偏った態度なのか、はたまた単なる変態か(笑)。男と女の性別も、恋愛も、セックスも、人間が排出するアノ匂いと音と光景で語られ、ひしめき合い、混じり合うアレに人間の存在は分解され、混沌の中からパズルのように何かが生み出されるまったく新しいタイプの物語。
論理学者にして気鋭の小説家、三浦俊彦による待望の新連載小説!。
by 三浦俊彦
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■ 大蛇問答は、ハードタイプが連続したあとなどは息抜きとして屁問答へ希釈した体験談を用いることもあった。たとえば……
(最多得票による公認タイトル「そっちかい!」)
水道工事の会社に勤めていたときのことです。彼女から一方的に別れを告げられて不貞腐れていた頃でした。
水漏れ修理でマンションにうかがいました。若い奥さんが携帯電話を耳に当てたまま出てきました。裾を絞ったスウェットの上下で、人妻の色気がムンムン、そう、俗な表現であればあるほどよく似合う奥さんでした。通話に夢中のようで、僕に頭を下げて無言で水漏れ箇所を指し示すと、ダイニングの椅子に腰掛け、僕に背を向けて電話の相手と話し続けました。最上級の敬語だったり親しげな言葉になったり独り言ふうになったり、どうも相手との関係性が聴き取れない不思議な会話でした。ずっと喋り続けなので、入れ替わり複数の人と話している様子でもありません。世の中、いろんな人間関係があるもんだなあとなんだかシミジミしちゃいながら、修理も完了に近づきました。
最後の一工程というときに、奧さんがもぞっと体をよじったかと思うと、片尻を浮かせて、ピイイイィ~っ、ブっシュウウー~ッッ、と長いのを連続二発。一拍も置かずに高周波屁+擦過低周波屁。文字通り空気が震えるという感じでした。
電話に熱中するあまり、すぐ後ろに僕がいることは意識から飛んでいたようです。
すぐに、炊きたての御飯のような濃厚なニオイがたちこめてきました。
僕は唖然として息を止めました。真正正常位志向で後半身が苦手な僕なので。(彼女と別れたのも、僕の極度の後ろ嫌悪症が原因だったのです)。もちろん退避する手もあるのですが、気づかせてしまうのが悪い気がして。でもすぐに、なんで俺が気を遣わなきゃならないんだと普通に怒りが込み上げてきて「ブハッ」聞こえよがしに息を吸い込みましたが、「……」奥さんは気づかず電話に夢中です。そればかりか椅子とお尻の接面からブブブ……残りの一泡まで絞り出す音まで洩れてきています。どんだけ僕の存在が消えてたんでしょうか。フラれたばかりの男ってそんなに存在感薄いもんなのか。僕の薄さと反比例して濃度増強していた炊きたて御飯臭に僕は噎せそうになりました。密度差の傾斜で僕の鼻だけでなく全身の皮膚からも炊きたて御飯臭がどんどん染みこんできます。くらくらっと目眩がしてもまだ気を遣って咳込みをこらえている自分に腹を立てながら、胸の奥から下腹部までが何だかヒリヒリ快感なのでした。そしていつしかニオイを恍惚と満喫していました。
帰るとき、もう一度しみじみと、奥さんの美顔と色っぽいO脚を目に焼き付けてきました。
こうして僕は性癖に目覚めたのでした。
毎晩、七分搗きのコシヒカリとササニシキをかわりばんこに炊いては、炊飯器の蓋をあけた瞬間のもわああーっを楽しむのです。濃厚なニオイのためには10合炊くのが最善とわかり、大型電気炊飯器にガス炊飯器に炭火用の土鍋や蒸籠まで買い込みました。毎晩新鮮な10合は出費が痛いですが、風俗に行く金が浮くと思えば大した違いはありません。……米さえあれば一生女は要りません。主食が永遠のオカズ、というオチでしたとさ……。
■ おろちを「大蛇」と漢字で表記している少女の印南体験手記は十二例ほどあるが、そのうちの一つ、最も文体の整っているもので、しかも印南哲治のおろち布教活動の切なき転機を示してもいる貴重な記録を次に引用しよう。【私立高二年・佐渡多恵美の漢文ノート兼芳川静香とのメール交換、ブログ日録、会話証言より再構成】
今どき「さわらせ屋」なんてやってるやつは馬鹿だよ。
一晩立ちとおしてせいぜい五千とか一万とかでしょ。
「大蛇おじさん」なら二時間でその十倍行くから。しかもさわらせなくていいんだよ。中腰で、それとか椅子に座って、おじさんの顔からはお尻離してて大丈夫なの。こっちが頼めば目隠しだってさせてくれるしさ。ケツの穴見られないですむの。そういう時はこっちが注意しておじさんの口の中にうまく命中させてあげないといけないんだけどね。さわらせなくていいから、好きなレベルで純潔守れるの。
はじめはそうやって「遠隔おろち」やってる子も多いみたいだけど、だんだん情が移って、恥かしいのより情けの方が勝ってね、「密着おろち」になっていくの。でも、なめたりされないから大丈夫。こっちがイイって言うこと以外絶対してこない超紳士だから。純潔重んじてくれる人だから。
でもね。でもねある日。
ある日、いつものようにおじさんの顔にまたがってぶりぶり出しているとねえ、うん、あたしはとっくに「密着おろち」だから、で、ぶりぶりむにむにやってると、えっ、て感じで。おじさんひくっ、ひくっとなんだか呼吸がおかしいのよー。この頃ロッテリアとケンタッキーばっかだったからやばいのかな、とか思ってあわててお尻をどけて覗き込んでみるとさあ、ちゃんと山吹色のきれいな尻尾が覗いてたんだよねー。そんなに臭くないみたいだしー。でもおじさんの顔、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになって泣いてるのね。あたしの大蛇を半分頬張りながら。
「むなしい。考えてみたらむなしい……」
こもった声。おじさんったら山羊の子を飲み込むコモドオオトカゲみたいに喉仏を大きく上下させながらあたしの黄色い大蛇を少しずつ飲みくだしていったのよ。唇の外にはみ出していた大蛇の茶色い尻尾が消えていってー。
「むなしいよ。オーソドックスな恋愛感情がないんじゃあ、理論的に、すべては無意味なんだ。乗り越えられないんだ」
おじさんはむせび泣きそうだったっていうか。茶色い唾液が口の端からたらたらと垂れてヒンソーな胸毛を染めてってさあ。
恋愛感情がないなんて失礼な、と思ったけど(好きでもない相手であろうと「恋してない」と言われるとむかつくって気がついたのはこのときが初めてだよ……)、あたしの方も確かにおじさんに恋してなんかいないので、おあいこですよ。ていうかおじさんの目には、たぶん本物の大人の恋愛をくぐりぬけてきた実績っていうのかねえ、すごく具体的な何かが宿っていたっぽいし、とくに理由もなくこうやって泣かれちゃ映画の中みたいな「愛」を経験しちゃってるんだよって説得力ありありだったし、あたしの方はまだ何も知らない小娘だとか言われても言い返せないことは確かだったのだし。ねえ。
凸凹おあいこってわけにはいかないのかな。
おあいこって何の弁解にも慰めにもならないもんなのかな。
いずれにしてもあのMS問題って、確かに言われてみれば、男と女が恋愛関係にあるってことが前提条件になって成立する哲学を説いていたのよね。あたしたちがこれまで繰り返してきたことは、だからみんな無意味なんだよ。ていうか、いくらあたしでも無意味とわかっていることをいつまでもだらだらと、お金だけのためになんてとてもできたもんじゃないでしょ。そう、あたしはきっと、いつかこのおじさんとの間に特別な感情が芽生えるんじゃないかとか期待してここまでこうして。でもきっときょうおじさんは、決してあたしとの間にはそういう純愛は芽生えないってことを悟ってしまったのだわ。
じゃああたしの立場はどうなる? 一方的でも何か大切なものが成り立つのか?
おじさんが涙を指でチョンッとぬぐったとき、プスんとオナラが出た。我ながら今さらの湿っぽい屁。
了解、ッて感じの屁。
ショボい屁。しぶしぶ了解、ッて感じの。
最近肛門から緊張感がだんだん抜けてきていたのも事実だし。恥じらいってもんを全然含まない湿り気ゼロのおざなりなブツになりさがっていたのは事実だしさーあ。
おじさんにしてみれば涙も当然かなと。
でも、でもでもでも、あたしが悪いの?
あたしたちのこれって、ド変態プレイだよ?
しょせんはド変態なんだよ? ド変態援交の、淫行だよ?
ド変態援交で繋がる仲に、ロマンチックな恋が必要?
理屈が必要?
って情緒と理屈の両方が必要なのかよ……
知的で乙女チックになんなきゃダメって?
勘弁してほしいよ。そんなこと背負っていちいち生きてたら身が持たないよ。
って、おじさんのそういうとこがまたステキなんだよな。あたしたちにとって。ただ遊んでたんじゃわけわかんないヘンなところが。だからおろちおじさんなんだよ。ちょっと気分悪いのはどうしょうもないけどね。
こうしてこの日のプレイはシンミリ終えてもらって、われわれとしては印南哲治逆開眼の兆候日のエピソードとして渋く締めたいところだ。しかしこの日のプレイには続きがある。佐渡多恵美のノート記録その他からの再構成を続けよう。
で、いつまでもおじさんがメソメソ泣いてるものだから、しかも「アユコ……アユコを何のために死なせたか……」とか何とか、知らない女の名前まで呟きはじめたもんだから、あたしの中の共感というか切なさというか、ワダカマリが煮えたぎってきて、お腹の中がブワッと膨らみ始めたのよ。で、
「ウリャーーッ!」
て自然に叫び声が出て、だってそのほかにどうしろってのよ、泣かれたワダカマリがお腹の膨らみになって、新しい大蛇になって後から後から。
「うりゃ、りゃ、ほ、ほ、ほ……」
「うっ、うっ、うっ……」
おじさんの泣きべそが悶絶に変わったのが可笑しかったな。あたしのお尻が完全に蓋をしてるから、おじさんの口と鼻からモノスゴイ圧力で大蛇が入っていったと思う。よくもあんなにお腹に残っていたものだと。たぶん1キロはあったんじゃないかな。
でも次の瞬間超引いたよ。
「あっ」て叫んで飛びのいちゃった。
だって山吹色のニュルニュルがおじさんの両耳から練り歯磨きみたいに。あれは引いたわ~。まじヤバイんちゃう、ッて鳥肌が立って、あたし急いで服来てホテル飛び出して来ちゃった。
もしかして死んだんじゃない? ワダカマリの減り方からしてすっごい量と圧力だったから。
誰か今月になってから大蛇おじさんに会った人いる? 会ったら教えて。安心したいんだけど。切実に。
ポスト鮎子プレイの中で、印南がホテルから病院で運ばれ気管と鼓膜に損傷をきたしたことが一度あったとされるが、佐渡多レポートにあるこの「耳練り歯磨き」がそれであろう。
いずれにしても印南哲治にしてみれば、セックスよりもおろちが面白い、気高い、という布教ではもとより不充分なのだった。愛あるセックスよりも愛あるおろちが面白い、気高い、という愛込みの布教でなければ意味をなさないのだった。少女たちを相手にした実地講義は、お金が媒介しているからといって、愛抜きの関係でよいという言い訳にはならない。愛と金は相互排除的な関係にあるわけでは必ずしもないからである。亡き鮎子、純潔のまま逝った鮎子への自分の想いが本物であれば、自然と愛のオーラがにじみ出て、少女たちとの間にも愛情系交流が煌くはずだった。もちろんそんな展開になるはずがない。現代少女たち特有のドライな感性というか、ノリというか、気合にすら完全に呑み込まれるに決まっていた。しかしこんなことでよかったはずはない。これではたかだか即席SMクラブのマンネリコースになってしまう。
端的に印南は、愛も羞恥も混入しない純然作為的関係に悲哀を覚え始めたのである。
ただただ悲哀……。
印南のこの虚脱感を増幅したのは、もともと笹原圭介の示唆が自らの出発点となっていることをつねづね謙虚に肝に銘じていたからだった。つまり、その笹原の出発点すなわち印南自身の出発点の原点と言うべき舞台が、東亜系エステ三昧であったということである。
マッサージの最中、笹原の執拗な求めに折れて顔面座布団に同意した東亜嬢たちについてのあの報告を思い出していただきたい。みなきわめて素朴純情無垢な恥じらいを示していたというではないか。放屁脱糞などはもってのほか、ただ着衣の尻を顔に押し付けるだけで躊躇いの嵐である。それに引き換え本邦女子高生たちは、同じ水準の金のかかった密室において、全く恥じらいのカケラきらめかすわけでもなくおろち思想に納得するや即座堂々と印南の口の上に裸の肛門を押しつけたのである。印南自身は直接軟尺に向かったために東亜系エステは経験していなかったが、いや経験していなければこそ、盟友笹原圭介の語った「デモー、デモー」の東亜系恥じらいに、過大に憧れた。そして本邦の恥じらいなき尻群に、どうしようもない幻滅とむなしさを覚えたということだったのである。
大和撫子の羞恥心はどこへいったのか。戦後日本の倫理はかくも堕落してしまったのか。朝鮮娘や中華娘に奥床しさで水を空けられるほどに退歩してしまったのか。(この、中華尻にたいする和尻コンプレクスとも言うべき印南のトラウマが、のちに周囲の誰にどのように感染し、連鎖的に「反国家主義的壮挙」に雪崩れ込む顛末となったか、という次第をここにあらかじめ予期しておいていただきたい)。
印南のこの民族主義的・愛国的苛立ちは、しかし「原点の感動」が保持されている限りにおいて、充分耐えるに値する試練であったと思われる。これがついに耐力臨界を超えたのは、前掲の佐渡多手記で語られている涙のプレイのほぼ一週間後に行なわれたおろちプレイにおいて「原点の感動が反転」してからであった。そのプレイひとつが、印南のおろち人生第一幕にとって「最後のワラの一本」だったと評して過言ではないだろう。
後の壮烈なる印南事件のおおもとが、前述・佐渡多尻ポンプによる「耳練り歯磨き」が引き起こした脳障害ゆえの精神爆発だという「物理的損傷説」があるが、それよりはやはり、「最後のワラの一本」による心理的トラウマこそ第一原因とすべきだろう。
では、印南の精神的背骨を折ったその「最後のワラの一本」とは、いかなるプレイだったのだろうか。
その日印南が神宮前でゲットしたギャル二人は(布教時代の印南の3Pおろちプレイは記録と証言により計九回が確認されている)、どうも懐かしいような気がしてホテルの部屋に落ち着いてからじっと見つめると、二人そろってプフッと思わせぶりに笑っている。(何か見覚えが…?)「前に僕とプレイした?」「…え、二人とも初めて」何かほんわかした感じを抱きながら印南は二人を相手にプレイを終えた。ただしそれは奇妙な変則プレイだった。印南の顔に二人がかわるがわるまたがりはするのだが結局オナラ一筋発射できず、結局「恥かしくて出ない」という結論が出て、二人いっしょにトイレに閉じこもり、わずか二分後にペーパートレイに計二本+αの巨大なおろちを載せて出てきたのだった。
ああ……こんなに速攻で! すぐにも極太放出できるほど便意が煮詰まっていながら人の顔にはオナラ一発ひっかけられなかったこの恥じらい、この奥ゆかしさ! 大和撫子魂ここに生きていた! 俺の布教活動も報われつつある!
感動に震えながら印南はその黄土と焦茶の二本をどっちがどっちのなんだろうなと想像しながら(二人に尋ねたのだが「知られるのは恥かしい」と教えてもらえずその「非分配法則的羞恥」(注)の奥ゆかしさにまた大感動、充血勃起を何段階にも更新させながら)トレイに口をつけてむしゃむしゃ平らげたのであったが、うん、味もいい! 渋みが粘着度と程よく絡み合って、まろやかというかさすがに恥じらいを知る本物の少女だ、これまでの凡俗援交少女らとはモノが違うと感極まりつつ食べ終わって唇の周りを舌なめずりしている印南に二人はくくくっと堪えかねたように「おじさん、覚えてなーイー?」ととうとう突っ込みを入れてきた。ん? と身を乗り出した途端に印南はアッと思い出したのである。
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*注・非分配法則的羞恥
Pを任意の命題、たとえば「この黄土色の地に焦茶的点々が混じっているブツを出したのは私です」という命題とせよ。
Qを任意の命題、たとえば「この焦茶色の地に黄土的粒々が混じっているブツを出したのは私です」という命題とせよ。
(一般少年少女用:P=もうやりました/Q=まだやったことありません)
主体Sは「PであるかまたはQである」と知られるのは恥かしくない。しかし、
①「Pである」と知られるかまたは「Qである」と知られるということは恥かしい。
①の場合、主体Sは「強い意味で非分配法則的羞恥に襲われている」という。
②「Pである」と知られるのが恥かしいかまたは「Qである」と知られるのが恥かしい。
②の場合、主体Sは「弱い意味で非分配法則的羞恥に襲われている」という。
本文では、「弱い意味での分配法則的羞恥」が問題になっている。黄土色のおろちが自分のだと知られるか、焦茶のおろちが自分のだと知られるか、いずれに確定しようが確定してしまっては自分は恥かしい、そしてそれまでは恥かしくない、ということである。黄土色おろちか焦茶おろちか、どちらかが必ず自分のおろちだということは知られているにもかかわらず、である。
(男子便所個室内爆音・顔が確定せぬうちは許せるが確定するやいなや殴らねば収まらぬ、という第1回・佐古寛司の回想との共通構造にも留意していただきたい)
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そう、思い出した。このふたりは、今やおとなしめの焦茶のカーリーヘアに調え、顔も美白に化粧しているからすぐにはわからなかったが、印南哲治初ナンパの相手――断わられはしたが印南的布教の啓示となる感動的応答を提示してくれたあのトゲトゲ青髪・橙髪、「虫除け」の名科白・超名ぜりふを吐いたあの二人ではないか!
「そーう。やっとわかった?」
「おじさんたちまちこの界隈の有名人っつうか名物になっちゃったからー!」
「そ。おろち系ってすっかり業界用語になっちゃってるシー」
「こないだ『ホットドッグ』におじさんのこと載ってたシー」
「おじさんのあん時の言葉、あれだなって思い出して、気になってたノー」
「も一度会いたいなっ、とかって、二人で」
印南は歓喜に震えた。ペニスのみならず睾丸もどくどく脈打っていた。
「でもごめんねー、ャッパ恥ずかしくってー」
「じかに出せなくってー」
「溜まってても出ないもんだよねー、恥ずかしいと」
「全部恥ずかしかったのよ。あれから町で何度かオジサン見かけてたんだけど」
「見かけるたびに声かけたいなとか思って声かけられなくて」
「恥ずかしくて」
「でもよかったー、きょう会えて。おじさんから声かけてくれて」
(第22回 了)
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■ 三浦俊彦さんの本 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■