こんちわーわんわん。りょんさんですー。
派閥解消だってさ。なんなん、岸田さんって考えてることわからんねー。いや、すっごくわかりやすいともいえるなあ。わかりやすすぎてわからん、って人、たまにいるんだよね。あまりにも表層的なのか、それとも深謀遠慮の底が見えないのか、って、こっちの判断が揺れちゃうよね。そういうさ、「揺れちゃう」のが人間らしいってことだと思うけど、岸田さんって人間ぽくない。判断に揺れが見えない。
と言うと、岸田さんに断固とした判断力があるかのように聞こえるかもしれないけど、もちろん、それとは違う。いわゆる判断に付きものの人間らしい揺れがない、ってこと。てか、判断そのものがない、ってことかも。むぎゅっと押された方に抗わずに右顧左眄、ってのは物理的な外力にしたがってるのであって、内省して判断してるわけじゃない。
でもね、そういう自然の力に流されてるだけ、みたいにして状況を変えていくのは、かなり高度なテクニックでもあるんだよね。そこでまた我々は揺れるんよ。岸田、侮りがたしか、って。いやまあ、このところはとんでもない支持率低下だけどさ、そもそもマスコミが騒ぐことって本質的に重要だったためしがない。政治は結局、プロがするもんだからさ。
岸田さんって、なんとなくそこらのおっちゃん的な雰囲気なんだけど、それだからか良くも悪くも政治のインサイダーの世界だけに注意を向けてる気がする。「外交が得意」って、まるっきりピンとこないけど、外交って結局はインサイダーオンリーの世界だもんね。だからさ、よほど腹芸ができる人でないと、少なくとも欧米からは相手にされない。尊敬されてたのって安倍元首相ぐらい。岸田さんは「外交が得意」じゃなくて、興味があるってことなんだろうね。インサイダーだけで構成されてるから、国内みたいに「国民」なんぞを相手にしなくていいし。しかも、ただ強国の言うことを聞いてればいいんだから、判断する必要もないしね。もちろんその程度では「得意」とは言わないけどね、フツー。それを言っちゃうところが岸田さんの測り知れないところ。
だけど一方でさ、「国民」なんかを相手にせず、顔の見えるインサイダーの、それこそ顔色だけを窺っているっていうやり方って、必ずしも不合理ってわけじゃない気がするんだよね。「国民の声を聞く」っていうといい感じなんだけど、実際には「国民」は存在しない。集団としての概念なわけだから、寄り添うったってそれぞれ意見もバラバラで、つまり何をやっても文句が出るし、非常に難しいわけよ。それでもって何をしたって満足しないんだったらさ、顔の見える、すなわち自身に対して影響力のあるインサイダーの様子を窺っているだけでも結局は変わらない、ってことになるもんね。実際、岸田さんのやることなすこと、その手つき顔つきには、なんとなくむかっ腹が立つけどさ、あんまり大きな失敗はしてないんじゃないかな。
そんな中での派閥解消って、今度は政治のインサイダーの皆さんたちにいよいよ反旗を翻したのか、政治資金の問題で世論の突き上げがあまりにひどくなったので、そうせざるを得なくなったんじゃないかって、最初は我々もそう思ったんだけど。どうもそれもなんか違う感じなんだよね。
だって派閥の解消なんて、できるわけないじゃん。「3人よれば派閥が2つできる」って大平元首相だったか、言ったそうなんだけど。ちょっと笑っちゃうけど、この言葉って、すごく味わい深いと思う。3人で派閥が2つできるってことは、両方の派閥に属してる人が1人いるわけだよね。その人がキーマンになる。つまり2つの派閥で意見が対立するとき、両方の派閥に影響力のあるその人に、結果的に決定権があるってことになるよね。
つまりさ、常にキーマンはいるんだよね。つまるところ権力の集中が生まれる。それが今の場合、内閣総理大臣って立ち位置なのかもしれないよ。その人が派閥を解消するって言うんだから、派閥は解消するわけなんだけど、それによって目に見える大きな派閥はなくなり、その派閥のボスは総理大臣に対抗できるほどの力を失う。そして三々五々、小さい政策研究グループができるわけだ。だって自然発生的に集まる権利は、国民にも政治家にも認められているわけだから。小さいグループがたくさんできるとしたら、そのすべてに対して影響力のある存在への権力の集中はいっそう強まるよね。つまり内閣総理大臣なら内閣総理大臣への権力の集中を押し進めるっていう面がある。少なくとも、派閥の力による岸田下ろしがやりにくくなったってことだよね。
今回、岸田派が率先して解散したことで、政治資金問題で多くの議員が俎上に上った安倍派が解散せざるを得なくなった。まず、これが大きい。そんでもって麻生さんが腹を立てて見せているけれども、腹を立てるということは絶対に派閥を解散しないという意思表示だよね。それについては時代遅れとか老害とか、いくらでも非難は出るだろうけれど、無理矢理に解散させることはできないんだから、とにかく残るってことだ。結果として最大派閥として力を増すわけだよね。他の派閥から、特に岸田派からの流入者が見込めるんだから。この一連の流れは、実は麻生さんにとってもすごくおいしい話だという高橋洋一説もある。確かにありそうな話だよ。腹を立ててみせるって、いかにも大物政治家らしいし。それこそ腹芸だね。
まぁ、支持率がぐんぐん下がるってのは、我々にとってはスペクタクルなわけで、すぐにでも何か起きそうで興奮するんだけれど、支持率が内閣にダメージを与えるのって直接的なもんじゃないよね。その支持率をもって、同じ自民党内で岸田下ろしの風が吹く、っていう力関係による物理的な動作が必要なわけです。その力を与えるシステムである派閥が流動的になったり、選挙という外圧が遠かったり、よりベターな首相候補が見つからなかったりということなら、支持率なんてただの意味のない数字だよね。
で、その数字自体に大きな影響力があるかのように見せかけるのはマスコミなんだけど。わたしたち一人一人はさ、ちゃんと知性も認識も持った人間なんだけれど、集団でしか動けないところで、常にマスコミにいいようにされてしまう。国民なんてお馬鹿ちゃんの集団に過ぎないと、政治家が腹の中で思ってたって不思議ではない。実際、その通りなわけだし。だから国民をないがしろにしてるという怒りの声は、つまるところマスコミの力を無視しているという声を代弁していることになる。我々はマスコミに利用されるしかない存在だってことだね。唯一、選挙のときを除いては、と言いたいけど、その選挙での国民の判断力もマスコミの発信に影響される部分が多い。
ネットでは、たとえば安芸高田市長と議会との対立に中国新聞が介入し、それに石丸市長が激高する様子がリアルに見られるわけだけど、それもマスコミには報道されにくい。自分たちに都合のよいことしか報道しない、言わないって、誰もがすることだからさ。で、市長とマスコミの激しい対立を目の当たりにすれば、わたしたちは皆、市長に肩入れするよね。記者なんて一皮剥けば、へらへら笑って保身を図るただのサラリーマンに過ぎないから。それが組織の陰に隠れて我々をいいようにコントロールしている、と感じれば、どうしたってその理不尽に憤ることになる。
まぁ、わたしたち自身の問題として、じゃこれからどこから情報を得て、どんなふうに判断したらいいのかって課題がある。欧米の人たちはマスコミの言うことなんか全然信じてないってことだけど、いったい彼らは何で判断しているのか、って。それはそれで謎でもある。たぶん、いろんな人の勝手な判断、それぞれの迷いそのものが集合知の多数決として適切な判断につながるってことなのかな。それをマスコミみたいなものによって一方向にリードされないという決意、それは消極的に見えるけど、民主主義の根幹として非常に大事なことかもしれない。
3人よれば文珠の知恵、って昔から言うけどさ、3人なら結局、顔の見えるインサイダーってことだよね。あんまり幅広く意見を聞いても、文珠の知恵は出てこないわけだ。岸田さんはそれをよくわかっているのかもしれない。国民の声を無視してイライラさせる、ボーっと首相やってるみたいな、あの岸田さんがひたすらインサイダーの声に素直に従うことによって、文珠の知恵を間接的に発揮していると言えないこともないかもしれない。
りょん
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