「詩人と呼ばれる人たちに憧れている。こんなに憧れているにもかかわらず、僕は生まれてこのかた「詩人」にお会いできた試しがない。・・・いつか誰かが、詩人たちの胸ビレ的何かを見つけてくれるその日まで、僕は書き続けることにする」
辻原登奨励小説賞受賞の若き新鋭作家による、鮮烈なショートショート小説連作!。

by 小松剛生

 

 

 

 ※今からはじまる文章は何年か前、下北沢の小さなバーで友人主催の音楽演奏会が開かれることになって、その際に来てくれたお客さんに配るしおりに、何かちょっとした紹介分を書いてくれと頼まれて書いたものだ。そして結局、本番で使われることのなかったものだ。

 僕は当時意気揚々と書いてみせたけど、今にして思えば音楽に疎い僕を参加させるための、友人なりの(いき)な計らい、ってやつだったのだろう。改めて読み返してみるとよくもまあこんな恥ずかしいこと書いていたなという気持ちしかないけれど、でもまあせっかくだから公開してみようと思い至った。

 「この世でいっとう悲しいのは語られることのない物語と、奏でられることのなかった音楽たちだ」と、吉田篤弘氏も書いている。

 何も僕があえて悲しみを増やさなくてもいいなと、今では思うからだ。

 

 

 1頭の死にかけた熊を想像してほしい。

 いや、ここだけの話、僕としてはベッドに寝転がった裸の美女が「あはん、うふん」というような場面を想像したいところではあるけれど、それを書いてしまうといろんな人たちに怒られそうだからやめておく。

 その熊は君の隣で横たわり、静かに死を待っている。

 君は何をすべきだろうか。

 君が獣医であれば助けられるかもしれないし、なぜその熊が死にかけているのかを考えて寄り添うことだってできる。黙ってその場から立ち去ることによって礼儀を尽くすことや、あえて何もしないという選択肢だってありえる。

 君は決断を迫られた。そして何らかの決断の末に、偶然にも君はここにいる。下北沢の片隅で音楽を聴いている。世界の中心ではないけれど愛だって叫ぶことができる、偉大な場所だ。

 君が熊の死を前にどんな決断を下したのか、僕は知らない。

 もちろん演者たちも、だ。

 間違いないのは、君は君にとってとても大切な決断を下してここにいる、という事実だ。「熊の死」を「君の人生」という言葉に置き換えてもいい。

 演者たちはそんな君に敬意を表することだろう。

 君のために音楽を奏でることだろう。

 

 

 ここまで書いて、僕はふと筆を止めた。

 何もわざわざ熊を死に追いやることはないのではなかろうか。

 君たちが下北沢へ来るという決断をさせるために、1頭の熊の命を賭けるべきではないのではないか。今夜、ここに何人の人たちが集まるかはこれを書いている時点の僕には知る由もないが、その数だけ熊を死なせるほどの価値は残念ながら今夜の演奏にはない可能性が高い。

 でも、もしも。

 もしも、熊1頭分ほどの価値のある演奏が今宵奏でられたとしたならば、君が熊の死を前にどんな決断を下したのかを僕だけにこっそりと教えてほしい。

 僕は熊の死を無駄にすることはできないし、君は忘れることのできない演奏を聴くことになるだろう。

おわり

 

(第32回 了)

 

 

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* 『僕が詩人になれない108の理由あるいは僕が東京ヤクルトスワローズファンになったわけ』は毎月6日と24日に更新されます。

 

 

 

 

 

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