Interview:スワーダ・アル・ムダファーラ インタビュー

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スワーダ・アル・ムダファーラ:東京都立川市出身。高校卒業後、日本で職場結婚し娘をもうけるが離婚。カルチャースクールを開いていた一九七九年に日本主催の文化交流の催しに招かれ、これがきっかけで八三年にオマーン人男性と結婚。日本人で初めてのオマーン人となる。持ち前のチャレンジ精神で語学や資金の壁を乗り越え、同国で1990年に幼稚園を設立。これをベースに、2002年9月新学期には幼稚園から高校までの一貫教育を行う学校にまで成長させた。オマーン・マスカット在住。旧日本人名:森田美保子。

 

スワーダ氏は教育者であり、日本とオマーンを行き来する国際人でもある。オマーン人と結婚し日本人として初めてオマーン人となった女性だが、同国の将来を見越し、プライベート・スクールを設立して先進的教育システムを取り入れたその手腕は高く評価されている。昨今何かと話題の中東情勢を肌身で知る方でもある。今回は日本とオマーンの比較文化的立場から見たスワーダ氏の教育理論はもちろん、リアルな生活実感に基づく中東情勢についても語っていただいた。

文学金魚編集部

 

 

 

■アザン・ビン・ケイス・プライベート・スクールについて■

 

文学金魚 スワーダさんの『砂漠に創った世界一の学校』を読ませていただきました。オマーンで学校を創設するのは、そうとう大変だったんじゃないですか。

 

スワーダ 過ぎてしまえばなんてことはないですが、やっている時は大変でした。必死になっていた頃は、きっと目が吊り上がっていたんじゃないですか(笑)。

 

文学金魚 スワーダさんはオマーンで、幼稚園から高校までの一貫教育を行うアザン・ビン・ケイス・プライベート・スクールを創設されたわけですが、今はどういうポジションについておられるんでしょうか。

 

スワーダ 校長は引退して、エデュケーショナル・コンサルタントとして、学校、学生の相談、大人も子ども対象にメンタルコーチなどをしています。今は特に大学生の教育に力を入れています。スチューデント・フォーラムをオマーンの外務省にバックアップして頂き二〇一二年十月に設立、大学生を対象とした青少年教育の一環です。イベントを開催したりメンタルトレーニングや、オマーンの学生をインターンシップで日本に送ったりしています。もちろん日本の大学生をオマーンに呼んで、学生たちの交流も行っています。

 

文学金魚 アザン・ビン・ケイス・プライベート・スクールは、全校で何人くらい学生がいるんですか。

 

スワーダ 私が校長をやっていた頃は、確か八百八十名くらいいました。

 

文学金魚 すごい数ですね。

 

スワーダ 皆さんにそう言われましたが、私自身は少ないなと思っていました。もっと生徒を増やしたいって(笑)。

 

文学金魚 オマーンではプライベート・スクールが多いんでしょうか。

 

スワーダ 今はたくさんあります。アザン・ビン・ケイス・プライベート・スクールが最初のプライベート・スクールというわけではないですが、教育システムとしては草分けかもしれません。私の学校ではアラビア語と英語を学ばせ、語学だけでなく各科目もアラビア語と英語の同時教育で行いました。それをやったのは私どもの学校が初めてでした。

 

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アザン・ビン・ケイス・プライベート・スクール

二〇〇三年竣工の新校舎

 

文学金魚 オマーンにはロイヤル・スクールがあるんですか。

 

スワーダ ありませんが国王が設立した小中高のプライベート・スクールは一校あります。もちろん公立学校はあり、それとは別にプライベート・スクールがあります。公立校は授業料が無料ですから、誰でも通うことができます。プライベート・スクールは有料になりますが、公立校よりいい教育をしてもらえるだろうという期待がありますので、やはり比較的裕福な家庭の子が通うことが多いですね。

 

文学金魚 オマーンの学校は、勉強の評価とか進学に厳しいんでしょうか。

 

スワーダ 公立校でもプライベート・スクールでも点数が悪ければ進学できませんよ。日本では今、大学まで試験がなくてもいいといった議論が一部で出ていますが、大きな間違いですね。

 

文学金魚 オマーンの王室関係の方は、プライベート・スクールに行かれるんでしょうか。

 

スワーダ そうとは限りませんが。プライベート・スクールでも授業料が高い学校と比較的安い学校があります。私がプライベート・スクールを開いたいちばんの目的は、不特定多数の人たちが、より質の高い教育を受けられるようにするためです。ですから私の学校の教育の質は高いですが、月謝はあまり高額にしませんでした。だけど人間というのは、お金をたくさん払えばいい教育で、お金をあんまり払わないとそれほどでもないと思いがちでしょう。だからあなたの学校も、もっと授業料を高くした方がいいですよというアドバイスをよくもらいました(笑)。

 ただそういう学校を作れたのは、私が日本人だからでしょうね。オマーン人にはなりましたが、バックグラウンドは外国人、日本人なわけです。ですからアラブ世界にある部族のしがらみなんかは関係ないのです。そうするとロイヤル・ファミリーから、お父さんとお母さんがいっしょうけんめい働いて月謝を払うご家庭の子どもたちまで受け入れることができます。オマーンの部族は日本のなになに家と同じでファミリーネームで決まりますが、そういったファミリーネームで学生を選抜することはしませんでした。私の教育を信じてくれる人たちが入学してくれたので、学生たちは非常にバラエティに富んでいました。

 

文学金魚 中東アラブ世界では、部族意識がかなり強いですか。

 

スワーダ 強いです。私が初めて学校を開いたのは一九九〇年です。その時は幼稚園だけだったのですが、当時は今騒がれているような内容の中東の紛争などはありませんでした。オマーンは違いますが、レバノンやエジプトは、隣人にユダヤ人がいてクリスチャンがいるという国です。でも当時はみんな仲良くやっていました。それがある日、なにかのきっかけで狂い出した。当時はイスラムの中でどの派を信じているのか、どの派に属しているのかなんて改めて聞いたりしませんでした。みんな自分の信じている宗派が大切で、それを尊重し合っていたので聞く必要もなかった。そういった宗派の違いは家や国によってあるわけですが、オマーンではそういう違いは特に今でも問題になっていません。でもオマーンには社会的階層があります。まだ少し残っています。私は余りこういう言葉は好きではありませんが、サーバント(奴隷)、一般人、ロイヤル・ファミリー、それからシェイクと言われる伝統ある一族の首長に立つ家族たちの階層があります。どの階層に属しているのかは名前を見ればわかるという。

 私は一九八三年にオマーンに移住しましたが、そういう階級があることを知ったのはごく最近のことです。私の四番目の夫は、若かったですがそういったことを非常によく知っていました。たとえば結婚式や催し物の時に、あちらの女性たちは「ラァラァラァラァー」と叫びます。それを私がやったら夫がすごく怒ったんです。「なんで」と聞いたら、「それは私たち部族のすることじゃない、サーバントのすることだ」と言われました。そんなのいまだにあるのだと思いましたよ。それが二〇〇四年のことです。私の学校ではいっさい階層的な差別は設けていなかったので、ぜんぜん気づかなかったんです。学校ではロイヤル・ファミリーのご両親がいらしても、一般階層のご両親がいらしても平等に接していました。コンサートなんかをやっても、ロイヤル・ファミリーと一般席を別々にしたりしません。席は早い者勝ちというのが学校の方針でした。

 

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アザン・ビン・ケイス・プライベート・スクール最初の五人の生徒とスワーダ氏(一九九〇年開校時)

 

文学金魚 スワーダさんの学校は男女共学ですが、ムスリム世界では珍しいんじゃないですか。

 

スワーダ 今はオマーンでは珍しくないです。公立校でも、小学一年生から四年生までは共学でやっている学校があります。

 

 

■イスラームについて■

 

文学金魚 男女共学は、サウジアラビアやイラン、イラクでは難しいですよね。一口にアラビアと言っても、お国によってだいぶ違うようです。オマーンはもちろんイスラムの国ですがですが、スンニー派の中の一つということになるんでしょうか。

 

スワーダ オマーンはスンニーではないです。プロフェット・ムハンマド直属のアバーディです。元を辿ればスンニーもシーアもアバーディも、ムハンマドを祖とする同じ教えです。プロフェット・ムハンマドが亡くなった後、イスラムは娘婿のアリーや伯父さんのジャファル、アキールなどの教え子たちのグループに枝分かれしてゆきました。アバーディはその枝分かれし一つの宗派となりました。ですからスンニー派の一部という言い方は当てはまりません。もちろんイスラムであるのはみんな同じです。宗派の違いは、その指導者が誰であったかということです。

 

文学金魚 去年イエメンで内戦が起こり、スンニー派とシーア派の対立がいろいろ取りざたされていますが、それについてはどうお考えですか。

 

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オマーンの位置(赤線部分) googleマップより

 

スワーダ 本来は宗教が政治を動かすことは、あってはならないと思います。だけど歴史を遡ると、必然的に宗教と政治が密接に関係しているんです。長い間、それぞれの宗派を尊重してうまくやってきました。ここに来てなぜ揉め始めているのかというと、それは世界経済を動かしているどこかの人たちが、意図的に引き起こしているんでしょうね。それが私たちにはよくわかります。またこれは歴史の流れの中で起こっていることであり、私たちがそれをどうマネージしてゆくかが現在の課題なのかもしれません。

 

文学金魚 日本でイスラームが注目されるようになったのは、二〇〇一年のアメリカ同時多発テロ以降のことです。スワーダさんはそれ以前からオマーンに住んでおられますから、一般的な日本人が知らないイスラーム世界のことをよくご存じだと思います。イスラームに限りませんが、外国のニュースはいつも極端な人たちが起こした事件が報道されがちで、イスラームはどうしてもテロ関係のニュースと結びつきがちです。

 

スワーダ テロは日本でも起こっていますよね。浅間山荘事件とか。当時はテロとは呼ばなかった、あるいはみんなもうあの事件を忘れてしまっているだけです。ただ人間の世界は世界中どこも同じで、どんな民俗・宗教に属している人でも悪いことをする人たちはいます。ただ現代では、お金、つまり経済問題が非常に大きなウェイトを占めるようになっているので、人間の醜い側面が非常に複雑な形で現れてきているような気がします。

 

文学金魚 イスラームは政教一致ですよね。

 

スワーダ いや、それは『コラーン』のどこにも書かれていません。イスラムはすごくシンプルに言うと、私たちの生活の中には人間にはどうにも対応できないミラクルパワーがあり、それが神(アッラー)だということです。ミラクルパワーというのは簡単に言うと、この宇宙を創り出し、天地を創造し、自然を生み、人間を作り出した力です。それを信じるかどうかがムスリムになるための第一条件です。

 

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生徒に勉強を教えるスワーダ氏

 

文学金魚 日本は多神教的風土ですから、イスラームを含む一神教に相性が合う人と合わない人がいると思います。スワーダさんは元々イスラームと相性のいい精神をお持ちだったんでしょうか。

 

スワーダ そんなことはないですよ。だってイスラムなんて知りませんでした。でも抵抗はまったくなかったですね。オマーンに初めて行った当時は、今のように黒い布で顔を隠しているような女性はあまりいませんでした。もちろんベールは巻いていましたが、きちんと巻いている人も、髪の毛を包むくらいにしている人もいました。女性たちは非常にカラフルな服装でした。でも一定の時間になるとみんなお祈りをし始める。また人に会って挨拶をするときは、「アッサラーム アライクム(あなたに平和がありますように)」でしょう。雑談をする時など年上の人が日本で言う上座に座って、それから年齢の高い順に座る。で、若い人はむやみに話をしてはいけなくて、年上の人が聞いたら話してもいいというルールです。年上の人を敬うのです。これは私が日本で習った仏教の教えと同じだと思いました。

 それに「イスラムってなんですか」と現地の人に聞いたら、まず目に見えない力(ミラクルパワー)が私たちを守っていて、それが神様、アッラーであるということだと教えてくれました。私はお婆ちゃまの話を聞きながら寝入っていた子で、「悪いことをしたら地獄で閻魔様に舌を抜かれるんだぞ、だからいいことをいっぱいして、極楽に行けるようにしなさい」と教えられました。イスラムでも人が亡くなった後にジャッジメント、審判があります。人が死んだ後に天国に行くか地獄に行くかは、私たちの行いを見ている神様の審判によって決まります。これもまた仏教と同じじゃないかと思いました。もちろんモスリムでもきちんとお祈りをする人としない人がいます。ただ「それは死んだ後に神様がジャッジメントをするから、人それぞれだよ」とも教えられました。私にとってイスラムは仏教とそれほどかけ離れたものではなく、むしろ親近感がありましたね。

 私の家は神棚と仏壇があって、朝は炊きたてのお米とお酒を備えて、その前でお祈りをして、「行ってまいります」と言って学校に行く家庭だったんです。私は中学から私立学校だったので、公立では道徳の授業がなくなっていましたが、私の学校ではまだありました。モスリム社会では週に一回家族がみんな集まってお食事したりしますが、それは素晴らしいなとも思いました。私の時代には日本ではもう核家族が始まっていて、隣に誰が住んでいるのかも知らない冷たい社会になり始めていました。特に私は仕事をしていましたので、その冷たさを普通の人よりも強く感じていました。むしろ神を信じるモスリムの共同体は、なんて素晴らしいんだろうと思いました。だからイスラムに改宗することにはまったく抵抗がなかったです。またイスラムは原則として自分と神様との関係で、例えばお祈りをしなくても自分が罰せられるだけで、人に罰せられるわけではありませんからね。それに神様はいつも許してくださいます。だから私もいいことをたくさんして、神様に許してもらおうと思っていることがたくさんあります(笑)。

 

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生徒たちとチャリティの準備をするスワーダ氏

 

文学金魚 イスラムはムハンマドが先導者で、彼は神の言葉を預かった預言者であり、自分は人間だと言っていますものね。

 

スワーダ 私たちモスリムにとっては、コランに記されている様に神様から人類に送られたメッセンジャー(預言者)プロフェット・ムハンマドは最後のメッセンジャーなんです。モーゼやイエス・キリストなどの預言者とプロフェット・ムハンマドの何が違ったのかと言うと、例えばイエス・キリストは目が見えない人の目を治したり、モーゼは海を真っ二つに割り道を開き敵から逃れたと言うミラクルパワーが神から与えられました。プロフェット・モハメッド以前の預言者達はみなミラクルパワーを使うことで人々を説得したわけです。ところがプロフェット・ムハンマドにはその力が無くイスラムを広めるのにとても苦労しています。だけど人々は結局プロフェット・モハメッドの預かった神の言葉を信じていったわけでしょう。そこにはやはりミラクルパワーがあったのではないでしょうか。

 

文学金魚 ムハンマドが生きている間にサラセン帝国の基礎が出来上がっていますから、その発展の早さはちょっと奇跡的だったかもしれませんね。オマーンは政教分離がある程度為されているようですが、周辺国にはもっと厳しい国があります。

 

スワーダ たとえば物を盗んだら手を切られるという罰は、イスラムの戒律が厳しいサウジでも、今は禁止になりつつあるようです。日本で言う昔の姦通罪は、イスラム世界では石投げの刑に処せられるわけですが、それはサウジでもイランでもまだ実行されているようです。オマーンでなぜそれらがないのかと言うと、カーブース・ビン・サイード国王が王座に即位され、イスラムの教えは自分と神様の問題で、他人が強制するものではないという立場に立たれたからです。イスラムの教えについてとやかく言う人がいますが、それは人間の自由の問題じゃないでしょうか。それにクリスチャンだって、昔の絵なんかを見ると女性たちはベールをかぶっているでしょう。今でも教会に行くときはベールをかぶり、露出ファッションは禁止されています。昔はクリスチャンもモスリムと同じようだったのだから、私たちのことを批判的に言う必要はないのにと思います。政治に宗教の教えが利用されたりするから、問題になっている面があります。

 

文学金魚 ISILについてはどうお考えですか。

 

スワーダ 私たちは批判的です。彼らは真のモスリムとは言えません。

 

 

■オマーンについて■

 

文学金魚 オマーンはカーブース国王が親政を行っていて、その下に議会がある形ですね。国王と議会の間にイスラーム学者たちは入るんですか。

 

スワーダ 入りません。宗教的に言うと、国王がイスラムの教えの長で、その下に、モフティ、イマームと教えを説く方々がいます。基本的には政教分離です。もちろん物の考え方はイスラムの教えに従い人間関係に関わる生活習慣の問題はイスラム法を用います。だからいろんな問題はイスラム法で解決し、更に『コラン』を研究し答えを導き出すことが行われています。だけどこれは国王がはっきり言っていますが、政治と教えは別の物、教えは強制するものではないし、政治に宗教は持ち出さない、宗教は教えである、と言っています。

 

文学金魚 カーブース国王は、オマーンの鎖国を解いて国を近代化された方ですよね。

 

スワーダ 現国王のお父様のサイード・ビン・タイムール国王の時代は、今とはまた違う非常に難しい時代でした。急速に世界の近代化が始まった時代で、富、つまりお金を持つと人間の邪悪な心が芽生え始め、そこでサイード元国王は当時、教育も国を亡ぼすと信じ国民にはなるべく教育をほどこさない方がいいだろうという立場に立った国王だったのです。現国王はそれを解いて、国民に教育を与え、積極的に近代技術を導入し、国家を近代化しようという方向に切り替えました。ただオマーンの政治経済の変化は、他のアラビア国家に比べればとても緩やかだと思います。

 オマーンを植民地にしようとする動きは、第一次世界大戦以前からありました。しかしオマーンは一度も植民地になっていませんが、当時のアラビア半島にはUAE(アラブ首長国連邦)もカタールもなく、サウジアラビアとオマーンとイエメンだけで力の強い国々でした。それが第二次世界大戦が終わるときに、イギリスが領土分割をし、UAEとカタールを作ってアラビア半島を細切れにしました。当時のオマーンはホルムズ海峡まで地続きの領土でしたが、どういうわけかイギリスは、オマーンの領土を分割してしまいました。

 ただ前国王も現国王も、それで彼らが満足するなら争うべきではないというお考えでした。オマーンとサウジの国境が定まったのもかなり遅くて、確か一九九〇年代です。その時ももめましたが、先に譲歩したのはオマーンです。それで気が済むならどうぞということですね。わずかな国境線の位置でもめるのは、それによって産出できる石油の量が違うからですが、カーブース国王は、それは石油もガスも地下でつながっているんだから、同じだとお考えになったんです(笑)。

 

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カーブース・ビン・サイード オマーン国王

ウィキペディアより

 

文学金魚 私たちにはアラビア半島の事情が肉感的にはわからないのですが、あのエリアでサウジは相当な大国という感じなんでしょうか。

 

スワーダ サウジアラビアの面積は広大です。彼らはベドゥイン、つまり遊牧民族の国です。ベドゥインの人たちがあの地域に定住したんです。じゃあベドゥインがどこからやって来たかというと、これは天地創造の時代からということになるかもしれませんが、メソポタミアからずっと陸を辿ってアラビア半島にまで達したようです。今のサウジのロイヤル・ファミリーの祖先は、ヨルダンから入ってきています。ヨルダン、パレスチナのあたりからです。アラビア半島でサウジがなぜ力を持っているかというと、オイルマネーで潤っているからですね。でも債務の額も膨大です。あまり知られていませんが、その負債を返すのはオマーンより大変だと思います。

 

文学金魚 今ヨーロッパはシリア難民問題で大揺れに揺れていますが、シリア、レバノン、イスラエルのあたりは第二次世界大戦後も紛争が絶えませんね。

 

スワーダ 私は政治には深く関わっていませんが、ISILがなぜ同朋のモスリムやクリスチャンばかりをターゲットにするのかは、ちょっと考えてみた方がいいかもしれません。イスラエルにはほとんど攻撃の矛先が向きませんから。勇気のある政治学者さんは、そのあたりも踏まえて中東情勢を分析なさってはどうでしょうか(笑)。

 

文学金魚 オマーンから見てカタールはどうでしょうか。

 

スワーダ カタールの原油産出量はすごいです。オマーンより国土が狭く人口も少ないこともあって石油で得た富を、国民にたくさん分配することができます。だけとサウジと同じで負債も多く特に現在原油の値段が下がっていますから、負債が増え続けています。カタールでは今まで電気代や水道代はタダだったんです。オマーンは政府の補助が何パーセントかありますが、残りは私たちが払っています。がこの国民への補助をなくせと、近隣の政府がオマーン政府に要請しました。近隣の豊かな国が真っ先に国民への補助を打ち切ると、困ることになるからです。オマーンも政府補助がなくなったということになれば、近隣諸国は全額補助を打ち切りやすいんでしょうね。

 原油が下がったことは、さまざまな方面に影響を与えています。UAEでは去年からガソリンの価格が変動制になりました。オマーンで変動制になったのは今年になってからです。政府の援助額も下がったはずです。オマーンよりUAEの方が財政は豊かだと思いますが、なぜオマーンで変動制を取り入れるのが遅くなったかというと、一昨年の暮れくらいに原油価格の下落で政府収入予算が減り、国民への援助が少なくなるというニュースが出たんですね。これからは給料も上がらなくなると。それを聞いて、オマーン国民が不服をもらしたんです。

 そこでオマーン政府はとりあえず現状を維持し、一年かけてメディアを使い、原油価格の下落が与える影響を国民に理解してもらったんです。オマーンは人口が多い割には他の産油国より収入が少ないですから、それを国民が理解すれば納得しますからネ。だからオマーンは非常に上手に政治を動かしている国だと私は思います。

 

文学金魚 カーブース国王は聡明な方のようですね。

 

スワーダ 私は政治に興味があるわけではないですが、オマーンに初めて行った一九七〇年後半から現在までの国を見ています。現国王の国民に対するメッセージの出し方などから言って、この国は王政ではなくて、実質的に民主国家だと思います。国王への信頼も高いです。でも日本はみんな民主国家で自由だと思っているけど、いろいろな面で本当に自由ではないかもしれませんね。自分の人生の中で、異なる二つの国の政治や文化を体験できその違いを垣間見られたことは人生の中で非常に価値あり興味深く面白いとても興味が湧いてくるところです。

 

 

■アラブ文化について■

 

文学金魚 スワーダさんは四回結婚されていますが、二回目の旦那様はオマーン人で小説家だったんですよね。どういう小説を書いておられたんでしょうか。

 

スワーダ 彼は私と結婚していた時期に、先生や指導者を意味するアラビア語で『モアレム』という題の小説を書きました。その作品はオマーンの土着の人間が、田舎から近代化された都会に出てきたときにどう思うかということを、すごく細かく書いた小説です。これからどうなるかということまで書いていましたね。だから当時政府から出版禁止処分になってしまい何年間か、小説を書いてはいけないという罰ももらったようです。

 

文学金魚 イスラーム世界の小説では、当然書いてはいけないことがありますね。神を冒涜するような内容は論外ですが、セックスとか。

 

スワーダ 彼は書いていました。二〇一〇年から始まったアラブの春以降は、国王を攻撃しているものでない限り、規制は非常に穏和になっています。女性作家の作品で、女性と男性との触れ合いをテーマにして話題になった小説もあります。しかし国王はやはり国のリーダーですから、国王のお話は尊敬し、秩序を持ってしなければいけないと思います。なんでも言っていいとなったらきりがないですからね。

 

文学金魚 そういうアラビアの文化がなかなか日本には入ってこないですね。

 

スワーダ だって興味を持つ人がいないから。作家の方は、翻訳してもらって有名になりたいと思っていますよ(笑)。

 

文学金魚 日本文化が世界から親しまれているのは、圧倒的にアニメやマンガが原因です。ああいう文化が発信できると、テレビニュースとは違うんだということがわかってきます。

 

スワーダ モスリム世界では、エジプトのナギーブ・マフフーズさんが、アラブ世界初のノーベル文学賞を受賞しました。私の二番目の夫は非常に彼を慕っていて、エジプトでお目にかかったことがあると言っていました。

 

文学金魚 『砂漠に創った世界一の学校』はスワーダさんの自叙伝でもあり、二番目の旦那さんと離婚する前に、二年間ほど彼がひと言も口をきいてくれなかったと書いてありました。あの箇所は非常に印象に残ったんですが、アラブ人男性一般がそうなんでしょうか。つまり、何か気に入らないことがあると、口をきいてくれなくなるというような。

 

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スワーダ・アル・ムダファーラ著

『砂漠に創った世界一の学校 学力世界ナンバーワンの生徒を育てた日本人女性校長、涙のビジネス戦記』

株式会社アスペクト刊

平成二十一年(二〇〇九年)三月十日刊

 

スワーダ アラブ人の男性は女性をとても大切にします。揉め事は避けたいと思うのでしょうか。特に外国人の奥さんをもらう場合は、政府の許可を頂く手続きとかいろいろ大変ですから、簡単ではないんです。そういったこともあって女性を大切にするんですが、彼が私と二年間口をきかなかったのは、私にとってはマジックです。誰かがマジック、呪術を彼にかけたとしか思えません。オマーンではまだマジックが信じられていますから。いいマジックも悪いマジックもあるわけですが、彼は悪いマジックをかけられたとしか思えませんね(笑)。

 

文学金魚 イスラームは偶像崇拝禁止ですが、美術、アートの世界ではそれがなかなか厄介な問題になると思います。オマーンのアート界はどういった感じなんでしょうか。

 

スワーダ 国王が奨励しています。国王が、確か一九九五年にアート・アソシエーションを王室関与の元に開設しました。イスラムでは偶像崇拝につながるような彫刻や絵を飾ることは禁止されていますが、カーブース国王は芸術とイスラムの教えは別という考えのもと彫刻や絵、写真を芸術として考えるよう国民を指導しているのだと思います。

 

文学金魚 オマーンはサウジやイラクに比べると住みやすそうですね。

 

スワーダ とても住みやすいです。サウジも住みにくくはないですが、国土が広いですから不便なことが多いです。道路は幅が広すぎて、絶対に歩いて横断できません。だから反対側に行く時は、車に乗って遠回しなければならない(笑)。それに女性は車を運転できないから、それだけでも大変なことになってしまいます。タクシーをつかまえると言っても、女性だけでタクシーに乗ることは出来ませんから大変です。だから現地の人たちは、一族集まって暮らせる住宅街をつくり、その中で行き来している様な感じです。外国人が集まるような大きな町に行くときは、アバヤ、ヒジャーブ(スカーフ)姿で顔を隠し出かけます。

 サウジの女性は意外にカラフルな服装ですよ。サウジの人が幼稚園のトレーナーでオマーンに来たことがありますが、その時の幼稚園教育の内容やサウジで制作された教材がとても新鮮だったので、私は興味をもちサウジの幼稚園に見学に行かせてもらったことがあるんです。サウジだから、私は黒のスカーフをして黒のアバイオを着て、黒ずくめの格好で行ったんです。幼稚園に入ったら、先生たちから「それ脱ぎなさいよ」って言われました。彼女たちは、パッと脱いだらミニスカートだったりして。その時に、サウジの子どもたちが意外に明るい色の絵を描いていた理由がよくわかりました。先生たちは普段、オマーン以上に軽やかな服装をしてるんですね。その点に関してはオマーンの方が保守的かな。オマーンでは女性はマキシのスカートかパンツ姿で、私の学校では女性の先生は、パンツしか許さなかったですから。

 だからニュースなんかで報道されている姿と、現地の実態はちょっと違います。実際に住んでみると住みやすいということが多いですよ。もちろんイスラム世界ではお酒は飲めませんけどね。お酒を造ったりしても、捕まってかなり重い罪を科せられてしまいます。

 

文学金魚 オマーンの結婚式では、花嫁がヘンナ(天然ハーブを使って肌の上に描く装飾模様)をしますね。あれはインドと同じですね。

 

スワーダ インドとアラビア、それにアフリカの一部は昔から航海でつながっています。あれは儀式で行う装飾で魔除けにもなります。

 

 

■教育のヴィジョンについて■

 

文学金魚 スワーダさんの専門の教育のお話しをしたいと思いますが、オマーンの学校の先生は、いろいろな国の方がいらっしゃるんでしょうか。

 

スワーダ 一九七〇年にカーブース国王が即位された時は、さっきお話ししたような理由で学校が全部で三校しかありませんでした。これはオフィシャルな発表で、実際には学校は一校しかなく、当時は国民の大半が教育を受けておらず、アラビア語の読み書きができる人が少なかったのです。ですからアラビックを教えられる先生を外国から採用したりしていました。ほとんどがエジプト人でした。一九七〇年に学校建設を一斉に始めたわけですが、それは大変な作業でした。国王は教育は建物ではない、木の下でも学べると国民を指導し、当時はテントを張って仮教室を作り、午前中は子どもたちの教育、午後は読み書きのできない大人たち――女性の部、男性の部に分かれていました――に教育をほどこしたんです。英語教育は当時小学校四年生から始めていました。今は小学一年生からです。英語の先生はほとんどインド人でしたが、今は公立の学校の先生は百パーセントオマーン人です。私が校長をやっていた頃は、自分の学校ではオマーン人の先生をあまり雇わなかったです。多い時には十三ヶ国の国籍の違う先生とスタッフが働いており、文化の違い、物の考え方の基準の違うスタッフを使いこなすだけでも大変でした。

 

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教師との朝礼風景

 

文学金魚 スワーダさんの学校は幼稚園から高校までで、生徒たちはそれから大学に進み就職します。スワーダさんは、どういう将来的なヴィジョンをもって教育プログラムを作っておられたのでしょうか。

 

スワーダ 私はこれから十年、二十年先に、社会がどういう職業人を必要とするのかを常に考え、その必要分野に合わせた科目を授業に導入しました。一九九〇年に学校を開校して、九一年には幼稚園生からコンピュータのレッスンを入れました。九一年当時はコンピュータがまだぜんぜん普及していなくって、日本では学校で教えるなどということを誰も考えていなかったと思います。私はこのコンピュータは、将来日常ツールになり、鉛筆と同じようになって、誰でも使えなければ困るようになる時代が来ると思い授業科目に入れました。周りの人たちからは反対されましたけど(笑)。その一つの理由に、コンピュータの授業は英語でしなくてはならないということがありました。その当時のアラビア語のソフトウェアなんて、ろくなものしか無くあっても使い物にならなかったりして。この授業は政府の許可無しではじめ、後から許可を戴きました。

 

文学金魚 それはかなり早いですね。日本ではゆとり教育の弊害が問題になったりしますが、オマーンでもありましたか。

 

スワーダ ありました。あの時は日本でもオマーンでもまず教科書が薄くなりました。それから教える科目が少なくなりましたね。このゆとり教育のコンセプトがどこから来ているのかというと、ユネスコからなんです。私は冗談じゃないと思いました。高校時代に物理や化学、数学などの全科目をきちんと勉強しておかなければ、大学に入ってからの進路変更ができないんです。高校時代に理数の科目選択などやってはいけません。ですから私の学校では、全員全科目履修を義務づけました。それからゆとり教育では自由授業というものがありました。特定のテーマを決めて授業をするのではなく、生徒と先生の経験から何かを学ぶと言う体験授業ですね。でも先生に専門教科以外の知識には経験がないのに、何を教えられるというんでしょうね(笑)。

 だから私はその授業は全部やめて、上級生には、これからはファイナンスについて勉強の必要性を考え、二〇〇四年、会計士の資格が取れるACCアカウント科目を導入しました。イギリスのACCアソシエーションから先生を招き、自由授業の二時間は、会計の授業に当てたんです。人生の基本になるのはお金の計算ですからね。また社会に入っても予算が立てられなければ、どんなに優秀な人でもビジネスはうまくいきません。で、生徒が高校を卒業するまでに、会計士の資格を取らせるようにしました。みんなにそれはムリだと言われました。会計士の資格試験はすごく大変です。普通は高校を卒業後、専門学校で二年間勉強して取得するものなんです。ですから私の学校で会計士の資格を取った生徒は、経済大学入学後、二年飛び進級し、三年生に編入できました。今オマーンで必要なのは、会計士の資格を持った人たちです。税金を課税する時代になりましたから、必要性が出てきている訳です。

 それから弁護士ですね。オマーンの人たちは、イスラム法があるから弁護なんて必要ないと思っていましたが、私は将来絶対必要になると思いました。そこで学校教育の中で問題解決について興味を持たせるようにしました。

 でも理工系の大学に進学したい生徒たちは、十一年生と十二年生でファイナンスの勉強をするのはムリです。科学三科目、それに数学も日本で言う数Ⅰから数Ⅲまでやらなくてはなりません。それをすべて勉強するには時間がいくらあっても足らないので、理工系の生徒はファイナンスの勉強を免除し、理数科系の勉学時間を増やしました。と言う訳でファイナンスの勉強をさせたのは、文化系の生徒たちです。この会計士の資格試験は、オマーンの文部省の規定で学校からの申請で検定を受けることができないので、当初は生徒個人に申請させました。その試験結果が良好で、その後文部省に認めて頂きました。コンピュータも九年生で世界標準の試験を受けさせました。

 

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生徒とたちとカタールアメリカ大学キャンパス視察するスワーダ氏

 

文学金魚 スワーダさんの教育ヴィジョンは画期的だと思いますが、教育業界は保守的ですから、反発も多かったんじゃないですか。

 

スワーダ 確かにそう思いますが結果が出れば認められるわけですから。私はアメリカ政府から、アメリカの高校の視察団の一人に選ばれたことがあるんです。世界のいろんな国から教育者が来て、アメリカに一ヶ月滞在していろんな州の学校を見て回りました。最初にワシントンの商工会議所で教育についてお話しをした時に、全員に「教育をどう考えておられますか」という質問があったんです。その時に私は、「教育は人が生きるためのツールで、生徒たちが高校を卒業し、その先どういう進路に進み、職業につくことが出来るか、その方向性に合った教育プログラムを組む必要がある」と言ったんです。そしたら皆さんから教育はビジネスではないと攻撃を受けました(笑)。それは二〇〇四年のことですが、今世界の教育はスキルトレーニングという方向に向かい出しています。

 子ども達は学校に行っている間、こんな難しい勉強をして、社会に出て何の役に立つんだろうと思っています。でもやはり役に立っているんです。生徒に勉強は役に立つんだということを認識させるためには、将来、どんな人材が要望されそれにはどんな基礎知識が役立つかを理解せる必要があります。また状況は刻々と変わっています。一時期はコンピュータ・サイエンスが盛んで、オマーン政府もこの分野に奨学金をたくさん出しましたが、今では人材が多すぎ、コンピュータ関連の職につくにはよほど優秀でなければならない時代になっています。あるいはケミカル・エンジニアは、原油価格が下がって景気が悪くなると職がなくなってきています。そういうことにも対応してゆかなければなりません。だから教育は、生徒が卒業した後の十年、十五年先に、どういうニーズが社会の中で起こるのかを見越して組み立てなければならないのです。もちろん基礎教育は重要で、同時に付加価値のある教育をしなければなりません。

 

文学金魚 オマーンの大学を出た学生は、基本的に国内企業に就職するわけですね。

 

スワーダ そうです。優秀な人は海外で働いていますが。

 

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生徒とたちとスワーダ氏

 

文学金魚 日本とオマーンの学生の交流事業も行っておられますが、いちばんの目的はなんでしょうか。

 

スワーダ 若い人たちが、自分の進路をはっきり見定められるようにすることです。またこれからの時代は、自分の国だけではなく、世界中の人たちとどう付き合ってゆくのかが課題になります。ビジネスでも友人関係でも同じです。日本の子どもたちは確かに海外旅行にはよく行くようになっていますが、自国の、あるいは旅行先の国の文化を知っているのかといえば心もとないですね。だけどそれを知るには、まず自分のアイデンティティを確認しなければなりません。本人のアイデンティティをしっかり植え付けることで将来の方向性も見えてきますし、デプロマシーも生まれます。一人一人がデプロマシーを持っていなければ世界の人たちと交流もビジネスもできないんです。デプロマシーは国際外交と思われがちですが、そうではなくて、一人ひとりが自国を代表していかに世界の人たちと交流するかということだと思います。

 私がいちばん最初に開催したスチューデント・フォーラムの、パネルディスカッションのテーマはデプロマシーでした。外務省のバックアップで行いましたが、外務省の人から「スワーダさん、デプロマシーというタイトルはマズイよ」と言われました。「どうしてですか」と聞くと、「政治的なことを学生たちに話させるのは危険だ」という答えでした。政治的な発言が出た場合に、混乱するすると言いたかったんでしょうね。でも私は「だいじょうぶです。ちゃんとそれは指導します」と言って、デプロマシーというタイトルでディスカッションを行いました。また議論が政治に流れないように、デプロマシーとは何なのかを学生たちに考えさせ学ばせました。当日のパネルディスカッションには、知らない人たちがたくさん来ていました。どういうことをやっているのか偵察するためにね。

 生徒たちはそのフォーラムで、初めて原稿のないパネルディスカッションをやったんです。学生たちは各大学からスピーチコンテストで選びましたがこのスピーチコンテストも大学の先生の介入無し、各大学側からの生徒選抜無しで選考しました。通常のスピーチコンテストは原稿を先生が作成し、それを学生たちが読んでいただけだったようです。でも私は学生たちに自由に発言させました。学生たちは「こうやってフリーにスピーチやディスカッションをやらせてもらえれば、わたしたちは言っていいことと悪いことの区別と責任は持てるのです」と言いましたよ。勿論原稿チェックなどしませんし、学生たちが何を話すかも知りませんでした。すごいリスクですが、それを開始する前に学生たちといろんな話をする時間を設け、事前にワークショップを開きました。その中で彼らに世界交流という意味でのデプロマシーを理解させ、半政治論はデプロマシーでも、デモクラシーでも無いことを気づかせるのです。大人たちが自信をもって学生を指導しなければ、これからの若者は育たないと思います。箱の中に閉じ込めておいたら発展はないですね。

 だから誰かがリスクを負って、新しいことを始めなければなりません。そしていいことと悪いことについては学生たちにはっきり言う。学生たちを甘えさせてもいけません。厳しく思いやりのある指導が必要だと思います。

 

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文学金魚 スワーダさんは、教育者として日本とオマーンを行き来しておられる国際人ですが、これからの若者には何がいちばん必要だとお考えになりますか。

 

スワーダ やはりデプロマシーとアイデンティティです。今の若い人にはアイデンティティが希薄です。私はオマーン人になりました。オマーンの国籍を取得したことについては賛否があるかもしれません。でも私のアイデンティティは日本人です。日本人でありムスリムであるというアイデンティティは絶対に消えません。もしかしたら現地の人と私のムスリムは違うかもしれませんよ。でも私の方が正統だという自信も正直言ってあります。だから自分というものがなんであるのか、まずそのアイデンティティをつかまなければなりません。

 若い人にはパスポートの重みをもっと感じて欲しいですね。パスポートは単に私のパスポートではないんです。私の国のパスポートであり、国は家族なんです。空港の税関では、ビザはいらないよと言ってスッと入国できる人と、なんだかんだと色々質問されてしまう国の人もいます。あるいはビザが出ない国もあります。パスポートを取得して、簡単にビザを取れる国の人たちは、その幸せを有効に活用しなければならないと思います。それを使って世界の平和のために働かなければならないと思うんです。世界平和というと大きな話に聞こえますが、それは身近なことからできます。それを広めることによって、百年かかるかもしれませんが、必ず人々の心も変わってきます。世界中の人たちを、イコールの目で見られるようになる必要があると思います。

 

文学金魚 今日は貴重なお話しをたくさんおうかがいできました。長時間ありがとうございました。心から感謝申し上げます。

(2016/03/18)

 

 

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