俳句を数行に分けて表記する多行形式俳句は、高柳重信を創始者とするといってもいいと思いますが、数多く現れたその美学の同調者(単なるエピゴーネンもいました)の中でも、師である重信とは一線を画した、独特の世界(=美学)を創出したのが大岡頌司(1937~2003年)です。
しかしこの大岡頌司独特の世界は、なにも俳句作品の中にだけあるのではありません。俳人という彼の顔には後に、もうひとつ別の顔が加わることになります。句集の出版を専門に行う「端渓社」の創業者という顔です。
印藝書肆「端渓社」は昭和48年(1973年)、第4句集『抱艫長女』を刊出した翌年に開業しました。開業といっても大岡ひとりのプライベートプレスですが、「印藝書肆」という呼称を冠したとおり、正字体(旧字体)漢字による活版印刷と、和紙の貼り函に貼り題箋といった、今ではとうに絶滅した意匠による、贅を凝らした造本を特色としていました。
端渓社本は、書物における職人芸と呼ぶに相応しいものでしたが、生前の大岡は自らを装丁家と名乗ることはありませんでした。それは、書物とはあくまでも読むための実用品であり、美術品として鑑賞するものではない。読むときに手にして初めて物としての価値を発揮するという、職人を生業としてきた大岡独自の美学によるものだったと思います。
同様に大岡の墨書にもその職人的な美学が貫かれています。句集の見返しや色紙に残された数多くの墨書は、お世辞にも上手とは言い難い、筆の勢いだけが頼りの素人の殴り書きです。それは書家の審美眼から認められることはない、書の常識とはかけ離れたものかもしれません。が、その筆触は大岡頌司以外にはなしえないものに違いありません。それは書の美という概念を超え出た、物としての存在感を確かに有しています。
目下のところ「大岡頌司句傳」と題し、その作品論を「夏夷リーフレット」誌上で連載中ですが、「句傳」というからには作品論だけでは不十分だと思っていました。大岡頌司という俳人格を形作ってきた文学に対する美的変遷を辿りたい。そういう思いでもうひとつの大岡美学、その書物と墨書に現れた美に対する拘りを追いかけてみたいと思います。
田沼泰彦
1 俳句の師である高柳重信句集の翻刻出版も行った
2 手漉き和紙の本文用紙に旧字体漢字旧仮名遣いによる活版印刷
3 晩年の書「蒲」は住まいの地名から取った一文字
4 代表句を墨書した色紙「ともしびや/おびが驚く/おびのはば」
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■