日本文学の古典中の古典、小説文学の不動の古典は紫式部の『源氏物語』。現在に至るまで欧米人による各種英訳が出版されているが、世界初の英訳は明治15年(1882年)刊の日本人・末松謙澄の手によるもの。欧米文化が怒濤のように流入していた時代に末松はどのような翻訳を行ったのか。気鋭の英文学者・星隆弘が、末松版『源氏物語』英訳の戻し訳によって当時の文化状況と日本文学と英語文化の差異に迫る!
by 金魚屋編集部
箒木
こうも嫌味たっぷりに口答えされては堪らない、かっとなってもう井堰を切ったようにりつけて女を黙らせたのですが、今度は女の方が遮二無二になって怒り狂い、この手を取るや、小指に喰らいついて指先を噛みちぎりおったのですよ。痛みのためにかえって心が鎮まり、徐にこう言いました、こうして身も心も疵物となったからには、将来上達部に交じろうなどとは思わぬ。役目も官位も望むべくもない。歯向かった甲斐もあろうな、この身はもはや蔑みの的、世に顔向けするのも憚られる、なれば片端者として人目につかぬよう身を隠すほかあるまい。揚々と言ってのけたものですから女は呆気に取られておりました、そこで、今日限りだと附け加えて、指をこう折りながら(女の返歌の間も折り曲げた指を指しておりました)別れの歌を贈ったのです、
きみとすごせしときのおぼえに ひふみにななしとゆびおれば
こゆびのかぞえしきずのおぼえや ほかにあらむとひとりいのれば
噛み分けたればもう恨んでくれるな、と言い添えた途端に女は身も世もなくわっと泣き出して絞り出すように答えました、
うわきごころにたなごころの つめたきしうちをしのびてながき
わがみをてばなしすておいて いまこそさらめというぞつめたき
本心を申せば、それきり別れる積もりはございませんでしたので。が、暫くは文も遣らず、うかうかと日を送っておりました。ところがです、霜月の夜更けに御所を出た帰り道、賀茂神社の臨時の祭事に向けた一通りならぬ楽の稽古の後でした。霙のばらばらと降る夜です。風は冷たく、道は暗くぬかるむ。辺りに雨宿りに寄れそうな家もない。御所に引き返して一人寝もつまらない。そのとき面影が過ぎったのです。ずいぶん冷たくあしらったがさぞ凍えておるだろう。そう思うと、途端に女の様子が気になり出しまして。女の住まいへと足が向いておりました。肩に積もった雪を払いながらのたりのたりと霜を踏みます、ふと気後れがして爪を噛んだり、はたまたこんな夜なら積もる恨みも溶け去ってくれるだろうなどと思い直しもして。家が見えてきました。帷は下がっておりません、障子越しに灯のちらちらと揺れるのが見えました。柔らかい綿入れを温めて畳に被せてあるのもわかりました。その様子を見れば誰でも、こんな夜になら私が来るやもしれぬと女が心待ちにしていると思いましょうとも。そこで勇んで訪ねたのですが、なんともはや、会いたかった女はおりませんでした。折しもその晩に里の親元に下がったとか。女はその日までというもの、悲しみを詠んだ歌ひとつ、仲直りの文ひとつ遣さなかったもので、それを些か不興にも思っていたのでしたが、この夜、女が去ったと聞いたとき、どれもこれもみな女の手の内だと勘づいたのです、そして察しました、あの手に負えない悋気もわざとそう見せ掛けて女に嫌気が差すように仕向けていたのやもしれぬと。
かような別れ方をしてこの先どうなるものかと思うと、真に滅入ったものです。しかし諦めてはおりませんでした、女が私を金輪際捨て去ったとは思えなかったのです。心を籠めて選んだ衣装の贈り物などもしました。しかし何の消息もなく日が過ぎました。女が仲直りの品々を受け取ったのか拒んだのかもわからずに。真に、女は先に述べた例のように隠れはしませんでしたが、己が振舞いを悔いるような色さえ見せぬのです。
随分と経った頃、ようやく女から音沙汰がありました、これからも先の不品行を繰り返すお積もりなら決して赦さぬが、その品行をすっかり改めて相応に思い遣ってくださるのならばもう一度お目にかかりたいというのです。女がまだ執心しているのは確からしい。ならばと、いましばらく焦らしてみようと、品行改め云々に何の返事もせずにおきました、根比べのつもりでした。
そのような駆引に戯れている間に、女が斃れたと知って肝を潰しました、それも傷心が殃いしたのだろうというのですから。
(第11回 了)
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