偏態パズル_第66回_cover_01偏った態度なのか、はたまた単なる変態か(笑)。男と女の性別も、恋愛も、セックスも、人間が排出するアノ匂いと音と光景で語られ、ひしめき合い、混じり合うアレに人間の存在は分解され、混沌の中からパズルのように何かが生み出されるまったく新しいタイプの物語。

論理学者にして気鋭の小説家、三浦俊彦による待望の新連載小説!。

by 三浦俊彦

 

 

 

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■ 本院の侍従に肘鉄を食らわされたあげく悶然たる〈おろち死〉を遂げた色好みの平中こと平定文の逸話を、おろち諸学定説による史実再構成バージョンで再検討するならば幾通りの信憑分岐線に整理できるだろうか。

 スタンダードな今昔物語集巻30・第1話「平定文、本院の侍従に仮借する語」の他に『宇治拾遺』『十訓抄』などでも報告されるあの逸話だが、まずはおろち学萌芽以降の先駆的文献の一つ『のぞき学原論』(三浦俊彦、三五館)に耳を傾けよう。同書第2章で三浦は、当該逸話について次のような「実弾説」を提示している。

 

 『乱菊物語』『武州公秘話』などでこの話に言及したスカトロジスト嗅覚作家谷崎の、『少将滋幹の母』におけるいっそう詳細なアレンジによれば、「世にも自尊心の高い、男を懊らすことに特別な興味を抱く侍従の君」への一向実らぬ恋に悩まされた平中は、「いくらあの女が非の打ちどころのない美婦人であるからと云って、結局は普通の人間にすぎないのだという証拠を見たら、これほどに迷い込んだ夢もさめて、愛憎を尽かすことができるであろう、と、そう思った末に考えついたのは、……何とかしてあの女のお虎子を盗み出し、中にしてあるものを見届けてやりたい、……ということであった。」そして或る日ついに奪い取った目的の筥。「……恐る恐る蓋を除けると、丁子の香に似た馥郁たる匂が鼻を撲った。不思議に思って中を覗」き黄色い固形物を「試みに木の端きれに突き刺して、鼻の下に持って来てみると、あの黒方という薫物、……香の匂にそっくりなのであった。……ちょっぴり舌に載せてみ……、よくよく舌で味わいながら考えると、尿のように見えた液体は、丁子を煮出した汁であるらしく、糞のように見えた固形物は、野老や合薫物を甘葛の汁で煉り固めて、大きな筆の欛に入れて押し出したものらしいのであった。」

 恋の探偵はここに窮まって、目標の転倒した神秘と幻滅の狩人と化してしまった。自己の価値観を努めて覆さんとする一種自殺的な覗き――「幸福への夢想」を放棄したかにさえ見える、幸福への倒錯的夢想が追求されるに至った。擬似食糞によって「食と排泄」を文字通り融合させたその結果は、「いみじくもこちらの心を見抜いてお虎子にこれだけの趣向を凝らし、男を悩殺するようなことを工むとは、何という機智に長けた女か、やはり彼女は尋常の人ではあり得ない」と、求めた幻滅が逆に幾層倍した神秘の恋情と化して跳ね返り、平中は悶死する。せめてもの倒錯的救済さえ彼にもたらされはしない。

 

偏態パズル_第66回_01

 

 ところで、芥川龍之介の『好色』のアレンジでは、平中は、侍従の君の筐を持った女童が通りかかるのを見て、あの企てが「稲妻のように閃き渡」り、「眼の色を変えたなり」即座に奪い取ったことになっている。そしてやはり香細工の糞を嗅がされ食わされて、女の計略に敗北の叫びをあげつつその場で直ちに卒倒、死んでしまう。今昔や谷崎版と比べて、奪取と悶死のふたつともが現場での瞬間的な出来事である。するとこの芥川版の場合、平中の計画はかくも即興的だったのだから、侍従が見破って予め細工ができたような猶予はごく小さい――つまり、そこでは平中が口にしたモノは侍従の君のホンモノであった可能性が大なのである。それを、頬を寠らせ身を焦がす命がけの恋にいまや感覚麻痺に陥っている平中は、いかなる幻滅的現実よりも強固な神秘の霧にがんじがらめにされているものだから、麗人の大便に「吉祥天女」の芳香を嗅いでしまったに違いない。胆汁の苦みを瑞草の甘みと、粘液と繊維の味気ない腐塊を蜜乳滴る美肉と感じ、心が強引に抱いたその幻覚の無理ゆえ、物理的事実とのズレに引き裂かれて平中の生命は崩壊した。(pp.82-5)

 

 このようにおろち元年以前に少なくとも定説「悩殺説」と異説「実弾説」の対立が用意されていたことがわかるが、谷崎・芥川をはじめとするアレンジャーの誰もが実弾説を可能的含意以内にとどめているのは不思議である。『宇治拾遺』に香り甘みで贋糞尿をこしらえる工作現場の描写があるため、物語特有の歪曲を疑いつつも古典を尊重したのであろうか。平中は芳香食物の細工によって悩殺されたという悩殺説に対し、実物おろちの平凡悪臭と幻想内芳香との矛盾に卒倒したのだという実弾説は「侍従の君の尋常ならざる機智」を想定せずにすむ点においてより経済的であり、オッカムの剃刀に合致した科学的仮説であると言える。が、現在では「悩殺説」「実弾説」と並びむしろ経済非経済を超えたいっそう説得的な諸説として、次のようなものが林立していることは周知の通りだ。

 

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 「超実弾説(体質説)」……侍従の君は悩殺などという人為的関与をしてはいない。単に芳香おろち体質だったのである。平中は「胆汁の苦みを瑞草の甘みと、粘液と繊維の味気ない腐塊を蜜乳滴る美肉と」錯覚したわけではなく、侍従の胆汁がもともと甘かったのであり、粘塊がもともと美肉であった。

 「超悩殺説(実演説)」……侍従の君は通常おろち体質にすぎず、手をこまねいていたのでは幻滅の対象とされてしまう。そこで芳香物質を連日多量摂取することにより、毎朝の実弾そのものを芳香物質と化してしまう策を巡らしたのである。悩殺説が前提する香料単純工作より欺瞞のないはるかに手間暇かかった正統派内臓悩殺であり、特殊実弾体内生産という人体実験的献身の感動要素を伴うと言えよう。侍従が連日摂取に励んだ香料には黒方の素材である丁子、沈香、甲香、白檀、麝香のほか、隈笹、蓬、月桂、素馨(ジャスミン)、薄荷(ミント)、桂皮(シナモン)、迷迭香(ローズマリー)、浜茄子(ローズヒップ)、日本では認知が江戸時代以降と思われていた加密列(カモミール)、ラベンダー、レモングラス、パセリ、有毒であるはずの樟脳(クスノキ)までありとあらゆる芳香物質と大量の甘味成分(果汁、蜜、樹液)が含まれていたとされ、平中の略奪行為があと一週間遅れていたら侍従は嘔吐と下血を伴う中毒症状に陥っていたとされる。

 「俗実弾説(超幻滅説)」……平中は「香の匂」になど出遭わなかった。彼がおまるの中に見出したのは、標準レベルの繊維塊と平凡な悪臭であった。平中はあまりに予想どおり狙いどおりの凡庸な糞臭に不意打ちされ、幻滅の想像以上の打撃に打ちのめされ、先回りする侍従の悩殺的技巧を勝手に予期していた己の幻想加減を思い知ってさらに打ちのめされ、恋どころか人生に急速に冷め、この最後の手段さえほどよい幻滅をもたらさないことを悟って魂が凍え死んでしまった。丁子の香等々の記録は侍従の後手に回りながらも機敏な手回しによる脚色であるという。

 「逆説悩殺説(幻滅反転説)」俗実弾説の最新バージョン。賢明にして誇り高い侍従の君がさすがにおまる奪取作戦には無防備にして凡庸おろちぶりをさらけ出してしまったことから平中は俄然、親近感と可憐という通俗性質を侍従に付与せざるをえなくなり、非凡と平凡のギャップ萌えに悶えて卒倒したのであった。

 「最臭兵器説」……侍従の君は平中を叩きのめすつもりだった。叩きのめしつつも自分への恋情は確保し続けるという「平凡な女の企み」にとどまっていた悩殺説に反し、侍従はそんな甘い女ではなく本気で平中をつぶしにかかった。侍従が連日摂取に励んだアンチ香料にはニンニク、ニラ、納豆、唐辛子、発酵乳、屎葛の葉・茎・生実、日本では認知が江戸時代以降と思われていたにがり(塩化マグネシウム)などとともに一部有毒な竹酢味噌や放射性岩塩が含まれていたとされ、これも平中の略奪行為があと一週間遅れていたら侍従はやはり嘔吐と下血を伴う中毒症状に陥っていたとされる。

 

 代表的なもののみを挙げたが、これらは侍従の君の側の事情(行為・意図・体質など)による分類項である。

 平中の死因による分類法の方がむしろおろち学的には応用範囲が広い。そちらの分類によれば、

 

 「悶死説」……悩殺説に対応。侍従の賢さ、狡さを再確認させられ敗北感に打たれショック死。「してやられたぞ!」

 「亀裂説」……実弾説に対応。理想像のもたらす芳香と現実の凡庸悪臭との矛盾に単純に引き裂かれる激痛でショック死。意識の上では「してやられたぞ!」嗅覚・味覚的には「そりゃそうだよな!」

 「自己幻滅説」……実弾説に対応。理想像のもたらす芳香が現実の凡庸悪臭を無効化したことに対し、己の理想化衝動の根深さ・因業の深さにショックを覚えて対自的な憤死。「おれってやつは!」

 

偏態パズル_第66回_03

 

 「増幅悶死説」……実弾説に対応。現実の凡庸悪臭が理想像のもたらす芳香感覚を際立たせてしまったことにより、悶死説の唱える敗北感が増幅、ショック死。「とことんしてやられたぞ!」

 「本来幻滅説」……実弾説に対応。理想像のもたらす芳香が現実の凡庸悪臭を際立たせてしまったことにより、狙い通りだったはずの幻滅そのものによってショック死。「そりゃそうだよな、だけどこんなはずじゃ!」

 「耽溺説」……超実弾説に対応。策略など抜きで天然にどこまでも清潔で美しい侍従像を破ることができず逆に確認してしまったがゆえに怒涛の増幅幻想に改めて飲み込まれ溺死。「つくづくなんという!」

 「超悶絶説」……超悩殺説に対応。侍従のかけた手間暇に感服して驚嘆死。「よもやここまでやってくれるとは!」

 「恍惚説」……超悩殺説に対応。侍従のかけた手間暇の途方もなさに侍従側の一種恋情を感じ取ってしまい当該恋愛の希望と重圧が急速膨張したがゆえの破裂死。「まさかむこうもほんとうは!」

 「法悦説」……超悩殺説に対応。侍従の自己犠牲的実験精神に感動するあまり犠牲的共振現象が平中の五臓六腑内に生じ、細胞の偏向細動による感電死。「しびれた!」

 「究極恋情説」……俗実弾説に対応。対他幻滅説から芳香幻覚を抜き去ったメカニズムによる。単に幻滅することが命にかかわるほどに致命的な恋愛であったがゆえの単純絶望死。「そりゃそうだよな、だからもう!」

 

偏態パズル_第66回_04

 

 「滑落説」……逆説悩殺説に対応。予定通りに進んで幻滅すべきところ、予定通り過ぎて滑ってしまい、逆に侍従の意外な間抜けぶりに萌えてしまったがゆえ、〔高い女→可愛い女〕の恋情モード急速切り替えに神経が追い付かず大脳皮質内バグ発生による混乱死。「なんなんだこのきもち!」

 「特悶絶説」……最臭兵器説に対応。侍従の腸内発酵物の異常な強度濃度に打ちのめされるとともに、その手間暇と技巧を瞬間推測して驚愕死。「おおっ!」

 「圧縮絶望説」……最臭兵器説に対応。侍従の腸内発酵物の異常な強度濃度に打ちのめされるとともに、その手間暇と決意から自分がいかに嫌われていたかを瞬間察知して悟り系硬直死。「あっ!」

 「吃驚説」……最臭兵器説に対応。侍従の腸内発酵物の異常な強度濃度に打ちのめされ、まさかこれが侍従生来の体質かという心理的衝撃の落差で墜死。「えっ!」

 「物理説(量的刺激説)」……最臭兵器説に対応。侍従の腸内発酵物の異常な強度濃度に襲われ、単純物理刺激により粘膜が痙攣し窒息死。「うっ!」

 「化学説(質的刺激説)」……最臭兵器説に対応。侍従の腸内発酵物の異常な強度濃度に襲われ、侍従直腸内特有成分ゆえの細胞レベル的化学反応により中毒死。「……んっ!」

 「単純複合説」……以上の死因のうち、どれが自分に襲い掛かってきたのか瞬時には判断できなくなった平中が、その混乱ゆえに眩暈死。「どうなってるんだ!」

 「錯綜複合説」……以上の死因のうち、どれが自分に襲い掛かってきたのか瞬時には判断できなくなった平中が、その複合的ベクトルの渦中に自分が居続けたことを今さらながら急速認識するあまり認知キャパシティがパンク、破裂死。「どうなってたんだ!」

 

 芥川が『好色』末尾で平中に叫ばせている「侍従! お前は平中を殺したぞ!」という中立的な断末魔は、以上の背景によって解釈および脱解釈されねばならない。

(第66回 了)

 

* 『偏態パズル』は毎月16日と29日に更新されます。

 

 

 

 

 

 

 

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