偏った態度なのか、はたまた単なる変態か(笑)。男と女の性別も、恋愛も、セックスも、人間が排出するアノ匂いと音と光景で語られ、ひしめき合い、混じり合うアレに人間の存在は分解され、混沌の中からパズルのように何かが生み出されるまったく新しいタイプの物語。
論理学者にして気鋭の小説家、三浦俊彦による待望の新連載小説!。
by 三浦俊彦
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■ 橘菜緒海は愕然とする。
デパートの水着試着室らしき映像は固定隠しカメラによる定点観測のマルチビジョン。続いて、手ぶれと湯けむりを高画質と接写度が補って余りある脱衣所盗撮ビデオは「女だから撮れる超接近ローアングル映像!」を売りにした女盗撮師発の買い取りものだったが、「ふうん、やっぱ女の敵は女ってことだね……。いくらぐらいのバイトなんだろう……」勉強になるわと観流していた菜緒海だったが、(なんか見たことある場所だな……)と思って注視していくうち、
(あ……、)乗り出して見るまでもなく、間違いなく――
(うそ……私たちじゃないの……!)
短大に入学した年の夏、いまはすでに就職したり結婚したりしている高校の同級生三人とともに宿泊した清里のホテルの大浴場ではないか。
友人の一人の顔のアップが画面を横切っている。裸体また裸体が脱衣所から浴室へ、浴室から脱衣所へ移動するさまがしっかり写され、中盤からはもっぱら浴室内の映像。そこで橘菜緒海ら四人が、バラバラにあるいはまとまって、計たっぷり五分間ほども被写体となっていたのである。
(だけど……なに、あれ)
裸体群の中の幾人かには全身モザイクがかかり、中には顔だけモザイクという裸体もある。全身モザイクはデブとオバサンのようだ。そして、顔だけモザイク……、あ、あたしだ。これあたしだ。あたし顔だけモザイクだ!
他の友人三人はみな顔出しになっているのに、自分だけは顔モザイク。どういうことだろう……?
パッケージの表記を見てつい納得、いや納得どころか(え、そんなぁ)
――画面が汚れる見た目ブスとババァとデブはしっかりモザイクかけてありますので安心してご覧ください――
な、なんなの!
あたしはブ、ブスかい?
(ふ・ざ・け・ん・じゃ・ね・え・ぞ……)一瞬耳まで真っ赤になったものの、フッと思えばいっしょに見ている他の誰も気づいてはいない。顔が出ていないのだから当然だが、(…………)
黙って見ている以外にどうすればいいのか?
AV編集・販売サイドも身元がわかった上での判定ではないだろうから、橘菜緒海個人に悪意や下心あってのモザイクではなかろう(注:菜緒海がこの観賞会に立ち寄ったのは現場即決の気まぐれだったので、サークルの誰かが菜緒海に気兼ねして当日急遽モザイク編集したという仮説には無理がある。むろん菜緒海顔モザイクが当該プレス製品に内在的であることは後年確認済み)。それだけに機械的量販的資本主義的な信頼性に裏打ちされているわけで、匿名の♀多数からブスを事務的に篩い落としたというその、偏りも打算も義理も情実もない中立性がほんとにもう、これ、どこにも合理的な恨みをぶつけようがないではないか。
(それにしたって沙菜恵が顔出しなのになんであたしが……!)
あたしたちの中で最下レベルと思ってたチワワ顔の沙菜恵よりもあたしは下だったってことかよ!
ふざけんなよ!
(って…ほんとに? あたしって……?)
橘菜緒海は打ちひしがれた。
はっきり不細工またははっきり美形を自認できる女であったならば、この誠実なモザイク待遇にも全く動じることはなかっただろう。ところが橘菜緒海の容姿レベル自認はまあ普通、いままで一度も美的評価顕わな言葉をかけられたことのないごくごく標準系。たしかに純粋観賞用の容姿でないことは承知していたものの、
「こんな扱いを受ける筋合いは絶対ない!」
……ちょい「ちょい「ちょい「ちょい「ちょい「ちょいブス」」」」」くらいに言われても文句言えるレベルじゃないかもしれないけどさ……ってよけいなお世話だろ!
歯ぎしりした。
名誉毀損で訴えるという手はある。現に、被写体の夫が盗撮ビデオ制作会社を訴えた訴訟は何件か報道されている。ただ、顔出しで盗撮されて名誉毀損で訴えるなら形になるだろうが、「友だちグループの中でワタクシだけ顔にモザイクかけられました。見た目ブスの烙印押されました。首から下だけバッチリ不特定多数の喪男どもの目に晒されました。侮辱です」とノコノコ名乗り出る意義があるだろうか。このモザイク女が自分であるという間抜けな証明をするために沙菜恵らに証言を頼まねばならなくなり、嘲笑の的になるだけで受け狙いにもなりはしない。「あんただけ顔消されてるんだから被害少ないっしょ? 肖像権侵害もないっしょ? お友達が訴えるならわかるけどなんであんたが? あんただけは慰謝料もらえませんよ。顔特定されてないんで」公権力の冷ややかな裁定が聞こえるようだ。
全身を消されたおばさんおばあさんたちのモザイク越しの蠢きの隣で、顔だけ消された自分の裸身が……、自分の顔ナシ裸身が我ながらなまじ美しい。友人らより一段と形のいい胸に尻に脚。うすうすそうとは思っていたけどこれほどとは。いちばん綺麗な肌。ってこの無意味な優越感がまたうらめしい。なんであたしが。御面相はご免だが他はたっぷり観賞してやろう有難く思え←へへえどうも有難うございますとでも媚びへつらうようにテカテカ湯に光りプリプリ動いている我が美裸身が……、
(この屈辱は! この……持っていきようのない怒りは……!)
十数人でいっしょに観ているサークル室なのでそう取り乱した様子も見せられず、発散の仕草一つできず、我が生命力あふれる美裸身と対照的なモザイク顔が心霊写真もとい心霊動画のように見えてきて胃袋内容物が逆流しそうになった。
橘菜緒海はその後半年間怒りに震え続け、自宅でも出先でも催すたびにビニール袋に(このあたしにそんなにモザイクかけたいなら! あたし自身のモザイクをしこたまくれてやるよ! くらえよ!)脱糞して密封してはアダルトビデオ製作会社に郵送したり、AV小売店の店頭、シャッターの隙間に挿入したりしつづけたのである。
モザイクの恨みを排泄物路線で解消しようとしたエントロピー論理の情念こそ、あの桑田康介式盗撮モザイク論のロジックと響き合っているというこの意外な理論派ぶりに注目していただきたい――という勧告は実は橘菜緒海に対する知的過大評価で、実のところ、モザイク顔の全裸自分を観ている最中怒りと屈辱込み上げるあまり菜緒海は喉元の込み上げすなわち嘔吐を懸命にガマンし続け(すぐ席を立てばよかったものを注視し続けてしまったところに極度の屈辱による眼球固着および四肢神経麻痺状態が窺われる)、抑えるあまり逆噴射すなわち失禁(液体+微量の固体)してしまい、同席サークル仲間になんとか悟られぬまま後でこっそり処理できはしたもののブス扱い+十五年ぶり失禁というダブル理不尽のショックによってモザイク←→排泄なる心理的強結合を得、自ずと糞ゲリラ活動へと移行したにすぎなかったとも言われる。
エロ出版社対象の糞ゲリラをほとぼりが冷めるまで続けた半年の後、橘菜緒海は湊美術大学映像科三年映画科に編入した。映像に対する逆説的親近感というかリベンジ衝動というか、そのあたりの進路上の思惑については省略しよう。通俗的にもブスの烙印はそれほど恨み残すものだったという事実をのみここでは銘記しておきたい。
橘菜緒海の顔モザイク事件(事件とはいっても周知とはならず彼女的内面にのみ燃料を供給した徹底私的事件にとどまり続け、おろち史的影響力とのスケール差が顕著なのだが)の興味深い「真相」については後に改めて述べることにする。ともあれトラウマが驚異のルサンチマンとなっておろち史黎明期の最重要の機能を果たすことになった、後の「橘印」本家本元パワー誕生のいきさつは以上のような次第であった。
佐古寛司と橘菜緒海、二方面の糞事件─相同現象の並行的進展というこの構図は、川延怪尻ゾロとニセ怪尻ゾロとの並行関係に類似している。並行関係がふたつ並行するという、ダブル並行もしくはメタ並行関係が成立していたのである。ただし、怪尻ゾロ-ニセ怪尻ゾロは、間もなく見るように後者が前者の痕跡を模倣したという因果関係にもとづいていたのに対し、佐古糞ゲリラ-橘糞ゲリラの間には相互関係も序列関係もなく、純然たる同時発生関係だったという相違があることを忘れてはならない。
■ 268 名前: 名無しさん@ベンキー 投稿日: 02/06/04 12:51
前いた衣料の量販店で、土曜日の昼休みに食後のウンコをしに従業員用(ふつうに男用)に行って、鍵んとこレッドじゃなかったんでおざなりなノックと同時にドアあけたら、派遣のクレジットの女性が、スカートを肩まで捲り上げたスペクタクルでお尻丸出し、真っ最中。
ブツは巨尻で隠れて見えないが、ただよう超新鮮臭。
クレジットギャルは振り向いて、右手でトイレットペーパーをひっぱり、
「あっ、あっ、あ・・・」とかすれ声でただただ口をぱくぱく。同時に爆裂大音量。
自分は「あ、ごめんなさい」ってドアしめた。
でも、自分もウンコしたいしちょっと離れて待ってたら、そろ~っと左右を確かめるように出てきた。
自分は気を遣って在庫に隠れてるので向こうからは見えないはず。
マンガみたく露骨にまわりをきょろきょろしているのが萌えた。
だれ系と言ってもそれなりに通用しちゃう美人ちゃんだった。
269 名前: 名無しさん@ベンキーつづき 投稿日: 02/06/04 13:04
入れ替わりで個室に入ると、さっき以上のニオイが充満していた。
休憩時間10分オーバーで仕事に戻ったら、
美人クレジットギャルは体調不良とかで早退してた。
仕事の合間に、じっくり目を見てお話しようと思ったのにな・・・。
日曜日も来る予定と聞いてたからよーし明日と思ったら、
翌朝○本○販から連絡。
「すいません。急なんですけど、担当が体調崩してしまって・・・」
ケツ見られたくらいで休むなよと思ったけど、
やっぱ普通はこないよね。かな?
女が羞恥心を武器にしたがるとは知ってたけど来なくなるほどだとはな。
しばらくネタに抜いたのは、生尻の残像でも匂いの記憶でもなく、「行くのやめよう」という女心のケナゲさがオカズの主食でした。
271 名前: 名無しさん@ベンキー 投稿日: 02/06/05 00:54
女がすぐ仕事やめるのって、出産だけが原因じゃないみたいね。
285 名前: 五十歳女ごちゃんねらー 投稿日: 02/06/11 11:43
>>268-269 うちは印刷所兼出版社を亭主と二人でやってますが、ある土曜日の昼休みに食後のトイレ(もち共用)に行って、ノックなしでドアをあけたら、バイトの大学生の男の子(バイト二人のうちの一人)が、お尻丸出し、まさに真っ最中。というかブウウーッとオナラの最中。
出たものもしっかり見えました。
男の子はこっちに顔を向け、右手でトイレットペーパーをひっぱり、
「あっあっあっ・・・」と言葉にならない声を出し、急に訪れた悪夢にぱにくってる状態でした。
とにかく「あー、ごめんなさいね」って扉しめた。
でも、私もウンコしたいので外で待ってたら、そろ~っと出てきて黙って行きました。
で、ウンコして仕事に戻ったら、その大学生は体調不良とかで早退していて。
立派な出たモノ見た限りじゃ体調絶好調なはずなのに。
翌、日曜日も来る予定だったのに、「すいません。急なんですけど、今日ちょっと体調崩してしまって・・・」と母親から電話。
亭主が電話取ったのだけれど、私から昨日「男のくせにウンコ見られたくらいで早退するな」て話聞いていたものだから、大いに怒り、ちょうど忙しい時のバイト頼んでいたのだし無責任なことじゃ困ると母親に向かってウンコのことも含め男がそんなことでどうすると延々と説教して、強引に来させました。
結局めいっぱい翌月末まで働いてもらいましたけれど、 >>268-269 読んでたら「男はつらいよね」って思いました。
前節268-269とこの285は、「生殖的下半身文化の行動規範が男女で大幅に異なるのに対し、おろち系下半身文化の行動規範については性差はなきに等しい」という定説的仮説に対する決定的反例としてよく参照される双対エピソードである。しかしこの比較だけでは男女それぞれに対し許容されるおろち系羞恥心が慣習的に異なると結論することはできない。状況が異なるからである。社員か家族か、電話相手の身元が違いすぎる。公私の度合を統一しなければ正確な対比研究はできまい。零細企業の繁忙期のバイトであれば、嫁入り前の女子だったとしても〈たかが前日の便意の余韻〉を理由として休まれたら当然、雇い主は電話口で怒鳴りつけるのではなかろうか。
(ちなみに268-269と285の投稿主二人ともが、問題の「土曜日」朝に歩道橋でほぼ同時に袖村茂明とすれ違っており一時的帯電を蒙っていたことは言うまでもない)。
■ 湊美術大学映像科四年生橘菜緒海は、その専門的主題にもかかわらずまだメンバーの誰もがメンバー以外の前では一度も生尻ひとつ見せたことのない、すなわち公尻バージニティ記録更新中の脱糞パフォーマンス・サークル「うかれメ」でカメラマンを務めながら、女子トイレ盗撮のアルバイトを始めていた。先に述べた「顔モザイク事件」の後遺症は、やはり盗撮ビデオ関連の仕事へと彼女を駆り立てずにはいなかったのである。すでに盗撮の主流がリモートコントロール電波発信方式に変わって久しかったが、その方式は盗撮者の身が安全である利点の反面、テレビ週刊誌での盗撮告発報道によって巡回が強化されたためにカメラが撤去されてしまうおそれがあったこと、発信電波が盗撮バスターズの探知にかかって発見されることも多々あったこと、汚物入れなどピンホールカメラの隠し場所が限定されているためにたいてい斜め前方からの撮影に限られ映像にバラエティが欠けるきらいがあったこと、そして何よりも現地撮影の盗撮者の息遣いが伴なわぬため盗撮映像の命ともいえる「息を殺したような微妙なオーラ、衣擦れ感」が欠けてしまうことなどによって、やはりリアルタイムで人間が接写する古典的盗撮ビデオを求めるマニアの声(「手作りの味だよ!」「床を擦る目線的執念の波動ってば!」)がまだまだ大きかったことなどによって、盗撮屋アルバイトの需要は絶えることがなかったのである。うかれメ制作のプライベートビデオのいくつかを中野タコシェで入手して知った裏ビデオ業界人から橘菜緒海のもとに時給五桁にのぼる口がかかったとき、菜緒海はうかれメの自閉自足の限定活動の殻を破る新境地を求めて、喜んで引き受けたのだった。(あのモザイクでブスが判明した私だからこんな仕事がお似合いなのさっ!)
激ヤバの仕事であることはわかっていながら橘菜緒海がオファーを引き受けたのには、他にもいくつかの理由があった。まず、橘菜緒海は短大時代の留年の作用で当時25歳だったが、身体的意味でも精神的意味でも男性経験は皆無、キスを始めとする粘膜接触、さらには指先以外の素肌の接触経験すら皆無というきわめて清廉な心身状態を維持していた。それでありながら一挙に粘膜以遠の腸内的脱糞集団、たとえ限定的自閉サークルにしてもコンセプトのみは紛れもなく過激な集団内でたとえ自らは演じはしないとしても要職を務めるだけの深入りを果たしているというこのアンバランスが(ちなみに基礎性行為たるセックスを謝絶しながら応用性行為たるスカトロ界に没入している彼女こそ、街頭布教時代の印南哲治の理想に合致した女性だったことを確認されたい。これについては後述する。なお、以前からこの種「順番が逆だろう系」女性は意外と多いという統計が――メル友出会い系時代到来以前にテレクラやダイヤルQ2でテレホンセックスのアルバイトをしていた女性は処女率が同年齢の平均よりも高いという公的統計データが複数あることにも着目せよ)、橘菜緒海に一種複雑な陰影的神秘感の魅力を付与しており、その雰囲気に惹かれて彼女にアプローチした男も当時一年間に五六人ではすまなかったのだがそのことごとくを橘菜緒海は退けていた(「どうせブスが判明した私だしね。ブス専なんかいらない!」)。もともと橘菜緒海は常日頃「私はセックスがこわいので結婚しない。みんな本音は私と同じはず」とまで揚言していたのである(この菜緒海語録をそのまま高校時代の友人が『ヤングマガジン』BE─BOPアジア選手権に投稿して採用されたというが、掲載号は突き止められていない)。しかしそのような無垢な臆病もしくは臆病な無垢を後生大事に守りつづけていたのでは人生芸術的にも芸術人生的にも行き抜けないとはうすうす悟っており、結婚という非芸術活動の期待値はともかくとしてバランスをとり直せるような芸術模様の冒険に打って出なければと常々ひそかに焦ってはいたのであって、そこへかかってきた高収入アルバイトだったのである。自分の粘膜は温存しながら稀なる粘膜的冒険ができるというのだから願ってもないチャンスだったわけだ。
もう一つの理由は、友人の恋人の友人である新聞勧誘員の男当時二十九歳が便所覗きで捕まったという雑談に端を発している。その男は韓国エステの常連客だった。本名の記録が残っていないため、かりに〈喪竿〉と記そう。橘菜緒海モザイクエピソードの隠しトラックとして登場する顔モザイク的匿名的人物であるゆえの「モザ表」だが、彼女いない歴イコール年齢を公言していたゆえに一時代的普通名詞〈喪男〉の固有名詞形が要請されること、そして後の蔦崎事件─印南事件に共通して含まれる二重被害者がただ一人存在することがわかっているがそのただ一人こそこの人物ではないかという状況証拠があるため「喪」の字を宛がうに値すること。本来なら〈喪竿〉のこのエピソードは省略すべき程度の矮挿話にすぎないが(これに言及せずとも橘菜緒海から橘印への展開は了解可能なのだが)、ひとえにあの二大事件に定位置を占めた人物たるがゆえにここで特記しておかねばならない。というよりあれら大事件において一種特異点たる唯一人物であるからには氏名不詳で通ってきたのはおろち史的に不可解なのだが、いかなる学問にも往々にして〈ちょい調べればすぐ特定できるのになぜか暗黙に不特定のまま推移してきた枢軸情報〉が点在しているものだ。おろち学においてはこの〈喪竿〉氏こそがそのエアポケットの一つにあたるのである。露出させれば簡単に顕われるのに、いつしかモザイクがかけられたまま暗黙放置されたプチ秘境ゆえ、本稿もその慣例を踏襲する。不格好な匿名的固有名詞扱いを御了承いただきたい。
さて韓国エステの常連客だった〈喪竿〉氏。オリエンタル美女のマッサージを受けるあの薄暗室、昼間四時五時という比較的早い時間に入ると、ときどき揉み姫さん(エステシャン)の指や手首がポキッ、と鳴る瞬間があるのだという。こちらの肩甲骨を押した瞬間に女の指がポキッ。こちらの背骨を押した瞬間に女の親指がペキッ。こちらの尻をグイ押しした瞬間に女の肘がプキッ。こういうときに〈喪竿〉は、えもいわれぬ興奮に包まれたという。こうしたポキッ類は確かに関節が一挙解放される快感の感情移入を一瞬ながら誘う。だがそれだけではあるまい。なぜその「ポキッ」がうれしいのか自分でもわからなかったのだが、やがて判明した。ポキッと鳴るからには、きっとその揉み姫は今日の初仕事なのだ。関節がまだ「この日の処女状態」にあったということなのだ。得した気分になるではないか。むろん初仕事とは限らないが、気分的にいかにもそう感じせさる「ポキッ」であるし、実際エステたけなわの夜九時過ぎなどに入ると「ポキッ」の確率が低かったという。損した雰囲気ではないか。新品のゲルベゾルデの銀紙を破る「べりっ」にも似たこの「ポキッ」(「しかし謎なのは、処女「膜」の話になると男でも女でもなぜ「あれは膜じゃないんだ、はじめからちゃんと裂けてるんだ、むしろ襞なんだ」と躍起になって否定し始める輩が多いのか? 誰も完全な密閉膜など想像しちゃいないのに……」【『おろち史無名人語録』より】)。いずれにせよこの関節による自発的処女膜突破を味わいたいがために〈喪竿〉は、ほとんど昼間の営業開始時間と同時に個室に入るようなタイミングで、歌舞伎町の、東池袋の、ユースロード上野沿いの、錦糸町の、駒込の、練馬の、神田の、日暮里の韓国エステに通いはじめたのである。
こちらの肩にむこうの親指が鳴って、5点
こちらの肩甲骨にむこうの中指が鳴って、5点
こちらの腿にむこうの手首が鳴って、10点
こちらの腰にむこうの肘が鳴って、20点
といった具合に、こちらがマッサージされている部位とエステシャンの鳴る部位との組み合わせを綿密に点数化し、今日は合計何点だった、とほくそ笑む日々が続いた。思うような点数が得られないと――最低50点獲得が目標だった――目標値に達するまで何度でも別の店に入りなおした。ときどき「ポキッ」がインターフェイスで生ずる、つまり自分の背中が鳴ったのかエステシャンの肘が鳴ったのか、自分の首が鳴ったのかエステシャンの指が鳴ったのか、指圧接触点でとにかく「ポキッ」と鳴ったということしかわからないことがあり、そういうときは点数のつけようがなくて戸惑ったりたしものの、その自他あいまいな融合感が逆にイイというかその種のを「中間鳴り」と名づけ、エステシャンの関節が自分の中に入り込んで体が溶け合ったような感じで、性別も国籍も超えたその脱力感がまことにイイのだった。足踏みや膝漕ぎで背中に乗られているときエステシャンの足指や足首や膝が鳴ったりすると、ましてや「中間鳴り」だったりするとそれだけで〈喪竿〉は昇天してしまい、ヌキの段になって〈喪竿〉が仰向けになったときすでにどっぷり股間精液がシーツを汚しているのを見てエステシャンが感激÷軽蔑することも一度や二度ではなかったのである。
やがてこの興奮にも慣れて、よりグレードの高い「ポキッ」が欲しくなってきた。すなわち、指よりも手首、手首よりも肘、肘よりも足首、足首よりも膝とくれば当然、股。
股!
そりゃあ股でしょう。
股関節パ、キ、といきたいところだったのだ。しかし揉み姫さんの脚の付け根がポキッと鳴る現場には一度も巡り合えない。背中に乗って膝漕ぎマッサージという大技のときでもたいてい揉み姫さんは脚を揃えているため、なかなか股関節の出番はないのだった。股間節のポキッがほしい! 切実にほしい! ではどこで股関節に出会えるか? 〈喪竿〉は考えた。股関節が鳴るためには、しゃがむこと。人がしゃがむ場所といったら、トイレだ。トイレ。和式トイレ。
トイレか。これはもう、そうするしかあるまい。というわけで〈喪竿〉は、一直線にトイレ覗きを始めたのである。あえて覗かなければならなかった理由は、隣の個室に向かって耳を澄ましているだけでは「ポキッ」を捉えるのが至難だったからだ。なにしろ雑音の多い公衆トイレである。隣の人間がしゃがんだ瞬間、あるいはしゃがんだまま足の踏み場を変えた瞬間、あるいは立ち上がった瞬間にポキッと鳴りやすいことは推測できるので、その瞬間の姿勢を視覚で捉え、聴覚を集中させれば、微妙な「ポキッ」が把握できるという按配である(コンサートでトライアングルやカスタネットのような通常聞こえがたい微妙な隠し味的パーカッション奏者に注目していると、不思議とその打撃音のみ拡大されて鮮明聴取できることに気づいたことのある人も多いはずだ)。こうして〈喪竿〉は女子トイレ覗きを続け、隣のポキッ、ポキッ。ポッキッ、にそのつど勃起し陶酔することを続けていたのだが、一度神保町古書センターのトイレで手鏡を使って個室を覗いていたところ、しゃがむ瞬間にパキッ、野太い長大便を垂れ下がらせながら足を踏み変えてポキッ、尻を拭いて立ち上がる瞬間にポキポキポキッと史上初の三段鳴らしを響かせて〈喪竿〉を狂喜させパンツの中に大射精を強いた排便者がいたのだが、その当人が出てくるのを外で待っていた〈喪竿〉は愕然とした。出てきたのはなんと男で、長髪で赤セーターを着ていたので遠目に女と判断しトイレに入るとともに窃視開始したのであったが「男かよ……」男の尻を見ながら勃起しつづけ、男の脱糞を見て射精してしまったことを〈喪竿〉は深く深く悔い、想念追放のためそのあと韓国エステを三軒ハシゴして掃除射精を行なわずにはいられなかったのだが、後で家に帰ってよくよく考えてみると、自分はこれまでべつに女の尻で勃起していたわけではなく、「ポキッ」で勃起していたはずだった。「ポキッ」さえあればよかったのだ。覗きという発想から反射的に「女」という連想しか浮かばず、それは一種錯誤だったのであって、そう、〈喪竿〉の興奮の対象は女ではなくいかなる体の部品でもなく、「ポキッ」という音そのもの、関節音という抽象的実体だったのである。
それからしばらくの間、ほぼ一ヶ月間と推定されるが、〈喪竿〉は心中密かに「ピーピングロシアンルーレット」と名づけた遊びに耽溺した。各所の男女共用トイレでぽきっ、パキッの主の尻からにュルにュル搾り出される大便を覗きながら、とりあえず興奮し勃起して射精に至っておくのである。そのあと、排便主が個室を出るとともに性別を確かめる。共用トイレゆえ女性が敬遠している率が高い。この反動的予期によって実際追跡対象が女だったときの安堵感解放感はすさまじく、一見十二歳だろうが七十五歳だろうがともかく女性であれば強烈な安堵のあまりその場で立ち尽くしたまま再度射精に果てる。一方ターゲットが実は男性であった場合、極度の後悔と払拭欲に打ちひしがれ帰途ずっと嘔吐を堪えるという自虐感覚にこれまた恍惚的に痺れるようになったのだ。一見して男性的な剛毛のない尻のみを選んでこのピーピングロシアンルーレットの対象とした甲斐あって4対1で安堵の方が多いという一種達人域にまで達していたのだが、もとより照度乏しき覗き環境のもと、男尻にもけっこう引っかかって、いちどこれはという尻主が根本敬流典型的「いい顔のおやじ(無精髭つき)」であったことを確かめたときには、あまりに激烈な反恍惚により〈喪竿〉はその場で法悦失神したほどだったのである。
しかし命にかかわりがないとはいえ、そしてどちらに転んでも快楽が約束されているとはいえ「どっちかな」的期待のプレッシャーというものは心拍に過大な負担を強いるのだった。ロシアンルーレットの圧力に耐えかねたか一度〈喪竿〉は覗き中に不整脈の発作を起こし、息が詰まって三十分ほど個室内で動けなくなり、路上に出て再び倒れて今度こそ救急車で運ばれたのだった。大事には至らなかったもののこの遊びはあまりに危険と悟った〈喪竿〉は、男女の賭けが成立しない安全確定環境に行為を移さねばならなくなった。というわけで一時期〈喪竿〉は、三谷─袖村が経営するあのOLローントイレを利用していたのだった。しかし安全策に走りすぎた罰と〈喪竿〉本人は解釈しているようだが、初回に出遭った尻――「バキッ」と(通例のポキッではなくバキッ、と)例外的な豪快音を立てたのみならず尻艶の輝きが印象的な尻――に惚れて毎回ひいきにしていたところ、その尻が実は経営者三谷恒明のものであったという、すでに述べたあの姑息な三谷詐欺商法の大被害に遭ってしまったのだった。それからは「どのみち間違いに見舞われるなら」危険を冒して女子トイレに忍び込む必要も共用トイレで心拍爆発させる必要もサクラだらけのOLローントイレなんぞにすがる必要もなく、もう堂々と普通に男子トイレで落ち着いて覗きまくればよいではないかという簡単な悟りに達したのである。主目標はひとえに「ポキッの人体的情緒」なのだから。
かくして〈喪竿〉は男子トイレで「ポキッ」を覗きまくる日々に耽溺し、あらゆるバリエーションを見尽くした。男は女に比べ関節が硬いからであろうか、しゃがみざま、立ち上がりざまの関節音の鋭さがまた一段優れており、「関節の共感」がますます身にしみていったのだった。ただし覗きがあまりにあからさまとなっていったため何度か最中に発見され、胸ぐらをつかまれもしたがそのつど逃れ、意地になって面が割れても続行し、しまいに警察に突き出されたという次第である(最終段階については相原コージ『コージ苑』第一版「覗き」「良く遣った」の項参照)。しかし半日どころかものの半時間ほどで釈放され、〈喪竿〉は考え込んだ。以前バイト先の先輩が女子トイレ覗き初犯で一晩留置されたことがあるのに、こっちは常習犯だというのに事情聴取だけで放免とは……。強姦罪の被害者として法律的に女性だけが認定されるという明示的女尊男卑以外にも暗黙の下半身的男女差別の普及ぶりには甚だしいものがあるなあと思い知ったという。
というような話を友人から又聞きで聞いた橘菜緒海は、ついで〈喪竿〉本人を紹介してもらって直接話を聞き、なるほどー、トイレ覗きって楽しそうだワ犯人の方にも性差別あるんだろうか女が女子トイレ覗きして発覚した場合やっぱこの人と同じく半時間で免罪かしらいやカメラ持ってちゃやっぱただじゃ済まないわよネ罰せられるよネなどとぐるぐる考えまわしているうちに、……ここからは橘菜緒海の、友人への私信から引用しよう。
まずは韓国エステに行ってみたのね。その人の経路を一応始めから辿っとこうと思って。それになんか実際ポキッ、を体験したくなっちゃってね。看板に「男性10000円女性8000円」とあるのを真に受けたわけなんだけど、入ってくとなんかフロントのお兄さんが珍しそうな顔するわけよ、揉み姫さんもあれっと首傾げているし。でもマッサージしてもらって、何度目かでわかったのは、ああいうとこ女性はほとんど行かないみたいなのね。基本的にメンズエステなのね。でもフロントの人や揉み姫さんの意外そうな表情やそういうのが面白くて、ていうかなんか快感で、女には性感マッサージはつかないんだけどなんかうずうずと、あたしセックスはおろか自分でやったことも一度もなかったんだけど生まれて初めてイク感覚味わえたような気がしたわけよ。揉み姫さんに腰を揉まれてウッ、とかのけぞっちゃって、いえ、あたしそのケはないけどさ、でも揉み姫さんの指や肘のポキッ、にも何度か出遭って、たしかに「ああ、鳴った鳴った……」って、話に聞いた通りってのもあってしみじみするのよね。で、たしかにトイレでこれが聞けたら、手じゃなくて股関節だったら迫力あるはずよね~とか見ながら聞けたら凄くいいだろうな~とかって実感っていうかわかってきて、ちょうどそこへ、例の盗撮アルバイトの話が舞い込んできたわけよー。
女が女子トイレで撮影するわけだからよほどのヘマやんなきゃ大丈夫だよね。ただ最近は洋式トイレが増えてきちゃっててね。洋式だと覗けないし、腰掛けるだけだと「ポキッ」もあまり期待できないから。やっぱドワッってしゃがんでフンヌ~、てふんばってはじめて股関節がパキッと解放されるんだろうね、ああ気持ちい~って。
で、さっそく盗撮始めたのね。一日五時間閉じこもってて二十万単位のお金になるんだからおいしいよね。一度、年齢とかはわからないけど足首が細いわりにもーのすごく大きなお尻の人で、足の位置を変えたとたんポキッ、ポキキッて股関節が鳴り続けてて鳴り終わらないうちにブフウーッ、て長いオナラが出たことがあったのね。オナラとポキッが同時に……。さぞ体が一瞬ほぐれきる快感が……。本人の身体のすみずみの解放感がにじみ出ていて、こっちまでお腹と股関節がスーッと透明に澄んでゆくようで、あー、あたしこれ病みつきどころか生き甲斐になりそう、なんてさ。(引用者注:後年のおろち生理学の対照実験によると、ポキッと放屁とが同時に生じた場合は、その片方だけの場合の合計に比べ、尻肉弛緩瞬間リラックス度が七十パーセントも大きいことが赤外線サーモグラフィ測定で確かめられている)。
とりわけね、オバサンのオナラにしみじみと哀愁を感じるのよ。若い子より、断然オバサン。オバサンはだいたい靴下でわかるわね、百%じゃないけど。「ポッキッ」ていかにも股関節硬そうな音立ててしゃがみこむ人多いしね、オバサンには。一度あたしのお母さんくらいの、裾や足首もなんか似てたんだけどお母さんくらいのオバサンが、しゃがんだままもういちど足踏み変えたとたんに「プースーーウウ」ってオナラしてねー、すごーく深い、お腹の一番奥からじかに出てきて百%出し切ったわ~~って感じのほとんど無音のすーごーいオナラを。で「あ~ア」ってすごく深いため息をついたのよね。あたし前から漂ってくる匂いを吸い込みながらじーんときちゃって、生活だワ、生活なんだワ……って。
このように橘菜緒海が「お母さんくらいのオバサン」にのめりこむようになっていったのは、一つにはもちろん、あの「顔モザイク事件」が作用しているに違いない。つまり、あのブスの烙印の屈辱は、単なるルサンチマンとなって沈澱したのみならず、浴室内で同じくモザイク消去の憂き目に遭ったオバサンたち――しかもオバサンたちは顔だけでなく全身がモザイク処理されていたことを思い出していただきたい――に対する「共感」「被害者連帯感」「対象外ラベル共有感」といった肯定的感情をも橘菜緒海の中に育んでいたのである。二段腹垂れ乳のオバサンたちへの連帯感とはずいぶんプライドを捨てた境地とも言えようが、ブス烙印の通俗的ショックは、連帯感を持てる存在には何であれ縋りつかずにおれない衝動を呼び起こしていたのである。顔のみ消去の自分よりも広範囲の消去を被ってしまった熟女への同情愛が確実に芽生えていたのだ。
しかし実は橘菜緒海には、このモザイク経由の熟女愛によって引金を引かれる以前から、まさにトイレを舞台とした熟女愛の素地が敷かれていたのである。それはとりもなおさず、ズバリ実際の母親との関係に起因したものである。橘菜緒海……ナオミ。このナオミという名前をご記憶のことと思う。さよう、以前(第2回)金妙塾大蛇問答の記述をしたさいに高塚雅代出題のエピソードとして引用した、あの「だからナオミちゃんと一緒にトイレに入るのいやなのよ」の「ナオミちゃん」こそ、この橘菜緒海その人だったことが最近の研究で判明しているのだ。これは母親・橘真知子の消極的ながら疑問の余地ない証言および日記により裏付けられている。橘菜緒海がスカトロパフォーマンス撮影のみならず盗撮実践へと自発的に食い込みえた背景には、この幼少時の母親との波動空間体験が逆トラウマ的に作用していたとも考えられる。
ただし橘菜緒海は、盗撮アルバイト開始当時すでに「ママうんこしてる。クサイヨ~~」現場の記憶は一つも持っていなかったし、金妙塾もしくは高塚雅代経由で橘菜緒海に「だからナオミちゃんと一緒に……」エピソードが伝えられた形跡もないのだが(かりに伝えられたとしてもナオミという比較的平凡な名の一致から菜緒海がまさに自分のことと思うかどうかは疑問である)、当節50歳の母親真知子が十年余り前に何の話の流れからだったか炬燵でしみじみと「パパと結婚して何年かの間は、恥かしくて家でウンコできなかったの。必ず元町に帰ってしていたの」と中学生の菜緒海に話したのをよく覚えていた(元町とは、駅二つ離れた実家のことである)。「元町までもたないときは、仕方なくどこかダイエーとか駅とかでしちゃったっけ。外ではウンコは絶対しない主義だったのにね」これで、あの「だから」の謎が解ける。菜緒海の父親はコピーライターという職業柄家で仕事することが多く、したがって母親は便意→外出を繰り返しているうちに外出→便意の条件反射を身につけてしまったのであろう。ともあれ高塚雅代が耳にしたあれの当時はまだ「結婚して何年かの間」に入っており、夫の耳に少しでも聞こえる懼れのあるロケーション、夫の鼻にちょっとでも嗅がれる懼れのあるタイミングでは決してするまい的外出排便嗜みモードに固まっていたところを、娘菜緒海の成長につれ「ママうんこしてる。クサイヨ~~」の洗礼を繰り返し受けることとなってしまったわけである。無言の夫と騒鳴の娘とからの挟撃体制。こうした背景において見ると、菜緒海の心理に関して新たな解釈が浮上してくる。すなわち、第2回からの通し番号によって記すと、
25 ナオミちゃんは、ママがパパの前では楚々淑々と、奥床しく振舞っていることに気づいている。パパの前では鼻をかむことすらしないし、くしゃみでさえキッチンに逃れてする。なのにパパのいないところでは、ナオミの前で平気でオナラをしたりするのだ。ナオミちゃんはこれに不満である。ママが自分よりもパパの方を尊重していることにちょっと苛立っている。嫉妬している。パパとのあまりの差のつけられ方に、人格を無視された気がしている。幼な心に、ぼんやりそういう心地悪さを覚えている。心地悪さは意地悪さに転化する。それでママがパパに気取られまいと常々秘密にしている下品な音とにおいを放ってウンコしているときには、猫かぶりの断罪というか、どうしても騒ぎたくなってしまうのである。[嫉妬断罪説]
26 ナオミちゃんが二歳にして25的高度な嫉妬感情に駆られていたと想定する必要はない。ママがいかに新婚当初トイレ関係で苦労したかについて中学三年の時点で聞いて感銘を受けた菜緒海の心理波動が時空トンネル効果により時間を遡って、二歳児の時の自分に波及作用し、母親がトイレするときに敏感に反応するようになったと考えられよう。(過誤記憶が形成されたという意味ではなく、物理的事実そのものが過去に遡って作られたという遡及因果的な意味である。この「時空トンネル効果」はおろち史においてしばしば見られる現象で、人類の文化的・身体生理的進展の中で最も経年変化しなかったものの代表が大便形状であるという常在対応現象と深く関係していると思われる)。この解釈が有力である根拠として、後年の橘印の画期的ビデオ『トイレなんかこわくない!~ママといっしょ』がある(後述)。[逆向き因果説]
母親橘真知子の羞恥心は娘の対外告知の騒鳴儀式によって次第に鍛えられていく。(ちなみに母親は新婚後一ヶ月は処女だったという。橘菜緒海の性交躊躇症も、母親の気質を遺伝的に受け継いだ賜物であるとともに自宅排便自粛エピソードを母親が思春期の感受性微細な菜緒海にきわめて感慨深く羞恥恐怖心涵養式に語ったことにも大きく影響されていると考えられる)。もしかしたら菜緒海は、家に帰ってからパパに、きょうデパートでママと一緒にこーんなおっきなウンコしたよ、すごく臭かったよ、ママのウンコの方がナオミのより黒くって、おっきくって臭かったよ、などという話をいきなり始めてママを慌てさせたりしたかもしれない。一種その反復が累積的ブレイクスルーとなって、母親は夫の感覚半径内で堂々と音と匂いを残すことができるようになっていき、夫婦間に一挙風通しよい緩やかなくつろいだ関係を築くことができたのではあるまいか。橘菜緒海は娘たる自分のこうした家庭的貢献の詳細は到底記憶していなかったが、無意識の層に母親のスカトロフォビアっぽい物怖じをずっとひしひし感じていて、それが熟女スカトロ定位トイレ盗撮への情熱を今になって呼び起こした。それがこのジャンルに名を残す輝かしい橘印ビデオの芸術生理学的源泉だった。そのような推測が十分成り立つのである。
(第21回 了)
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