偏った態度なのか、はたまた単なる変態か(笑)。男と女の性別も、恋愛も、セックスも、人間が排出するアノ匂いと音と光景で語られ、ひしめき合い、混じり合うアレに人間の存在は分解され、混沌の中からパズルのように何かが生み出されるまったく新しいタイプの物語。
論理学者にして気鋭の小説家、三浦俊彦による待望の新連載小説!。
by 三浦俊彦
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■ 打開方法はあった。簡単なことだ。他者と接触すればいいのだ。自給自足は自縄自縛と同義だったのだ。エントロピーが増える一方だったのだ。開放系へ居直れば熱力学第二法則も当面先送りにすることができる。この場合開放先の然るべき他者とはこの黄金自殺未遂者をおいてない。さっそく蔦崎はクリック三段跳びで金妙塾入塾手続きを取ったのである。
蔦崎は、金妙塾の勉強会に週一度の割で参加した。達人体質オーラによって完全にトップに立っていた印南哲治とは挨拶以外の話をする機会がなかったが、急速にエネルギーが甦ってくるのを感じていた。驚いたのは四回目の勉強会に向かう廊下の階段下である。「おう」と大男に呼び止められたのだ。はて。
こいつ、どこかで……。
大男が「ツタだよな!」と言う前に、「ノリタケじゃないか!」と思い出したのである。「ふふふ……ゲリピンって呼びなよ」「あ……、いや……、それにしても……」相手が蔦崎を即座に認識したというのは蔦崎の容貌を考慮すればまず当然とはいえ、他方六年2組以来一度も会っていない則武保彦を蔦崎がただちに認識できたという事実は、同じ小学校時代の香坂美穂を認識できなかったという事実(第25回)と比較すると教訓的である。しかも香坂美穂は再会時に小学生時の美少女の面影をそのまま残していたのに対し、元番長・則武保彦は、手術によって斜視が治り、鋭角的な細身がいまやぐんと太くなって、身長も見上げるばかりに伸びていたのみならず顔つきが子ども時代とは比較にならないほどゴツくなっていたのであるから。大変貌を遂げていた則武保彦を見分けられたということは、蔦崎がこのとき完全に自己を取り戻していたことを意味している。あるいは、まもなく完全に自己を見失うための反動的明証意識の輝きに全身彩られていたことを意味しているだろう。
「こんなとこで会うとはなあ……」
「こんなとこ、だよな……」
「こんなとこ、だよ……いやぁそれにしても」
「意外かよ。おれは意外じゃないぜ。ツタらしいよなァ。結局マニアになるような気がしてたぜ。おまえこういうサークルって似合ってるよ。ああ、ここでの名前はおれ、佐古寛司で通してっから」
「みんなハンドルネームで呼び合ってるってわけ?」
「いや。たぶんおれだけ。なにせあの衝撃のクーデターね、あれから立ち直るにゃ、あの記憶から魂を振りほどくにゃ、名前を変えるしかなかったわけ。お役所関係以外ではおれいつでもどこでも誰にでも佐古寛司」
「クーデター……。あったよねぇ……。番長様から……」
「ゲリピンに転落したあれだよ……」
「番長からゲリピンか……。あんなこともあったんだなあ。恐ろしいクラスだったよね」
「そりゃあそうよ。あの制裁は効いたよなあ、おれの人生を決定しちまったもの」
「ひでえ災難だったらしいなあ」
「らしいなって……」則武保彦=佐古寛司は笑って「おまえだろ。ツタが尖兵隊長で飛び降りてきたんじゃないかよ」
「おれが?」
「おまえが」
「おれはそんなことしてないよ」
「ん? 昔話でわかりきった嘘言うなって。べつに今さらどうこうってつもりじゃないんだから」
「ちょっと待った。あれはカツたちだっただろ」
「カツ?」
「カツ。おれはほんとやってないよ」
「ん……」則武保彦=佐古寛司は急に白けた顔になって、「カツか……。そういえばカツってのいたねぇ……。中島克之」
「そう、中島」
「前番長だよね。なつかしいなあ、番長ってのがいる学校はとくになつかしいような」
「だから中島ぶっ飛ばして番長になったのはおまえだから」
「わかってるよ。俺は昔のこと全部覚えてるよ」
「俺だって覚えてるよ」
「覚えてるのかよ」
「そりゃあもう」
このとき二人の間には暗黙のうちに、「だから便所に飛び降りてきたのが真っ先におまえだったってことだよ」「だからおれはいなかったって」「やったよ、おまえだよ、おれの腹ぐいぐい揉み続けたのはツタじゃないか」「何言ってんだ、やってないよ、記憶違いだって」「忘れてるのはおまえの方だよ、やったものはやったんだよ」「やってないものはやってないよ」「いいややった」「いいややってない」「いいややった」「いいややってない」的二時間三時間に及ぶ水掛け論にも相当する緊張した目交ぜが一瞬のうちに泡立ちあっていたとされる。二人ともあえて音声で言い募ることをしなかったのは、相手が自分の記憶を再検査するつもりが毛頭ないということを咄嗟に感じ取ったからにすぎない。ただ最近の調査では、このとき二人とも、おろち史の舞台にふさわしくちょうど便意をこらえていたところであり、会話を早々に切り上げいったん別れたあと相次いで階上のトイレに駆け込んだのであったため論争など始めている余裕はなかったという説が有力である。蔦崎が一階上のトイレを使ったのは則武=佐古が万一小便しに来たときに自分の音と臭いを察せられたくなかったからだが、則武=佐古も同じことを考えて同じ階の同じトイレに排便しに来たため(どちらが先にトイレに入ったのかは諸説あり決着がついていない)、二人は隣りあって音とにおいを競いあう形になったのである。たまたまその時そのトイレで小便をしていた当該階カルチャーセンターエッセイ教室受講者元会社員七十一歳の証言によれば、二つの個室から代わる代わる「雷のような」破裂音が響いており、傍目にも「競っている」ことがわかる迫力だったという。この競演をおろち史学では
〈二十年目の接戦〉
と呼んでいる。このとき実際二人とも、ムキになるだけの実存的理由を持っていた。蔦崎の理由についてはすぐあとに、則武=佐古の理由については第☆節に述べる。ただ少なくともほぼ同時に尻を拭きズボンを上げ水を流してほぼ同時に個室を出、
「あ……」
初めて隣人の身元を知ったとき、
「あっ……と……」
「おぃ……よ……」
二人とも歴史的戦いを終えたという感慨はカケラも噛み締めずただ単に銀行の前で挨拶したばかりの隣のおばさんに三分後コンビニの前で正面ニアミスしたなら日本全国どこでも生じるであろう没個性的沈黙に顔背けあったのみ、であったのは無理もない。
この〈決めてほしい話〉としてすら使いがたい間の悪さは、当事者の心に遣り場のない疑似感情痕を刻印する。
その感情痕刻印性は、蔦崎公一が実際に飛び降り部隊に参加していたのかどうか(第15回参照)にかかわらず疑似成立するのだ。
再会直後に二十年前の記憶のズレ、しかも番格交代劇に関わる重大といえば重大なズレに戸惑った直後同系舞台での脱糞競争を図らずも演じてしまうという複雑微妙な交わり方をした二人は、いや、いずれにしても二十年ぶりの再会としてはややぎこちない記憶齟齬という程度で済まされるはずの毛羽立ちをやり過ごしそこない、
(うぅうぅうぅうぅむ…………)
少なくとも蔦崎の心に凶翳を投げかけ、「二十年目の接戦」における音と臭いの協奏曲はそれ自身の豪快さによって洗い流されることはなかった。蔦崎と則武保彦=佐古寛司とはその後金妙塾内においてほとんど会話をせず、互いに影響を及ぼしあわなかったとはいうものの、この一瞬のズレが蔦崎の意識に「過去によって保護されない己れの運命」【蔦崎日記より】という奇妙な感覚を生んだらしい。その点ではこの
蔦崎公一 - 則武保彦再会劇
は、あの
蔦崎公一 - 香坂美穂再会劇
に匹敵する重みをおろち史において認定されるべきクリティカルポイントと言えるかもしれない。小さなことほど、本腰の対策を要請しないだけに、根強く蟠りを燻らせつづけ結局はいかなる大事件大動揺にもまさる作用を発揮してしまうものなのである(「ゴジラ対策本部は容易に設置されるが、ゾンビ一体となるとそうはいかない」)。
香坂美穂ショック~S.W.ダメージによりすっかり心身憔悴していた蔦崎としては、則武保彦=佐古寛司が小学生時分のトラウマをいまだ克服途上にあえいでいるらしいことに共感していた(隣接排便のときに則武=佐古の脱糞音が蔦崎自身の脱糞音と音高音量音質ともにそっくりかつ交互に破裂しては絶妙のハーモニーを奏でていたことも共感に貢献している)。しかも入塾によって理論的研究に専念できるようになり、見るべき理論的成果は残しえなかったものの、疲弊した心身を相当程度まで癒すことはできた蔦崎公一だったようである。
(第64回 了)
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