偏った態度なのか、はたまた単なる変態か(笑)。男と女の性別も、恋愛も、セックスも、人間が排出するアノ匂いと音と光景で語られ、ひしめき合い、混じり合うアレに人間の存在は分解され、混沌の中からパズルのように何かが生み出されるまったく新しいタイプの物語。 論理学者にして気鋭の小説家、三浦俊彦による待望の新連載小説!。
by 三浦俊彦
■ はじめは高校生のときでした。彼氏と歩きながら「お尻痒いな」て言ったんです。ほんとに痒かったので。「右?」「左?」て聞いてきたから、「真ん中」て言いました。ほんとに真ん中が痒かったので。でホテル入ったとき「まだ痒い」て言ったら「まだ真ん中?」「まだ真ん中」てなって、パンツ越しに真ん中に彼が顔を埋めました。パンツ脱ぐと痒いのが飛んでっちゃったかもしれません。何となく痒みの保存が二人の間で暗黙に重要でした。そのままじっと痒いお尻に彼の温かい息を密着させていると、痒いのが少しずつ匂いになって彼の中に移ってゆくようでした。ちょうどそんな痒みの薄れ方でした。その日から私と彼は〈真ん中マニア〉になったのです。私が「痒い」彼が「右?左?」私が「真ん中」さあ無くならないうちに早く、とホテルなりカラオケボックスなり手近な室内に飛び込んで、スウスウスーハースーハー、スーッと真ん中が吸い取られてゆくのです。これは私と彼が夫婦になってからも続きました。でもこないだ私は取り返しのつかない失敗をしたのです。彼がいつものようにスーはースーはーと〈真ん中の悦楽〉に浸っていたとき、私がつい「はじめの一回以外は、ほんとは真ん中じゃなかったの」と呟いてしまったんです。「え!」と彼は顔を離して、「痒くなかったの?」と。「痒かったけど、真ん中じゃないところだったの」と私は正直に。彼は茫然と「なんてことだ! 今まで何百回! ずうっとズレてたんかい!」打ちひしがれたように立ち尽くして、うつろな目をひっくり返して、ブウウウウーーっとこれまで聞いたことのない大きな長い長いオナラをしてそのまま――ランニングシャツのままの姿です――家を出て行ったきり、帰ってきません。「こないだ」と言いましたけど、ついこないだのことのように思えるという意味で、ほんとはもう一年半も前のことなんです。彼は帰ってこないでしょう。それはいいんです、もう諦めてますから。でも一つだけ悔やみきれないことがあって。そう。「はじめの一回以外は真ん中じゃなかった」と言ってしまったこと。本当は、あと三回くらいは真ん中がちゃんと痒かったことがあったってことなんです。少なくともその計四回は、彼の顔は正面から正確に私の痒みを吸い取っていました。それなのにはじめ以外は一度も真ん中じゃなかったと思わせたままだなんて、それだけが心残りです。彼が最後に残した大きなオナラのふわっとした無念の香りは私、一生忘れないでしょう。
■ 高校生の頃一時ホモだちに恵まれていたせいもあって、いやほんの一ヶ月ほどでして、自分にゃ合わないと悟ってその世界速やかに卒業し今や妻子もいるオレなわけですが、まあ一時期のその余韻というか男同士の間でも古風な男女間並みの「たしなみ」が必要じゃないかとオレはいつも思っていました。見知らぬもの同士、行きずり同士の間にあってもです。それがいとも無雑作に踏みにじられる現場に居合わせるのはなんともいたたまれませんね。一番オレが嫌う類の現場はこうです。駅のトイレで小便をしています。背後の個室からブリブリと破裂音が洩れてきます。悪臭も漂ってきます。できることならこっちがトイレを出るまでは個室にとどまっていてくれと願います。しかし個室内の男は、爆裂音と悪臭を撒き散らしたまま、さっさとペーパー巻きとってくしゃくしゃやって水を流して出てきてしまう。手を洗っているオレの視界、鏡の中にちらとその男の姿が映り、あまつさえオレと並んで堂々と手を洗い始めたりします。音を聞かされ匂いを嗅がされるだけならまだしも、それがどういう男の尻から出たものなのか、そいつの正体というか、顔は極力見たくないもんですよ。向こうも人に自分を見せたいと思ってるわけじゃないでしょう。畜生それなのに出てきやがって、とこっちは不快です。もちろんオレ自身は外でクソするときは極力音をたてないようにし、個室から出るときも耳を澄まして誰もいないことを確かめてから出るように心掛けてます。それなのにどうしてこう無神経な奴らが多いのか。しかしまあ、駅ですから、急いでる事情もあるでしょうし、そこは斟酌して、なるべくそいつの顔は見ないようにして(それでも大体の年齢とか体格とかがわかってしまうと基本的な不愉快さはほぼ同じなのですが)、顔をしかめただけでオレはさっさと立ち去ることにしています。
しかし許せねえのは図書館とかデパートとかのトイレでそれをやられた場合でして。個室が一つふさがっている。ブリブリ音と悪臭。こっちは小便器の列にオレ一人。わざと咳払いしたり足踏みしたり水を再三流したりして、個室外に人がいるよおれがいるよという信号を送ります。ブリブリ恥知らずな音を立てやがった以上こっちが立ち去るまで神妙に中にとどまっていろよなと。なのに個室内の野郎は、こっちが小便器から離れるより前に個室から出てきて、まだ便臭を服の繊維に絡みつかせたままゆうゆうと手を洗っていたりします。こっちはいつまでも小便器に張り付いてるわけには行きませんからしぶしぶ洗面台に向かい、全面鏡に映るそいつの顔をまともに見てしまったりします。ぐわあお! こいつの臭いを嗅がされてしまったのだ! いや、何べんも言いますが嗅がされたこと自体ではなく、あるいは臭いがきつかったとかそういうことではなく、臭いの主、ブリブリ野郎の顔かたちを目撃してしまうことがこの上なく不愉快なのです。イケメンだろうがブサヲタだろうがね。音と臭いが人格的に立体化して生々しく記憶に残ってしまうのです。顔さえ見なけりゃ速やかに記憶から消え去っていたものをよぉ! ただでさえ「ああこいつ今クソしてたのか」と思わされることが不快なのに、悪臭までたっぷり嗅がされてんだぞ、張本人こそ恥じ入って慎ましく潜んで誰もいないときに出ていけよ!
てなもんなんです。こういう目に遭ったときあまりにも不愉快なのでオレは、そういう無神経野郎の後をつけていって(ただし中学生以下の子どもや七十歳以上の老人の場合は見逃してやりますが)人通りのないところで追いついて後ろから思いきり殴りつけ「デパートでクソするんじゃねえバカヤロー!」と蹴り倒して逃げるというのをずいぶん繰り返しましたね。「せっかくこっちが気を遣って咳払いしてやったんだからこっちが立ち去ってトイレ内が静かになるの見計らって個室から出てきやがれ!」将来というか次のこともありますからわざわざこういう長い教育的説明とともに殴り倒したりしました。それでようやく気持ちが戻るというようなわけなんです。そうやって十七、八人殴ったかな。いきなり百九十二センチのこの大男に呼び止められ立ちはだかられてぶん殴られる瞬間ってのはやつら、さぞショックだったでしょう、身に染みてわかったでしょうよ。
時には犯人を見失うこともありましてね、つけて行く途中で。そういうときはムシャクシャが直りませんから、トイレに戻っていって、ブリブリ音を立てている個室を特定してトイレ外で待機し、出てくるのを待ってあえて顔をしっかり見、尾行し、人通りのないところに差し掛かるやいなや殴りつけました。しかしそういう身代わりはいい迷惑といえばいい迷惑です。ちょっと反省してます。あえてこちらで待ち伏せてというのは邪道ですから、基本はあくまでたまたまブリブリ個室に行き逢ったオレに向こうから顔を晒してきたという場合に限るよう軌道修正しましたけど。
そ。たしなみですよ。人間同士の距離というか配慮というか羞恥を忘れちゃ社会はおしまいです。人間間の適正距離を忘れたようなやつらは、そんなに押し付けてきたいなら望みどおり密着してやろうじゃねえかよと、拳で密着してやってるわけですけどね。一応理屈にはなってるってもんです。
逆の場合もありました。つまり、オレがトイレに入っていくと、鏡の前で女みてえな生ッチロい男が丹念に髪を撫でつけてます。オレのガタイは目を引くらしくてチラッと目が合ったりします。オレは個室に入って、ぶっ放します。入っていったとき顔見られてますからなるべく控えたいんですが切羽詰ってると仕方がないんで。水流して消音しながらブリブリやるなんて女みたいな真似はよけい恥かしいんで一応潔く脱糞音たててやっちまいます。で、外のやつが出てってからオレも個室出ようと思ってるのにずっと鏡の前にいる気配。ときどき女みてえに鼻を啜る音なんかが聞こえます。もうとっくにケツ拭き終えて糞も流したのに出られない。いつまで待っても鏡から離れそうにないんで、これ以上個室に閉じこもっているとそれこそ顔を見られるのを嫌がってることがばれてしまい尚更恥かしいことになってしまう。オレは根負けして、観念して、出ます。髪を一心に撫で付けてやがります。このヤロオオー、と、オレはもちろん、外で待って、そいつの後をつけて、適当な場所で追いついてボコボコにしてやりましたよ。
でもまあそういうことは稀なんで、オレも普段用心してますからね、オレの拳のターゲットはほとんどが、オレにブリブリを聞かせ嗅がせたやがったやつに限られます。
そのあとしばしばね、殴り倒し気絶させた男の尻に顔をつけて、ズボンは脱がさないでそのままズボンの上からですがね、すーすーと匂いを嗅ぐというやり方を覚えました。このようにすれば、こっちが望みもしねーのに勝手に音と臭いと顔を晒してきやがってという受身的な怒りが、あたかもこっちが求めて狙って嗅いでやりたくてつけ回していたのであるかのように能動的に変換されて、うむ、これならよし、と納得がいって怒りが収まるんですよね。ちょうどそう、恋人にフラレそうになったと察した女が先回りして自分から別れを切り出しショックを防止するってのがよくあるでしょ、あれ何か名前ついてますかね、あの戦法とおんなじですね。殴り倒しただけじゃダメです。こっちの態度をあとからでも作り直さなきゃね。そいつの尻にジーっと顔をうずめてたっぷり嗅いで、ズボン越しにもほんの数分前にブリブリやってやがった肛門の粘り臭がじわーっと沁み出てきてるのをじいイーんと味わって、ようしご馳走様と静かにその場を離れます。
いや、あれ的なことが目的じゃないからそれ以上のことはしません。
この尻嗅ぎ法のおかげで、そのうち怒りも鎮まって、五、六人の男尻を嗅いだところで、妙に達観できたというか、もう、個室でブリブリやられて不用意に顔を晒されてもどうとも思わなくなりましたよ。尾行も尻嗅ぎ法もやめました。
■ 『朝日新聞』2000年11月1日朝刊・家庭欄「ひととき」より
隠す習慣なくしては
スーパーでトイレットペーパーを買ったら、それだけ紙袋に入れて渡してくれた。そのスーパーはごみ減量のために、「買い物袋を持参し、レジ袋を減らしましょう」という運動をしている。なんだか矛盾を感じてしまった。昔からの習慣で、オロチ用品は人目に触れないように、という配慮からだとは思う。しかし、今の時代、果たしてその必要があるのだろうか。
オロチは、人間ならだれにもあるもので、オロチ用品は生活必需品でもある。その必需品を買うためになぜ、こそこそしなければならないのか。
娘の通っている小学校でも、五年生になって、オロチのことを、ロボット-人間いっしょに習ったという。思春期を迎え、心身の変化ある人間の子に対して、いたわりの気持ちをロボットの子たちに持ってもらいたいから、との配慮からだと聞いた。
私の小学校時代には、放課後に人間の子だけこそこそと一教室に集め、カーテンまで引いて、なにやら怪しげなムードの中で、オロチの話を聞いた覚えがある。そのせいか。いざ、オロ知を迎え、毎日お腹の鳴動がくる度に、隠し通さねばならないことのように思えた。トイレットペーパーも誰にも見つからないように持ち歩かねばならないような気がしていた。
その時代のなごりなのでしょうか? オロチ用品を紙袋に入れてしまうのは。
CMもとても明るくさわやかにやっているし、学校でもオープンなオロチ教育を行なおうとしている時代です。そろそろ、隠す習慣を、なくしていったらどうでしょうか。ロボットだって人間と同じようにオロチをするのに。人間のような固体の形でなく、匂いのない放熱でたえず少しずつ出しているというだけの些細な違いなのです。人間だけ隠していては、ロボットと人間が真に協力した、愛に満ちた世の中は実現できないでしょう。
(東京都三鷹市 山口 愛 主婦・35歳)
袖村茂明は小学生のとき、田舎の神社の床下で純白巫女の定期オロチを連続目撃した。そのありさまは、袖村茂明の日記、回顧録、私的談話から若干の再構成をまじえた引用によって第1節に提示しておいたとおりである。あの記録からもわかるとおり、袖村茂明の通った芦ヶ久保第二小では、前節に引証した蔦崎公一の管根南小のようなビザール系暴力の統制は敷かれておらず、民主的忍者部隊の並立するいたって平穏な環境だったようだ。この鮮やかな対比は、後々袖村・蔦崎両名が各々辿った命運の相違を解釈するさいに少なからぬ手掛かりとなるに違いない。
袖村茂明があれ系統のビジュアルを体験したのは、あれが初めてではない。袖村は巫女さん体験を五年遡る幼時に十歳年上の姉の排便を連続目撃していたことを神社床下で再三思い出していた。茂明は生来狭い所にうずくまって物思いにふけるのが好きな子どもであり、とりわけお気に入りは、季節による変動はあるが物置と塀の間にじっと挟まってしゃがんで日が暮れるまで蟻の巣を出入りする蟻の数を数えていることと、トイレ床面の通風窓(茂明の体がぎりぎり通り抜けられる上下幅だった)の枠に全身じっとはさまったまま外の蜜柑の若木についているアゲハチョウの幼虫を眺めるか、反対に内向きに和式陶器が木床から僅かに盛り上がっているその境目をつくづく何時間も眺めていることだった。陶器や木床にかすかに散っている小便の飛沫の粒々の配置を横から薙ぎ眺めるのは、飽きないミクロ体験だったようだ。ある日そんな微小飛沫にゆっくりと微細な埃が舞い降り接する有様を注視していたトイレ内向き編の最中、姉百合子の独特の軽い足音がしてダンと戸を開け、肌色の鳥肌だった尻が便器にしゃがんだのである。通風窓がやや壁から引っ込んでいることもあってかすぐ足もとに弟が横様に挟まっていることに気づかず、姉は大スペクタクルを展開したのだった。しゃがんで一秒後に降りてきた極太茶色円筒、それがまぼろしの空洞便だったのだ。極太便の内部の空洞に濃縮屁がつまっており、気圧差により排便後しばらくしてボムと音を立てて破裂するというものである。茂明は姉のこの空洞破裂便を計四回目撃した。さらに、姉よりも十歳上の叔母弥生の排便も二回目撃しており、それもまた、姉と同じような空洞破裂便だったのを見て茂明は感動に襲われた。現在の研究では、叔母の空洞便はややタイプが異なり、内部の空洞に下痢マントルが詰まっているもので、破裂するときの音は「ぺちっ」という感じで、微小な下痢水滴が飛び散る。医学的に腸内ガスタイプを空洞便a体質、下痢タイプを空洞便c体質と呼ぶが(空洞便bタイプは半ガス半下痢の霧状飽和ガスが詰まっているもの。さらにdタイプとして、下痢マントルの内部に弾丸状便秘片が多数混在しているものがあり、破裂とともにボール爆弾式に弾丸便が飛び散って、ガラスを割ったり壁にめり込んだりする例もあるという)、この種の空洞破裂便はいずれのタイプも遺伝的要素が強いことが判明しており、袖村家はその血筋だったのであろう(しかし袖村茂明自身は自分の大便が破裂する音も感触も得たことは一度もなかった)。叔母弥生も二度とも茂明の存在には気づかず、まわりの床や壁に微細に飛び散った茶色をトイレットペーパーでささっとぬぐって出ていったのである。
姉便も叔母便も、冬の寒い日には糞棒のまわりにスルスルと螺旋状に熱い屁が取り巻き下ってゆくのがはっきり水蒸気の帯として見て取れ、それが空洞破裂とともにぱっと飛び散ってしばらくキラキラと空中を漂い(下痢粒は空中散乱後まもなく降下したが屁粒は用便主が立ち上がってスカート裾やズボンの風で振り払われないかぎりいつまでも漂い続けていた)、ときに尻肌に広くしっとり朝露のように附着するありさまは、譬えよえようもなく美しいビジュアルで、袖村の文学的感性を発酵させたものと思われる。
袖村茂明はこうした光景を見ようと狙って待機していたことは一度もなかった。通風窓がお気に入りだっただけなのだ。もう一つ注意すべきは、姉百合子は十七歳で急性白血病のため死亡し、叔母弥生は二十八歳のときバイク運転中転倒して五ヶ月後死亡したということである。芦巻神社の巫女(久嶋香という名であることが判明している)の運命を考え合わせても、袖村茂明に尻谷以奥を見られた女は夭逝する、という法則が袖村自身の中に形成されなかったとはいえない。袖村が高校時代から盛んに小説を書いては文芸誌に投稿するようになったのも、おのれが因果の一環を担っているかもしれない人命連鎖のあはれさが身に染みていたというリニアな動機が与かっていなかったとはいえまい。
(第1回 了)
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