こんちわーわんわん。りょんさんですー。
いやー、高市劇場というかコニタン劇場、タイヘンでしたねー。やっと収まったのかな。振り返ってみれば、国政の機能を妨げたという意味では低次元の騒動でした。でも我々かなーり低次元っちゃ低次元の国民からすれば、いろいろ興味深く、学ぶところもあったね。なーんだ役所って、そんなもんかー、とか。
そんな役所の内輪揉めだかクーデターだかに利用された立憲民主党っての、野党としてもレベルの低さが再認識された感じ。もちろん立派な人もいるのかもしれないけど、底辺がねえ。てか、総務省のテッポウ玉とはいえ、前に出てくるんだから、あれらが底辺ってわけでもない。もっと下がいるわけだ。もう今や間違っても政権なんか渡せないよね。
高市さんの方は、ちょっと面白かった。8年前に高市さんと安倍首相(当時)が電話で話したと言われる内容について、出所の知れない4枚の書面があって、それが一般の行政文書に差し込まれていたらしい。高市さんはいきなり「捏造だ」とぶち上げて、もし捏造でなかったら大臣の椅子と議員職を賭けるか、と立憲の小西議員に詰め寄られて、ああ辞めてやろうじゃないの、と啖呵を切った。この言いっぷりが、なかなかよかった。もちろん、売り言葉に買い言葉で軽々しい、とかって批判はあったし、そう言っている人たちは皆、むしろ高市さんの身を案じて、って感じだったけど。でも、あれでよかったと思う。高市さんがマジ怒ってんだなってわかったし、少しでも身に覚えがあったら、あんな怒り方はしないと思う。
てゆーか、もし仮に安倍首相と高市さんがそんな話をしてたとしても、そもそも問題になるようなことじゃない。実際、その言葉通り、具体的にテレビ番組へ圧力がかかったならともかく、思考する上でのたたき台とか、ブレインストーミングとかの段階なんだから、思想や言論の自由に属するような話。にも関わらず高市さんは「絶対、言うはずない」って頑張るんだから、言ってないんじゃないの。「言ったが、それがどうした」って開き直ったところで、展開は変わらなかったよ。
立憲民主党の質問を聞いてると、あー小学校にこーゆー奴いたよなー的な感じだった。自分より生まれながらに頭いい、育ちもいい、とりわけそんな女の子に難癖つけて絡む感じ。でも小学生だとあれほどヤな感じはしないから、小学生に失礼か。と、思ったところで、だけどこの人たちにも支持者がいて、支持する理由もちゃんとあるんだよなーって考えたら、ほんと、大勢が考えた結果を自分の直感だけで断じることの危険をあらためて思ったんよ。自分には想像もつかないこと、まったく違う価値観ってあるよね。それを全否定しても、別に自分が正しいことにはならないって、気をつけるべきかも。
たとえば、ラサール石井って(芸?)人さんは、高市さんについて、こういうキレ方をする人はウソを吐いている、って言ってて、りょんさんには????だった。同じ高市さんを見て、りょんさんが感じたのと正反対だよね。人それぞれだから、どっちが正しいとも言えないんだろうけど、正直、りょんさんは、ラサール石井さんのこと、なんてヤな奴だろうって思っちゃった。そんな決めつけて、責任取れんのかよ、って。
だけど印象論って、多かれ少なかれ決めつけだよね。そこはお互い様でもあるし、何よりもさ、高市さんという自分たちと直接関係ない人を挟んで、たとえばラサール石井さんとりょんさんが反目するとか、全然意味ないよね。代理戦争ってやつ? よくある光景だけど、冷静に考えたら馬鹿らしい。だから食事中に政治の話はしない、とかって(ヨーロッパだったかな?)ルールができるんだね。ご飯作ったお母さんが怒るんだと思うよ。さっさと食え。
だから高市大臣が言う通り、小西議員にも千葉県の支持者がいるのだから議員辞職しろとは申しません、ってのが正しいんだろうね(イヤミだろうけど、さすが余裕ぶっこいてるなぁ)。実際、選挙ってのはさ、「この人を支持するから、投票する」ってことはできても、「この人はあり得ないから、落とすぞ」って意思表示はできない。最高裁判所裁判官の国民審査は、気に入らん裁判官にバツを付けるわけだけど、選挙ってそうじゃない。一定数の民意を集めた人に対して、自分がどう思おうと敬意を払わなくてはいけないのは、やっぱ民主主義の原則だよね。国会議員は尊重されるべき。少なくとも役人が怪文書で陥れられる存在であっちゃダメでしょ。
だから、ガーシー議員は残念だけど、「彼に投票した人は責任をとるべき」とかいう議論は成り立たないと思う。選挙の結果は、どんなものであっても尊重されるべき。なぜなら民意は絶対で、それは国会議員が国会での発言について法的責任を免れるとか、そういう特権にも通じるものだから、さ。
ガーシーさんが残念なのは、逮捕状が出たからじゃないんだよね。立花さんも言う通り、もしガーシーさんが次の選挙に出たら再び当選する可能性もある。つまり多くの人々の中で、善悪の価値観はまだまだ相対的なもんだ。そんな中で、りょんさんが残念に思うのは、ガーシーさんがその前日まで、あれほど固い帰国の決意を述べながら、結局帰ってこなかったこと。もちろん我々にはわからない、隠された事情があるのかもしれないけど。
それでも、今わかってることだけからの印象では、あの帰国するかしないかの一日がまさに踏み絵というか、試金石だったと思う。国会に出席するかしないか、だけにフォーカスするなら、なんでそんな踏み絵をガーシーさんだけが踏まされるのか、って疑問も湧くけど、国会議員であること、公人であることの覚悟を示さなきゃならない瞬間が訪れたのなら、不公平だろうとなんだろうと、引き受けなきゃならない。あの一日はそういう試金石だったんじゃないか。捕まろうと何だろうと覚悟を定め、損得勘定抜きに立ち向かう。高市さんの啖呵がよかった、長い目で見れば好感度を上げたって思うのは、そういうとこやねん。
ガーシーさんが帰らないってわかったら、翌日すぐに逮捕状が出た、というのもそういうことだと思う。国会への出席とか謝罪とか、そんなん、ほんとはどーでもいい。我が身を顧みず、公人としての覚悟を示せるのか、ただそれだけだったんじゃないか。そのことがガーシーさんにはいまいち伝わらなかった。だからリモートの謝罪ビデオなんか意味ないって、わかってなかった。
これはりょんさんの推測だけど、もしガーシーさんが帰ってきてたら、逮捕状は出なかったんじゃないか。だって国会議員として帰ってくるのだし、そしたら自分のしたことは政治活動の一環だったって言える。政治犯として逮捕するのかね、国会議員を、ってことだよね。そんなことできるもんか。ガーシーさんに公人としての意識が、それに基づいた行動の美学が、あるのかどうか。その気持ちのあり様が分かれ道だったんじゃないかな。
ホリエモンさんが昔、安倍元首相に、キミが選挙に通ってれば逮捕はされなかったよ、って言われたと言っていた。国会議員の特権といえばそれまでだけど、国会議員を逮捕するってそれだけ重いこと、なぜなら公的意識を持った人を捕まえると政治犯になるから、じゃないのかな。逆に言えば、公的意識がないのに議員の座を狙うのは、それだけで罪深い、ということでもある。つまり心持ちひとつで、今度はむしろ国策逮捕の対象になりがちってこと。心の中のことはなかなか証明できないけど、たまたま試金石が置かれることもあるんだね。
たぶんN党の立花党首はすべてわかっていて、自分が代わりに覚悟の辞任をしたということだろう。立花さんが繰り返し言ってるように、辞任とか逮捕とか、それぞれのことはたぶん、そんなに大したことじゃない。覚悟を貫き通すことに比べれば、だよね。いや、ほんとに政治家ってタイヘンだなぁ。先生、ってよばれるだけのことはあるよね。ガーシーさんや48党の女の子たちを、立候補すればいいことづくめ、って勧誘してきた責任は、もちろん立花さんにあるけど、やるからには覚悟がないと、ってのは誰にも教えられない。まぁ良いことも悪いこともあったけど、とにかくガーシーさんによって全国区の知名政党になったんだから、耐えしのばなきゃなんないんだろうね。
そういえばさー、岸田首相が最近ちょっとピリッとしてきたって、もっぱらの評判だよね。なんか顔も引き締まってきたし笑。世間では、ウクライナに行ってから、ってことだけど。あのお土産の広島名物「必勝しゃもじ」を批判する向きもあったし、りょんさんも最初は一瞬、えっ、て思った。だけどさ、危険を冒して会いに行くってことは応援しに行ってるわけだ。文字通り命がけで戦ってる最中、わざわざやってきて、面と向かって「勝ち負けではなくて平和を望んでいる」なんて言われたら、りょんさんならひっぱたくかもね。
岸田さんがピリッとし始めたのは、ウクライナ行きよりちょっと前からじゃないかな。えーと、支持率が下がって危険水域に近づいた辺りから。危機感によって磨かれるってことはあるし、それよりスロースターターで、自分の立場に慣れるのに時間がかかってたってことかもしれない。とりあえず期待ね。
りょん
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