歯のしたことの理由がわからなかったから。
未来も、同じことを思っているようだった。
未来の羊歯へのふるまいはあきらかにぎこちなくなっていた。
どう接すればいいのか戸惑っているらしい。
……とりあえず、これでもう池王子が未来にちょっかいをだすことがなくなるのなら、一件落着ってことでいいのかな。おれはそう思いこむことにした。
(第11回 了)
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* 『ツルツルちゃん 2巻』は毎月04日と21日に更新されます。
■ 仙田学さんの本 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■