様々な音楽を聴きそこから自分にとって最も大切な〝音〟を探すこと。探し出し限界まで言葉でその意義を明らかにしてやること。音は意味に解体され本当に優れているならさらに魅力的な音を奏で始めるだろう。
ロック史上最高のバンドの一つとして名高い「ザ・バンド」(ロビー・ロバートソン、リチャード・マニュエル、ガース・ハドソン、リック・ダンコ、リヴォン・ヘルム)を論じ尽くした画期的音楽評論!
by 金魚屋編集部
第六章 ザ・バンドというバンド
●コンサート「ラスト・ワルツ」を観た人
実際にザ・バンドのライブを観たことのある日本人は、どれくらいいるのだろう。観てきたようなことを書いているが、ぼくは観たこともなければ聴いたこともない。ぼくの知る限りでは、日本人で最も数多くザ・バンドのライブ演奏を観た人は、ロックライター/翻訳家/詩人の室矢憲治、通称ムロケンだ。
室矢憲治はコンサート「ラスト・ワルツ」を観た数少ない日本人の一人であるだけでなく、一九六九年の「ウッドストック」、一九七三年の「ワトキンズ・グレン・サマージャム」、一九七四年の「ディラン/ザ・バンドの復活ツアー」など、ロックの歴史に残る重要なコンサートでのザ・バンドを観ている。しかも、ホークス時代のロビー・ロバートソンとリヴォン・ヘルムが初めてボブ・ディランのバックをやった、一九六五年八月二十八日、ニューヨークのフォレストヒルズ・テニス・スタジアムでのライブも観ている。こんな人は、まずいないだろう。
どんなライブでも同じライブは二度とない。これはライブの宿命だと言ってよい。「その時」「その場」に立ち会うことができた人だけが、その演奏を聴くことができるのだ。その時ディランのバックにホークスのロビーとリヴォンがいるとは、その場にいる観客の誰も知らなかっただろう。だが室矢憲治は、その時(the right time)、その場(the right place)にいたのだ。
ぼくの知り合いで年間に四百回程度ライブに行っていたMさんという人がいる。最初に四百回と聞いた時には、一年は三六五日なのだからあり得ないと思ったのだが、話を聴くとライブのファーストセットが終わると、そこで別のライブに移動してセカンドセットを聴くのだという。Mさんとは一九九二年のジョン・サイモン(初期ザ・バンドのプロデューサー)の初来日のライブで知り合った。Mさんはロックとジャズの聴くべきミュージシャンの来日公演はほとんど聴きに行っていた。ボブ・ディランの来日コンサートは全国全公演すべて聴いていた。
ぼくはMさんを心の底から尊敬していた。なぜならライブの感想を尋ねると、彼はリスナーとしての感想は述べても、決して評論家のような批評はしなかったからだ。ぼくがつい批評めいたことを言うと、Mさんはいつも「こっちは聴いてるだけだからねぇ」と答えた。だが、ライブで本当に音楽を聴けるようになるのは、そんなに簡単なことではない。ミュージシャンがライブで本当にいい演奏ができるまでには場数を踏む必要があるのと同様に、リスナーだってライブで音楽をよく聴くことができるまでには場数を踏む必要があるのだ。
コンサート「ラスト・ワルツ」でのザ・バンドのライブ演奏について、室矢憲治はこう書いている。
「ザ・バンドは5人のメンバーが優れた音楽的才能を持ち、68年の『Music From Big Pink』でレコード・デビューして以来、音楽の潮流を変えてきた革命的グループだが、ライブ・ステージでまだ一度もその真価を示したことはなかった。およそ野外フェスには不向き、ディランの復活ツアーのビッグ・スタジアム公演での高圧的で威嚇的なサウンドも、およそザ・バンドの音楽性とは真逆……。だから今夜の、演奏者と聴衆、互いの表情まで見えるこのインティメイトなヴェニューでとうとう、と、僕ら5千人の期待のボルテージは刻々と上がっていったのだ」
「ザ・バンドのヒット・パレードとも呼べる前半の1時間は、ロビーのキャリア18年の集大成〔中略〕特にわずか3分間の「Ophelia」。〔中略〕〝限りなく歌に寄り添うギター〟と言われる、ロビー・ロバートソンの真骨頂がそこにあった。〝なぜ素敵なものは、すぐに消えるのか?〟……その夜の人々の思いを代弁するかのような、盟友リヴォンの骨太ボーカルもハートを串刺しにする。こんなロック・ポエトリーを書ける詩人/ソングライターとしてのロビーにも、改めて脱帽だった」(「〝ラスト・ワルツ〟見聞録」『ギター・マガジン』二〇二三年十一月号)
この「見聞録」を読むと、「Why do the best things always disappear(なぜ素敵なものは、すぐに消えるのか)」という歌詞を詩として受け取ることができた室矢憲治は、この夜のザ・バンドのライブ演奏を誰よりも深く聴くことができたリスナーだということがわかる。
ライブを聴いてきた時間がその人の人生そのものだと思える、室矢憲治やMさんもまた、「音楽家」と言ってよいだろう。
●ライブを聴いていなければ話にならないのか
コンサートでクラシックを聴いていると、これはまず録音するのは無理だろうなと思うことがある。二〇一二年十二月一日にサントリーホールでマリス・ヤンソンス指揮のバイエルン放送交響楽団でベートーヴェンの第九を聴いたときがそうだった。第四楽章で合唱の声がホールの壁伝いにぐるりと回り、天井に向かって舞い上がった瞬間、ホール全体が音の球体となった。これをそのまま録音することも無理だし、録音で聴いても別のものになることは明らかだった(実際、後にライブ録音で聴いたが、この体験が再現されることはなかった)。
二〇〇八年九月十六日にコットンクラブでジャズのトランペット奏者トム・ハレルの演奏を聴いたときにはこんな経験をした。クインテットの編成だったが、ファーストセットの途中でフリューゲルホーンとウゴナ・オケグォのウッド・ベースによるデュオで「Body and Soul」が演奏された。「Body and Soul」はよく演奏されるスタンダードだが、ぼくはライブで聴いて一度も満足したことがなかった。いちばん情感を込めてほしい部分がたいていは凡庸で、聴くたびにがっかりした。だが、その夜のトム・ハレルはこれ以上ないほどの情感を込めそのメロディラインを吹き、「そうだ!」とぼくが心の中で叫んだ瞬間、ステージ右側の壁際の席に退いていたドラムのジョナサン・ブレイクと左側の壁際の席に退いていたピアノのダニー・グリセットが同時に「Yeah!」と声を掛けたのだ。
ぼくはステージにほど近い中央の席で聴いていたが、左右から同時に掛かった声と自分の心の中の声が重なったその瞬間、「音楽」がついにその真の姿を現したと思えた。ぼくは三日間の公演をすべて聴いた。しかし、その瞬間が訪れたのは二日目のファーストセットの「Body and Soul」を聴いた時だけだった。
こうした、ライブを聴いていなければわからない体験を読んだ人は、「結局、ライブを聴いていなければ話にならないじゃないか」と思うかもしれない。
しかし、事はそう単純ではない。
ビル・エヴァンス・トリオのライブ盤『Waltz for Debby』は、ジャズの名盤として知られている。ところがこのヴィレッジ・バンガードでのライブ盤を聴くと、ほとんどのお客さんは演奏をよく聴いていないのだ。会話に夢中になっている声とか、ざわめき、グラスや食器がぶつかる音が終始している。ボーナストラックで聴ける「I Loves You, Porgy」に至っては、曲の最後のほうでビル・エヴァンスが繊細なタッチで情感を込めてピアノを弾いた瞬間、女性客が高笑いするのだ。曲が終わっていないのに大きな音で拍手を始める客がいたり、すばらしい演奏だったのに拍手がパラパラとしかなかったり、皆演奏をよく聴いていない。
つまり、歴史に残るほどの名演が目の前で演奏されていたのに、ほとんどの人は「音楽」をよく聴くことができなかったのだ。ぼくは自分が生まれた一九六一年に録音されたこのライブ盤を聴くたびに不思議な気持ちになる。このライブを「音楽」としてよく聴くことができたのは、後から録音で聴いた人だけなのだ。
●「なんだ、レコードと同じじゃないか」とミック・ジャガーは言った
クラシックの演奏者で録音の本質を最もよく理解していたのは、グレン・グールドだ。グールドは、クラシックのライブ演奏における一回性の価値とは異なる音楽的価値を録音で表現することに意味を見出し、成功した。グールドは、いち早くライブの一回性の神話から抜け出したという点で、現代的なアーティストであり、その意味ではクラッシックの音楽家ではないと言ってもよいだろう。
それとは逆に、ローリング・ストーンズはライブの本質を最もよく理解しているロックバンドである。ストーンズはスタジオ録音のオリジナルとは異なる音楽的価値をライブで表現することに意味を見出し、成功したのだ。ライブの一回性を重視したという点で、ローリング・ストーンズは伝統的なミュージシャンであり、その意味ではクラシックの音楽家と同じだと言ってもよいだろう。
では、ザ・バンドはどうだったのだろうか。
ザ・バンドのライブを初めて観たローリング・ストーンズのミック・ジャガーは「なんだ、レコードと同じじゃないか」と言ったという。ミック・ジャガーは、スタジオ録音のオリジナルを再現して演奏するのではライブの意味がない、と言いたかったのだと思う。しかし、ザ・バンドは、スタジオ録音でも基本的にはライブのように全員で一斉に演奏していた。ミック・ジャガーには「ライブ演奏がスタジオ録音と同じ」に聴こえたわけだが、ザ・バンドは、「スタジオ録音がライブ演奏と同じ」だったのだ。
ザ・バンドの公式のライブ盤は一九七二年にリリースされた二枚組のライブ・アルバム『ロック・オブ・エイジズ』(Rock of Ages)と一九七八年の三枚組『ラスト・ワルツ』(The Last Waltz)である。『ロック・オブ・エイジズ』は初めてホーンセクションと一緒に演奏したが、リラックスした自然なライブ録音だ。一方、『ラスト・ワルツ』は、発売当時、ライブ演奏の熱気に欠ける録音だというレコード評が出たが、それは正しかった。メイン・ヴォーカルとゲストの演奏およびリヴォン・ヘルムのドラム以外は大幅にオーバーダビングが施され、曲によっては部分的にカットされていたからだ。これはコンサート「ラスト・ワルツ」のライブ盤と言ってよいのだろうか、それともライブ盤とは言えないのだろうか。
「ラスト・ワルツ」のライン録音だと言われる音源をYouTubeで聴くと、確かに公式盤の『ラスト・ワルツ』とはかなり異なることがわかる。その意味ではアルバム『ラスト・ワルツ』は純粋なライブ盤とは言えないだろう。ところが、最近になってコンサート「ラスト・ワルツ」のオーディエンス録音と言われる音源をYouTubeで聴いたところ、修正前の演奏ではあるが、全体の印象としてはアルバム『ラスト・ワルツ』とあまり変わらなかった。その意味では、『ラスト・ワルツ』は編集によってライブをうまく再現したライブ盤と言ってもよいだろう。
よく考えてみれば、ライブ盤も録音されたものである以上、ライブではない。ライブ音源を使用してはいるが、録音は録音だ。つまるところライブ盤は、ライブの一回性という神話を逆手に取った音楽的表現だと言えるだろう。近松門左衛門は「芸といふものは実と虚との皮膜の間にあるもの也」と言ったと穂積以貫は書いているが、ライブ盤はまさに「虚実皮膜」の表現なのである。ロック・ミュージシャンでそのことを誰よりもよく理解していたのは、ロビー・ロバートソンだ。アルバム『ラスト・ワルツ』は映画『ラスト・ワルツ』のサウンドトラックとしてリリースされており、スタジオ録音の「ラスト・ワルツ組曲」も含めて再構成された音楽版『ラスト・ワルツ』という作品だと考えるべきだろう。
●ザ・バンドの本当のライブ演奏を聴くことはできるのか
では、ザ・バンドの実際のライブ演奏は果たしてどんなものだったのか? それを知る手がかりは、後から手を加えられていないと思われるライブ録音にある。
アルバム『ザ・バンド』50周年デラックス・エディションに収録された一九六九年八月十七日のウッドストック・フェスティヴァルでのライブ録音では、初期ザ・バンドのライブ演奏が聴ける。また『ステージ・フライト』50周年デラックス・エディションに収録されたヨーロッパ・ツアーのライヴ音源「Live at the Royal Albert Hall, June 1971」では、ライブバンドとして最も脂がのっていた時期の演奏を聴くことができる(ミック・ジャガーが聴いたであろうライブ)。
ウッドストックのライブは、『ビッグ・ピンク』のライブ盤とも言える選曲で、ややラフな演奏だが「We Can Talk About It Now」や「Long Black Veil」など、その後のライブではあまり演奏されなくなった曲が聴ける。ロイヤル・アルバート・ホールでの演奏には勢いがあり、もっとよい音質で録音されていれば、すぐれたライブ盤として発売できただろう。いずれにせよ、ザ・バンドの演奏は、ライブでもスタジオ録音でも、その本質は変わらなかったとぼくは思う。
『ラスト・ワルツ』は多くのゲストを迎え、その日初めてライブ演奏する曲が二十曲以上あり演奏のミスが多かったことに加え、録音にハムノイズが乗っていたりして音質がよくなかったため、大幅に修正せざるを得なかったということだろう。『ラスト・ワルツ 完全盤』に収録されたリハーサル音源の「King Harvest」や「Caravan」などのほうが録音がよく、自然な音でライブを聴くことができる。
もし後期ザ・バンドのリアルなライブ演奏を聴いてみたければ、『Carter Barron Amphitheater, Washington Dc, July 17th 1976』とか『Complete King Biscuit Flower Hour』というタイトルで知られる音源を聴くとよいだろう。これはアメリカの人気ラジオ音楽番組「キング・ビスケット・フラワー・アワー」の放送用音源をリマスターした、ラジオ放送ではオンエアされなかった曲を含むコンプリート音源である。ザ・バンドとしての最後の全米ツアーの一九七六年七月十七日に行われたライブの録音で、ぼくは聴きのがしてしまったが、確か一九八〇年代半ばに日本でもオリジナルのラジオ放送用音源がFMで放送されたことがあるはずである。現在はApple MusicやYouTubeで聴けるようになった。
『南十字星』からは「It Makes No Difference」「Ophelia」「Forbidden Fruit」の三曲が演奏されている。『ラスト・ワルツ』でも「It Makes No Difference」と「Ophelia」は演奏されているが、いずれもホーン・セクションが入っている(「It Makes No Difference」のほうはオーバーダビングされたもの)。ラジオ用音源はホーン・セクションが入っていないため、全体的に伸び伸び演奏している印象がある。この日のザ・バンドは絶好調で、奔放に演奏しながらも五人の音が自然によりあわされ、ダイナミックなライブになっている。
「It Makes No Difference」のロビー・ロバートソンのギターソロは『ラスト・ワルツ』の時とはまた違うが、こちらも心に響く演奏だ。
「Ophelia」の間奏では、ロビーのギターソロのバックで、ガース・ハドソンがオルガンで見事なカウンター・メロディを弾いている。
「Forbidden Fruit」は、ザ・バンドのロックバンドとしてのライブ演奏の到達点と言ってもよいほどリズミカルでファンキーで自在な演奏だ。この演奏を聴くと、「ザ・バンドは全員がリズムセクションのバンドだ」とリヴォン・ヘルムが言っている意味がよくわかる(『ザ・バンド全曲解説』のインタビュー)。バンド全体のうねるリズムに乗せて曲の最後で弾かれるガース・ハドソンのオルガンソロは、ライブでの彼のいちばんすぐれた演奏だろう。
ライブ全体を通してリック・ダンコのベースのファンクネスが際立っている。
●空白が奏でる音楽
あるロック評論家があちこちで「ベーシストのリック・ダンコはアタマの一音をよく外す(弾き損ねる)」と言っているが、リック・ダンコは「ビートのトップをヴォーカリストのために残しておくのはいいことだ」と『Bass Player』一九九四年一月/二月号の記事の中で語っている。
それぞれがリード・ヴォーカリストでもあるザ・バンドのリズムセクション(ドラム、ベース、ピアノ)の三人(リヴォン・ヘルム、リック・ダンコ、リチャード・マニュエル)は、意識的にヴォーカルやギターやオルガンのためのスペースを空け、意図的にスカスカな演奏をしていることに気づいてほしい。例えば『ザ・バンド』に収録されている「The Night They Drove Old Dixie Down」を聴いてみるとよい。ベースはほとんどの小節で一音か二音しか弾いていないことに気づくだろう。ドラムに至ってはリズムキープのハイハットもライド・シンバルも使わずに、バス・ドラムとスネアのコンビネーションだけで曲が進行していく。
また、『ロック・オブ・エイジズ』に収録されている「Unfaithful Servant」を聴いてみてほしい。この曲のギターソロは、ロビー・ロバートソンの最もすぐれた演奏だと言う人も多い。確かにそのとおりなのだが、ここで注目すべきなのは、エモーショナルなギターソロとは対照的にドラム、ベース、ピアノが実に淡々と演奏していることだ。ギターソロに入る直前のブレイクは、しんとした静けさをたたえた一瞬の空白で、だからこそロビー・ロバートソンが「うわっ」と小さく叫んでソロに入る瞬間が劇的に感じられるのだ。
シンガーソングライターの臼井ミトンは、ザ・バンドの演奏について「技術的にすごく高度ですよっていうことを気づかせないくらい上手い。技術が透明になってしまっているくらいの上手さ。これ見よがしに難しいことをやるんじゃなくて、すごくシンプルで素朴なんだけれども演奏が上手」と語っている(TBSラジオ放送の文字起こしによる)。これはミュージシャンならではの聴き方だろう。
例えば、スタジオ録音の『南十字星』の「Rags and Bones」は、さらりと演奏しているように聴こえるが、ドラムのノリといい、ツイン・キーボードとギターの絡みといい、バンドのアンサンブルはまずコピーできないだろう。「技術が透明になってしまっているくらいの上手さ」というのは、こういうことだ。
ドラマーの沼澤尚は糸井重里との対談でこう言っている。
「The Bandはミュージシャンにとっての憧れです。特にレボン・ヘルムは、歌を支えるドラム、あるいは歌いつつのドラムとして歴史上の誰も、まるでかなわないですから」「The Bandは、世界の音楽歴史上で、ある意味で、最高峰の位置にいます」「全員が驚異的な職人であることと、〔中略〕完璧なオリジナル・バンド・サウンドを持っていること」(沼澤尚「ラストワルツを聴きながら。」ほぼ日刊イトイ新聞)
アルバム『ラスト・ワルツ』で「Life Is a Carnival」を聴いてみるとよい。トリッキーなリズムでドラムを叩きながら力強いリード・ヴォーカルを取るリヴォン・ヘルムの演奏を聴けば、沼澤尚が「歌いつつのドラムとして歴史上の誰も、まるでかなわない」と言っている理由がわかるはずだ。また、「It Makes No Difference」のドラムに意識を集中して聴けば、なぜ沼澤尚が「歌を支えるドラム」「として歴史上の誰も、まるでかなわない」と言っているのかがわかるだろう。これほどライブで歌に寄り沿って細やかなドラム演奏ができるロックドラマーはいない。
リヴォン・ヘルムのドラムをシンプルだという人がいるが、シンプルに聴こえるだけだ。例えば「It Makes No Difference」のイントロをよく聴いてみれば、さりげなくスネアのバックビートをずらして一瞬の空白をつくることで、アンサンブルにニュアンスをつけていることに気づく。だが普通のリスナーには、そんなことは意識させない。『イーグルス・ライヴ』に収録されている「Hotel California」や「New Kid in Town」のドン・ヘンリーのドラムと、『ラスト・ワルツ』に収録されている「Life Is a Carnival」や「It Makes No Difference」のリヴォン・ヘルムのドラムを聴き比べてみるとよい。ドン・ヘンリーのドラムこそシンプルだ。
そして、『ラスト・ワルツ』の「The Night They Drove Old Dixie Down」を聴いてほしい。ホーンセクションとバンドの演奏と歌とコーラスが有機的に絡み合い、これまで誰も聴いたことのないようなロックでありながら、同時に言葉の真の意味でclassicな音楽になっていることがわかるだろう。沼澤尚が「The Bandは、世界の音楽歴史上で、ある意味で、最高峰の位置にいます」と言っているのは決して大げさではない。なぜなら、音楽の歴史上で、「バンド」のメンバーが作詞・作曲をして、バンドの「演奏そのもの」を完成した「オリジナル作品」として「録音」で提示したのは、ロックという音楽が初めてだからだ。ロックバンドで、ザ・バンドほど音楽的にすぐれた「演奏=録音」を多く残したバンドはない。
●ザ・バンドのヒット曲を歌えますか?
ビートルズ、ビーチ・ボーイズ、ローリング・ストーンズの本名は、The Beatles、The Beach Boys、The Rolling Stonesだ。ザ・バンドはThe Bandで、The Bandsではない。名は体を表すというが、ザ・バンドはバンドそのものであって、個人の集合体とは異なる位相にあることを示している。ザ・バンドの音楽的特徴をよく表しているとも言えるだろう。
ビートルズやローリング・ストーンズと異なり、ザ・バンドはインストルメンタルも得意としていた。『ムーンドッグ・マチネー』では映画「第三の男」のテーマをカバーしているし、アルバム『アイランド』の表題曲「Islands」はインストルメンタルで、映画『ラスト・ワルツ』のテーマもインストルメンタルだ。
ザ・バンドの音楽を聴き込めば、曲によってはオルガン、ピアノ、ベース、ドラム、ギターが歌のように感じられる瞬間があるはずだ。リチャード・マニュエルの弾くピアノの中低音のコクのある深い音色、リック・ダンコのベースのゴムボールが弾むような音色、リヴォン・ヘルムのドラムのリムをかけたウッディなスネアの音色、ロビー・ロバートソンのギターのピッキング・ハーモニクスの音色、ガース・ハドソンのローリー・オルガンの不思議な音色をよく聴いてほしい。音そのものが声なのだということがわかるだろう。
ザ・バンドはコーラスにも味わいがあるが、イーグルスも歌もコーラスもうまいバンドだ。イーグルスのコーラスとザ・バンドのコーラスを比べると、イーグルスは正統派の美しいコーラスで、リード・ヴォーカル+コーラスという感じがする(『Hotel California』の「New Kid in Town」や、名曲「Pretty Maids All in a Row」を聴けばよくわかる)。一方のザ・バンドはリチャード・マニュエルがファルセットで高音を歌い、リヴォン・ヘルムは張りのある声をやや遠くからストレートに響かせ、リック・ダンコは自由自在にコーラスをするというように、誰が歌っているのかが常にはっきりしているのが特徴だ。つまり個性的なコーラスなのである。ぼくが好きなのは『ザ・バンド』の「The Night They Drove Old Dixie Down」(リヴォンがリード・ヴォーカルで、コーラスがリックとファルセットのリチャード)。時々ぼんやり聴いていると不意に涙が出てくることがある。
イーグルスの『ホテル・カリフォルニア』は一九七六年にリリースされたアルバムで、『南十字星』と並んで一九七〇年代のアメリカン・ロックを代表するアルバムだ。ぼくは『ホテル・カリフォルニア』も好きでよく聴くが、イーグルスはスイートで抒情的だなぁと聴くたびに思う。イーグルスを聴いた後でザ・バンドを聴くと、全然スイートじゃないことに改めて気づく。抒情性がないわけではないのだが、イーグルスのような「甘さ」がない。『ホテル・カリフォルニア』が全世界的な大ヒットになった一方で、『南十字星』はザ・バンドが解散する一因にもなったぐらいセールスが振るわなかったのもむべなるかな、という気がする。
ちなみにビートルズの曲でビルボード全米シングル・チャート一位になったのは二十曲。一方、ザ・バンドは二十位以内に入った曲が一曲もない。ザ・バンドの代表曲とされる「The Weight」は、映画『イージー・ライダー』の挿入歌として使われたために広く知られるようになったのであって、ヒットしたわけではない。全米アルバム・チャートで『The Band』は九位、『Stage Fright』が五位、『Rock of Ages』は六位になったメジャーなバンドなのに、ヒット曲がないのは異例だ。要するにザ・バンドはポップではなかったということだろう。
ザ・バンドに一曲もヒット曲がなかったわけは、歌とコーラスが難しいからだ。ザ・バンドの音楽の特徴は、楽曲と歌と演奏が三位一体になっているため、メロディや歌を演奏から分離することが極めて困難な点にある、というのがぼくの考えだ。ノリも独特なので、演奏で楽曲のニュアンスを出すのも難しい。もし細かいニュアンスを無視してシンプルにカバーすれば、おそらくまったく別の曲のように聴こえてしまう(というか似て非なる曲になってしまう)に違いない。
●ザ・バンドはカバーバンドだった
一方、ザ・バンド自身はカバーも得意だった。『アイランド』に収録されている「Georgia on My Mind」を聴けば、数あるこの曲のカバーとはイントロからまったく異なる独創的なアレンジで、見事にザ・バンドの曲になっていることに気づくだろう。一九七三年にリリースされた『ムーンドッグ・マチネー』(Moondog Matinee)という、オールディーズの全曲カバーアルバムもそうだ。エルヴィス・プレスリーが歌った「Mystery Train」にロビー・ロバートソンは書き下ろしのパートを加え、まるでザ・バンドの新曲のようにアレンジして演奏している。
ライブでザ・バンドが最も得意とした曲は、マーヴィン・ゲイの持ち歌「Baby Don’t You Do It」のカバー「Don’t Do It」だ。コンサート「ラスト・ワルツ」のアンコールで、ザ・バンドとして最後に演奏したのもこの曲だった。これもマーヴィン・ゲイの録音と『ロック・オブ・エイジズ』のザ・バンドの演奏を聴き比べてみれば、もうまったく別の曲と言ってもよいぐらいにアレンジされ、しかしモータウン的なロックになっていることがわかるだろう。
ぼくがザ・バンドらしいライブ演奏だと思っているのは、『Festival Express』という映画になった、グレイトフル・デッドやジャニス・ジョップリンなどとカナダを横断した一九七〇年のライブツアーで撮影・録音されたリトル・リチャードの「Slippin’ and Slidin’」のカバーだ。『A Musical History』というボックス・セットやApple Musicなどでも聴けるし、映像はYouTubeでも観ることができる。この曲では、ロビー・ロバートソンも思い切り歌っていて、リヴォン・ヘルムとリック・ダンコと三人で競い合うようにがなり立てている。演奏もワイルドだ。
ザ・バンドはライブではカバー曲のほうが自由に演奏できた。ボブ・ディランも「ザ・バンドはモータウンのカバーがいい」と語っていた記憶がある。
●ザ・バンドはディランのバックバンドではない
ボブ・ディランとの関係からか、ザ・バンドをフォーク・ロックと思っている人もいるようだが、ザ・バンドの音楽にはピート・シガーやボブ・ディランのようなコンテンポラリー・フォークからの音楽的影響はまったくと言ってよいほど感じられない。『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』では、ボブ・ディラン作詞・作曲の「I Shall Be Released」を演奏しているが、ディランの作品だということを知らずに聴けば、インプレッションズの「People Get Ready」に影響を受けたゴスペル・ミュージックのようだと感じるかもしれないが、フォークソングだと思う人はいないだろう。ロビー・ロバートソンは自伝の中でこう書いている。
「ホークスの場合、フォークは線路の反対側から来たような感じだった。それは大学生たちがカプチーノをすするコーヒーハウスでうたわれる、優しくて穏やかな音楽。ぼくらがプレイする店でカプチーノを飲む人間はひとりもいなかったし、プレイするのもエレクトリックでけたたましいハードな音楽に限られていた。〔中略〕ホークスのメンバーとはまったく無縁の音楽だった」(『ロビー・ロバートソン自伝 ザ・バンドの青春』奥田祐士訳)
ボブ・ディランが自分の音楽をフォークからロックに転換するために、ホークス(the Hawks)というロックンロール・バンドをバックに起用したことを忘れてはいけない。この時代のボブ・ディランの音楽こそフォーク・ロックだ。フォーク(ディラン)+ロック(ホークス)だ。ただし、有名な一九六六年のロイヤル・アルバート・ホールのライブは、ツアーの途中でバンドを辞めてしまったリヴォン・ヘルムに代わってドラムを担当したミッキー・ジョーンズのクラッシュ・シンバルを多用した直線的なドラミングがロックっぽさをかもし出しているだけで、ホークス本来のロックンロール・バンドらしい演奏とは言えない。
ザ・バンドはディランのバックバンドではない。ツアーでバックバンドをやったのは「ホークス」、しかも途中からはリヴォン抜きだ。そもそもホークス時代も含めザ・バンドはボブ・ディランのバックバンドには向いていないと思う。ザ・バンドは音楽的な個性が強いうえ、セッションはせず、きっちりアレンジして演奏するため、その日その時のフィーリングで自由に歌うのが持ち味のディランのバックバンドには不向きだ。だから、ディランはスタジオ録音のバックバンドにはホークスを起用しなかったのだ。『血の轍』や『欲望』や『激しい雨』のバックバンドのほうが、ずっとディランの音楽には合っている。
一九七四年の『プラネット・ウェイヴズ』(Planet Waves)は、初めてザ・バンドをバックに起用したものの、曲によってはザ・バンドのアルバムにディランがゲスト参加している感じがしなくもない。全米ツアーのライブ盤『偉大なる復活』(Before The Flood)は、「Bob Dylan /The Band」という対等の名義になり、スタジアムのような大会場で繰り返し同じアレンジで演奏したせいか、ディランもザ・バンドもロックバンドを演じているように聴こえてしまう。
しかし、ザ・バンドの最後のコンサートとなった「ラスト・ワルツ」では、ディランはバンドのヴォーカリストのようにザ・バンドと一体になることができた。ディランがこれほど伸び伸びと、ケレン味なくまっすぐに歌った演奏をぼくは聴いたことがない。狷介なディランが本当に自由になれるのは、ザ・バンドと演奏する時だけだったのだろう。ディランはストラトキャスターを持って、もうひとりのギタリストとしてロビー・ロバートソンのギターと合わせて演奏したり、バンドを鼓舞するように動き回ったりしている。映画『ラスト・ワルツ』を観るたびに、これがディランが本当にやりたかったロックなのだ、とぼくは思う。
©William Hames. All rights reserved. 転載禁止
写真は数々の有名ロック・ミュージシャンのすばらしい瞬間を撮影してきたウイリアム・ヘイムス氏によるもの。コンサート「ラスト・ワルツ」で演奏するボブ・ディラン(左)とロビー・ロバートソン(右)
●ザ・バンドというバンド
吉川幸次郎の最後の高弟、中国文学者の井波律子の遺著は『ラスト・ワルツ 胸躍る中国文学とともに』と名づけられた(岩波書店、二〇二二)。井波は生涯ザ・バンドに惚れ込み、毎晩ヘッドホンでザ・バンドのアルバムを大音響で聴いていたという。研究室には映画『ラスト・ワルツ』の大きなポスターが貼ってあったとどこかで読んだ覚えがある。
中国の長編小説『三国志演義』の専門家である井波は「ザ・バンドは蜀の劉備グループ」だと言い、リヴォンが張飛、リチャードは関羽、ロビーが軍師の諸葛亮で、リックが趙雲、ガースはリーダーの劉備だと独自のザ・バンド論を展開している(「Rock at that time」)。
しかし、この論とはかかわりなく、井波律子はザ・バンドというバンドの演奏の本質について最もよく理解しているリスナーである。井波はこう言っている。
「彼らのアルバムを聴いていると、五人のロックンローラーが、お互いにまったく妥協せず、ドラム、ベース、ギター、キーボードと、それぞれの持ち場でめいっぱい自己主張し、競い合いながら、全体としてみごとに一体化し、調和しているさまが、如実に感じとれ、これが実に快いのである。ザ・バンドのヴォーカル担当は三人(レヴォン、リチャード、リック)なのだが、これがまた三者三様、まったく妥協せず、自分の歌をうたいながら、呼びかけあい答えあって、絶妙のハーモニーを構成してゆく」(「夢の証」)
ロックバンドとしてのザ・バンドの演奏の本質を見事にとらえた文章だ。五人のメンバーそれぞれが自己主張し競い合いながらも全体として一体化し調和しているところが、「バンド」と呼ばれるゆえんなのである。
ザ・バンドのバンドとしての演奏の本質は、文楽を観たことのある人ならよく理解できるだろう(文楽は「音楽劇」だ)。物語を語る「太夫」、音で物語の状況や感情を表現する「三味線」、三人でひとつの人形を操る「人形遣い」、この太夫、三味線、人形遣いを「三業」と呼び、「三業一体」の芸が文楽の特徴だ。
ザ・バンドの場合、物語の進行役である「太夫」に当たるのはオルガンのガース・ハドソンで、合いの手を入れる「太棹三味線」がギターのロビー・ロバートソン、ひとつの人形を三人で操る「三人遣い」が、ひとつの曲を三人で歌いつつ、リズム・セクションとして演奏するリヴォン・ヘルム(ドラム)、リック・ダンコ(ベース)、リチャード・マニュエル(ピアノ)、というのがぼくの見立てである。
しかし、この「三業一体」は合わせに行ってはダメだ、とかつて竹本住大夫が言っていた。三味線の鶴澤清治によれば、太夫は三味線が弾きにくいように語り、三味線は太夫が語りにくいように弾く、「つばぜり合い」が醍醐味なのだという。実際、太夫と三味線は隣り合って座っているのに顔は合わせず、三味線はもちろんのこと、太夫もほとんど人形や人形遣いを見ることはなく、人形遣いも太夫と三味線を見ることはない。そして、三業それぞれが思い切り技をぶつけ合い、調和した瞬間に、文楽を演じる者と観る者が「物語」の中で一体化するのである。
もし、ザ・バンドのアルバムを聴いて、五人のメンバーが「競い合いながら、全体としてみごとに一体化し、調和しているさま」を感じることができれば、その時、「音楽」を演奏する者と聴く者は、ひとつになることができるだろう。
(第06回了)
縦書きでもお読みいただけます。左のボタンをクリックしてファイルを表示させてください。
*『いつの日か、ロックはザ・バンドのものとなるだろう』は毎月21日にアップされます。
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