こんちわーわんわん。りょんさんですー。国葬、終わりましたーん。
まぁ無事で何より。周りの病院には非常時に備えよ、って指示があったそうで。物騒なことだよね。こんな国によくお客さんが来てくれたもんだ。で、弔問外交の成果は上がったのかな。なんかメンツを見てると、招待しておいてタカられただけだったんじゃないかって気もするんだけど。
それで、国葬反対のデモの人数が、主催者の発表では1万5000人だったんだけど、警察の発表では500人とかで、ちょっと差がありすぎないか。現場にいた人の証言では、どうも500人のセンが濃厚らしい。写真とかで見ても、なんかそんな感じするねー。それに比べて献花の方はすごい長蛇の列で、国葬に反対する国民が本当に6割もいたのか、って言われてるけど。
ただ、それも統計の見方であってさ。わたしたちはホントにちっぽけでさ、自分の身の丈というか、自分の尺度でしかものを見られないんだよね。自分の周りの皆がこう言ってるからとか、うちの地域ではこうだとかさ。そもそも献花にしても反対デモにしても、平日の午後に時間が自由になる人たち、それもせいぜい首都圏の人たちってことになるよね。
国葬に賛成か反対かって問われたときに、まぁ、国葬にまでしなくてもいいんじゃないの、統一教会とかいろいろ出てきたし、揉めてまで押し通さない方がいいんじゃないの、って考えの人が6割いたって不思議じゃない。でも、そのほとんどすべての人が、その場に出向いて反対を叫ぼうとは思ってないわけですよ。この状況下で、国葬という物々しいことに反対する、って人は、どっちかっていうと保守的な感覚の人たちなんだから。その保守的な人たちは、わざわざ献花に向かう人たちとの緊張を生み出す対立まではしないに決まってるでしょ。だから現時点で一番保守的な人たちってのは、国葬には反対だけど、別にデモまではしない、って人たちなんじゃないかな。
それで、献花に行ったのはどういう人たちかって言うと、もちろん保守層なんだけど、ヒマもあって、ちょっとラディカルな保守層。右派って言うのかな。結構、若い人が多いっていうのは、起こったことすべてが珍しいわけよ笑。ある程度の年齢になると、いろんなことが彷彿とするっての、あれこれとフクザツなことも想起されてさ。統一教会がらみでケチがついたことも、若い人はぴんときてないよね、たぶん。理屈から言えば、他の宗教も一緒なんだけどさ。なにしろ統一教会ってだけで、ある年齢以上の人は、さぁ…。
だから反対のデモが500人ってのは、妥当なところだと思う。安倍さんがああいう亡くなり方をしたことそのものを是とする人はほとんどいないわけで、そこを押して反対デモをするっていうのは、良し悪しは別として、相当の意思というか覚悟がある。だからデモの人数が少なかったことを、国葬反対の人たちは隠す必要はないと思うよ。国葬という制度的な儀式を持ち出すことに反対するのは一つの考え方として正当で、そもそも安倍さんの死を悼むこととは別だけど、ちょっとやりにくかった、ということだよね。
ほんで国葬の最大の見せ場は、菅前首相のスピーチだった。葬儀で拍手が湧くのは初めて見た、って誰か言ってたけど、確かにそうだね。いいスピーチだった。「友人代表」ってのがそのまんま、友達なんだなぁ、って、ただそれだけなんだけど。成人してからこういう友達を得るって、滅多にないよね。しかも生馬の目を抜く政界で、あんなに実直かつ口下手な人が、って、すごい説得力だよね。それだけでも安倍さんが、少なくとも悪人じゃなかった、ってのはわかる。
菅さんのスピーチがよかったからって、国葬反対の人は別に、あれが電通の「仕込み」だとかって、デマを飛ばす必要はないよ。電通だろうがなんだろうが、スピーチライターだのコピーライターだのって、そんなに優秀じゃないからね。ああいうスピーチはさ、関係ない人が書き起こす方が大変なの。その感情を抱えた人が、思いのままを述べるのが一番手っ取り早い。期せずして一世一代の名文になってしまうものが、ごく近しい人への追悼文なんだな。仕込むなんて無理だし、およそ無意味。そもそも菅さんは、安倍さんが亡くなった直後から、あれとまったく同じトーンで語って涙を誘ってたし、だからスピーチは「仕込み」ではありません。
一方で岸田さんのスピーチは、誰が書いたのであっても記憶に残らないというか。岸田さんて、いい声だよね。でも歌でもさ、あんまり朗々とした聞きとりやすい声より、ちょっとかすれたような声の方が感情を動かすって、よくあるよね。声が通れば通るほど、岸田さんのスピーチは冷たくて空疎に響いたけど、それで岸田さんを責めるのもヘンだ。弔辞にこもる感情っていうのは、故人との関係性からおのずから出てくるものなんだから。むしろ岸田さんが、安倍さんを誉めそやす言葉を連ねれば連ねるほど、じゃ、なんで今、人事で清和会を排除しようとしてるのかなぁ、としか思わないんだよね。
菅さんはスピーチで、「安倍さんの判断はいつも正しかった」と言ってたけど、もちろんそれは友人の弔辞として聞くべきであって、政治家の判断が100%正しく、常に誰からも評価されるなんてことはあるわけない。政治家の為したことに対しては、毀誉褒貶が当たり前。誰かの満足は誰かの不利益になるしね。
国葬と同じ日に、例の電通の高橋さんの3度目の逮捕があった。広告代理店の大広からも収賄があったということなんだね。国葬の影に隠れて、あまり報道が大きくなかったけれども。これからどこまで広がるんだろう。それにしたって、あのオリンピックって思い返せば最初からいろいろ変だったよね。安倍さんが亡くなるや否や、というタイミングで検察が動いたんだけど、もし安倍さんがあの日に亡くならなかったら、今のように検察が動いているだろうかって、それはどうしても考える。
オリンピックだけではなくて、検察の人事だとか、詩織さんの件だとか、やっぱりちょっとおかしいことがいろいろあった。だけどアベノミクスは確かにすごくて、安倍さんは大局的にものを考える大宰相であったと思う。大きなことをするには周りの人を信頼して、可愛がって、細かいことを言わずに任せるのが大事で、それは菅さんの言う安倍さんの人物像とも合ってる。だけどはっきり言って、安倍さんの周りにいた人って、菅さん以外はロクなもんじゃない。安倍さんのおおらかさにつけ込んだ人たちって、結局は彼に害を為す人たちだったんじゃないか。そして安倍さんが約束を守って、その人たちを保護していたから、検察は動けなかったんじゃないかって、これまでの経緯からそんなふうに思う。
政治家のすることに100%正しいことも、100%支持されることもないけど、でも大宰相と言われる人のやったことは1つや2つ、素晴らしいことはある。岸田さんもこれから何かしてくれるのかもしれないけど、なんとなくあまり長期政権にはならない気がしてきた。感情論・印象論になってしまうけど、やっぱり国葬のスピーチを聞いててそう思った。気持ちがこもってないとか、清和会を排除したくせにとか、そういうことを抜きにしても、大宰相のスピーチではないって気がした。ずるいならずるい、熱いなら熱い、と毀誉褒貶の対象になる何かがあれば、それはそれでいいんだけど。なんか教科書読み上げてるみたいだった。
だからやっぱりさ、とりあえず菅さん、帰ってきてよ。とにかくあなたは夢中で、国民に説明することすら放り出して、むちゃくちゃ仕事してたじゃない。もう皆、そのことはわかったからさぁ。その地味すぎる語り口に実があるってことも、今回よくわかったからさぁ。これまでみたいにマスコミに騙されて、菅さんを引きずり下ろさせることも、もうしないからさぁ、たぶん。これからオリンピックの汚職事件がどこまで広がるか、もしかして菅さんの責任を問うようなことにもなるのかもしれないけど、そのときはそのとき、とりあえずやっぱりもう菅さん帰ってきてよ。
りょん
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