「詩人と呼ばれる人たちに憧れている。こんなに憧れているにもかかわらず、僕は生まれてこのかた「詩人」にお会いできた試しがない。・・・いつか誰かが、詩人たちの胸ビレ的何かを見つけてくれるその日まで、僕は書き続けることにする」
辻原登奨励小説賞受賞の若き新鋭作家による、鮮烈なショートショート小説連作!。

by 小松剛生

 

 

 

 冷静と情熱の間で生きられるほどわたしは器用じゃないから、とりあえずローソンとドトールの間にある部屋を借りることにした。

 3階の、通りを挟んだ向かいの建物にある部屋の窓がよく見える場所だった。

 向かいの部屋の窓が見えることに特に意味はないけど、雨の日には決まって誰かがその窓枠に靴下を2本干していた。ちょうど、漢数字の「四」みたいに見えた。

 「フランスのブルターニュに住む人は、自分のことをフランス人と呼ばずにブルターニュ人と呼ぶらしいよ」

 引っ越したばかりの部屋に初めて訪れた彼は、来てそうそうすぐにベッドに寝そべって、もうここが自分の部屋かのような驚くほどの速度でリラックスしていた。とりあえず彼は気に入ってくれたらしいことを理解したわたしはすこし、安心した。

 「フランスに行ったことあるの?」

 「ないよ、こないだテレビで言ってた」

 彼には仕入れた知識をすぐわたしに披露してくれる癖がある。おかげで知識の共有は他の人たちよりとても優れた割合でできているのではないかと思われる。彼に感謝しよう。

 ローソンとドトールは大活躍した。

 雨の降る日には傘を持たずに小走りで駆け込めばそこまで濡れることもない、そういう距離にあるローソンとドトールはとても便利な存在だった。ローソンとドトールさえあれば世界は平和なんじゃないかとさえ思った。

 お店に入る前にふと雨空を見上げると、あの部屋の窓からはやっぱり靴下がぶら下がっている。誰かがあの部屋にいるはずなのに、その誰かの姿だけはいっこうに、影さえ見えない。ただ靴下だけがぶら下げられている。

 そういえば、その建物から人が出てくるのも見たことがなかった。というより人の気配が建物からはしなかった。本当に人が住んでいるのだろうか。いや、そんなはずがなかった。誰もいないとすれば、じゃああの靴下は誰が干しているというのだろう。

 部屋に戻ると彼はベッドの上でメルヴィルの『白鯨』を読んでいた。彼はキリスト教徒の敬虔な信者が聖書を常に持ち歩くかのように『白鯨』を持ち歩いていた。にもかかわらず、彼はいつもそれを途中までしか読まず、船長がかの白鯨であるモービィ・ディックを見つける場面までたどり着くと、また主人公格である人物のイシュメールが自分を「イシュメール」と名付ける冒頭まで戻ってしまうのだ。結果、彼の『白鯨』ではいつまでも白鯨を追いかけ続ける船長が存在し続けることになる。

 もうひとつ、彼はモービィ・ディックを「モチャ・ディック」と呼んでいる。それは1810年に実在したマッコウ鯨の名前であることをわたしは知っている。知識の共有はほぼ完璧な割合でできている。

 「また読んでるの」

 「悪いかい」

 「別に悪くはないけど」

 そう、別に悪いことじゃない。悪いことなんてなにひとつないけど、なんていうか、1冊の本をずっと読み続けることは、あんまり生産的な行いではないことだけは確かだとわたしは思った。

 「生産的な行いだけがすべてじゃない。船長だってモチャ・ディックをずっと追いかけ続けてるんだ」

 敬虔な信者だ、とわたしは思った。

 窓の靴下のことは彼に言わずに黙っていることにした。それは知識の並列化をすすめるわたしたちの取り組みに反対する、小さなレジスタンス(反抗勢力)だった。わたしがそこの(おさ)だ。

 雨は降り続いている。

 昔、悲しみは雨じゃなかった。

 悲しみとはちゃんと理由があって湧いてくるものであって、雨のように突然降り注ぐものではなかった。今は違う。理由のある悲しみと、理由のない悲しみの2種類がある。突然わけもなく悲しくなるときがある。わたしの人生はそういう意味ではだんだんと確実に複雑なものになっていっている。

 町にはショパンという名前のピアノ教室があった。

 ピアノ教室の名前としてはすこし出来すぎた名前だとは思ったけれど、たしかにピアノ教室の凡庸な名前として、ショパンはとてもしっくりとくるネーミングに思えた。

 「今はもうないよ」

 「え、そうなの」

 「この前あの家の前を通ったら、改装工事をしてた。整体屋さんになるらしいよ」

 ショパンがなくなる。

 それは世界の凡庸さに拍車をかける存在がひとつ、この町から消えることを意味しているような気がした。誰かが世界のバランスをとっているのかもしれない。

 通りを挟んだ向かいの建物にある部屋の窓から、やっぱり靴下が2本ぶら下がっている。あれももしかしたら、世界に対するレジスタンスが行っている犯行なのかもしれない。

 「なにか見えるのかい」

 「別に、なにも」

 わたしは彼には言わないでおくことにする。わたしだって小さなレジスタンスの長なのだ。その誇りがそうさせた。わたしはフランス人ではないけれど、ブルターニュ人の気持ちがすこしだけ理解できるような気がした。

 「なにか見えるのかい」

 「なにも」

 窓に誰かの影が映ったような気がしたけど、たぶん気のせいだ。

おわり

 

(第31回 了)

 

 

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* 『僕が詩人になれない108の理由あるいは僕が東京ヤクルトスワローズファンになったわけ』は毎月6日と24日に更新されます。

 

 

 

 

 

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