世の中には男と女がいて、愛のあるセックスと愛のないセックスを繰り返していて、セックスは秘め事で、でも俺とあんたはそんな日常に飽き飽きしながら毎日をやり過ごしているんだから、本当にあばかれるべきなのは恥ずかしいセックスではなくて俺、それともあんたの秘密、それとも俺とあんたの何も隠すことのない関係の残酷なのか・・・。辻原登奨励小説賞受賞作家寅間心閑の連載小説第四弾!。
by 寅間心閑
四、半半グレの包囲網
俺の予想が図星だったので、なし崩しに「楽しくない方」の話が始まった。
三日前、渋々「ランブル」に入った安太が出くわしたのは、十三歳年下の元コンビニバイト嬢。思わぬところで久々の再会だ。名前を尋ねた俺に「モエカちゃん」と答えた安太の顔ったらない。名前で勃ってりゃ世話ねえな。
「三年振りだったけどすぐ分かったよ。ま、その前にびっくりしたんだけどね」
チャーハンとレバニラと唐揚げが来た。遠慮なく頬張りながら訊く。
「モエカちゃんはモーパッサン?」
「いや、逆」
となると、俺に声をかけた二人組とは違うようだ。あいつらは痩せていなかったし、そもそももっと若い。
結局、安太を連れてきた女が「なに、知り合いなの?」と尋ねたのが運のツキ。二人で「いや」「その」「あの」「まあ」と言い合っていると、カウンターの中からバーテンが出てきた。
「いやあ、強そうなマッチョでさ。耳とか餃子みたいなんだ」
それも俺の時とは違う。まずいマティーニを作ったバーテンはガリガリだった。
「こちらのお客様が、昔コンビニで一緒に働いてた方?」
そんなマッチョの問いかけに「うん、まあ、その、ええ」と頷くモエカちゃん。安太は不穏な空気を察するのが少し遅かった。じゃあ僕はこれで、という言葉は、マッチョの「まあまあまあまあ」という大声にかき消されてしまう。じゃあ私はこれで、と安太を連れて来た女は踵を返し出て行ってしまった。地下の店内に囚われた安太。軽い監禁じゃんか、と呟いた俺に「それ、軟禁っていうんだ」と教えてくれた。
モエカちゃんとマッチョは付き合って半年、同棲して一ヶ月。モエカちゃんのマンションに転がり込んだマッチョは、一週間前に衝撃的な物を見てしまう。愛する彼女がコンビニの制服を着てぐちょぐちょやっている画像数点。
「女のパソコン覗くなんて、マッチョの風上にもおけないヤツだな」
そう非難した俺に安太が補足する。
「何だっけ、パソコンのアカウントを同期したら、写真から何から見れるようになったって」
要領を得ない説明で思い出す。そういえば安太、機械音痴だったな。
四年も前の写真だがそれは関係ない。マッチョにしてみれば一週間前に見た「ばかり」。それが原因でモエカちゃんと初めて喧嘩をして、苛々していたところに写真のぐちょぐちょ男が現れた。安太にとってはバッドタイミング。御愁傷様。
でも見る限り殴られたわけではなさそうだ。足も引きずっていなかった。そいつは耳が餃子なのに手を出さなかったのか、と尋ねた俺は浅はかだ。安太を殴ったって何も出やしない。そもそも現場はボッタクリ店。要はカネだ。
「脅迫されてるのか?」
「カネが絡んだら恐喝になるみたい」
「払うのか? いくらなんだよ?」
「そこをストレートに言わないのが手口みたい」
「?」
小一時間、立ったまま話をして軟禁終了。最後にマッチョは「まあ、これから宜しくお願いしますよ。近々御挨拶に伺います」と、いやな笑い方をした。
「どういう意味だ?」
「そのまんまだよ」
言葉どおりにマッチョは現れた。昨日の深夜二時、場所は駒場のコンビニ。バーテンの時とは打って変わって上下黒のジャージ姿だ。勤務中の安太は店に入ってきたマッチョに気付く。その後ろにはガラの悪い取り巻き五、六人。全員安太に一瞥を食らわしてから、何を買うでもなく店内をウロウロ。そして数分後、一人ずつ出て行った。
「大丈夫だったのか?」
「殺した……」
「は?」
「い」
「?」
「こ・ろ・し・た・い」
馬鹿野郎、虚ろな目で言うから一瞬焦っちまった。店員を呼び止め餃子を頼む。マッチョの耳にそっくりなのが来ればいい。
「よくさ、二時間ドラマであるじゃない。弱み握られて強請られたヤツが、このままじゃ一生付きまとわれる、って殺しちゃうパターン」
「うん」
「あれ、よく分かるな。今、そんな状態」
冷めかけたレバニラを食いながら淡々と喋る安太は、何というか「被害者」っぽかった。
「で、何もされなかったのか?」
「直接的にはね。でも怖いんだってば」
「帰り道に待ち伏せとか?」
「されてないけど、されてるんじゃないかって怯えなきゃいけないんだってば」
一緒に働いていたのは、中国人の留学生で何も気付かなかったらしい。でも確かに気味が悪い。俺に浮かんだ対応策は二つ。警察に相談するか、いくらかでも金を払ってしまうか。安太は両方とも首を振った。
「とにかく、あのコンビニを辞めたくないんだよね」
「?」
「あいつらが今後エスカレートすればさ、あの店に迷惑かけるような気がするんだ。そしたら居づらくなるじゃん? この歳でまた仕事探すのは大変だし、今より絶対稼ぎは減るし」
ここまで生々しい弱音を吐くのは珍しい。さすがに少し同情した。でも俺に出来ることはあまりない。
「まあ、思い詰めないでさ、これから時間大丈夫なんだろ? 誰か呼び出そうぜ。ほら、これもあるし」
さっき返してもらったバイアグラのジェネリックを差し出したが、安太は「いや、今日はやめとくよ。ありがとう」と力なく微笑んだ。相当参ってるらしい。でも別れ際には「グループ展が近いから、絵も描かなきゃいけないし」と言っていた。そう、それくらいの嘘はついてくれないと。
その後下北に向かった理由の半分は、まだ呑み足りなかったからだ。被害者面した奴に奢られたまま帰るのも気が乗らない。ただ理由の残り半分はそんな安太の為だ。例の「ランブル」について色々と調べたかった。
という訳でまず立ち寄ったのは「大金星」。例の如く安太と会っているかとうるさく訊かれたが、さすがに今まで一緒だったとは言えなかった。ありのままを話せば盛り上がるだろうが、それは今日でなくても構わない。大丈夫、一年後でも爆笑を取れる大ネタだ。
「実はちょっと前に、地下の『ランブル』って店に入ったらボッタクリっぽかったんだけど、何か聞いたことない?」
そんな問いかけだけでツカミはOKだった。「本当はボッタクられたんだろ」「恥ずかしくないから白状しろ」と誰もが食いついてくる。やっと落ち着いて得られた情報は二つ。オープンは半年前、初めはランチ営業もやっていた。それだけ。
少々物足りないのでその後も数軒顔を出したが、結果はあまり芳しくない。どうやら悪名を轟かせている店ではなさそうだ。もう今日は帰ろう。無駄に呑んじまったな、と水を買おうとした時にメールが来た。ナオからだ。あれ、この前LINE交換しなかったっけ。
ランブル情報、仕入れたよ/今、店だけど来る?
あれ、「ランブル」のことなんか頼んでたっけ。何にしても有難いが疑問がひとつ。店ってどこだ? あれ、この前聞いたんだっけ。本当に何も覚えてない。シラフぶっても仕方ないので、素直に尋ねると即返信。
やっぱり覚えてないか/マスカレードだよ
あの晩のことは全く思い出せないが、「マスカレード」なら知っている。ここからだと歩いて十分。仮面舞踏会が聞いて呆れる狭いレトロな喫茶店だ。大学生の頃、知り合いの女の子がバイトをしていたので何度か来たことがある。
到着すると十一時半。ドアには「準備中」の札。灯りを落とした店内で、ナオは煙草を吸っていた。色褪せたジーンズにパーカー。ずいぶんラフな格好だ。席は七人掛けのカウンターだけ。もう少し広いはずだったが気のせいか。
「あ、早かったね」
「お疲れ様、連絡ありがとう」
挨拶もそこそこにランブル情報を聞く。半年前に開店、当初はランチ営業アリ。そこまでは知っている。ボッタクリ化したのはここ三ヶ月、きっかけはオーナーの交代、スタッフは見ない顔が多い――。
「見ない顔?」
「うん。元々知らないのは別に変じゃないけど、『ランブル』のスタッフってコンビニくらいしか行かないみたい」
「ん?」
「ほら、普通は飲食やってたらさ、挨拶がてら近所の店で食べたり呑んだりするじゃない? そういうのが一切ないんだって、あそこ」
「へえ」
納得はしたが、釈然としないのはナオの異常な情報収集能力だ。いったいどうやって調べたんだ? その思いは顔に出ていたらしく、笑いながら答えを教えてくれた。
「ここね、色んな店の人が来るのよ。古いだけじゃなくて意外と人気店なんだから」
「へえ」
「あと『ランブル』の元々のオーナーの知り合いがいたわ。近いうちここに連れて来るって」
「元々って……」
「ほら、オムライスが有名だったカフェバー」
「へえ」
「その人なら詳しく知ってるんじゃないかな」
「その知り合いっていうのも、この辺りの店の人なのか?」
「彼はおしぼり屋さん」
「?」
「おしぼりよ、おしぼり」
ナオが差し出したビニールに入ったおしぼりを見ながら、また俺は「へえ」と間抜けな声を出していた。
終電まで呑もう、と誘われ入ったのはさっき安太といた安い中華料理屋の下北沢店。数時間前、下高井戸店にいたことはナオに言わなかった。見覚えのある餃子を食べながら、一番気になっている部分を尋ねてみる。
「ボッタクリをやってるってことはさ、やっぱり何ていうか、ヤクザなのかな?」
「そうじゃない、っていうのか、そこまでじゃない、っていうのか……」
「ああ、アレか。何だっけ、半グレ?」
「うーん、そのまた半分くらいじゃないかな」
――半半グレ。
全然ピンと来ないが、カタギじゃないことは分かる。やっぱり厄介そうだ。一瞬、安太の現状をナオに伝えようかと思ったがやめておく。互いに知らない仲ではないから面倒くさい。どこから話していいか分からないし、終電の時間まであと三十分もない。こういう時はバカ話をするに限る。
俺が大学生の頃、「マスカレード」の店員に背の高い外国人の女がいた。名前はサンディー。本名は長すぎて、何度聞いても覚えられなかった。サンディーの作るサラダは、味も見てくれも大雑把だったが妙に旨かった。よくおかわりをして笑われたもんだ。
「昔さ、外国の子いたよな」
「サンディー?」
「あれ、知ってるんだ?」
「マスターね、日本人じゃ勃たないんだって」
「マスター、もういい歳だろ?」
「去年、還暦パーティーやってたよ」
そう、こういう話でいい。あっという間に時間が経つ。駅の改札でナオを見送った後、タクシーを拾って帰った。車中、ひとりになったせいか何となくモヤモヤしていることに気付く。あいつの刺青のことではない。もっとぼんやりしたことだ。まあいい。ナオとはまた近いうちに会う。
そういえば今日は全然やらしくなかったな、情報収集能力が高かったからかな、それともラフな格好をしていたからかな。あれこれ浮かべながら窓の外を眺めている最中、不意にモヤモヤの原因が分かった。
半月前、俺は別にぼったくられたわけではない。不味いマティーニに千四百円払っただけだ。あの後、一緒に呑みながら「あの店は何なんだろう」くらいのことは言ったかもしれないが、それ以上の熱意はなかったと思う。なのに、どうしてあいつは「ランブル」のことを熱心に調べてくれるんだろう?
あそこがボッタクリだと俺に教えたのはナオだった――。
そのことを思い出した瞬間、タクシーが家の前に着く。それ以上考えるのは止めにして車を降りた。もうそろそろ限界だ。今日は色々ありすぎた。とっくに俺のキャパを越えている。シャワーは明日の朝にして、とっとと寝ちまおう。
有言実行、初志貫徹。俺はシャワーに入らず布団に横たわった。夢を見たいなんて贅沢は言わないから、とにかく早く眠らせてほしい。このままだと多分、ナオのことを考え始めてしまう。
仰向けからうつ伏せ、そしてまた仰向けと落ち着きなく身体を回転させていると電話が鳴った。どこか救われたような気持ちで出る。目は閉じたまま、相手は確かめない。
「もしもし?」
安太だ。ただ声が小さすぎる。
「どうした?」
「ちょっとマズいかも」
場所を訊くと家からだという。数時間前、俺と別れた安太は漫画喫茶に立ち寄った。呑気だな、と言うと「何となく真っ直ぐ帰る気になれなくて」と小声で囁く。女と遊ぶのは気乗りしないけど漫画は読める。その心境は理解出来ないが、黙って安太の小さな声を聞いていた。今はナオのことを考えたくない。
ついさっき漫画喫茶を出た安太は、家の近くで前から歩いてきたジャージ姿の男に声をかけられた。数歩近寄り、顔を突き出して一言。
「こんばんは」
それだけだ。でも一回だけではない。少し歩くとまた前から来た別の男が顔を突き出し「こんばんは」。昨晩マッチョと一緒にコンビニに来た取り巻きだ――。そう気付いた安太に、またすぐ「こんばんは」と声がかかる。結局マッチョこそ現れなかったが、五人の取り巻きから次々と挨拶をされた。
「家の場所がバレたんだよ。マジでヤバいかも……」
確かに段々追い詰められてはいるが、半半グレは直接手を出さないだろう。手を出せば加害者になってしまう。コンビニに入っただけ、道で挨拶しただけなら咎められることはない。もちろん安太もそれは分かっている。だけど怖い。つまり、奴等の思う壺だ。そんなストレスに安太は耐えられないような気がする。無理して耐えればヒビが入り、ぶっ壊れるのがオチだ。
「なあ、やっぱり警察行きなよ」
「うん……、でもやっぱりなぁ……」
予想どおり、安太が煮え切らない言葉を発した瞬間、聞き覚えのある音が耳に届いた。
ビーンボーン。
あれは老朽化でひしゃげた、安太の家のチャイムの音だ。この流れで深夜一時過ぎの来客はさすがにマズい。
「なあ、誰か来たんだろ? 早くこの電話を切って一一〇番しろって!」
安太の返事はない。その代わり、もう一度ひしゃげたチャイムの音がした。
(第04回 了)
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