日本文学の古典中の古典、小説文学の不動の古典は紫式部の『源氏物語』。現在に至るまで欧米人による各種英訳が出版されているが、世界初の英訳は明治15年(1882年)刊の日本人・末松謙澄の手によるもの。欧米文化が怒濤のように流入していた時代に末松はどのような翻訳を行ったのか。気鋭の英文学者・星隆弘が、末松版『源氏物語』英訳の戻し訳によって当時の文化状況と日本文学と英語文化の差異に迫る!
by 金魚屋編集部
箒木
ぐずぐずと御所に逗留するうちにまた方忌が巡ってまいりました。塞の向きを鎖すというので、これこそ口実と内裏を発ち、傍目もふらず紀伊守の在所へ向かいます。はたと思い出して方違えしたと言えば尤もらしかろうという心算なのです。まさかの訪いに仰天した紀伊守は、此度も御相伴仕れるのは我が家の誉と額ずくばかり。先触れに遣わしていた小君も出てきて、源氏とともに部屋に入りますのは平生と変わらぬ介添と見えますが、今度は内々に本心を打ち明けられておりました。
しかし姉君は、源氏の君が一目逢いたがっていると弟から聞き及んでいても、崖の階に咲く花の色香に誘われてふらふら寄ればどんな危ない目に遭うか、よく弁えておりました。一目逢うための口実になる時宜を待ったうえで出向いてくださったことには痛み入るけれども、二度目見えることで、今はまだ夢の中だけで済んでいる胸の悶えを焚き付けたくはない、それにもしまたあの時のように部屋に踏み込まれでもしたら、女の操はどうなりましょう。
そこで姉君は、弟が源氏に従いている間はお供の中将の部屋に退いておりました。母屋から見て裏手です。私室が皇子殿の部屋の目と鼻の先であるのも憚られるし、気分が悪くひとつ叩いてもらいたいが*1、奥に引き篭ってでなければ具合が悪いのでということにしておきました。
源氏は早速従者らをめいめいの部屋に下がらせると、小君を遣わして、姉君と二人で話がしたいと申し込みました。しかしなかなか姉は見つからない、あちこち隈なく探した末にようやく中将の部屋を訪ね、どうか一目お逢いくださいと泣きつく声音は困り果て、震えんばかりでございました。一方、姉君の返答には怒りが滲んでおりました、「何をばたばたと、みっともない。そんな用向きにこき使われて男が廃ります」 顔色を無くした弟に姉は幾分声を和らげ、皇子には気分が悪いと伝えなさい、それから他に客人があり、放ってもおけないから、と。それからもう一度甲斐甲斐しいのにも程があると釘を刺し、追い払ってしまいました。

ところが、胸の底を覗けば、言葉にしようとも言葉にならず、千々に乱れてまとまらぬ別の思いがわだかまっていたようにも思われるのです。もしもまだ乙女の体で、父母と睦まじく暮らしている屋敷に源氏の君が折々訪ねてくる、もしそうであったら浮かぬ顔などしただろうか。恋を知らぬふりなどしただろうか。
小君はうまく口説き落としてくれたろうかと、気を揉んで待つ源氏のもとにやがて返ってきたのは目論見は台無しとの知らせでした。それを聞いてしばらくは言葉もありませんでしたが、万感の思いを込めた長い溜息を吐き出すと、口ずさむように歌うのでした、
とおくみやりしははきぎのかげに*2 こしをおろしてたれそいこえし
わびしきあれののしるべとおもい よらばまぼろしみるかげもなし
悶々と寝付けぬ姉君の胸中にもまた、思いは歌となって去来します、
わびしこのみをははきぎの かげともおぼしまおしけれ
こえにはならじためいきの こずえをうちしながきわかれに
家内の者は皆寝静まっておりましたが、ひとり源氏の目にはついぞ眠りは訪れず、これほどの身持ちの固さは見上げたものだと感心し、ますます思い焦がれます。悶えておいでした。もうよい、と独りごちたかと思えば、しかしまだ、などと口にし、ついにしびれを切らして小君に向かい、どこにおられる連れていけと迫ります。
小君は落ち着き払って、「だめです、見張られております」
源氏はほうっと息を衝き、どさりと茵に身を投げると、小君につぶやきました。君は私を見捨てないよな、ひとりきりにしないでおくれよ。
【註】
*1 叩き、あるいは按摩は心身の不調を整えるための日本の民間療法で、洗髪を兼ねていた。
*2 ハハキギの木。枝ぶりの箒に似ていることから箒木。信濃は園原の野にあると伝承されている。遠くからは先の広がった箒のように見えるが、近づくとすっかり別の木に変わってしまう。
(第20回 箒木 了)
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