こんちわーわんわん。りょんさんですー。
ちょっぴり涼しくなってきたね。そんで、国葬って、やるのかね。前回、やったらいいって言ったけど、りょんさんは今もそう思ってる。統計をとると、国民は反対意見が多いようだけどさ、まぁ格安で外交の中心になれるってメリットがあるなら、やったらいいじゃん。それに対して期待もしないし、特に精神的な意味を見出してないという、情けないっちゃ情けない国民だからこそ、やったらいいんでねえの、とか思うわけよ。
ただ最初、予算はせいぜい2億って言っていて、それは確かにそうみたいなんだけど、警備は別に37億かかるとか。ただ、これはもともと日本で日常的に使われていた警備費用を国葬の一カ所に一時的に集中するだけだから、国の負担としてのトータルは変わらない、という説もある。でも、それならなんで37億とか、わざわざ算出するのかな。その辺だけはハッキリしてほしいね。37億かかるからやっちゃダメ、って言うんじゃないんだけど。効果的な支出ができたのかという確認や反省は常に必要だから、会計は明朗にね。
そんで、ここへきて急に増えてきた国民の反対を押し切って国葬を執り行うことについてはさ、憲法違反だとか、もっと別の何かに反しているとか、一方では、そんなもん閣議で決められるんだとか、国民が何をやいやい言おうと、どうにもならんのだと開き直る政治家まで現れて、ちょっと雰囲気悪いよね。
開き直ってる政治家っていうのは、岸田さんのことじゃないんだけど、ここへきて岸田さんもなんか、ちょっとふてぶてしくなってきたよね。よく言えば貫禄が出てきたっていうか。それって、安倍さんが亡くなったことと関係あるのかなぁ。安倍さんが亡くなったときは岸田さんも涙目だったけど、それは悲しかったからなのかな。岸田さんの後援会長が統一教会と関係があったんだったら、現職総理大臣の自分が撃たれてもおかしくなかった、と思ったら、おしっこちびっちゃうぐらい怖いよね。そういう涙だったのかな。
まさかね。怖くて泣いちゃうなんて、幼稚園生じゃあるまいしさ。ひどいこと言って、岸田さんごめんね。岸田さんがふてぶてしくなったのは、安倍さんがいなくなったからじゃなくって、もちろん参院選に大勝したからだよね。ただ、ここまでの大勝っていうのは、やっぱり安倍さんが撃たれたことも影響してるよね。なんかさ、結局のところ一番得したのは岸田さんなわけで。これがミステリー小説だったら絶対、岸田さんが犯人だ。そんなところから、安倍さんの演説会場の向かいのビルにシューティング小屋があって、第三者が撃ったとか、あらぬ噂が流れるんだろうなぁ。もちろん根も葉もないことだ。政治の世界なんていうのは、誰かに何かが起きれば、別の誰かが浮上するっていう当然の力学で成り立ってるんだから。
とはいえ、このところは内閣支持率も下がってきた。っても、選挙の後の支持率に何の意味があるのか、とは思うけど。それでも支持率ってあんまし下がると、やっぱやりにくくなるんでないの。それも、このままじゃ選挙を戦えないって身内の突き上げが堪えるだけなのかね。我ら民草の民意なんぞ踏みにじって平気で続けるってのも、ツラの皮さえ厚ければ可能なのかな。なにしろ最近、何でもありだからさ。
何でもあり、って感じるのは、想定される漠とした圧力、ってのが効かなくなってる、ってことだ。たとえばさ、国民って、ホントに主権者なわけ? もしそうなら、主権者って、なんなん? これはさ、りょんさんが今の政権とか、世の中に不満があるって、そういうことで言ってるんじゃなくてさ。単に言葉の定義を確認したいと思ってんの。
だけど確認すべきは「主権者」じゃなくて、「国民」の方かもしんないね。「国民」って誰なんだ。もちろん教科書的には、あなたでもあり、わたしでもあるわけだけど。それでもさ、主権者って実感がないわけだからさ、あなたも、あるいはわたしもいわゆる「国民」ではないのかもしれない。そしたら「国民」って誰なん?
日本語ってさぁ、複数形がないよね。「国民」っていうのはハナから単数じゃなくて、複数形なわけだ。つまり我々はそれぞれ「国民」の一部でさ、すなわちあなたも、わたしも「国民」である、と。ただ「国民」はあなたじゃないし、わたしでもないってわけだよね。中学とかで習った集合論ってやつ?
まぁ、そんなことは皆わかってるわけなんだけど。つまり「国民の総意」っていうのは、わたしの気持ちでも、あなたの意見でもないわけで。我々はなんとなくそれを「全員の多数決」って思ってるよね。だけど国葬をするかしないか、国民の80%以上が反対にまわったところで、この決定は覆らないんだって、政治家が平然と言うところを見ると、「国民の総意」がどんなふうであろうと、「国」がすることはそれとは別に決定される場合がある、ってことらしい。
そしたら今度は、「国」ってなんなん? 裁判とかで誰かが「国」を訴える、てときどき聞くからさ、「国民」と「国」は別のもんなわけだよね。今回、国葬をするっていうのは「国」が決めたわけで、「国民」は口出しできないんだって。そしたら「国」っていうのはこの閣議決定をした主体ってことだよね。つまり行政ってことだ。まぁ確かに「国」っていうのは議会そのものでもないし、裁判所でもなさそうだし。「国」っていうのはそのときの政府ってことなんだろうね。
そんで、政府が国葬を決めて、国民の大多数が反対していたとしても、それは憲法違反じゃないってことの根拠についてさ、ちょっと前までは「特に規定がないんだから、閣議で勝手に決めていいんだ」って言われてて、それはあんまし腑に落ちなかった。最近、言われてるのは、「国民主権っていうのは、どんな場合にも行使できるものじゃなくて、国民自身の利益が迫害された場合のみ守られるべきもの」なんだって。それはなんかわかった気がする。そうだからって、嬉しいかどうかは別としてね。
確かにさ、多数決で決まったことが常に妥当とは限らない。たとえば多数決で決まったことが他の少数派の人権を脅かすことであれば、それは主権者である国民の権利を犯すことになるわけだから、そんなのは通らないって。そういう規定は、憲法か何かにあったはずだよ。また一方で、多数決で決まったことでもそれがたとえば国際政治の現場を知る立場からしたら、将来的に国全体の利益に反するとか、そういう判断をする場合もあるでしょ。そういう場合は、国すなわち政府が判断をしたとしても、憲法違反では必ずしもないってことなのかね。国民の生存や利益を脅かすようなものであれば、国民主権の規定に引っかかるんだろうけどさ。
そしたら今回の国葬は、国民感情とか、そういうものは別として、国としては、つまり政府としてはだね、やった方が国益になるって判断なわけだね。国葬をすることで我々一人ひとりの権利や利益が脅かされるってわけじゃないわけだから、それについては国に任しとくしかないっちゅうことだろうね。もちろん黙祷を強要されるとか、そういうことになったらまた別なんだろうけど。だとしたら強要なんかしないと思うよ。面倒くさいことになるだけだもん。
そしたらさ、選挙っていう多数決の原理っていうのは、必ずしも国民主権の表れではないわけだね。国民の生存や権利はあらかじめ守られていて、それがすなわち国民主権ってことなんだろうね。基本的人権、ってやつかな。選挙ってのは、それとは別に、国を動かすことに対して意見を表明できるたまたまの機会ってことなのかな。主権を発揮するために選挙に行け、って言われるとなんか構えちゃうけどさ、たまたまの機会、ぐらい思ってた方が行きやすいかもね。
りょん
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