Interview:第1回文学金魚新人賞受賞記念特別インタビュー
大野露井(ロベルト):1983年生まれ、東京都出身。本名ロベルト。国際基督教大学卒業、同大学院博士課程修了。学術博士。日本社会事業大学助教。作品に『Wunderschlank 百奇箪笥』(子羊舎)『結晶舟歌』(紅綴堂)など。
小松剛生:平成十三年、神奈川県私立桐光学園中学校に入学。平成十八年、青山学院大学文学部日本文学科に入学。成り行きのまま三回生のときには体育会ボクシング部にて主将を務める。四回生のとき、文豪に憧れて大学を中退。性懲りもなく身内に迷惑をかけ続ける。現在、現在、フリーターとして生計を立てながら文章を書いている。
三澤楓:1991年に生まれ、埼玉県にて育つ。高校を卒業後、東海大学の文芸創作学科へ入学。「読書が好き」という安易な理由だったが、周りの本気に触発され、自分でも小説を書く内に、“文学”に対する気持ちが強く、明確なものへと変化し始めた。現在は、みやび個別指導学院で教室長を行っている。
■最近読んだ本について■
───じゃあ大野露井さん、司会兼パネラーということで始めてください。大学の先生だから慣れておられるでしょう(笑)。
大野 え、丸投げですか(笑)。まだうかがってないんですが、この鼎談のタイトルはなんですか。
───文学金魚新人賞受賞記念特別鼎談でいきましょう、今思いついたんですが。そういうゆるい感じで話してください(笑)。
大野 三人とも少し早めに着いたんで、テープが回る前からちょっと話始めていたんですが、それは最近読んだ面白い本の話題でした。僕はアゴタ・クリストフの『悪童日記』を読んで、とても良かったという話をしてたんです。
小松 さっき大野先生が話しておられたのは、クリストフの『悪童日記』には自分にない力強さがあったということでした。もっと深く聞きたいと思ったんですが、まだテープが回っていないから質問を控えたんです。僕は『悪童日記』を読んでいないんで恐縮ですが、どういったところにそれをお感じになったんでしょうか。
大野 ある意味文学の根源的要素だと思いますが、『悪童日記』では容赦なく次々に事件が起こっていくんです。でも僕は事件が起こっても立ち止まって考えて、それから書くタイプです。
小松 大野先生(の書かれる文体)は止まって景色を見ますよね。
大野 でも『悪童日記』は止まらないんです。主人公が何を感じたかなどは、たまに一言書かれているくらいで、どんどん事件が積み重なってゆく。主人公の思いは本を読む読者の解釈に任されている感じです。
僕は『悪童日記』のような、事件によって読者を引っ張ってゆく小説が一番多く書かれたのは十八世紀だと思います。マルキ・ド・サドの小説などがまさにそうです。サドは誤解している方も多いですが、哲学的意味でもとても面白い作家です。西洋が積み重ねてきた思想や倫理をぶち壊そうとする。でもそういったサドの思想を論文として読んだら、多分ぜんぜん面白くないでしょうね。サドの小説ではいつもダイアログ(対話)として思想が語られます。さらに女性の前ではなかなか言いにくいですが、荒唐無稽なエロチックな事件が次々と起こるわけです。それがサドの小説の魅力になっています。
でも今の読者はフィクション(虚構)に対して敏感になっていますよね。小説を読んだりドラマを見ている時に、「そんなことは起きないだろう」と突っ込みを入れたりする(笑)。逆に言えば小説やドラマの〝語り〟に隙があるわけです。そういった隙を与えないような作品が、文学でもドラマ・映画でも僕は好きなんですね。
ただそういった出来事だけで表現する方法は、必ずしも僕のやり方ではありません。だから自分のやり方を保ったまま、そういった小説が書けたらいいなと思ったりするわけです。ただこれはあくまで小説を書く際の方法の問題であって、あまり徹底してロジカルにやると読者が共感してくれなくなってしまう。ですから平たく言うと、小説を導いてくれる要素としてたくさんの小ネタを用意して、なおかつわかる人にはわかるような──「あいつ、ここでこんなことしてる」といった発見があるような作品を作るのが理想ですね。
■大野露井『故郷─エル・ポアル─』について■
小松 大野先生の『故郷─エル・ポアル─』は僕も読ませていただきました。PDF版第二回目の四ページ目に、「つまりザラザラおばさんは僕を野良猫扱いにしていたわけだが、およそ野良猫ほどおばさんが愛した動物はいない以上、腹を立てるわけにもいかない」という記述があります。面白い文章を書く人だなぁと思いました(笑)。こういう文章、俺、書けないなぁと思いました。
───ちょっと翻訳文体ですね。英語の翻訳にありそうな感じもします。
小松 あーなるほど。ちょっと通常の日本語の感覚とはズレがあるかもしれません。まさか一回英語で書いてから、それを訳したりはされていませんよね。
大野 してません(笑)。翻訳文体に感じられるのは、そうだな、日本文学と欧米文学を同時に読んで文学的知識を身につけてきたでしょう。それが影響しているのかもしれない。それと僕が西洋の言語に親しんでいるということも、確かにあるでしょうね。
───日本語と英語、どっちが得意なんですか。
大野 ネイティブ教員として英語を教えている手前、同じくらいできますと言わざるを得ない立場ではあります(笑)。でも英語で詩や小説が書けるかといえば、書けません。これは僕の好きなエピソードですが、トーマス・マンは五カ国語くらいできたのに、作品は絶対にドイツ語でしか書かなかった。僭越かもしれませんが、トーマス・マンと同じです(笑)。
確かに僕の作品を読んで、翻訳文体を思わせるとおっしゃる方は多いです。でも僕は日本古典文学の研究者でもあるわけです。翻訳文体ならそれはそれでいいんですが、さっきの理想の小説の話にもつながりますけど、日本語を知り尽くした人でなければ書けないという要素も欲しいです。言葉では日本語を追求するけど、文法はもっとコスモポリタンでもいいというようなね。
小松 コスモポリタンというのは、境界を無くすという意味ですね。
大野 美しい日本語を追求しているわけでは必ずしもないということです。
小松 美しい日本語を追求している人たちとは、大野先生はこだわっている場所が違いますね。
大野 じゃあ誰が美しい日本語で作品を書いたのかという問題が出て来るでしょう。近代の日本語は、ある意味全部翻訳によって作られたものです。英語、ドイツ語が入ってきて初めて今の日本語が成立した。たとえば川端康成の作品などは、確かにとても「日本語っぽい」ですね。彼は古典をメチャクチャ読んでそのロジックを知り尽くしているから、主語を省いたような文章をすごく上手に書ける。けれどもそういう作家は少数派です。いい例は三島由紀夫です。三島は美しい日本語を書いた作家だと言う人たちもいるわけですが・・・。
小松 そう教えられて読み始めるパターンがけっこう多いですね。
大野 あれは変な日本語ですよ(笑)。
小松 ああやっぱり変なんですか。僕はまだそのへんがわからないんですが、僕が三島先生の作品で一番好きなのは『レター教室』なんです。変な小説で、三島由紀夫ど真ん中ではない、メチャメチャ簡単で読みやすい作品なんです。エンタメ小説だと思います。それをなぜ読み始めたかというと、ミュージシャンの小沢健二さんが、あの方は東大出の超エリートですが、テレビで「僕がまず人に勧める小説です」と言って出したのが『レター教室』だったんです。難しいのかと思ったらすごく読みやすかった。それから始めて『潮騒』だとか、いわゆる三島らしい作品を読むと、またぜんぜん違った良さがありました。でも今大野先生がおっしゃられたように、三島先生の日本語が美しいのかと言えば、確かに立ち止まってしまう自分がいますね。
大野 美しい文章かもしれないけど、美しい日本語ではないと思います。
■同時代の作家について■
小松 そろそろ三澤先生に、ご自分のことは話しにくいでしょうから、最近読まれた本で面白いと思ったものがあったら、おうかがいしたいですね。
三澤 綿矢りささんの『ひらいて』を読みました。わたしはお二人とは読んできた作品がぜんぜん違うと思いますし、幅広く作品を読んでいるわけでもないので恐縮なんですが。
小松 『ひらいて』は読んでないなぁ。
大野 知らない世界ですね(笑)。
小松 綿矢りさ先生は、僕がちょうど高校生の時に『インストール』が出て、ちょっと衝撃を受けました。
大野 僕は綿矢さんとはまったく同世代ですからね。僕の方が一歳年上かな。金原ひとみ・綿矢りさが芥川賞を同時受賞した時の盛り上がりはすごかったですね。出版社としては、久しぶりにルックスでもイケる作家が出たっていうような(笑)。同世代ということもあり、当時僕も小説を書き始めていたから、やっぱり意識はしますよね。ただ自分とはあまりにもタイプが違うから、くやしかったかと言うとそうではないけれど、ああ、こういう世の中になってゆくと、俺は世に出られないんじゃないかな、とは思いました(笑)。
小松 綿矢りさ先生については、わかりやすくて面白い文章を書ける作家という印象で、僕の方がそういう点でくやしさを感じたかもしれません。当時から僕は、読み手に読んでもらえるということを目標とした文章を書いていましたから。
大野 僕の場合、本当に気になったのは平野啓一郎さんかな。彼は僕より年上ですけどね。もちろん当時も新人賞を受賞しなければ小説家としてデビューできない時代でしたが、彼は「新潮」編集部に熱い思いを綴った手紙を書いてデビューしたわけでしょう。そして芥川賞を受賞したわけです。しかも彼はミニ三島でしょう。神様仏様三島様なわけです。自分の生活のいたるところで三島をフォローしているんですね。三島は東大法学部出身ですけど、平野さんは京大法学部を出ていたりもする。で、三島が好きな人であれば好きであろう文体で小説を書いたりしたわけだけど、まあ『日蝕』なんかは、はっきり言って失敗ですね。同じような言葉を繰り返すだけで、そもそもボキャブラリーが乏しい。僕の周りで本が好きな人は平野さんの作品に対して冷笑的ですが、芥川賞作家だものねぇ(笑)。
小松 三澤さんは、綿矢先生の作品をだいぶ追いかけておられるんですか。
三澤 いえ、そういうわけではないです。
小松 書いておられなかった時期が長かったんじゃないですか。噂ですと、だいぶ書けない時期があったとか。
三澤 『ひらいて』はある人に、「これを読んで勉強しなさい」と言われて読んだんです。
■読むこと、書くことについて■
───ここで綿矢さんの噂話をしてどうするんですか(笑)。今、読書の話をされていたわけですが、作家は普通、書くことより読むことの方が先行するものです。でも現代はそうではなくなってきている。「本を読むのは苦手ですが、書くのは大好きです」という作家の卵が増えています。大野さんや小松さんは読書家ですが、現代の作家の卵たちは、はなっからお二人の話にはついていけないかもしれない(笑)。三澤さんはまだ二十代前半ですし、東海大学の文芸創作科ご出身ですよね。恐らく授業などで読むことの訓練を受けていると思います。三澤さんがどういった読書指導を受けたのか、それを踏まえてどんなふうに書き始めたのか、そのへんのところを話していただけませんか。
三澤 わたしはそもそも書きたい、書きたいというタイプではなかったんです。本を読むのが周りよりもほんの少し好きな程度でした。高校の時に進路に迷った時に、そういえば読書が好きだなぁと思い、好きなことから進学先を選んでみようと思ったんです。そうしたら東海大学の文芸創作学科というのがあった。勉強も苦手だったので、偏差値的にも頑張れば入学できるくらいでしたから、受験してみたんです。
で、入学してみたら、想像していたよりマニアックな人が多かった。わたしが星新一が好きですと言うと、「夏目漱石が好きです」といった返事が返ってくるんです(笑)。「今、こういう話を書いているんだ」とか、固い話が返ってくることが多くて、わたし、ここにいてだいじょうぶかなという感じでした。
文学金魚新人賞受賞記念特別鼎談は、コワーキングスペース茅場町Co-Edoをお借りして行われた。
Co-Edoを運営している株式会社ダイレクトサーチジャパンの田中弘治代表は新春からお仕事。
大野 そういう環境って興味ありますね。
小松 周り中が書いている環境って、すごく恐ろしいな(笑)。
三澤 同い年の女の子が、「太宰治が好きなんだよね」と言って、『女生徒』の文庫本を、カバーの装幀が変わるたびに買っていたりしました。
小松 太宰先生の文庫本は、装幀が変わるタイミングが早い印象があります。芸能人を使ったり、マンガ家の先生が表紙を描かれたり。
ちょっと話が変わりますが、文学金魚に掲載した受賞者の写真なんですが、僕は編集部から明日までに写真を送ってほしいという連絡をもらったんです。やっぱ顔写真となると迷いますよね。自分としては、最高の一枚を撮らなくちゃと思ったんです(笑)。それで池袋のしゃぶしゃぶ屋で友人の女の子二人とご飯を食べている時に、その一人に撮ってもらいました。他人に撮ってもらった方がいい写真になると思って。そしたらあんなマヌケな顔写真になってしまった(笑)。
大野 僕は編集部に写真を送ったら、良くないからダメって却下されました(笑)。で、西荻窪のバーで撮った写真が掲載されることになってしまった。あれはかなり酔っぱらっている写真です。飲み友達の先輩が撮ってくれた写真で、事後報告であの写真が使われることになりましたと言ったら、早速文学金魚のサイトを見てくれたようで、「一人だけずいぶん気合いが入った写真に見えるけど、だいじょうぶ?」って言われました(笑)。
三澤 大野さんの写真は、文庫本の著者紹介に載っている写真っぽいですよね(笑)。わたしは母に撮ってもらいました。職場の人や友達に、文学金魚で見たよって言われるんでちょっと恥ずかしいですけど。
───三澤さんのお父様は記者の仕事をなさっているとか。
三澤 わたしとは書くものの種類が違うんですが、今回の文学金魚新人賞の話をすると「血筋かねぇ」とか言われます。
文芸創作学科の話に戻りますが、学生時代はそんなに書く機会はなかったんです。読む方が多かったです。でも授業によっては小説を書く宿題があったんですね。書いた作品は学生が読み合い、それに対して学生みんなで批評し合うという授業でした。書くというだけでびっくりしたんですが、「そうだよなぁ、創作学科だものなぁ」と思ってなんとか提出しました。周りの人がすごい作品を書いているような気がしました。それに対する批評も「ここはこうした方がいい」とか、「どういう理由でこういうふうに書いていますか」とか掘り下げたものが多かったんです。わたしは物を読んでも「すごいなぁ」という感想しか出ないたちだったので、読むことの大切さをそこで初めて感じたということはありましたね。
■三澤楓『教室のアトピー』について■
小松 三澤さんの文章には異和感がないんですね。なにかを狙ったとかじゃなくて、すごく自然に情景が流れているという気がします。特にリズムが素敵だなと思いました。『教室のアトピー』の第二回に、朝食で同級生を表現する箇所がありますよね。あれはすごいなと思った。
大野 僕もあそこが一番好きです。
小松 「途端に皿の上が教室に見えた。強く輝く赤い色で存在を主張するプチトマトは、斉藤だ。箸から逃れて縦横無尽に皿を駆ける姿は彼の奔放さそのままだった。ハムは観客だ。教室に広くのさばって場所をとっているけれど、色彩はプチトマトにかなわない。目玉焼きにくっついて、絡んで、斉藤を喜ばせようとしているご機嫌取り」っていう文章です。生徒を朝食にたとえること自体はそう複雑な発想ではないと思います。ただそれをきれいに読ませるように書けるかといったら、三澤さんのようにきれいには並べられないです。ですからすごくテクニカルな人だなという印象を持ちました。ちょっと口惜しかった。僕の場合、いろいろ口惜しいことが多いんですが(笑)。
───東海大学文芸創作科では「文芸工房」という雑誌を出して作品を公募してますよね。
三澤 一年生の終わり頃に出して、それは佳作でした。「文芸工房」の賞は優秀作と佳作しかないんです。二年生の時にも出したんですが、その作品はどの賞もいただけませんでした。「文芸工房」は学内雑誌で、選考委員は文芸創作学科の教授の先生方ですから、落選すると教授の先生に批評をいただきに行くということもあったんですね。わたしだけではないですが、何人かで意見をおうかがいに行きました。
わたしは辻原登ゼミで、辻原先生は新しい作品を何本も書くより、一つの作品をとことん修正して完成に近づけた方がいいとおっしゃっていました。そうこうしているうちに、辻原先生が選考委員をなさっている文学金魚で新人賞を募集しているということを知って、修正したその落選作品で応募してみることにしたんです。
受賞は正直意外でした。わたしのまわりには、ほんとうにすごい学生が何人もいたんです。文学的なすごい文章を書く同年代の学生に、自分の作品を厳しく批評されたこともあります。わたしの作品は骨組みばっかり目立って肉付けが足りない、伝えたい内容が乏しくて、エンタメ小説にありがちな、起承転結が目立つ作品だといった批評でした。わたしはその子の作品がすごく好きですから、ああなるほどと思っていました。
小松 『教室のアトピー』を読ませていただいて、僕が本当にスリリングな読書体験をさせていただいたなと感じたポイントがあります。それは辻原先生が講評でも触れておられたラストシーンです。「ふと逸らした視線の先、窓に反射した輪郭のはっきりしないシルエットが、通学中のカーブミラーへ移りこんだ自分だか谷口だか分からない存在と重なって、眩暈を感じた」という箇所ですね。
この箇所が典型的ですが、主人公といじめられっ子の谷口の存在が同化してしまっているような記述が、ほかの箇所でも見られます。最近の僕のテーマは同化なんですが、こういった主人公と主要登場人物の同化に僕は凄まじさを感じました。
最近、高橋源一郎先生の『優雅で感傷的な日本野球』を初めて読んだんですが、それもまたすごく衝撃的でした。プロ野球で一九八五年に阪神が優勝したんですが、簡単に言うと、優勝した阪神と優勝しなかった阪神を同化させちゃうっていう内容の文章です。アホみたいなことをやっているわけですが、それがものすごく面白いテクストになってしまうというのが僕にはすごく衝撃的でした。それに近いものを『教室のアトピー』の最後のシーンに感じました。ああいう文章は、どういう時に思い浮かぶのか、今の僕にはちょっと想像できないです。そのあたりのことを三澤先生にお聞きしたいですね。
三澤 『教室のアトピー』で書きたいなと思ったのは、スクールカーストなんです。いじめっ子といじめられっ子が逆転する事って本当によくあるので、そのあたりのことを書きたいなと思っていました。イジメの標的は必ず一人じゃなくちゃいけないんだけど、その標的は誰だっていい。谷口じゃなくて、主人公の山井がいじめられっこになる、役割が入れ替わることもある。そういうことを表現したいと思ってラストシーンを書きました。
小松 なるほど。個ではなくて、スクールカーストそのものを描こうとしたんだ。あれを書くのは勇気がいるなぁと思いました。
■小松剛生『切れ端に書く』について■
───わたしたちも『教室のアトピー』のラストシーンにはびっくりしました。今話に出たいじめられっ子と主人公の同化もそうですけど、いじめられっ子の谷口が、先生からお金をもらっていじめられっ子を演じていたというラストは衝撃でした。三澤さんくらいの年齢の作家が、とにもかくにも読者をびっくりさせる作品を書くというのは、これはやっぱりすごいことだと思います。技術的にはいろいろ言うことができますが、読者を笑わせたり、驚かせたり、びっくりさせるというのは誰にでもできることではないです。人をびっくりさせる作品を書けるということは、小説で描いた事象を相対化しているからできるんです。もしかすると、純文学的な文体を真似た曖昧な内容の小説を書く方が簡単なのかもしれません。これには選考委員の辻原さんからして、文学金魚がゴリゴリの純文学作品にはちょっと冷たいということも影響しているかもしれませんけど(笑)。小松さんはどういう経緯で書き始めたんですか。
小松 僕は高校時代は読書から離れていたんです。小学生の時はそれなりに本を読んでいました。小学生の時にスキー教室があって、本当に体調が悪かったこともあってそれをサボったんですが、僕の学校ではスキー教室に行けなかった生徒は教室に集まって、課題として本を読まされたんです。そういう時に星新一先生の本をずっと読んだりしていました。本を読むことに抵抗はなかったんですが。今でも誰かと遊んでいた方が楽しいし、家でYouTube見ていた方が楽しいです。
で、高校の時に親しい友人が、実は文章を書いているんだと打ち明けてくれた。彼は文章を書いているといったそぶりを一切見せないような子だったんです。サッカーが上手くて足も速い。運動神経抜群でおちゃらけている感じだから文章を書いているふうには見えないんですが、彼が書いていることを知って、初めて「文章って誰でも書いていいんだ」と思いました。僕はそれまで文章は偉い人が書くものだと思っていたんですね。
───『切れ端に書く』に登場するスピード君だ。
小松 彼からドストエフスキーの『罪と罰』が面白いよって教えてもらったり、当時はまだライトノベルという言葉がなくて、ジュブナイル小説とか呼ばれていましたが、上遠野浩平先生の『ブギーポップは笑わない』なんかが面白いと勧められたりして、そのあたりから、書くってもしかしたら面白いんじゃないかって思い始めたんです。いったん書き始めてしまうと年々書く量が増えていって、今年は去年よりも書く量を増やすっていうのが一つの目標です。
───毎日書いているんですか。
小松 毎日ではないです。お酒を飲むと、まあいいやっていう感じになっちゃう。でも日記感覚でノートに文章を書いています。それは日々のいろんな出来事やアイディアを拾っているだけのような文章です。だからお二人の作品を読むと、ホントにちゃんとしていて、僕もちゃんとしないといかんなぁと思います(笑)。
大野 さっき三澤さんの話に出ましたが、作品を書き直したりするんですか。
小松 直さないですねぇ。書いている瞬間が一番楽しくて、書き上げた瞬間は、俺って天才だなぁって思ったりします。人には言ったことはないですけど(笑)。
大野 そういう瞬間って確かにあるね(笑)。
小松 そうやって自己陶酔できる瞬間があるから、書くのって楽しいなぁって思えるだけのことですけどね(笑)。ただ書き上げちゃったら次の文章という感じです。僕はもうすぐ三十歳で、六十歳くらいまで生きられたらいいなぁと思うんですが、そうすると一人の人間が書ける量って限られてるので、急がないといかんなぁと思ったりします。そういう意味では焦っています。ただ僕は、今まで焦ってろくなことが起こらなかったから、焦っちゃいかんと思いながら焦っています(笑)。ただ文学金魚さんで、不特定多数の読者に読んでいただけることを前提として文章を発表できるので、それはとても有難いことだと感じています。でもまだまだ埋もれているストックがありますから。
───どのくらいストックがあるんですか。
小松 三百本くらいですかね。ショートショートが多いですが、長い作品もそこそこあるかな。単に蛇口を閉めに行くだけの話とかもありますけどね(笑)。職人に憧れがあるんです。現場仕事をやっていたことがあるので。
───どういった職種の職人ですか。
小松 鳶とかガラスフィルムを貼る仕事です。ガラスにフィルムを貼って、割れないようにするんですね。あれってけっこう難しいんですよ。みなさんスマホのディスプレイに保護フィルムを貼ったりしますよね。気泡が入らないように貼るのはけっこう難しいですが、それをおっきなガラス窓いっぱいにやるんです。
大野 じゃあスマホのフィルム貼りは得意なんだ。
小松 メッチャ速いですよ。元プロだから(笑)。
───鳶はどういう仕事ですか。
小松 これは調べたわけじゃないですけど、鳶って建築現場全般の仕事を指す言葉じゃないかな。僕は足場を組む足場屋として建築現場で働いていたんですが、膝を悪くしてやめちゃったんです。職人って完璧じゃなきゃいけないんです。納期とかの制約もあるんですが、六十パーセントの仕上がりで終わらせるのか、百パーセント仕上げて渡すのかといったら、納期が遅れても百パーセントの仕事をする、それが職人なんだと鳶の親方が言ってました(笑)。
■学生時代について■
三澤 小説の場合、納期優先なんですか、それとも完成度優先なんでしょうか。
───新人の場合は完成度でしょうね。納期や締め切りを気にするのは売れっ子作家になってからでしょう(笑)。特に純文学の場合、文芸誌に作品掲載してもらいたい作家が長い長い順番待ちをしているという状態ですから、納期はあってないようなものでしょうね。
大野 学者の場合、論文の締め切りがありますが、それも来年でいいやって思えば延ばしちゃえますからね。
小松 そんなんじゃダメだって考える人の方が、書く仕事には向いていますよね。
───特に今のような時代、自分で締め切りを設定して書くような人じゃないと作家になるのは難しいでしょうね。作家ってボツになった原稿を含めて、みなさんが考えているより遙かに多くの原稿を書いているんです。書くのが当たり前の世界なので、メディアは作家にとってのペースメーカーみたいなものです。もちろん締め切りに遅れることは誰にでもあると思いますが、編集者からせっつかれないと書けないっていうのは、新人作家だろうとベテラン作家だろうと正直あまり感心しません。特に作家の卵の場合、仲間内で原稿のせっつき合いをするのはよろしくないと思います。なんの益にもならないジャーナリズムごっこが始まってしまう。文学金魚は文学逆風時代のベンチャーメディアですから、そのあたりはものすごく冷たいかもしれません(笑)。催促しなければ書けない作家は、いずれ書かなくなるんじゃないでしょうか。ところで小松さんは大学を中退されていますよね。それはどういう理由ですか。
小松 僕は結局ボクシングを四年間もやっちゃったんです。でも弱かったですよ。ボクシングは個人競技ですから、良いか悪いかは別にして、一人で練習しようとすればできてしまう。でもそのせいで、ほんとうに勉強をおそろかにしてしまった。それについては今本当に後悔しています。
───単位が取れなかったんですか。
小松 単位は取れました。四年生になってボクシング引退の時期が近づいて、もう試合もないんだなぁと思ったら、大学にいる意味がないなという気がしてやめちゃったんです。
───意味わかんない(笑)。大野先生、なにか言ってやってください。
大野 出るだけ出ておけばよかったのに。実は僕も一度大学を中退しています。
小松 ああそうですか。大学中退って嫌なものですよねぇ(笑)。
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大野 その反動で、ずーっと大学院まで進学してしまったようなところがあります(笑)。僕はインターナショナルスクール出身で、方向性としてはアメリカの大学に進学するのが普通だから、最初はアメリカの大学に行ったんです。今もそうだと思いますが、豊かな生活を送りたければ、経済学を学んで金融マンになる、というコースが王道です。当時もう文学を始めていましたが、まさかいきなり作家になるなんて考えていなくて、一度くらいは社会に出て働くものだと思っていました。
でも大学の選択を間違えたかな。ヴァージニア州の片田舎の大学に進学したんです。大学が二つあって、合計四千人くらいの学生がいたんですが、町の人口が七千人くらいでした。大学関係者しかいないような町です。自分が都会人だってことを忘れていましたね、ずっと新宿周辺にいますから。都会の小さい大学だったらまだよかったんだろうけど、田舎の小さい大学は、やっぱり向いていなかった。
それに経済学を勉強するって言っても、三年生くらいにならないとやらせてもらえないわけです。一般教養なんかを取らなければならない。友達が何人かできたのは良かったけど、もんのすごくつまらない生活でした(笑)。アメリカの大学は三学期制ですから、結局四ヶ月くらいしかいなかったです。それまでは一度選んだレールを降りたことがなかったから、当然家族にも反対され、それを説得して日本に帰ってきてICUに入り直したんです。経済学は嫌いではなかったけど、このまま金融マンになるのもなにか納得できないような気持ちがあったんです。
■再び『故郷─エル・ポアル─』について■
小松 また作品の話に戻ってしまいますが、大野先生は言葉の使い方が本当に独特だと思います。『故郷─エル・ポアル─』に、「このちょっとした死刑執行のおかげで、僕はその日のシエスタの退屈をどうにか紛らわすことができた」という文章があります。なにこの「ちょっとした死刑執行」という言葉、すごいなと思ってしまいます。この文章は独特で、ある種の匂いのようなものを感じてしまいますね。
三澤 子供の頃の体験を書いておられると思うんですが、使っている言葉がすごく仰々しいですよね(笑)。わたしには書けない文章だと思います。
小松 そこがすごく面白い。言葉は悪いかもしれませんが、一種仰々しい言葉遣いは、最近になって、いろんなところで見るようになったと思います。
大野 時代がぐるっと回って僕に追いついてきたのかな(笑)。僕はそもそも、自分が育った環境などを題材にして小説を書いたりしていなかったんです。読み手としても、本当にオーソドックスな作品が好きです。僕は十五歳くらいまでほとんど活字の本を読んだことがなかった。学校で読まされる本なんかを除けば、マンガ専門で、あとは映画を見るとかね。ある夏休みに、夏休みは長いですし、こんなに世の中に本が溢れているのに読まないのもなんだぁなと思って読み始めたんです。新潮文庫の応募券を集めたらパンダグッズがもらえる、という不純な動機もありましたけどね(笑)。
小松 オーソドックスな読書への入り方ですよね(笑)。
大野 そういうオーソドックスが、僕が「露井」という雅号、ペンネームを使っている一つの理由でもあるんです。ロベルトという本名なら目立つし、『故郷─エル・ポアル─』のような小説にはピッタリですよね(笑)。雅号を使おうと思ったのは、最初に読んだ漱石や太宰がそうしていたからですが、僕が本格的に書き始めた二〇〇〇年手前頃の状況も影響しています。その頃は作家の芸能人化が加速した時期で、苗字は日本人でも名前をカタカナにするような作家が増えたんです。田口ランディさんとかね。そうなってくると、俺も仲間だと思われたらイヤだなと思い始めてしまった。俺は初めからロベルトなんだけどっていう感じです(笑)。しかも自分が書いているものが必ずしも欧米志向ではなかったから、カタカナの名前は邪魔かなと思って雅号を「露井」にしたんです。
小松 ロベルトと露井では、確かに読み手に違った印象を与えてしまうかもしれませんね。
大野 それに作品を書く時に、DNA的に自分が純粋な日本人ではないなんてことは考えないですからね(笑)。自分は自分として生きてきただけですから。だから作品にロベルトという名前が付いてしまうことの影響を、自分もまた蒙ってしまうように感じていたんです。
最初はそういうふうだったから、自分の生い立ちなんかについては書かなくて、純粋な物語を書いたりしていました。でもだんだん大人になってくると、使える題材を使わないでほうっておくこともないだろうという気持ちになってきた(笑)。『故郷─エル・ポアル─』の連載はまだ始まったばかりですけど、この後、主人公は大人になるわけです。小説の後半のモデルになっている一連の出来事が起こったのが、二〇〇七年かな。『故郷─エル・ポアル─』を書き出したのはその後だから、この作品とはだいぶ長い付き合いなんです。
いわゆる文芸誌の新人賞にも出したことがあって、そこそこのところまで行きましたから、やっぱりこういった内容の小説は受けるのかなとか思ったりして(笑)。ずっとこの作品にこだわってきたわけではないですが、友人や知人に読んでもらったりして修正しながら、現在のような形になったんです。そうだなぁ、全部で九回くらいは書き直してるかな。一つの作品を、こんなに直したのは初めてですけどね。
小松 『故郷─エル・ポアル─』は改行が少ないのに読みやすいです。それが僕には不思議です。小説の始まりがまた素敵なんですよね。「僕はしばしば正午まで眠った。夏休みなのに八時に起きるというのは、ほとんど異常事態だった」でしょ。シエスタを描写する箇所も良かった。「村は眠っていた。商店も眠っていた。教会の鐘楼も眠っていた。おそらく村の外も、都会も眠っていた。役所もいつも以上に眠っているだろう。スペインが眠っていたのだ」とあります。眠っているのがスペイン全体にまで拡がってしまうわけですが、ほんとうにそうなんだろうなぁと思わされてしまいます。で、「エル・ポアルの子供であるはずの僕は完全に目覚めていた」と続くわけですから、人がたくさんいる中での主人公の孤独があざやかに浮き彫りになる。この展開は凄みがあるなぁ。地の部分だけを読んでいても面白いと思ってしまう。読者を退屈させないエンタメ的パワーがあるような気がします。
大野先生は文学金魚に連作詩篇『空白』も掲載されていますね。「Ⅱ 天」の最後に「僕にも月経があったなら/潮の満ち引きを肌で感じることができたろうか」と書いておられます。これはけっこう凄い詩行だと思いますが、こういった表現にも、なんとなく『故郷─エル・ポアル─』に通じる部分があるんじゃないかと感じました。もちろん同じ作家が書いているんだから、共通する部分がなくちゃおかしいわけですが。ああいう詩はどういった心境でお書きになるんですか。
大野 考えているというよりは、心の中でせき止められている何かを、水門を開くように表現しているようなところがあるかもしれません。いてもたってもいられないから書くといったようなことはなくて、面白いと思ったら覚えておくとかメモしたりして、さあ書こうという時にそれが出てくるわけです。もちろん細かいところは直していかなくちゃならないんだけど、少なくとも自分の中で面白いと思ったことは最初に出るし、また最初に表現されなければならないと思います。
■再び『切れ端に書く』について■
───何を思って受賞作を書いたのか、もう少し突っ込んでみましょうか。小松さんの『切れ端に書く』はメタフィクションの体裁だけど、どうもモデル小説のようですね。
小松 『切れ端に書く』に限らず、生活をしていてインパクトがあった出来事などは、ついつい文章にしちゃうところがありますね。『切れ端に書く』の登場人物にはモデルがいたりしますが、もちろん実在の人物とは全然違うふうに書いています。逆にリアルなモデルを前提とした文章は書けないです。
───『切れ端に書く』はラノベではないんですが、ラノベの読者が喜びそうな作品のような気がします。村上春樹さんをちょっと髣髴とさせるところがありますが。
小松 僕はラノベが好きなので、それは嬉しいですね。あ、でもラノベはたくさんは読んでないなぁ(笑)。
三澤 東海大学の授業で、日本文学学科の助川幸逸郎先生が、村上春樹作品はラノベだとおっしゃっていましたね。
大野 助川先生は東海大学で教えていらっしゃるんだ。それを踏まえると村上作品の人気が説明できるかもしれませんね(笑)。村上さんはノーベル文学賞候補にあがっているというもっぱらの噂ですが、誰が候補になったのかは五十年後まで非公開のはずなんだけどなぁ(笑)。
───もしかするとノーベル文学賞候補作家という、マーケティングの形かもしれませんよ(笑)。
小松 僕は村上春樹先生にノーベル文学賞を獲って欲しくないなぁ。良い悪いの問題ではなくて、ノーベル文学賞作家になると、今までのイメージが崩れてしまうような気がします。春樹先生は、大きな賞を獲る方ではないってことで行っていただきたい(笑)。ある友人の言葉を借りる形になりますが、それよりもミラン・クンデラ先生に早くノーベル文学賞を獲っていただければなと。もうご高齢ですから。でもチェコ人だと、政治的な意味で、受賞者が出るのはもうちょっと先になっちゃのかなぁ。
大野 結局そういうことなんですよね。ノーベル文学賞って、政治的なもちまわりで世界各国から受賞者を出してゆく賞ですから。川端康成だってそうですよね。あれはアメリカのペンクラブがそろそろ日本人にもあげたいんだけどって言い出して、谷崎潤一郎も三島由紀夫も候補にはなっていたけど、川端のタイミングで日本人にノーベル文学賞が来たってところがある。もちろんエドワード・サイデンスデッカーの力もあるでしょうね。彼が川端作品を翻訳して欧米の文学界に積極的に紹介したわけですから。大江健三郎さんがご健在の間は、日本人からノーベル文学賞作家は出ないんじゃないかっていう噂もありますね。
小松 村上春樹先生の話が出ましたから、今日、僕が持ってきた参考図書をお見せしますね。みなさんと何をお話しようかと思ったんですが、本の話ならいくらでもできるんじゃないかと思って持ってきたんです。これはティム・オブライエンの『ニュークリア・エイジ』で、好きな本のひとつです。村上春樹先生の訳で、物好きな友人が数えたんですが、「やれやれ」が小説の中に十六回出てきます。もう村上春樹作品なんじゃないかってくらい、翻訳にもあからさまに自分の癖を出しています。それはそれでとても面白いなぁと思います。
───こういった作品が『切れ端に書く』を始めとする小松さんのプレテキストになっているんですか。
小松 いろいろな影響があります。むしろ本を読むよりも、野球とかに影響されているかもしれません。僕、年末にバッティングセンターに行って百五十三球打ち込んだんです。
───会心の当たりは二本しかなかったんですよね。
小松 なんで知ってるんですか(笑)。
───ツイッターで書いておられたじゃないですか(笑)。
小松 いや、僕にとってはすばらしい当たりで、もしかすると来年のドラフトにかかるかもしれない(笑)。
三澤 小松さんの『切れ端を書く』を読んで、わたし、冷蔵庫を見る目が変わりました(笑)。冷蔵庫はそれまで食材を入れるための物でしかなかったんですが、これって生きるための象徴なんだなぁと思いました。明日を生きようとしている人しか、冷蔵庫は持っていないんだなぁって(笑)。
小松 『切れ端を書く』を書いていた頃、僕は家賃三万円くらいの、ボロいと言っちゃ失礼だけど、風情のあるアパートに住んでいたんです(笑)。そこで生活していた時は冷蔵庫などの生活必需品がなかったんですが、ないと厳しいんですよね。冷蔵庫はだいぶ安くなりましたが、買えなかったんです。そういうのは大事だなぁ。ちゃんとしようと思います。いつも人から「ちゃんとして」って怒られるんです(笑)。刺激はもちろん本から受けますが、本でなくてもいいってところがありますね。
───小松さんは『切れ端に書く』はメタフィクションですねと言っても、「メタフィクションってなんですか」っていうタイプの作家ですから(笑)。
小松 そもそも僕は、自分が書いているものが小説かと思うと、すごくしっくりこないところがあるんです。だから小説家じゃなくて、モノカキとかいう言葉を使ったりしています。小説ってなにかよくわかんないんで、その言葉を素直に使えないんですね。何書いてるんだろう、俺ってと思ってるところがあります(笑)。
───『切れ端に書く』は八十枚くらいの作品ですが、その長さの作品はどのくらいありますか。
小松 ちょっとわかんないですが、何作目かの長い作品だと思います。ただ『切れ端に書く』は、最後までチャレンジすることができた作品だなっていう手応えがあります。様式にはまらないで、思いきりバットを振ることができなというような感覚です。狙い球は当然あるんですが、球に当てに行くんじゃなくて、とにかくバットを振り切れた。野球ってスポーツは、勝つことも大事なんですが、とにかくバットを思いきり振るのも大事なんじゃないかって思うんです。元巨人の小笠原選手とか、素人目に見ていても気持ちのいいフルスイングをされますよね。三振しても、なんかいいなぁって感じてしまいます。
───『切れ端に書く』では様式にはまらないことが、目的としてあったということでしょうか。
小松 いや、様式にはまったらはまったでいいんですが、自然とそうなればいいということで、意図してはまってはいけないなということです。あの作品を書く前に読んでいたのがジャック・ケルアックの『路上』なんです。『路上』を読んだ方はおわかりでしょうけど、あれはとにかく移動し続ける小説です。『路上』を読んで「移動」って場所だけじゃないんだ、時間も「移動」することができるんだって初めて気づいたんです。当たり前なんですけど。だから『切れ端に書く』では、人でも場所でも時間でもいいんですが、とにかく何かを動かす作品が書きたかった。でも『切れ端に書く』はだいぶ前に書いた作品です。今読むとすごくへたくそで恥ずかしいです。ただ今の僕には書けないですね。『切れ端に書く』を文学金魚新人賞に選んでいただいたわけですが、あれはやり切ったという手応えがあった作品ですから、それを評価してくださる人がいるんだということがわかってすごく嬉しかったです。
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───『切れ端に書く』は、村上春樹さんのデビュー作『風の歌を聴け』をちょっと想起させるところがあります。村上さんも、ああいうフレッシュな作品は『風の歌を聴け』以外は書けていないような気がします。
小松 『風の歌を聴け』は何度も読み込んだ作品です。でも村上先生のような偉大な方と並べられちゃうのは、まったくもって恐縮です。
■文壇・詩壇について■
───そろそろ時間が迫ってきましたので最後の質問にしたいと思いますが、文学金魚編集部の人間はみなさんよりもだいぶ年上で、間が悪いことに従来の詩壇・文壇――いわゆる戦後詩壇・文壇が崩壊してゆく様子をつぶさに見てきたようなところがあります。逆に言うと一九九〇年代初頭くらいまでは、目標とすべき先行作家や、ある程度有効に機能している詩壇・文壇があったことになります。しかし現在は誰を、何を文学の指標にすべきかが揺らいでいる時代です。詩壇・文壇も既存システムを繰り返すことで露命をつないでいるような状態――というより変えようにもどう変えていいのかわからないような状態ですが、皆さんはどういった作家を指標にし、詩壇・文壇といったものをどう捉えているのかをお聞きしたいです。まだお若いですから詩壇・文壇に対する幻想があって当然なんですが、少なくとも一昔前のように簡単に本を出せて、まあ今は電子書籍なら簡単に本を出せるわけですが、それでも本が売れませんから文筆で食べていくのが極めて厳しい状況になっていることはお気づきですよね。また皆さん新人作家ですから、ご自分のことをいったん棚に上げれば、こういう作家をチヤホヤしてもしょうがないのにな、文学の評価基準がわからないな、とお感じになることも多々あるのではないかと思います。
大野 まったくそういうものは見ていませんね。そもそも最初に読んで技を盗もうと思った作家たちは、みんな物故作家だったわけですから(笑)。書いていると他人に見せたいと思う、見せる以上は見せるだけの作品に仕上げなければならないということで、いろんな作家の作品を参考にしてきたわけです。でも文芸誌を参考にしたかというと、そうではないです。文芸誌は新人賞でもっているようなところがあるでしょう。新人賞を撤廃しちゃうと文芸誌は潰れてしまうかもしれません。他人に面白い作品が載っていると言われて、本屋さんで立ち読みするくらいですね。正直、文芸誌は誰が毎月お金を出して買っているんだろうと思うところがあります。
小松 僕も文芸誌は読まないなぁ。
大野 作家がどうやって生きていくのかを考えた時に、海外の、たとえばトルーマン・カポーティとかの方が面白いわけです。自分で仲間を作り、話題作りをして、自分からどんどん活動の幅を拡げてゆく。三島由紀夫もそういうところがありましたね。映画に出演してもいいですしね。そういうのを可能にしているのが、アメリカなどのエージェント制なのではないかと思います。日本ではエージェント制が立ち遅れていて、多分今後も確立されることはないんじゃないかな。
───日本でも出版エージェントはいるみたいですね。
大野 でも機能していない。結局自費出版みたいなことになっちゃう。
小松 エージェントって、代理人制度のことですか。
大野 そう。エージェントが作品を読んで、出版社に売り込んでくれる制度です。でも日本のエージェントは読むには読んでくれるんだけど、結局出版は無理ですってことになって、手数料を請求する場合が多いようです。エージェントは本来、成功報酬の仕事だと思うんですが(笑)。
小松 ちょっとまた寄り道しますが、もう一冊本を持ってきました。僕にとっての本当の天才は、向田邦子先生なんです。向田先生は僕にとっての殿上人です(笑)。向田先生と、さっき話したティム・オブライエンには共通点があるんです。オブライエンの『ニュークリア・エイジ』は、核戦争が起こるという妄想に取り憑かれた夫が、穴を掘って妻と子供を守ろうとする話なんです。(ある場所で開かれた)『ニュークリア・エイジ』の読書会に参加させていただいたのですが、その時に友人が自作した年表があるんです。作中の年表とティム・オブライエンの生涯の年表、それと当時の世相の年表から構成されています。この年表を見ていると、ティム・オブライエンにはわかるはずのない未来のことが『ニュークリア・エイジ』に書かれているような気がします。向田邦子先生もそういった(不可思議な)ところがありますね。
向田先生は飛行機事故でお亡くなりになるわけですが、本を読んでいると、随所に飛行機に異常な怖れを抱いていると書いてある。そういうのを見ていると、本当に偉大な書き手というのは、一種の預言者じゃないかって思えてきます。その域には自分はぜんぜん行けていないですね。
大野 自分で「俺、預言者なんだ」って言い出したら危ないよ(笑)。
小松 そうですね(笑)。でも面白いマンガとか動画とかがたくさんあるわけですから、文章なんて別に面白くなくてもいいわけです。だけど文章でしか体験できない何かが表現されていなければならないんじゃないかなぁと思います。そういうのがティム・オブライエンや向田先生の作品にはあると思います。
───向田さんは、自分は間が悪いんだとしょっちゅう書いておられますね。会社をさぼって映画を見ていると隣に社長が座っていたり、乗ったバスが事故を起こしたりね。
小松 でも人ってもしかしたら、そういうことばっかり経験しているのかもしれませんよ。向田先生はそういうことを書くのが上手いのか、本当にそうなのかはわかりませんが。この本の解説は沢木耕太郎先生なんですが、そこでも向田先生が飛行機嫌いで飛行機事故でお亡くなりになったことが書いてある。それを読んでいると背筋がゾクッとしますね。敵わないなぁという感じです。
───でも小松さんの僕はダメダメですという文章のノリは、向田邦子さん譲りですね(笑)。
小松 僕は文壇システムとかエージェント制とかについてはなにもわかりませんが、圧倒的な文章はいつか書いてみたいと思いますね。エージェント制でメジャーリーグを思い出したんですが、イチローに文句を言う人はいないでしょう。
───いると思いますよ(笑)。インタビューの受け答えなんかはあんまり感心しないとか。
小松 ああっ、そっかぁ、そうですよねぇ。いるかぁ(笑)。そういう自分にとって想定外のことを言う人を、僕はすごいなぁと思っちゃうところがあります(笑)。
───いや、野球の成績は文句なしです。
小松 やっぱそうですよね(笑)。イチロー選手のような圧倒的な文章はいつか書いてみたいです。シーズン二六三安打(イチロー選手のシーズン最多安打記録は二六二安打なので、その数字のことかと思われます)するくらいの。恐れ多いですけどね。
■現代的システムについて■
大野 詩壇・文壇システムとの流れで言うと、一九八〇年代くらいまでは、作家や編集者の交流の中から仕事が生まれるということがあったでしょう。新宿の文壇バーなんかに売り出し中の画家が人に連れられてやってきて、そこで仕事が発生しちゃうような。今はそういうことがほとんどないと思いますが、最近の批評家なんかが喜びそうなことを言えば、ツイッターなどにはそういう側面がないことはないなと思います。僕も一昨年かな、オンラインで詩を発表した時に、オンライン雑誌をやっている見知らぬ方から連絡があって、実際に会ったということがありますから。そういうのはネットがなければない出会いですね。僕は普段はそういったオンライン上の付き合いを軽蔑する方なんですが、その僕からしてオンラインで知り合った人とリアルで会ったりしているわけです(笑)。
───新宿のバーで知り合った作家にたまたま仕事を振っちゃうっていうのも、オンラインで知り合った人に仕事を頼むのも基本は同じだと思いますよ。やる気があるのはもちろん、多少の才能を感じさせる作家にはチャンスは平等に与えられた方がいいと思います。ただそのチャンスを活かせるかどうかは作家次第ですね。チャンスを与えても活かせない人の方が多い。単に口を開けて仕事が降ってくるの待っていたのではダメなわけで、あるメディアから仕事を振られたら、そのメディアで仕事をする意味は何か、それを次の仕事にどう活かしていくのかを考えられなければ単発で終わりますよ。これだけ書きたい、表現したい人が多い世の中ですが、じゃあ表現してごらんとチャンスを与えても続かない。作家が頑張っているから他人がお手伝いできる余地が生まれるだけのことで、本質的なところは誰も助けてくれないですよ。すべて作家の努力次第です。小松さんなんかはガサガサ書けるでしょう(笑)。
小松 そうですね、書くのに困ったことはないです。好きで書いていますから。書くのに苦労する人が書き続けるのは、すごく辛いことですよね。
───一九八〇年代の終わり頃からかな、芸能人のようにメディアに露出したいから物書きや文化人を目指す作家が増えてきた気配がありますね。それがまた文学の状況を悪くした面があります。そういう作家は実は書きたいことがないので、既存の路線に乗っかろうとする。メディアは当然自分の雑誌に合う作家が欲しいわけですが、表現したいテーマがなく、メディアが与えたテーマや雑誌の方針に簡単に従ってしまう作家ばかりになると作品の質がどんどん落ちてしまう。若い作家は書くことに対してとても真摯だと感じる瞬間が多々ありますが、読むことの努力はちょっと足りないかもしれない。何も土台がないところで素晴らしい建造物を建てられれば一番いいいですが、それは人類史上、ほとんど例がないんじゃないでしょうか。
大野 読む訓練をしないと、自分が書いた作品を正確に読むこともできないでしょう。自分が書いたものを読むことは、人の作品を読むより難しいですから。自分とはある程度切り離して作品をプロデュースしなければならないわけです。
小松 切り離すのは、どうやってやるんですか。
大野 難しいですけどね。最近ちょっとコツがわかってきたくらいの感じです。よく言われるのは寝かせておくとかですね。少し時間が経ってから読み直すと、自分が書きたかったテーマがあるはずだし、それは頭では理解しているんだけど、ちっとも伝わってないなぁと感じることもあります(笑)。
読まないで書けばいいんだという風潮があることは、確かに感じることがあります。またそういう作家が新人賞を受賞して中堅作家になって、若者に媚びるような形で「読まなくてもいい」なんて言うものだから、そういう風潮が加速しているところがありますね。それはすごく良くないことだと思います。まあ勉強し過ぎると、自分の個性を潰しちゃうってこともありますけどね。ヘーゲルはこう言った、という前提なしには話せないインテリなどがけっこういます(笑)。
───それは一種の武装ですね。自分の言葉で語るのが怖いから他人の知で武装する。
小松 三澤さんは、今のシステムとか先行作家とかについてどう思われますか。
三澤 自分だけかもしれないですが、システムの中で生きているような気になっているところはありますね。そういう世代なのかもしれません。システムがあったとして、それがどういうものなのかはあまり考えずに受け入れてしまいます。たとえばツイッターなんか、それがどういう仕組みで動いているのかは考えずに使ってしまいます。ツイッターがあれば使っちゃうし、フェイスブックがあればそれも使っちゃう(笑)。確かに昔と比べると、今の時代はネットとかで簡単に小説が公開できちゃって、玉石混淆で大変に見えるかもしれませんが、それはそれでわたしは使っていくと思います。素人が書いた作品でも、読んでみて面白ければ、それで満足しちゃうようなところがあります。ですからシステムとかについては、それほど批判的ではないです。
小松 ツイッターとかでも、面白いこと書くなぁって人がいますからね。
───文学の世界に限らないですが、人の才能がいろんなところに拡散している気配はありますね。一昔前は文芸誌が作家の才能を束ねていたわけですが、もうそうじゃなくなっています。ただ拡散した中から本当に才能ある作家を見出して、その作品をうまく世の中に発信していくシステムはまだまだできていない感じです。
大野 ネットはネットで、昔とは違う幻想を生み出しているところがあると思います。何でもググって調べられる時代ですから情報入手は簡単なんですが、じゃあそれでレポートが書けるかというとそうじゃない。昔と変わらない苦労があるわけです。ツイッターで面白いことをやっている人は大勢いるんだけど、ツイッターだからやっている、通用するんであってそれが継続的な仕事になるわけじゃない。ただネットが発達して誰もが情報発信をできる時代になって、文芸誌がすべての作家の才能を束ねているんだという幻想が暴かれたという面はあるかもしれない。
───文芸メディアは軒並み苦戦していますが、それはメディアのせいだけではないわけです。マンガ、アニメ、ゲームなどは〝サブカルチャー〟と言われていた時代もあるけど、今や質も市場規模も〝カルチャー〟そのものでしょう。巨大市場に優れた才能が集まるのは当然のことで、本が娯楽の中心にあった時代と比べれば、作家の質が下がっているのも確かです。昔より作家志望の方が増えた、あるいは作家志望だと主張しやすい時代になったわけですが、そういう時代だからこそ、自己主張の大平原から頭一つ抜け出すには作家の圧倒的な力が必要かもしれませんね。
大野 日本でオンラインで公開して、すごく有名になった作品ってあるんですか。マンガの世界ではありそうですけど。
───美嘉さんのケータイ小説『恋空』などはそうじゃないかな。
大野 三年ほど前、E・L・ジェイムズの『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』が世界中でベストセラーになりましたが、あれはステファニー・メイヤーの『トワイライト』シリーズのファン・フィクションとして書かれた二次創作で、オンラインで公開されてすごいファンがついてヒットしちゃった小説です。そういう作品がもっとあってもいいような気がしますけどね。
小松 僕は書くことしかできなくて、システム的なことはわからないんですが、僕の好きな作家さんに高橋文樹先生という方がいらっしゃいます。高橋先生はDIY作家を称しておられて、ホームページを自作して電子書籍で作品の配信なんかも全部お一人でできちゃうんです。ネットスラングにも詳しくて、それをうまく小説に当てはめることもできる。なんでもご自分でできる方だから、山梨に土地を買って自分の手で家を建てたりされています。一度だけお仕事でお会いしたことがあるんですがイケメンの方でした(笑)。書いている作品もメチャクチャ面白いので、僕なんかこれを本にしてくれたら絶対買うのになぁと思います。ああいう方がもっと出てくるといいですね。高橋先生のお父様は直木賞作家の高橋義夫先生で、ご本人も新潮新人賞を受賞されていますが、ブログなんかを読んでいると、文壇とはいろいろあったようです(笑)。
───原則論ですが、作品は読者と直接結びつけばそれでいいわけです。極端な話、一人の作家にコアな読者が一万人付けば、なんとか創作活動を続けていけるわけでしょう。またメディアの判断が読者の判断といっしょであるのが理想的です。メディアが「これはいいよ」と拡大宣伝して、読者が「そうだね」と受容する関係です。ただ現状ではそれがうまくいってないかな。特に純文学の世界はそうですね。
文芸誌も営利目的には違いないので組織特有の論理がある。作家は今までは文芸誌編集部と上手に付き合って、なおかつ読者をつかまえるという二段構造で活動してきました。たとえば笙野頼子さんは群像新人賞を受賞してから十年本が出なかった。でも本が出版されると高く評価された。笙野さんにとって十年は無駄ではなかったと思いますが、作家によっては失われた十年と感じることもあるでしょうね。
出版界って、大手は五本の指で足りるくらいで九九・九パーセントが零細なんですよ。で、零細出版は高い理想を掲げて出発して、じょじょに経済的事情で理想ハードルを下げてゆく。気がつくと自費出版専門になっているとかね。ただ文学書が売れないから、大手出版社も零細企業化しているところがあります。どの大手も自費出版を始めているでしょう。でも文芸誌は従来の〝文壇ルール〟と〝読者が付く売れっ子作家〟という二段構造を崩していない。それはじょじょに難しくなっていくんじゃないでしょうか。文壇ルールをクリアすると、作家は読者が目に入らない文壇作家になってゆく気配もあります。
小松 それはもうなんとも言えないですねぇ。僕としては本を出して利益が出なければ、書き手としては申し訳ないなぁと感じると思います。
コワーキングスペース茅場町 Co-Edo の田中さん、Asamiさんと受賞者たち
───それは好きに書いた本を出版してもらえた場合の話ですね。本が売れない時代ですから、こうすれば売れるという編集部の指示で、可能な限り編集部の要望通りに書いている中堅作家も大勢いるわけです。で、目一杯編集部と付き合って本を出して売れないと、「○○さんの本は売れないからなぁ」って言われてしまう。作家としては「え、俺のせいなの」って感じですよね(笑)。
皆さん新人作家ですがいずれ年を取ります(笑)。もちろん編集部のアドバイスは有益です。吸収できる限りは吸収した方が絶対にいいと思います。でも吸収しきったと感じた時点で別の選択をしてもいいかもしれません。またそういう時代でもあると思います。編集部の指示通りに書いていると、だんだん自分が単なる外注ライターのような気がしてくる。そういう時に自分で電子書籍を出すとか、文学金魚などのベンチャーと付き合うとか(笑)、オルタナティブな道を選択すればいいわけです。編集部と作家の意図がほぼ合っている幸福な関係もあるわけですが、本当に書きたいものがあって、それを世の中にぶつけてみたいと思った時に、現代では昔とは違う方法があるということです。
あ、そろそろ時間のようです。出版界のオフレコのお話はこの後の二次会で(笑)。みなさん今日は長時間ありがとうございました。
(2015/01/04)
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