偏った態度なのか、はたまた単なる変態か(笑)。男と女の性別も、恋愛も、セックスも、人間が排出するアノ匂いと音と光景で語られ、ひしめき合い、混じり合うアレに人間の存在は分解され、混沌の中からパズルのように何かが生み出されるまったく新しいタイプの物語。
論理学者にして気鋭の小説家、三浦俊彦による待望の新連載小説!。
by 三浦俊彦
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■ 弁当休みが終わる頃、桑田康介と仲出芳明は出会い頭に、
(お、むこうにもなんかあったんだな……)
的直感を交感し共有した。
そこでふたりがひそひそ声で確認し合った事項は次のようなことだった。以下は桑田康介が金妙塾掲示板に遺した大小のメモから再構成したものだが、現場小学五年生当時のふたりのナマ会話自体にこの十項目すべての要素がいかにも後年のアンファン・テリブル票集め的に含有されていたことについては、おろち学系列のフィールドワーカーたちにより細やかな諸証拠が、すなわち未だ北半球全体に漂い続ける空気中微粒子の形で目下収集整理され続けている。
1・二人ともなにやら確かに「磁場っぽいもの」を感じたこと……
2・磁場に引き寄せられる、というより呼ばれる感じがしたこと……
3・こちらが呼ばれているにもかかわらず、むこうの方が引き寄せられてきたっぽいこと……
4・不意を突かれた出来事だったにもかかわらず、始めから強く予期していたような感覚が残っていること……
5・磁場っぽいもののパワーの急速な消滅ぶりからすると、特定の目的がどこかで設定されていて、その目的が達せられたらしいこと……
6・目的というのは、二人に共通したジャンルの出来事目撃というただその一点としか考えられないこと……
7・俺たちは今までにこういうシンクロって経験したことないよな、ということ。このジャンルの話で盛り上がったこともなかったよな、ということ……
8・顔振峠とやらいうこの場所に目的の設定がなされていたとしか考えられず、二人ともうろ覚えに思い当たる説明としては「地縛霊」しか考えられないこと。二人とも霊を信じてはいないものの、仕方がないこと……
9・桑田康介サイドに最近あった法事が関係している確率は低いこと……
10・仲出芳明の欠席がちの現状を打破する教育的配慮によって教師二人が挺身的スペクタクルを演出したという確率もまあ低いだろうこと……
ふたりの考察はまず漠然とした気流によって、次に重低音系乱気流によって中断された。
まずは漠然とした気流……
のろのろと再出発の支度に入りつつある級友らの波間に漂うようにして二人の視界に入ったのは、きょろきょろと周囲を気にしながら落ちつかなげに一箇所を行ったり来たりしているグローリア・ハッチオン先生の姿だった。挙動不審という日本語の意味を説明するさいに大袈裟に実演するとすればこうなるといった、お芝居のパロディというかふた昔前のギャグマンガみたいなあまりにあからさまな狼狽ぶりだった。
桑田康介と仲出芳明は必死に笑いをこらえた。こんな愉快な見ものはなかった。グローリアパートは芳明の功績だったので、康介は盟友の肩を叩いて仕事ぶりを労った。
「このジャンル」には二人とも本来無関心だったとはいうものの、とくに男子小学生の間で全国的に展開されたあの隠れ深刻テーマであることからは二人とも逃れられなかった。オープンな小用便器と隠微な個室とに分かれているがゆえ男子便所特有に発生する暗黙のエンガチョルールの犠牲者に誰もが一度はなるのであり、とくに仲出芳明自身の不登校傾向の一因はそれにあるのだった。四年生の三学期末に、不覚にも個室から出てきたところをDQN軍団の一人に見られてしまい、
「わざわざ学校に来てまでウンコマン」
というDQNセンス丸出し渾名を2週間にわたって集団連呼される憂き目に遭っていたのである。桑田・仲出の通った熨斗第二小学校は、「カンチョー!」「サイケンサ!」が猖獗を極めあの蔦崎公一を練り嬲り鍛えた菅根南小学校的な即物的試練は流行っていなかったが、そのぶん、〈不必要に長く発音づらいおろち系渾名によって発声者各回ごとの自意識的注意のほどを被命名者に繰り返し意識させる〉式陰湿系ツッコミがいじめ模様に拡散しており、仲出芳明の場合はたまたま名づけ主となったDQNに吃音傾向があって語彙も乏しかったことから、DQN本人に発声可能な〈標準からするとかなり発声容易な短め渾名〉を付けられてしまったせいで、あまり乗り気でなかった真面目派生徒までが気軽に口にし続けたのが芳明の不運だった。実のところ、桑田康介もその例外的発声しやすさに釣られて「わざわざ学校に来てまでウンコマン」を連呼してしまっていたのである(友情といってもアバウトなものだったので二人の関係はくねくねと原形をとどめおおせたのだけれども。ちなみに熨斗二小でのおろち系渾名の典型は「学校でわざわざウンコするなって何遍言ったらわかるんだと何遍言ったらわかるんだと何遍言ってもわからないんじゃ何遍でも呼んでやるよなこのウンコ野郎」のようなものである。小学生の好きな定型繰り返しフレーズが主であったようだ。耳障りなその長さが数種類飛び交う日常で珍しく簡潔な「わざわざ学校に来てまでウンコマン」をまずは吃音DQN自身が無事言いおおせるたびに鸚鵡返しの誘惑に駆られ巻き込まれてしまったのは康介の年齢的限界ということで寛恕すべきだろう……)。
そうした「ウンコマン式罵倒」で生徒どうしがプチトラウマを作り合っている風土において、非日常的な遠足大自然景観の中でなんと教師がおどおどとウンコ罪の試練を浴びている様子は二人にとって新鮮だった。グローリア・ハッチオン先生が(グローリア・ハッチオンが正規の教員でなかったことは確かだが、正確な身分は不思議なことにおろち文書のいかなる場所にも記録されていない)ふと手すりに自分のウンコ付きハンカチがかかっているのを目に留めて
「フッ……」
と硬直しキョトキョト周囲を倍速モードで見まわしたときなどは、
(あ……は……)
康介も芳明も同様に硬直して恍惚と勃起していた。
投石目撃者が通りすがりかつ見ず知らずのやんちゃなハイカーであって生徒の中にはいない、と信じようとしていた一縷の望みがハンカチ展示意図の露悪的表明によって脆くも崩れたそのショックを、グローリア・ハッチオン先生の青ざめつつ赤らみまた青ざめといった過剰的狼狽と羞恥的顔色がほとんど演劇的いや美術的に表現していたという。
この空気の対流をいつまでも全身で楽しんでいたかった二人であるが、集合の笛が吹き鳴らされ、のろのろと生徒が班ごとに並び始めた。
整列と点呼がなされ終えたころ、
「くぉら~~……」
ホエザル特有のいつものおどけた怒号の前兆の唸りが聞こえた。重低音系乱気流。
「くぉらーだれだー、さっき俺がクソしてるのを邪魔したやつは~~!」
いつものおどけた調子、というところが康介にとってはなんだか凄まじかった。
「誰だこら~~、今日は怒るぞほんとに~~! 俺がクソしてるとこ邪魔したのはだ~れ~だ~~?」
別々の班だったために康介と芳明はやや離れたところから級友の頭越しに意外感に満ちた表情を見合わせた。
ホエザルこと飯島隆文先生が仁王立ちに怒りまくっていた。口調はいつもどおりだったが、怒りレベルの違いが感じられた。
「すーげー……」
ウンコマン式罵倒を恐れるどころか自分からウンコをカミングアウトしてやがる……
康介と芳明は驚きの目配せを交わした。
グローリア・ハッチオンはといえばおろおろと依然赤くなったり青くなったりたじろいでいる。ホエザルの日本語は理解できているはずだ。
飯島先生は、すぐ隣にいるグローリア先生は日本語がわからないという建前を信じているらしく、クソ、ウンコ、ケツ、ケツアナといった単語を必要以上に列挙しながら「こらぁ、名乗り出ろ」と生徒を詰問し続けた。(グローリア先生がおんなじような被害に遭ったとは思いもよらないらしいな……。当たり前だけど……)
「俺はクソするときはゆっくり物思いにふけることにしてんだよ。それを乱暴に邪魔したのは……名乗り出ないであとでわかったら……ザリザリの刑じゃすまんからな!」
笑いをかみ殺しながら神妙な風を装っている生徒らを前に、飯島先生はなんとしても「クソを邪魔したやつ」を突き止めたいらしかった。
グローリア・ハッチオンの反応とのコントラストが康介と芳明には刺激的すぎた。
(すーげーな~……)
カミングアウトを引き延ばしてさえいやがる……。恥ずかしくないのかなあ……
生徒感覚では到底信じがたいのだった。
康介は後年、このとき飯島先生の憤怒顔とグローリア先生の狼狽顔を見比べながら、立ったまま人生初の射精をしたと述懐している。
結局、二人が名乗り出るはずもなく、ホエザルも諦めて、ぶつぶつ言いながら先頭に立って、遠足は再開された。
「おおぉい、おっどろいたな~~……」
やや集団から遅れて歩きながら、康介と芳明は考察を再開したのである。
(第47回 了)
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