世の中には男と女がいて、愛のあるセックスと愛のないセックスを繰り返していて、セックスは秘め事で、でも俺とあんたはそんな日常に飽き飽きしながら毎日をやり過ごしているんだから、本当にあばかれるべきなのは恥ずかしいセックスではなくて俺、それともあんたの秘密、それとも俺とあんたの何も隠すことのない関係の残酷なのか・・・。辻原登奨励小説賞受賞作家寅間心閑の連載小説第四弾!。
by 寅間心閑
二十一、自白剤
たしか三軒茶屋にラブホテルはない。下北沢には二軒あったはずだが行きたくない。だけど安藤さんを連れて無駄にウロウロしたくもない。となれば思いつくのは渋谷。俺はカラオケボックスのトイレでキャッシュカードを確認した。バイアグラのジェネリックは家に置いてきたが、この感じなら必要ないだろう。一言で表すなら、俺の状態は「今にも」だ。
タクシーはすぐに捕まった。若い運転手に「道玄坂まで」と告げる。あからさま過ぎて恥ずかしい状況だが、安藤さんの端正な顔が緩和してくれた。小さくラジオが流れる車中でも、俺たちは密着したままだ。
「途中、コンビニ寄ってもいいですか?」
「うん、何買うの?」
「え、秘密です」
そんな会話を交わしながら、肌と肌を擦り合わせる。途中我慢できずに、俺は一度だけ安藤さんの腕を舐めた。つるつるの感触と微かな汗の味。彼女は会話を続けながら、ぐいぐいと腕を押し付けてくる。窮屈な姿勢だが一向に構わない。いや、むしろ助かった。「今にも」な状態はジーンズの下で痛いくらいに継続中。当分解除されそうにない。
道玄坂には十分弱で着いた。コンビニの前で降ろしてもらう。俺は缶ビールと水、彼女は秘密の何かを調達してからホテル街の方へ。イベント終わりの若者がクラブから吐き出され、外国人観光客が怒鳴るように喋り続けている。十二、三年前にナオと来た時は……なんて思い出さない。その頃安藤さんはやっと小学校に入学したばかり……なんて想像力を浪費しない。こういう時に大事なのは集中力だ。
「どこにしようか?」
「えっと、チェックアウトが遅い方が嬉しいです」
明日のシフトは……なんて野暮も言わない。俺は確か遅番だった。店長は今頃、安藤さんに連絡を取ろうと必死だったりするのだろうか。あれ以来、俺の方に連絡はない。
十一時にチェックアウトのホテルを見つけ、一番安い部屋を選んだのは彼女の方だ。その都度「いいですか?」と見上げるようにして尋ね、「うん」と頷くと柔らかく微笑む。いいですか、と尋ねなければいけないのはこっちの方だけどな。そう思いながらブラックライト仕様のエレベーターの中、初めて手を繋いでみる。彼女の手は意外と大きかった。
部屋番号は301。エレベーターに比べるとずいぶん地味な内装だ。「今にも」な俺は即でも全然構わないが、ここは安藤さんの出方を見てみよう。シャワーか、御歓談か、即か。果たして彼女はソファーに腰掛けた。御歓談か、と思ったがどうやらちょっと違うらしい。
「あの、コップに水入れて持ってきてもらえますか?」
理由なんて尋ねない。そう来ると思ったよ、という感じで動く。ありがとうございます、と微笑んだ後で彼女はポケットから円形のピルケースを取り出した。クルクルっと慣れた手つきで蓋を開け、中に入っていた白い粉末をコップの水に混ぜる。え、と出そうになった声を呑み込み、俺は平気そうな表情を作った。
「じゃあこれ、飲んでみて下さい」
どう反応すればいいのか分からない。頭が真っ白ってこういう感じなんだろう。とりあえず「それ何?」と訊いてみる。
「覚醒剤です」
口から? と間髪入れずに尋ねるのが精一杯だ。安藤さんは綺麗な顔で笑っている。
「嘘です。そんなお金持ってませんよ」
「じゃあ、それは?」
「これ、自白剤なんです」
ちゃんと聞こえていたのに「え?」と訊き返したのは「ジハクザイ」という響きが漢字に変換できなかったから。
「自白剤です。自白をさせる為の薬」
真っ直ぐな視線が怖い。からかっているわけでも酔っているわけでもなさそうだ。安藤さんはどうしたいんだろう? 普通にぐちょぐちょをやるつもりじゃないのかな。
態度と表情を決めあぐねている俺を尻目に、コップを片手にすっと立ち上がる。無邪気に微笑んだまま舌を出し、目の前まで歩み寄った。すぐそこにピンクの舌がある。ここで乱暴にスタートするのは簡単だし、それ相応の興奮はあるはずだ。でも彼女のペースに乗った方がきっといやらしいはず――。そう判断した。
身長差は二十センチほど。腰と膝を曲げながら、ピンクの舌を唇で挟む。強く吸っても抵抗はせず、薄眼を開けたまま息を荒くした。長いまつ毛だ。んん、という甘ったるい吐息に鼻をくすぐられ、思わず喉の奥で声が出る。呻くような低い声。歯と歯が当たる度、野蛮な欲求は大きくなっていく。裸が見たいな。そう思った途端、するっと舌が逃げた。
「あ」
間抜け面の俺の目の前で、彼女はコップの液体を口に含んだ。視線だけで「口、開けて」と合図してくる。俺は大きく頷いた後、左手をロックバンドのTシャツの中に入れ、下着をずらして直接触れた。摘んでみる。一瞬顔をしかめた彼女は背伸びをしながら液体を口移しした。しょっぱいような味。迷わず飲み込む。これが自白剤の味なのか、と考える間も無く残りの液体が追加された。
俺は何を自白させられるんだろう?
どうして彼女はこんな物を持っているんだろう?
そしてこれ、本物なんだろうか?
ただの覚醒剤じゃないんだろうか?
そもそも自白剤なんて、この世に存在するんだろうか?
いくつかの疑問が浮かんでは消え、彼女の口の周りは自白剤まみれになっていた。舌で綺麗に拭ってやる。そんな俺を薄眼で見ながら、されるがままの美人な十九歳。親指と中指で摘む度、華奢な身体を震わせていたが、とうとう後ずさりをしてソファーに座り込んでしまった。
コンビニの袋から水ではなく缶ビールを選ぶ。炭酸が飲みたかった。自白剤のしょっぱさが残る喉を洗いたい気持ちもあったが、アルコールとの相性は不明だ。ロング缶を半分ほど空けてからジーンズを脱ぐ。正体不明の液体を飲んだ後だが、ボクサーブリーフの上からでも分かるほど、「今にも」な状態は保たれていた。
缶を持って安藤さんの前に立つ。丁度いい位置だった。俺の意志とは無関係に脈打っている。触れてしまう一歩手前まで近付けるとピンクの舌を出してくれた。遠慮なく、わざと乱暴に生地ごと擦り付けたが、先に声が漏れたのはこっちの方だ。情けないけどゾクゾクしたものは仕方ない。
「安藤さん」
「?」
「綺麗だね」
上目遣いのまま「ありがとうございます」と生地の上から舐め上げてくれた。御褒美だ。
「いつからですか?」
「?」
「いつから私のこと、綺麗だと思ってたんですか?」
答えは出そうだが、質問の意図が分からない。そして黙っている間もピンクの舌は動く。生地の上で丹念に円を描き続けている。もう、あの部分はベトベトだ。
「じゃあ、名前、言って下さい」
「名前?」
「フルネームでお願いします」
こんな体勢で断れる訳がない。告げると矢継ぎ早に生年月日、血液型、住所、電話番号、星座、干支を訊かれた。答えながら妙な感覚に包まれる。もう何度か安藤さんとこうしていたような安心感。そしてまだ質問は続く。
「好きな食べ物は何ですか?」
「えっと、中華全般」
「……」
こんな曖昧な答えではダメらしい。だったら、と考える。
「中でも特に麻婆豆腐」
「嫌いな食べ物は?」
「セロリとパセリ」
「兄弟は?」
「妹が一人」
集中しているから冴子の顔は浮かばない。そして答える度、安藤さんは御褒美をくれる。撫でたり、引っ張り出したり、唾を垂らしたり。
その後、中高の時の部活、車の免許の有無、行ったことのある外国、好きな女性芸能人、初恋の相手の名前……と質問とその後の御褒美は続き、一度は安藤さんの口へ突っ込んだ状態にもなった。
「じゃあ、いつから私のこと、綺麗だと思ってたんですか?」
さあ、ふりだしに戻った。今までのは自白の予行演習だ。少し照れ臭いが、ここは正確に答えておく方がいいだろう。
「バイトで入って来た時、かな」
「ずっとですか?」
「うん、綺麗な子だなと思ってた」
また御褒美をくれた。俺の目を見たまま大きく口を開ける安藤さん。綺麗な顔が歪む度、弾けそうになるのを堪えなければ。もう膝がガクガクだ。
「では、今日はどの辺りからいやらしい気持ちになっていたんですか?」
「多分、カラオケに行くことが決まった辺り、かな……」
「私にいやらしいことをしたくなったのは初めてですか?」
初めて、と答えながらこれが自白剤の効力かなと思う。俺は今、素直に答えることが気持ちいい。
「私くらいの歳の子と、よくいやらしいことをするんですか?」
「いや、こんなに離れてるのは初めて」
「
まだ我慢できそうですか?」
「実はそろそろヤバいかも」
口の周りが唾でベトベトの安藤さんに「いい?」と訊く。答える代わりに頬張ってくれたので、遠慮なく頭を持ちながら腰を振った。もちろん時間はかからない。その呆気なさを繕うように、彼女は俺の腰に手をあてたまま最後まで吸い出し、何度かに分けて飲み下してくれた。
「あの、手、離しても大丈夫ですか?」
うん、と言ったがそれは間違っていた。膝はガクガクだし、たった今吸い取られたばかりだ。支えを失った俺はフラフラとよろめき、ベッドに背中から倒れ込んでしまった。
天井を眺めながら自白剤について考えている。
数分前、安藤さんはコンビニへ出かけた。冷静に考えれば、彼女はまだシャツさえ脱いでいない。そして俺は吸い取られたばかりなのに、早く続きがしたくなっている。早く裸が見てみたい。自白剤が実在するかどうかは別にして、この回復の早さは俺が飲まされたあの液体の効果だろう。もしかしたら、ペガッサやチブルやペロリンガみたいな高級品かもしれない。
今日、安藤さんは店長に使おうとしてあの自白剤を持っていたはずだ。でも店に行ったら彼ではなく俺がいた。これ、ラッキーってことでいいんだよな。うん、多分ね。自問自答しながら立ち上がり、缶ビールの残りを片付ける。冷たい水も買ってあるが、自白剤の効果が薄まりそうで飲みたくない。チェックアウトは朝十一時。まだまだ時間はある。
ソファーにピルケースが落ちていた。自白剤が入っていたヤツだ。拾い上げるとまだ中に白い粉末が入っている。さっき全部使わなかったのか、それとも別のケースなのか。考えも迷いもしなかった。コップに水を入れ、残りの粉末を溶かして一気に飲み干す。追加分投入完了。ゆっくりとベッドへ寝転んだタイミングで、買い物袋を下げた安藤さんが帰ってきた。数時間前までかけていたのに、赤いフレームの眼鏡が妙に新鮮だ。
「ワイン、呑みますか?」
うん、と頷くと当たり前のように口移しをしてくれた。安いワインが赤と白、それぞれ一本ずつ買ってある。
「もしかして呑み足りなかった?」
「いや、こんなに呑んだの初めてかもしれません。あの、服、脱いだ方がいいですか?」
返事をするより先に、腕を引っ張って抱き寄せる。安藤さんを裸にするのは俺だ。特に抵抗する素振りはなかったが、彼女は俺に自白させ続ける。
「私のどこが見たいんですか?」
「全部……だけど、まずは胸」
「そんなに胸に自信ないんですけど、どうですか?」
自信がない、という意味がよく分からない。大きくないということなのかなと思いながら、ロックバンドのTシャツをたくし上げ、さっきまで左手で摘んでいた部分に舌を這わせる。ひゃっ、と鳥肌を立てる安藤さんに「何ていうか、好きな形してる」と自白した。照れ隠しなのか身体をくねらせる仕草が妙に幼い。いつも一緒に働いている見慣れた彼女がよぎる。赤いフレームの眼鏡をかけてトマトジュースとロックが好きな短大一年の安藤さん。さっき全部飲み下してくれたなんて信じられない。
何度かワインを口移ししながら、彼女を裸にするのは楽しかった。青い静脈が走る白い肌、薄っすらと浮かぶ腹筋、どうにか隠そうとするアソコとアソコ。明るいところで全部見たかったから、ベッドの上に立たせて一周回ってもらった。
「いつもこういう風にするんですか?」
「ううん、初めてだよ」
「どうして今日はするんですか?」
「綺麗だから見たい。それだけ」
え、と一瞬で安藤さんの表情が歪む。薄い唇が震えているのが分かった。
「何で知ってるんですか?」ペタッとベッドの上に座って、怯えた声を出す。「何でなんですか?」
「え?」
「もしかしたら店長から全部聞いてるんですか? 今日のことも店長が考えたことなんですか?」
美しい顔が歪んでいくのを至近距離で見るのは贅沢だが、今はそんな悠長なことを言っていられない。俺は彼女のつるつるの肌を抱き寄せながら、「俺は何も知らないよ」と何度もゆっくり嘘をついて落ち着かせた。ごめんなさい、と受け入れてくれるまで結構かかった気がする。
「店長と安藤さん、そういう感じなの?」
大人はずるい。そう尋ねた後、何時間だって待っていられる。自分の勘違いと、余計なカミングアウトに気付いた彼女は動揺していた。
「……同じこと、店長に言われたんです」
「同じこと?」
「はい、だから店長が全部喋ってると思っちゃって……」
聞けばさっきの「綺麗だから見たい。それだけ」という言葉を、店長にも言われたという。本当ごめんなさい、と彼女はもう一度謝った。
裸の女と向かい合い、シリアスな話をするのはあまりいやらしくない。普通なら萎えてしまうような状況だが、さっきの追加分が効いているらしく、実は「今にも」な状態が続いている。俺は立ち上がり、まだ何か言いたげな口の前に突き出した。安藤さんは深刻な表情のまま、決めごとのように口を大きく開く。実はこの辺りから記憶がぼやけてくる。いよいよ効いてきたようだ。
う、と声が出るほど彼女の中は妙に熱かった。コンドームを着けても着けなくても変わらなかったから、 自白剤の効果かもしれない。洗面所の鏡の前でバックから挿した時、彼女が身体をくねらしながら訊いてきた。
「私のって、痛かったり、やりづらかったり、するんですか?」
「違う違う。安藤さんの中、本当に熱くて」
俺の自白に鏡の中の彼女は、美しい顔を歪めて背中を仰け反らす。瞬間、俺はつるつるの肩を噛みながら果てた。あれは何度目だっただろう。二度目や三度目ではないはずだ。でも不思議なことに二十分も経たないうちに大丈夫になる。自白剤の正体を知っているはずの彼女でさえ呆れていたが、勝手に追加分を補給したことは黙っておいた。大人はずるい。
気付けば時間は深夜三時前。口移しで残りのワインを分け合い始めた直後、安藤さんの様子がおかしくなった。
。
(第21回 了)
縦書きでもお読みいただけます。左のボタンをクリックしてファイルを表示させてください。
* 『助平ども』は毎月07日に更新されます。
■ 金魚屋の本 ■