偏った態度なのか、はたまた単なる変態か(笑)。男と女の性別も、恋愛も、セックスも、人間が排出するアノ匂いと音と光景で語られ、ひしめき合い、混じり合うアレに人間の存在は分解され、混沌の中からパズルのように何かが生み出されるまったく新しいタイプの物語。

論理学者にして気鋭の小説家、三浦俊彦による待望の連載小説!。

by 三浦俊彦

 

 

 

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■ 袖村茂明を早死にさせた直接刺激は、もちろん村坂誠司の金妙塾版MVS(Most Valuable Suberanai-hanashi)だったというのが定説ではある。

 「あの時ばかりは観念したね。俺もついに運が尽きたかと。まだ若かったのに生意気にも『ついに』とかね。しかしそもそもあの時代には洋式便器なんて珍しかったわけで。同じ階の男子便所の個室は全部和式だったから、当然そのノリで忍び込みますわな。入る方は日頃の鍛錬というか勘が働いてそこはもう抜かりなく。そしたら見事に全部洋式でしたよ。ウワッと思って、しかし命を削るのは脱出のタイミングなんですよ、毎度毎度」

 「##……」

 「俺としたことが洋式仕様に不意を突かれて一瞬立ちすくみましてな、脱出の好機を逸して、一個室に立てこもる羽目に」

 「%%%……」

 「入り変わり立ち代わり来訪者があって冷や汗だったよ。いつまでも脱出のチャンスが巡ってこない。観念しかけたよ。自分の情けない顔が三面記事に載っている有様を思い描いた。

 「%……」

 「そう。自意識過剰な若輩だったからね。どう逆立ちすれば社会的地位なき覗き屋が新聞に載るんだと。それでも危機は危機、それでも鍛錬の賜物、ここで行ける、という空気を察してカギを開けかけた瞬間……また来訪者の波が来て間一髪という繰り返し。う~むここは方角が悪かったかと、一個室の異様な長便所を不審に思われないよう、紙を巻き取ってみたり水流してみたりウォシュレットをときたま操作してみたりと、本来の所用の真実味を装って居ったわけですよ」

 「$$$$……」

 「さよう。ウォシュレットとは笑うね。男子便所は全部和式なのに、当時まだ普及しておらんかった最新機器ときた。笑いましたよ、見えない差別が見えた瞬間って笑うだろ」

 「¥¥¥……¥……」

 「ん? そ。ほんとの覗き。見えない仕組みを見ちゃった瞬間。で今度こそ出られるか、走れるか、て静寂が訪れましてな。八度目か九度目のね。静寂を確かめながら、念には念を入れてウォシュレットを小出しにして気配を牽制していると、ダダダダッと新たな足音がやってきて、ウワッと思ったのもつかの間、もろ俺の個室をドドドドドンってね、なんとかかんとかーってどこぞのキラキラネームっぽいものを叫びながらどんどんと叩くんですよ」

 「ウワッ、怖いじゃないですか」

 「『やめてやめてーっ』とかね。『なんでウォシュレットーっ。やらないでーっ、ウォシュレットやらないでーっ』とかね。取り乱した感じで叫んでるんですわ。百戦錬磨の俺も総毛立ちましたよ」

 「そりゃそうでしょう」

 「不審者として確保されたな、運の尽きか、と観念して出ていこうとしたんですが、どうも外の女の叫びがおかしい。『約束が違うーっ』『嘘つきーっ』とか叫んでドンドン叩き続けてるんでね。明らかに人違いというかさ、それにしても『ウォシュレットなんてひどいーっ、台無しでしょーっ』とか『臭いままで、臭いままにしといてくれるって言ったじゃない、臭いままにーっ、おしり臭いままにーっ』とか。どうもウォシュレットを攻撃して、臭さに執着する狂乱のナジリなわけです」

 「¥$%#……¥……」

 「『嗅がせてーっ、嗅がせてよーっ、約束じゃなーい』……そこまで責められると出ていかざるをえない。『ども。すみません』って、素直にドア開けましたわ。すると平凡な顔立ちの三十くらいの女が『あっ』て棒立ちになっててね。しばらく俺とその女、見つめあっちゃって。で女、『間違えました間違えました、ごめんなさいごめんなさい』って真っ赤になって謝るの。こんなところに潜んでた俺の方が何と言えば何なんだけど、とくに何のお咎めもなく、俺ってば、そのまま女の脇を抜けて無事生還してきましたよ」

 「それが……村坂誠司覗き遍歴における、橘印『覗き老人の末路』の経験を上回るMVSエピソードだったわけですね」

 「そ。オチがあるからね。……謝り続ける女とすれ違いざま一言、俺の口を突いて出た、というあれがね……」

 「『ま、いいってことよ』と……」

 橘印『覗き老人の末路』リプリント最新版には、この若き日の村坂MVSエピソード再現ドラマが特典収録されている。「村坂誠司には〈青吸爺〉時代以前に、ごく平凡な女子便所覗き野郎時代が存在した……!」というセンセーショナルでも何でもないように見えてよく噛み締めれば味のある新事実発掘記念が銘打ってあり、『ま、いいってことよ』というサブタイトルが付加されたのである。

 異論なき名作と言えるがただひとつ、ラストシーンにかぶさるナレーションに難を指摘するおろち学者が多い→→「恥は罪よりも強し」……。

 

■ 村坂から袖村へという影響磁場が一筋追跡できたのもつかの間、

 トレーナー兼プロモーター三谷を失った袖村茂明は、ひとり自覚的決意を固めて情緒を排した覗き道に専念した。それはもう、一人選ぶなら村坂誠司ということで、便槽潜伏覗きの指南を乞うたわけだが……、

 「雨合羽と傘を用意しろ、鏡は真上に向けるな、呼吸は口でしろ、……」

 ただ無自覚に歩いているだけで自然と放屁音脱糞音腸内臭排便集が身辺に立ち込めた体質者・袖村茂明……。その袖村にして、自らの運命を大反転させようと発起したものと考えれば理解できないではないが……。

 しかしというかやはりというか、かつての偶然自然覗きの甘美には程遠く、うんざり感にも程遠く、自らの体質をもっと有難がっておけばよかった、ましてやもっと持て余して苛立っておけばよかったと反省しかけたその瞬間、「自覚」によって汚されてしまった己の運命を知ったその瞬間、白袴の女性が頭上に現われたのだった。

 「……ふらっしゅばっく……」

 便槽内の苔で足を滑らせ、後頭部を強打して人知れず卑小なる死を迎えた袖村茂明なのだった。

 死の瞬間、純白巫女の白尻を見上げる眩しい光背がパーあああッと視界いっぱいにきらめいた。おろち紀元前の無思慮な物語作者なら、袖村の手中にあった盗撮動画のブレと振動からそのような描写が真実を伝えていると判断したことだろう。

 奇しくも次節に述べるの印南哲治の破局絶命の当日であった。時刻もぴったりだったと推測される。【遺された盗撮ビデオに巫女ビジョンが薄く映え今やおろち紀元前を代表するファウンドアートの一つに数えられている袖村遺物集および警察の検死記録より】

 袖村の死のひっそりぶりは、蔦崎・印南の死の壮絶ぶりに比べて、専門的にははるかに派手な謎を提供し続けてきたと言ってよい。

 

■ 超達人・壱原光雄は、両刀をもって単刀の「達人」印南哲治を実践討論(第96回参照)で打ち負かしたあと……

 「居島慶吾に遭遇したわけですね」

 「あの壱原光雄にも光と影がつきまとったという次第です」

 「祝福は呪詛の逆読みとは限らなかったわけですか」

 「裏読みとも深読みとも限らなかったわけです」

 「しかし印南哲治を上書きした矢先の壱原光雄があの居島慶吾にねえ……」

 「性差別の克服から種差別の超克へ」

 居島慶吾の名は、第28節第54回にすでに登場していることを想起されたい。とりわけ、あんな「チワワみたいな顔」の子と付き合って~まったく~、といった石黒美香の嫉妬の言葉と表情をとにもかくにも思い出されたいのだ。

 「……居島はすでに高校一年生のとき、チワワ系小型犬を中心に犬糞食いをひそかに実践していたのです」

 「まんまじゃないですか」

 「居島慶吾は三十歳を過ぎた頃には、犬・猫はもちろんほとんどすべての動物のいかなる体調時の糞便をも食することのできる堂々たる専門家であり、おろち史上、種差別を乗り越えた〈拡大おろち主義〉のパイオニアだった、と言えましょう」

 「拡大おろち主義……」

 「もとい。当初は〈汎おろち主義〉の名で呼ばれていたようです」

 「その方がリキミがなくてかっこいいじゃないですか」

 「何事も時代を下るにつれて通俗になってゆくのです。おろち系観念もこればかりは例外ではありません……」

 「しかしほとんどすべての動物、となると、ほら、あの鳩の糞で特訓した蔦崎公一の姿がイメージされますが、あれは居島慶吾波動の余波だったんでしょうか」

 「端的に言うとそういうことです」

 ……おろち史最初期にほとんどフライング気味に抜群のハイレベルに達してしまった唯我独尊人・居島慶吾の、そこへ至る努力や衝動や葛藤や洗練の経緯は不気味なほどほとんど知られていないが、唯一詳細に記録されている微おろち的事実、すなわち高校生のときに石黒美香というこれもおろち史上不穏なほどマイナーな役割しか果たさなかった人物とのっぴきならぬ接点を有していたというこれも第28節第54回に述べおいた事実は刮目に値しよう。ここでは、中学生の時点でいかにして居島が犬糞食いを初敢行したかについて、

 「簡潔に述べてください」

 「ええと……その……」

 「落ち着いて。基本問題は部分点加算方式。滑舌は採点対象外ですからね」

 「はい。えと……、居島慶吾は前に述べました通り、高校進学後こそ優等生に踊り出たものの、中学校では成績は中の下、典型的ないじめられ役でありました。具体的ないじめの形態については不明ですが、痣や擦傷が絶えず、親の金を持ち出したことも何度かあったことから金銭にかかわる脅迫が含まれていたことは間違いないと見られます。中学在学時に前歯を二本折っているという報告もあります。……しかし中三の夏を境に……」

 いじめはピタリとやんだようだ。中学校が畑道に近い立地だったせいもあるが、当時は道端にしばしば犬の糞が落ちており、居島は、五、六人からいつにもましてシビアな古典的鉄拳制裁を食わされている最中、苦しまぎれに倒れぎわ偶然手にした糞を相手に投げつけたのだった。思わぬ逆襲に怯み笑いこけながら逃げた相手を見てこちらも思わぬ効果に味をしめた居島は……

 「それからいじめに遭うごとに犬糞を投げつけるようになりました。ただし近くに犬糞が落ちている場所でないと使えない戦法であるうえ、逆に〈犬のウンコ野郎〉と蔑まれてなお苛烈ないじめに遭うようになってしまいました」

 「ピタリとやんだ、という先ほどの形容は当てはまらないということですね」

 「あ、いや、近似的には」

 「では続けて」

 「はい。……そこで考えた居島はある放課後いじめ軍団の前で一思いに、犬糞を拾ってぱくっと飲み込んでみせたのでした。当時居島家で飼っていた雌の子犬チロが、落ちてるものなんでもかんでも口に入れる習性に耽っており自分の糞を食うのだけは叱りに叱ってやっとやめさせた矢先しばしば猫トイレの砂に顔つっこんで猫糞掘り出して食うことしばしばと相成った等々で、居島慶吾自身糞食現場は見慣れており、自らの動物糞食についても咄嗟の抵抗が働かなかったものと考えられます。そう、ぱくっと、いじめ軍団の面前で犬糞を。それ以来、犬糞パワーは……」

 犬糞そのものが手もとに存在しない場合でも居島慶吾の身体に恒久的に染み付いたと見なされ、いじめ軍団は常時居島を避けるようになった。さすがに拾い投げと拾い食いとの差異は、軽蔑と畏怖との差異に相当したわけである。

 「居島慶吾が高校に進学してから急速に成績上昇を示したのは、以来意識的に続けた犬糞食いが彼の体質に合っており、犬糞パワーが脳内物質の分泌を促したからだと言われております」

 「よくまとめられていますね。別の潮流との関連付けも一つ欲しいところですが」

 「は、はい。……かの一連の……怪尻ゾロ物語の発端エピソード、川延雅志が飯布芳恵を守るためにチーマー相手に実行した糞漏らし戦法。あれに似た打開策を、さらに進化した形で居島慶吾が独自に開発していたことは、おろち黎明史上稀有なレベル達成を果たした居島慶吾の人物研究にとって見逃せない事実なのであります」

 ……このように居島のカウンターパートとも言うべき川延雅志が、こともあろうに壱原光雄の恋人であったことはまことに皮肉である。ねじれ棒型大便の形になぞらえてこの対応を読解しようと試みる研究者もいる。

 「人間に限らずに、全ての動物に広げることは自然な流れだし、ほとんど論理的必然じゃありませんかねえ?」

 居島慶吾は、壱原光雄相手の座談会で、こともなげに言い切った。ほとんどせせら笑いつつである。

 「はい。たったいま略述しましたように、居島としては実際には過酷ないじめられ体験の実存的克服というのっぴきならないモチーフによる獣糞食開始なのでしたが、その困難はむろん潜在的競争相手の前ではおくびにも出さず、壱原を周到に追い込んでいったのです。居島の苦闘を知らずにすんなり体質者なみの容易さをもって獣糞食いの域に達する本能的顛末であったかのように思い思い込まされたことが、壱原光雄の第一の悲劇でした」

 そう。因果は巡るのである。

 「印南哲治相手にあれほど勝ち誇っていた壱原が、居島慶吾相手には萎縮しきってしまい、何も言い返せなかった光景は、傍で見るだに痛々しいほどだったと座談会に立ち会った雑誌編集者やライターが口をそろえております。居島が現場に連れてきたチワワや柴犬や三毛猫やマウスや金魚が黄糞や茶糞や黒糞やときには緑糞をするたびに次々と食ってみせるに及び、壱原はすっかり青ざめて膝に両手を置いたままほぼうなだれ固まってしまったといいます」

 それでも愛人川延雅志を亡くして失意エネルギーに逆に満ち溢れていたともいえる壱原は、川延追悼の気概を見せねばと、全実存を賭けて自らの今や「中庸的……」立場を「美……」「人間の尊厳……」系のキーワード数種類を駆使しつつ精一杯のかたことで自己弁護しかけはしたが

 「なーに寝惚けてるんですか壱原さん」

 居島側には容れられず、動物差別主義者と罵られ、居島の背後に控えていた弟子・大川誠には、古き印南哲治的ニュートン力学の限界を性差打破の革新で自ら乗り越えておきながら、今度は種差をも乗り越えた居島慶吾的量子力学の正しさを認めることのできないアルバート・アインシュタインになぞらえられ、その矛盾した不徹底を突かれまくったのだった。【専門誌上の座談会(深筋忠征参加)より。なお大川誠なるピンポイントで佇立していた弟子その一はこのときまだ、生後一か月猫の朝糞に限って食えるという自称初心メジャープラスワンレベルに到達したばかりで、居島の超々達人域を熱狂的に崇拝していた】

 「ああ、♂糞喰いで印南哲治を翻弄し爆発させたこの私が、犬猫糞喰いで翻弄されてしまった……」

 ずたずたに傷ついた壱原は当日の帰宅途上で自殺した。これまでのおろち文化の論理の延長からして当然の帰結であろう。最下層ホストクラブで十五人のホスト(21~37歳)の下痢便を一度に胃に詰め込んだ末の窒息黄金自殺であった。

 実は、

 「……壱原光雄は居島慶吾に対して自死に至るほどの破滅的コンプレクスを抱く必要は毛頭なかったのです」

 「ほほう。なぜ」

 「獣糞食い実現の背景に苦闘が含まれていたということに加えてもう一つ、居島は壱原をレベル的に凌いでいると評価しがたい要因があるからです」

 「ほほう。それはどういう」

 「居島慶吾は実はこのとき、その食糞対象を、あらゆる動物に関して♀のものに限っていたからであります。犬にせよ猫にせよ牛にせよ馬にせよ鼠にせよはたまた蜥蜴やカナブンにせよ、当該個体がオスではなくメスであるということを重々確認してからでないと、その糞を食うことが居島にはできないのでした」

 「ははあ……」

 「そうなのです。この意味では、雄雌の確認をせぬまま鳩の落下糞を見境なく食していた先駆者・蔦崎公一のレベルの方が高かったと言えます」

 「ただし蔦崎は哺乳類の糞を食えるには至りませんでしたよね?」

 「はい。そして居島慶吾会心の、中学生時のいじめに決着をつけた初拾い食いが雌犬のものであったかどうかは今さら確認しようがありませんが、それ以来の居島の獣糞食い修行は、心理的に♀モノに限っていたのでした」

 「それは厳しい制限だな。体質者レベルとは到底言えない……」

 「改めて比較してみましょう。居島はたしかに人間モノも鳥獣モノも魚虫モノも全部食える、ただし♀の糞に限って。いっぽう壱原は人間に限ってはいるが♂モノも♀モノも両方食える。食糞者としての居島と壱原との差異といえば、種の境界を乗り越えたか性の境界を乗り越えたかの違いがあるのみで、種差と性差の両方をともに乗り越えてはいないということではおろち的におあいこだったのです」

 「ふむ」

 「ふむふむ」

 「具体的に言えば――、壱原は猫の糞を食えないという点では居島にはっきり劣っているが、いっぽう居島は、二丁目の老舗ゲイバーのトイレに流れず残っていた巻糞にゴキブリ目線でむしゃぶりつく衝動を微塵も持たない点において、いや、それ以前に自分の糞すら食えないという基本的な点において、壱原よりはっきり劣っていたのであります」

 居島自身も壱原より自分が優れているわけでないことを承知していたという傍証もある。大川誠ほか居島の弟子・友人筋の証言によると、壱原が老若男女を問わずいろんな男――背広姿(身長171cm,体重68kg)、ランニングシャツ+短パン姿(169cm,59kg)、学生服姿(158cm,52kg)、パジャマ姿(164cm,58kg)、コンビニ店員姿(175cm,66kg)、白衣姿(161cm,55kg)、甚兵衛羽織姿(153cm,49kg)、軍服姿(168cm,60kg)、テニスウェア姿(181cm,71kg,色黒)、ジャージ姿(170cm,62kg)、労務者姿(159cm,53kg)、僧服姿(162cm,55kg,色白)、消防服姿(170cm,67kg)、素裸(189cm,95kg,浅黒)、式服姿(165cm,58kg)、柔道着姿(174cm,95kg)、作務衣姿(172cm,46kg,赤ら顔)、蝶ネクタイのウェイター姿(174cm,70kg)、メイド姿(165cm,50kg)、執事姿(195cm,112kg)、前掛け酒屋姿(162cm,55kg)、剣道着姿(168cm,62kg)――がひりだす大便をじかに大口に受けて食い尽くすというスカトロゲイ向けネオ橘印ビデオをふとした拍子に居島が弟子筋の手前虚勢を張って再生し始めるやいなや

 「飢えっ終わッ負いッ♂ッ凝れ緒ッっ……」

 狼狽的嘔吐を派手に催しながら大感心し畏怖と尊敬の言葉を発露していたという証言が複数得られているからである。

 居島慶吾がその食糞デモンストレーションにおいてミミズやカタツムリなど雌雄同体の動物の糞は周到に外していたことに壱原光雄が気づいてさえおれば、

 そうしてほんの冗談のようにでもこう凄んでみせる機知が働いてさえいたならば、

 「ようし、ならばおう、そんな物言わぬ動物相手にしてないで、おれや。おれに向かってこいや。おれのウンコ食ってみろや、お? 今日はナイスな下り腹だぜ。もちろんおれぁおまえのかぐわしい下痢便いっくらでも食ってやるぜ、お? 食ってやるぜ、やってやるぜ、ひり出してみろや、お? 動物糞食いまくった野蛮人の二次糞だろうが最後のケツの穴さえ人間ならおれァ食ってやるぜ! 堂々喰いまくってやるぜ、♂糞をよう!」

 こうしたシーンが一瞬でも刹那でも現出の兆しを見せていたならば、

 いわゆる直接対決の妙味につなげることもでき――あるいは勢いで催した便意に任せて自ら速射大便即時完食するという自家食糞の芸当にしても壱原的には楽勝にして居島には決して真似できないという、一目瞭然の落差も現前しかねなかったのであり――、一挙互角いや互角以上の確実優位にすらもつれ込ませることができたはずなのに、ああ哀しいかな目前で――

 「痛恨ですね。赤犬に三毛猫に白兎に黒烏に黄狐のウンコをパクパク食い尽くす居島スタイル。その表面的異形に壱原光雄ともあろうものがただただ圧倒されるあまり、外面にはっきり表われぬ事実、すなわち用意された動物がみなメスであるという大事実に気づかなかったのでした。痛恨ですね」

 「それほどの大事実にね……」

 事実、現在のおろち学の評価でも、当時の居島の♀限定レベルと壱原のホモ・サピエンス限定レベルとではどちらが美的・倫理的に高度とは判定不能とされている。かくして、たかだか♀限定食糞者居島慶吾を不必要に過大評価したことによるコンプレクスから死に至ってしまった絶望的なる絶望、これが壱原光雄の悲劇を外見よりさらにさらに痛ましいものとしている要因である。

 印南哲治のアイロニーは、これもまた反復されたのである。

 さらに後日談が一つある。居島慶吾は壱原の自壊を聞いて♀限定の己のレベルを反省し(ああ壱原さん、あなたは気づいていなかっただろうが私はホントはあなたに及ばぬ部分が多かったんですよ……ああ壱原さん……)、壱原の憤死を正当化するためにというべきか名目的勝利の実感を努めて実質化するためというべきか、壱原死後の約三ヵ月後から居島慶吾は、各種動物の♂糞を食べる練習に取りかかっている。

 「動物の可愛さにきちんと溺れれば雌雄差別なんて、ほら、このとおりです……」

 客席に愛犬家たち。舞台上に居島慶吾。各種犬糞をいかにも心底美味しそうに食うことにより、各愛犬の可愛さを飼主に一々証明してみせる、笑顔で頷いてみせるというという愛犬家協会主催の催しのライブ撮影――

 ペット協会作成のビデオ『あなたの可愛いワンちゃんのならウンコ食べちゃう!』。

 居島は画面の中で♂♀問わず大小ちょうど百匹の犬糞をにこやかに次々食べ尽くしている。

 しかるにこのビデオが居島慶吾の遺作となった。

 撮影の五日後、犬便食が明らかな原因と見られる胃カタルと肝臓ジストマ性多臓器出血のため急死したのである。♂糞に体がまだ十分慣れていないところへ急激な大量摂取を強行したせいだろう。

 「壱原が生きて居島の壮絶死を見ていたら。果たしてどうだったでしょう。敗北感の癒しとなったか追い打ちとなったか、この反実仮想的命題への解答はまだ専門家の一致を見ておりません……」

 

■ で、露払い説と二番煎じ説の対立が液状おろち学を先導してきたとはどういう意味でしょうか?

 周知のレベルでは、蔦崎公一炸裂が印南哲治爆発に時間的に先行したことについての、二つの可能な解釈説ということになりますが、それ以上に何か疑問でも?

 いや、二説を比べると信憑性にあまりに差がありすぎて、どうして論争が生じえたのか自体が理解しがたいというか……

 たしかに、事件直後から長らく二番煎じ説が定説でしたし、現在に至っても露払い説を支持する学者は圧倒的少数派です。

 それなのにどうして……

 ここにおろち学の逆説というか、アイロニーが露呈しているのです。二番煎じ説と露払い説のそれぞれの内容を改めて定式化してみてください。自ずと答えがわかります。

 え……

 辞書的定義で結構ですよ。

 えーと、二番煎じ説。印南哲治爆発は蔦崎公一炸裂の二番煎じにすぎなかった。露払い説。蔦崎公一炸裂は印南哲治爆発の露払いにすぎなかった。

 さて、どうですか。

 二番煎じにすぎなかった……露払いにすぎなかった……二番煎じにすぎなかった……露払いにすぎなかった……えーと、えーと、二番煎じにすぎなかった……露払いにすぎなかった……あっ、そうか!

 そういうことです。

 二番煎じ説だと、印南哲治が主体になるんですね。対して露払い説が形容するのは蔦崎公一という主体である……。

 そうです。一見、印南哲治を矮小化しているかに見えた二番煎じ説こそ、実は印南哲治の哀愁的アイロニーを積極的に強調する説であり、印南定位のおろち史描出をもたらすということにおろち学者たちは気がついたのです。

 なるほどねえ……。対して露払い説の方は、一見、印南哲治を本尊化しているかに見えて、実は印南哲治からフォーカスを逸らした世界観だというわけですね……。

 そうです。露払いする主体はあくまで蔦崎公一ですからね。蔦崎・袖村を筆頭とする体質者たちを、達人体質なるキッチュ性質によって虚しく恐れ入らせた印南哲治こそ、おろち史最初期のピエロ的シンボル、狂言回し的アイコンに他ならない。つまり矮小化されて初めて意義を放つ似非キャラに他ならない。そんな印南哲治をかりそめにも主体に据える二番煎じ説は、真の主体とアイロニーの主体との混同特有のおろち活断層を活おろち断層化してしまいかねないのです。

 なるほど。しかし……、

 主体が脇役であり、脇役が主体であるという単純なパラドクスこそ、露払い説と二番煎じ説の対立が液状おろち学すなわち玉露煎茶抹茶学をかくも難解な応用哲学たらしめた要因なのです……

 固形おろち学と粘質おろち学にも同じことが言えるのではないでしょうか。いや、言えてほしいです。

 

■コーティング保存されたナオミおろちは、その巨大さが驚嘆を誘うのみならず、後に、その色彩組織・肌理形状が、おろち史をそのまま暗号化というか、つまりその……

 「……同型対応的・座標変換的に表現していることがおろち研究第一人者第一号桑田康介によってつきとめられたんですよ!」

 たとえば、後半部に至って優勢となる独特の山吹色を前半部において離島的大斑点の形で気取りしている部分は、あのかえで亭まゆらの、時代に遥かに先んじたおろち飲食業が成立していたことを表現しているし、尻尾近くの二つの大亀裂は、いうまでもなく蔦崎公一の反国家的人質事件と、印南哲治の反国家主義的人質事件の暴発を指し示している。桑田康介は、ナオミおろちの表面に浮き出ている未消化粒々や色の変化を忠実に日本語に変換する作業に没頭し、その翻訳成果を『偏態パズル』として脱稿した記念的な年が今日ではおろち元年と定められている。おろち学者等の長年に及ぶ検討により、事実『偏態パズル』の一字一句が、おろち黎明期の歴史を完全忠実に再現していることが確認された。ナオミおろちの模様において最大の謎とされたのは、ナオミおろちの末尾が次第に細りながら頭から尻尾までの同じ模様を繰り返し、それがだんだん合わせ鏡のように縮小しながら繰り返されてちょうどフラクタル模様風に自己再現を反復しつつ消えてゆく形になっていることだったが、この謎を解決したのは『偏態パズル』そのものだった。すなわち、『偏態パズル』の執筆・公刊それ自体が、おろち黎明史の末尾の一部としてナオミおろちの中に記録されていたということだったのだ。『偏態パズル』にはおろち黎明史の主流がそっくり記述されているわけであるから、それがおろち黎明史の末尾につくということは、末尾が全体の縮小的反復を成すということである。しかも『偏態パズル』そのものがおろち黎明史末尾まで記述しているということは、『偏態パズル』自身についても記述しているということであり、この自己反復は次第に縮小しながら合わせ鏡的に極限接近的に続いてゆくのである。

 なお、

 【桑田康介の覚え書きより。筆者桑田は文化的スカトロフォビアであって、おろち文化が公認され偏態力を失うことを恐れて当博士論文の出版勧告を拒否した。しかし当然のことながら地下流出し、『偏態パズル』の包括的一部に引用されている。】

 

 注釈:或る意味恒例のフラクタル視点に異を唱える方もおられるかもしれない。すなわち、『偏態パズル』を構成要素とせずとも、ナオミおろちの存在そのものだけでナオミおろち末尾の自己反復は説明できるという反論である。『偏態パズル』が存在せずとも、ナオミおろちそのものがおろち黎明史の末尾に位置しているという事実がありさえすれば、おろち黎明史の記述であるナオミおろちが末尾において自己を反復するということは必然的であろう。確かにそのとおりなのだが、その場合、ナオミおろちは自己言及していることになり、自己言及特有のパラドクス(とりわけラッセルのパラドクス)に陥って、存在そのものが不可能となったであろう。よって、ナオミおろちそのものではなく、ナオミおろちの翻訳である『偏態パズル』が存在し、それがナオミおろちの中に予言的に登録されたことにより、ナオミおろちの自己反復的な末尾の蜷局が物理的に出現できたと今日では学者の意見が一致している。なお、これをいわゆる「予言の自己実現」の一種と解釈してはならない。なぜならば、桑田康介は『偏態パズル』を遠隔執筆するさい、忠実にナオミおろちの組織を文字に変換していくという単純作業を機械的に行なったのみだからである。しかも不定形のというかおろち黎明期定番の――永畠冬尚および永畠秋吉の件を今更ながら思い起こそう――偽名・ペンネームを用いることにより、桑田康介は自らおろち黎明史の一メンバーである自己自身から執筆主体を引き離すことに一応成功しており、自己実現的自己言及を無意識にかつ二重に防止しているのである。

 

■ おろち文化成立の過程で最も深い心理的ダメージを負った人物の一人である石黒美香(第54回&56回参照)の最期の様子が記録されているので、触れておこう(ちなみにもなにも当該時点で、石黒美香のトラウマを作った人物・居島慶吾はすでに苦悶死している。居島との再会は一度もなかった模様である)。例の恥辱的失敗に終わったパフォーマンスの後遺症に違いない神経性下痢に長らく悩まされていた美香は、二十九歳の誕生日に市民センターの市立図書館内で便意に襲われ、女子トイレが満員であったのに耐えられず隣のがらがらで中年男が一人がアサガオに向かっているだけの男子トイレに「すみませんっ」と駆け込み個室に滑り込んで括約筋を弛めたはいいが、消音を図って流水ボタンを押したつもりが流れずブオオーっと号砲を閲覧室に届くほど壮烈に鳴り響かせてしまい、続く大噴射生音のみならず和式の底に溜まる山盛下痢の臭気を紛らすこともできずにたちまち個室内そして蓋し個室外までも超怒級の連続爆発音と重層大臭気で満たされていったのである。「えっ、えっ、なんでっ、なんでっ」とまどいの叫びをあげつつボタンを押しつづけながらとめどもない下痢は続き、そのうちに破裂音と大悪臭の合間を縫ってドンドンと扉を叩く音がする。「どうしました、大丈夫ですかッ?」……「えっ、えっ、なんで、なんでーっ」美香は便器洗浄ボタンではなく緊急ボタンを押しつづけていたのだった。老人対象の健康相談などを解説している福祉施設ならではの赤ボタンだったのだが、切迫便意と男子トイレへ侵犯したという混乱で「気分の悪いときに押してください」が見えなかったのである。結局にわか救急隊の市職員数名にドアを破られてしまい、美香はほとんど頂上が肛門にくっつかんほどの超大山盛へさらに大下痢垂れ流し追加中の錯乱専念状態のまま「救出」されてしまった。誤解が解けたあとの市民センター内、極度の惑乱に足元ふらついた美香は再び入りなおした下階フロアのトイレ内でドア閉めぬまま貧血様に転倒、便器の角で頭を強打して即死したのだった。

 おろち黎明期の密室的犠牲者が、時を経て人生的犠牲者に成長してしまったという、おろち因業の深さをこの上なくはっきり物語る、瑣末といえば瑣末だが理論的には重要なエピソードといえよう。この物悲しい瑣末さは、人質大量殺害事件や街路集団脱糞などの壮烈なビジュアル&コンセプチュアル&エモーショナルを展開しきったおろち騒動の直後であるだけになおさらその……

 卑小ぶりが際立つのであり……

 ここにおいてあの袖村茂明の便槽内転倒死と好一対をなしていることに留意されたい。(自然ビジュアル体質が「自覚」により汚染されたとたんの能動的に見つめながらの便器下の孤独死と、おろちエレメントに一切無自覚なまま受動的に見られながらの便器上の衆人環視死、といった多様な対立軸!)

 

■ 三十秒放屁、六十秒放屁(直腸のみならず大腸から噴射……細々と小出しに続けるのではなく、全力放屁が六十秒続くという至高の芸……)、食糞量と症状相関実験、網タイツ貫通噴射、ストッキング貫通糞射、パンツ貫通噴射(姫里美沙子が初実践した術……第8回参照。後にはタイツやストッキングを破らずに、その細かい網目をくぐって、ちょうど漉す感じでおろちを透過させ、原形のままバナナ便を発射させる術「テレポートロケットおろち」が開発された。達人にかかると、網には一滴ひとかけらのおろち成分も付着していなかったという。

 「それほどの高速で通過させることができたわけです……」

 現在、パンツ二枚重ねの生地を破らず糞痕のシミひとつ付けずに透過させる「テレポートロケットおろちゴールド」、ジーンズの生地をそのままに完全透過させる「テレポートロケットおろちハイゴールド」が研究されている。ループ中心瞑想、肛門開放持続的極太おろち部分露出停止の術――

 「なんとも不器用な命名でおろち黎明期の未洗練ぶりが懐かしいですが極太おろちをぶら下げたまま止める術のことだそうです。露出部が長ければ長いほど高得点であり、床やテーブル面などの支えなしでぶら下げる方法の方に高い点が与えられると……。やがて、ぶら下げるだけでなくさまざまな姿勢で上向きにした肛門からおろちを垂直に立たせる術も開発されたわけですが」

 そこからさらに、かえで亭まゆら流おろち戻しの術(第7回参照)、細おろち連続連綿術――

 「この命名もあれですが直径のなるべく細いおろちをどれだけ途切れずに出しつづけることができるかを競う術のことだったそうです。長さ÷(直径の最大部×最小部)の値が大きい者が勝つ、と。ドギツ窮め法、物量攻めに偏っていたおろち文化に〈細々と頼りなく続くさびわびアンチ量的モノノあはれ〉を導入しようとした新機軸だったわけですが……」

 結局のところ「長さ」という量文化に屈しているに過ぎないという批判を受けて、長さ×(直径の最大部÷最小部)方式の率直量的競技へと変更された。等々新しい芸が開発され続けたのだが、S.W.創始と伝えられるあの「逆おろち」(第32回参照)はついぞ誰にも真似できず、秘伝中の秘伝として研究されつづけた。行きずり無名女子高生による速射雀便(第4回参照)もまた、誰にも再現できなかった秘芸の一つである。

 逆おろち、速射雀便はともにおろち元年に難度ウルトラF+の至芸とギネスブックに認定され「うん、確かに実現された。おれたち見たよ……(おれたち見たよ……おろち見たよ……おれたち見たよ……おろち見たよ……「れ抜き表現」が「ら抜き表現」の頻度を凌駕するきっかけとなったのがおろち難度ウルトラ諸段階だったことを想起しよう)」たのだったが、その他、おろち史上世界中で発表されたおろち系芸術さまざまの中で……

 

■ それは当然です。

 側面支援があったのは、そりゃ当然と言えます。

 当日、自発的にね。

 現在では印南哲治の哀愁を強調したがる文化的プレッシャーにより印南事件は蔦崎事件に比べて側面支援の祭りが格段に淋しかったかのような言説が流布しておりますが、真実はそうでもなかったのであります。

 以下、控えめな誇張をまじえて御報告いたしましょう。

 そう、街ではネオおろち系をはじめとする「遊撃隊」が〈散在するホームレス勢力〉を抱き込んで――

 「もちろん、路上集団脱糞パフォーマンス!」

 ――を展開し、印南哲治の末期の企画を支援したのです。

 というかそういうのが波立たねばいかなる〈おろち史〉も始まりの契機がつかめなかったでしょうよ。

 開始時刻は、印南哲治の現場突入よりむしろ早かったとも言われます。

 いちおう、最低限度を有意に越える波動的現象が立ち上がっていたのでしょう。

 それはまるで、蔦崎事件の二番煎じ視を必死で拒否するかのような波動でした。

 当日、「無産者の唯一の武器を無毒化する消臭系シャンピニオンエキス流通は体制側の陰謀である!」という発生源不明かつ些か場違いなスプレー書きが塀に路上に外壁にいたずらに目立つ中、放屁音、脱糞音がほぼ日本中の街路に絶え間なく鳴り響きました。

 ときおり嘔吐音の援護射撃も混じっていたといいます。

 それなりの波動にはなってましたね。

 「うむ?」

 いちおう〈キョーソ〉でしたもの。

 印南哲治がネオおろちたちの〈キョーソ〉となって以来、彼女らと印南哲治とが再会したのは――ただし物理的相互的にでなくメディアを通して間接的一方向的に――このときが最初で最後だったのである。ここに、印南の悲劇をさらに際立たせた要因がある。オーロラビジョン、野外大画面サブリミナル催眠映像による交差点群衆同時脱糞事件は一応特筆すべきだろう。中でも最大の集会は――

 あれこれの大震災のときに、それこれの街やら村やらに起きたトイレパニック経験者たちによるものでしたかね。詳細なノンフィクションレポートは『阪神大震災トイレパニック』(日経大阪PR企画出版部 監修:日本トイレ協会、神戸国際トイレットピアの会。マスコミが報じなかった悶絶の記録。神戸市環境局とボランティアが検証した。水洗化99%の街にはたった2台の移動式トイレしかなかった。全国から3,OOO基が集められ、ドアを開けるたけでも勇気のいるあふれ返った被災者用トイレを清掃するボランティアが追う。消防庁が防災用テキストとして全国の自治体に薦める記録)を参照しましょう。その集会が、75万人規模で日々便意をこらえ呻き、排泄の場を求めて脂汗を滲ませ瓦礫の陰を探し回った経験が忘れがたく、という過誤記憶まがいのなんというか、

 「不謹慎」の声を恐れる立場にないという被災的当事者ならではの特権……

 「不謹慎フリー」というおろ地位……

 をフル活用して「あの甘美」「あの陶酔」「あの興奮」「街頭本能へ回帰」的シュプレヒコールが発熱をきわめましてね、歓楽街でも官庁街でも公園でも湖畔でも山麓でも離島でも、そしてもちろんテレビ局でも演出肌のシンパたちが現場中継とは別ソースの放屁音・脱糞音を各種取り混ぜ編集して効果音的に画面に重ね続けたそうです。同時多発脱糞、いちおう祭りになったわけですね、印南哲治のなけなしの人徳ゆえというか。【リーダー川延雅志の談話等、未放送のテレビリポートより。印南の破滅をもたらすに一役買った正真正銘体質者川延雅志が街頭で印南支援行動に出たという皮肉をじっくり鑑賞しなければなるまい】

 これが真正の盛り上がりであるかのような外貌を呈したことが、今となってはかえって印南哲治的液状悲劇を際立たせたと言える。

 印南哲治には手厚いフォローをくれてやりたいという憐憫波動がおろち意志に自ずと灯っていた直接証拠だからだ。

 証拠と言えば、川延雅志……。

 印南が警官隊の強行突入により人質ごと殺害されたとちょうど同時刻に【週刊誌記事より】印南現場から二百キロ離れた地点で肛門科医療事故被害者の会街宣車により、川延雅志が非意図的に轢き殺された。

 「わざとのようにあっけない死でした」【テレビニュースより】

 「タイヤに潰された下腹部の傷口からはもちろん大量のおろちが四方八方にはみ出していました」

 「同じ体質者でも、そうですね……」

 「袖村茂明的な隠密死と、蔦崎公一的歴史規模公開死との中間を行く、適度に人目を引いた死といいますか、ある意味川延雅志に立ち位置にふさわしい中途半端な、おろち波動のバランス感覚的感応を象徴したとでも言いたげな不慮死でした」

 これもまた、体質者がクライマックスにおいて実は印南的盛り上がりの陰に隠れる運命だったとの錯覚を強引に生む展開ゆえにこそ、印南的液状悲劇を――

 「際立たせたと言えます……」

 〈キョーソ〉印南哲治の恒久的消滅のあとに取り残されたネオおろちの飛沫たちは全員逮捕され、あとにメタおろち、パンおろち、ポストおろち、プレおろち、サブおろち、パラおろち、デミおろち……

 マルチおろちならメガおろち。

 ギガおろちならテラおろち。

 せせらぎおろちならさえずりおろち、ことぶきおろちならことほぎおろち、さわやかおろちよりすこやかおろち、やすらぎおろちからなかよしおろち、ますらおろち、すなおろち、みさおろち、ひきしおろち、タオろち、粋おろちといった硬度不明の諸団体、というより諸サークルも路上活動を展開した。

 ヘミおろちよりアンチおろち、セミおろちよりエピおろち、プチおろちからウルトラおろち、ハイパーおろちこそネガおろち。

 テクノおろちですらレトロおろち。

 素おろちなら酢おろちかポン酢おろちで。

 トランスおろちから裏おろちへ、準おろちと亜おろちすら未おろちを経て超おろち、反おろち、大おろちと小おろちの特盛おろち、そして重ねおろちへと。

 「おろち系」の「ろ」と「ち」がいつかいつかと思われているうちに案の定逆転し、「おちろ系」という訛りが意味を弁えぬ小学生らの口でまず伝えられて「落ちろ系、落ちろ系」と受験生を逆説的に励ます呪文として多用されたところ落ちろ系の国立大学合格率が有意に高かったという統計的事実が悪縁起消尽効果実証例としてテレビ雑誌ネットで紹介され、ついで「落ちろ系」の「お」が「あ」、「ろ」が「ら」へと発音容易化方向へア段活用が生じた結果、「あちら系」という派生形が縁起担ぎお守り路線の延長上に然るべく生じて、「オカルトおろち」の一部と合体した。「あちら系」はさらに「そちら系」「こちら系」「どちら系」「どっちら系」「おしらけ系」へと退行し、「しらこ系」「たらこ系」「いくら系」「おくら系」「お暗系」「置く裸系」「奥裸系」「置くだけー」「奥田・啓(かつての「はが・ゆい」のノリでこの名の架空キャラがしばらくラジオで活躍しましたっけね)」「お砕け」「お砕け系」「お管毛」「邑久岳」などなど、本家おろち系との因果的・論理的つながりが不明化するところまで希釈分化していった。希薄化せぬ本流としては、テクノおろち以降の新進の最古おろち→サイコおろち、サウンドテクノおろち以降の倍音おろち→バイオおろち→バイおろち→壱原流バイおろち、アイデアおろち→イデおろち、あでおろち(仇おろちと称するか徒おろちと称するか艶やかおろちにまで踏み込むかで対立を深めた)、音頭おろち、照おろち→テレおろち、地おろち→痔おろち、エコおろち、コスモおろち(永畠兄弟の即席愛車がコスモであったことを想起せよ)、帝王おろち、尊おろち、アポロおろちらの活動に伴って「おろち」はこれも案の定いつしか「オロジー」に転用され、psychology,biology,ideology,ontology,teleology,geology,ecology,cosmology,theology,tautology,apologyと混交し、おろちが知と主義主張の一般代名詞化していった(その副産物として「謝罪学」なる新しい傍流おろち学も生まれた)。

 「おろち文化の分化をめぐってはスキゾおろち対パラノおろち。あ、パラおろちにあらず、ですよ。お互い混同を恨んで対立を深めましたっけね」

 「ああ、あれはもう言わないことに。それを言うなら逆おろち的対立の比じゃありませんでしたから。さかおろちと読む一派とぎゃくおろちと読む一派とが対立を深めまして。しょせん逆おろちはS.W.ならびに高塚雅代&小熊誠子の掌上でしか戦えないことを知りながら、ああ、今思えば……」(第32回&67回参照)

 生おろち(なまおろちときおろちとが対立を深めた)、本おろち(ほんおろちともとおろちとが対立を深めた)、真おろち(しんおろちとまおろちとが対立を深めた)、バーリおろち、疑似おろち、おろちもどき、仮おろち、仮性おろち……が派閥抗争を繰り広げる顛末がしばしおざなりなアンコールのように微チビ血とくすぶり続けた。亜おろちvs.異おろちvs.右おろちvs.餌おろちvs.汚おろちのいわゆる〈あいうえおろ血しぶき決戦〉では、亜おろちだけが「青ロッチ」、あの国民的ゆるキャラ生成に漕ぎつけ、一時「あ愚かち」「青濾過恥」など抽象路線に走りかけてはロッチ本線に戻って蛇、山椒魚、蛞蝓、蚯蚓、足無蜥蜴、蛭、鰻、鯰、穴子、海鼠、打保、永良部海蛇など多種多様な円筒形生物に範をとった「ロッチら」がゲームソフト化されてポケモンを継承かつ圧倒する「王ロッチブーム」が巻き起こった。

 したがって勢い巻きおろち、赤おろち、海おろち、金おろち、おろチキン、おろち菌といった新成分が赤々と表示されたドリンク剤や錠剤、粉末剤が二、三の新興製薬会社から発売され、そのヒットにあわてたサトウはじめ老舗ドリンク業界も『ユンケル黄帝おろち』などで巻き返しを図った。図りましたってば。

 ユンケルの新製品黄帝大根おろちの原料はおろちんこ、おろちんぽ、おろンち、おろちャ(おろ茶)のうちどれとどれ。効能は「おろちiんぽを治す」「おろちん簿を改善する」「筆おろちを助ける」のうちどれ。おろ中(おろち中学)におけるおろ中(おろち中毒)とおろ中(おろち真っ最中)の関係をおろ値によって示せ。おろちェ、オロチカ、六甲おろち、盆おろちのうち、泡(阿波)おろちに比べ最もおろカちかったのは(つまりおろ違いとおろち外およびおろち害の度合が高かったのは)どれ。その結果、おろち我意によるおろち貝のおろち買いがおろち街を席巻し、おろち気概に満ちたおろキちガイがおろちiんぽをエレクトロちでエレクトさせるのにさほどの時間はおろおろちゅるもおろちつて徒!

            【おろち29年度上級公務員試験〔一般常識〕より】

(第100回 最終回 了)

 

 

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* 『偏態パズル』は毎月29日に更新されます。

 

 

 

 

 

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天才児のための論理思考入門  下半身の論理学

 

 

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