今朝は6時に起きた。それでこれを書いている。早起きしたのは久しぶりだ。普段の暮らしで、朝の空気感はもて余す。することがない。不安にすらなる。けれども今、あの日和佐の野田知佑さんのご自宅の広々したロフト、その窓際の作りつけのベッドで目覚めた朝を思い出す。窓ガラスの外、山の上の草原の眺めにわくわくした。さほど暑くはなかったが、川遊びができる季節だった。
野田さんに初めてお会いしたのは2011年の5月、千葉県のキャンプ場だった。わたしはそこへ一人で出かけた。少し雨模様だった。途中で『木更津キャッツアイ』の木更津を見物し、久留里線という手動で扉を開け閉めするローカル線に初めて乗って行った。それは子供たちと親が集まる数百人もの川遊びイベントで、野田さんはスタッフの方たちとともに大きなタープテントの下におられた。
それに先立つこと数年前、父の絵にわたしが詩を書いた詩画集『水の領分』を上梓し、面識もない野田さんにお送りして、お電話をいただいた。父は川ガキだった。熊本の菊池川が父の子供時代の失われた楽園だった。わたしが小学生の頃、夏休みの宿題を手伝うと称し、家族で行った川辺の絵の水色を口うるさく何度も直させられた。今思えば、父が描かせようとしたのは、わたしが見たこともない菊池川だったろう。
それがどれほどの楽園だったか、わたしは野田さんの『少年記』で知った。熊本人特有のとぼけた語り口の、ろくに泳げない川ガキたちが騒ぎもせずに沈んでいき、年長の川ガキが黙々とそれを引き上げる、というくだりを読み聞かせると、病床の父が堪えられずにくっくと笑った。
野田さんはまた、母の小学校の後輩でもあった。「あなたのお母さんを覚えてますよ」と、先の電話でおっしゃった。妹もいたのに、それはわたしがとびきり美人だったからだと、母は言い張った。そんな野田さんの言葉に甘えて、わたしは千葉のキャンプ場まで、結構孤独な〝一人旅〟をしたのだった。すでにその著書の影響を受けていたのかもしれない。
キャンプ場にいたスタッフの青年たちは女性も含め、驚くほど気が利いて、知性に溢れていた。どこからこんな人たちを、と尋ねると、全員「川の学校」の卒業生だという。資質豊かなゆえに陸の日常に馴染まない子供たち、その全員が川で生き返るという。ぜひ一度参加させてください、とお願いした。その予定が台風で中止になったと聞いたときには、わたしはすでに徳島行きの飛行機に乗り込まんばかりだった。「それなら、うちにいらっしゃい」と野田さんは言ってくださった。
家なんか構えちゃうと、もうダメだね、などと言われながら、日和佐の山頂にある野田さんのご自宅は広くて洒落た素敵なロッジだった。しかしお招きいただいたのはいいが、実は野田さんは締め切りを抱えているという。「だいじょうぶ。一人で遊べます」と、わたしは胸を張った。そういうわけで、秘書のみどりさんが用意してくださった食事の後、意気揚々とロッジを出た。その途端、野田さんちの2匹の犬たちが待ち構えていたように飛び出してきた。かの有名なガクの後継犬、アレックスとハナだ。すごい勢いでわたしを追い越し、ついて来いと言わんばかりにリードする。
たしかに張り切ったところで、不案内なわたしが一人で行ける範囲は限られている。2匹についてどんどん山を降りると、橋を渡り、田んぼの畦道を縦横に行き、神社といい、人里といい、どこへでも案内してくれる。とはいえ、彼らはやはり彼らの行きたいところへ行くのであって、空き地の隅では2匹、くんず解れずじゃれあっている。それでも、もう行こうよ、と声をかけると、さっと体勢を戻すし、わたしを置いてけぼりにすることもない。そもそも客人のわたしがロッジを去るのでなく、ただ一人で散歩に出ただけ、とすぐ察したのはどうしてだったろう。大荷物を持たず、車に乗り込むこともなかったからかもしれないけれど。人のように扱われてきた犬は人のように知的になる、と野田さんが書かれていた通りだ。
隈なく案内しすぎて他人の庭先まで入り込み、おばさんに怒られたりしながら、我々は最後にはきれいな広い河原に出た。2匹は、特にハナは水遊びがお気に入りで、際限なく飛沫を上げていた。わたしもいつまでも川にいたかった。それでも少し日が傾いた頃、わたしと2匹の誰からともなく水辺を離れ、家路についた。急ぐことも寄り道をすることもなく、野田さんちまで真っ直ぐに連れて帰ってくれた。
菊池川支流江田川
野田さんちの庭には大きな人工池があり、カヌーを浮かべることができた。原稿の合間に、野田さんはカヌーの漕ぎ方を教えてくださった。つまり、わたしは最初のカヌー漕ぎの手ほどきを野田知佑から受けたのだ。これこそわたしの生涯において最も自慢できることのひとつである。(ちなみにもうひとつは帝国ホテルの正面玄関を改装させたことだ。3歳のときに透明すぎるガラスに激突してギャン泣きし、次に行ったときには玄関ドアのガラスに小さな模様が入っていたという。)
野田さんとみどりさんが仕事している間、わたしは池でカヌーの稽古に励んだ。ぐるぐる周れるようになった頃、わたしのカヌーにアレックスが飛び乗ってきた。チキンラーメンのCM以来の全国カヌー乗り〈憧れの構図〉が完成したと思いきや、下手くそな漕ぎ手に愛想を尽かし、アレックスはさっさと降りてしまった。舟がひっくり返ると思ったのかもしれない。危険に敏感で冷たいヤツだ。それでも彼らにはカヌー犬としての務めがあるのか、代わってハナが乗り込んできた。ハナは忍耐強く付き合ってくれた。滞在を通して、雄のアレックスは、女なんか、とちょっとバカにした気配があり、雌のハナはわたしの居所を振り返って確かめるなど、気づかってくれた(気をつかわせてしまった順 秘書のみどりさん→ハナ→野田さん→アレックス か)。だいたい熊本の男は横暴なところがあるので、女たちは連帯するのである。
夕飯の後には映画のDVDを観た。翌日も仕事があるからと、野田さんは早めに就寝されたと思う。宵っ張りのわたしがロフトで荷物の整理をして、寝る前だったか、もう真夜中にトイレに降りると、消されていたはずの灯が煌々と点いている。寝酒でも召し上がったか、みどりさんには内緒にした方がいいかも、と消した。
野田知佑さんは特別な人だった。陸の日常の人ではなかった。だから野田さんをたよりに、わたしたちはそこから逃げ出してくる。別の世界があって、野田さんがそこでエビや魚を獲っている、と思えることは幸せなことだ。亡くなっても同じだ。野田さんはきっと、今朝もそこで魚獲りしている。
日和佐の駅まで送ってもらい、野田さんはちょっぴり二日酔いっぽかった気もしたけれど、分厚い掌と握手したときは、しゃきーんと立ってかっこよかった。後ろでみどりさんがくすくす笑っておられた。
生きておられたら身体的なプライバシーに属することを書いてよいものか、迷う。しかしながら、これほど感動した話はない。そして書く機会はおそらくこれが最後だろう。そう、野田知佑さんは特別な人だった。野田さんとその著書によって日常から救われ、別の世界で生きながらえる希望をもらった人は数多い。その野田さんの目は選択的に、美しい別世界を構成する色彩だけをとらえるようにできていた。持って生まれたものとして、「水」の領分を示す「青」だけを。それを聞いたとき、わたしは心の中で、何に対してかわからないまま思わず掌を合わせた。
陸の日常にどっぷり浸かっている今のわたしには、やはり早朝はちょっと苦手だ。直視するのが不安な、別の世界が覗く。そしてそれが救いであることも知っている。野田さんがそこで魚を獲っている。生きていても、亡くなっても特別な人だ。彼に近づけるのは娑婆に満足して生きる人々ではない。今はガクと、この10年の間に先立ったというアレックスとハナも、そこにいる。いつでも飛び出してこようと待ち構えている。
小原眞紀子
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