イケメンチンドン屋の、その名も池王子珍太郎がパラシュート使って空から俺の学校に転校してきた。クラスのアイドル兎実さんは秒殺でイケチンに夢中。俺の幼なじみの未来もイケチンに夢中、なのか? そんでイケチンの好みの女の子は? あ、俺は誰に恋してるんだっけ。そんでツルツルちゃんてだぁれ?。
早稲田文学新人賞受賞作家にして、趣味は女装の小説ジャンル越境作家、仙田学のラノベ小説!
by 仙田学
第六章 スキンヘッドは心の鏡(中)
網走に到着すると、おれたちは網走監獄へ直行した。
そこは極寒の地だった。
例年にないほどの大雪が降ったとかで、見渡すかぎりどこまでも大雪原が広がっている。
「ってか寒みーよっ!」
「マイナス二十度って! うちのおんぼろ冷凍庫よりちべたいぞ!」
「おらおら、はしゃぎすぎだぞおまえら―――!! みんなまとめて連行しちゃうからねっ」
人一倍うわずった声でシャウトしたのは、担任女教師の御殿場なたねだ。
網走をパプアニューギニアだと勘違いしてるんじゃ? ってくらい、テンションのメーターが振りきれている。
なたねの股間は、いつも以上に威勢よく全開になっていた。
紫色のヒョウ柄の毛糸のパンツが丸見えだ。
「おしっ塀のまわりを一周するぞー」
「時計まわりだぞー」
こぶしを振りまわし、なたねとロドリゲスが指示をだす。
「おいおい、なか入らねえのかよ」
池王子が情けない声をあげた。震えていた。鼻水が凍っている。
「やぁん監獄食食べらんないぢゃん★」
眉毛をハの字にして首を振ったのは兎実さん。
博物館網走監獄では、じっさいの徒刑囚が食べている監獄食を再現して、体験監獄食として提供している。
――個人的にわ修学旅行のメインイベントだと思ってるの~★
と、兎実さんから耳にタコができるほど聞かされていた。
兎実さんの手もとのガイドブックを覗きこみ、
「入場時間十七時まで。いま十八時」
と羊歯がつぶやいた。
段取り悪すぎ!
「ってか、もともと塀のまわりを一周するだけって予定だったじゃん。行くよっ」
ひとりだけ、超元気なやつがいる。
言うまでもなく未来だ。
解き放たれたハスキー犬のように、白い息を吐きながら塀に沿ってダッシュし始めた。
たっぷり二時間はかかっただろうか。
全クラスが刑務所のまわりを一周し終える頃には、あたりはとっぷりと暮れていた。
「寒いよお」
「頭痛い……熱出てきたかも」
「おらおらおまえら、引かれるぞ! 道をあけろっ」
チャックを全開にしながら、なたねが両腕を大きく広げて先導してきたのは、大きなマイクロバスだった。
刑務所の門の正面に横づけされたかと思うと、マイクロバスから十人以上のオッサンたちが降りてきた。手に手に大きな機材を抱えている。
あっけにとられるおれたちの前で、オッサンたちが組み立て始めたのは、照明装置だった。
刑務所の前は、たちまち野球場の夜間照明のような明かりに照らされた。
「まずは集合写真からだ―――――! 全員集まれっっ」
なたねの号令のもと、ライトアップされた刑務所の前に、全クラスの生徒たちが並び、集合写真を撮った。
その後も延々、六人ずつの各班に分かれての個別撮影が続いた。
「無駄に豪華な写真撮ってない?」
「積立金かなりこれに飛んでるよな……」
おれたちの不信感と寒気が頂点に達した頃、
「よっしゃあ、終わった班から先にホテルへ……ん?」
「先生っ! 運転手がいません!」
絶妙なタイミングで、バスの運転手たちが食事に出かけていた。
全員の撮影が終わったあとも、しばらくおれたちは待機していなければならなかった。
「すごい! 天井超高いよ!」
「カーテンかわいー!!」
「このマントルピース、ロココ調じゃん!」
「ちょっと! ソファーのスプリングやばくない? トランポリンみたい!」
ホテルに入るやいなや、歓声をあげたのは女子たちだった。
花柄の壁紙。
赤いビロードの絨毯。
マントルピース。
シャンデリア。
西洋の貴婦人の描かれた油絵。
趣味のよい彫刻や銅像の数々。
すべてが蝋燭のやわらかな光に揺れている。
教師たちや撮影のオッサンたちも含めて百人以上を収容できるほどの広さなのに、オーナーの趣味か、なかの設備は細かいところまでこだわり抜かれていて、巨大なペンションのような作りだった。
刑務所見学で体力も気力も使い果たしていた面々の顔も、輝きを取り戻した。
体育館ほどの広さの大広間でふるまわれた料理も、豪勢極まりないものだった。
班ごとに用意された円卓の中央には、オホーツク三大ガニと呼ばれる、毛ガニ、ずわいガニ、たらばガニの食べ比べセットが鎮座しており、お造りの盛り合わせやホタテの網焼きやじゃがバターがそのまわりを取り囲んでいる。
食事が進むにつれて、となりの円卓と椅子を寄せあう者、立ち歩く者が続出していった。
六人ずつに分かれていた班はしだいに崩壊しはじめ、やがて見慣れた昼休みの教室と変わらない光景が出現した。
注意する者など誰もいない。
そもそも引率代表のなたねが中心になるかたちで、教師たちも奥の円卓を囲んで談笑、いや爆笑していて、生徒たちのほうなど見ちゃいない。
非日常空間の織りなすマジックか、兎実さんはともかく、未来まで、ふだんはろくに口を利いたこともなかった女子たちと輪になって、声を弾ませ、笑いさざめいていた。
高い天井へ湯けむりが立ちのぼっていく。
くぐもった話し声と湯の流れる音がそこかしこで反響していた。
「校長の講話なくなって、ほんとよかったよな~」
頭にタオルを載せ、うーんと伸びをしたのは蛸錦。
全身を伸ばしても、隣にいるおれとぶつからない。
ざっと数十人が入っているとは思えない、広大な浴場だった。
「大人たちだけで飲みにいくんじゃねえの。チャッキー、ノリノリだったもん。あそこまでパプア・ニューギニアにこだわってたのはなんだったんだよ」
池王子も湯船に入ってきた。
細身ながら、首まわりや胸には分厚い筋肉がついている。頭には金色のハンカチを載せていた。
「ホームルームで、パプア・ニューギニアの歴史のスライド何回も見せられたもんな」
と、ふたりに挟まれる格好になったおれも、頭にタオルを載せてみる。
「網走に決まってからはふてくされて、ホームルームもゲス子に丸投げだったのにな。それが着いたとたんはしゃぎまくって、チャックもろとも弾けっぱなしだし」
ラミネート済みの歯を剥きだして池王子は笑う。
すっかりメイクを落とした顔も、やはりイケメンだ。女子たちが群がるのも無理はない。
「女子は漏れなくはしゃいでたぞ。ふら様も。未来様も。ここ着いてから、あんた見向きもされてないもんな。やっぱ女子ってメルヘンチックなものに弱いんだな。ってか建築物に負けるって、イケメンの力もはかないもんだなあはははははは」
タオルで顔をこすりながら、蛸錦が唾を飛ばして爆笑する。
イケメンコンプレックスの裏返しであることが幼稚園児にもわかりそうな、最高に見苦しいすがすがしさを撒き散らしながら。
「うん、まじ助かった。三日間も、女につきまとわれずに済むんだよ。いやあ、このままずーっとこうだといいのになあはははは」
池王子に笑い返され、蛸錦はタオルを取り落とした。
イケメンコンプレックスを直撃されたようだ。
代わりにおれが返事を返してやる。
「とりあえずよかったな、未来や羊歯に絡まれることもなくなって。もしかして物足りなかったりしてあはははは」
口にしたとたん、なぜかおれは自己嫌悪に襲われた。ん? 自己嫌悪……?
「そのとおりなんだよな」
池王子は声のトーンを落とした。
反響するので、それでも少し声を張って話しているほどの大きさに聞こえる。
ここではどんな隠しごともできない、というより、隠しごとをしようという気が失せてくるようだった。
「こないだ、体育館の便所で羊歯にボコられそうになっただろ。あれからさー、羊歯がぜんぜんおれに手をだしてこねえんだよな」
ほふーっ、と池王子はため息をつく。
「あれだろ、未来様がレスラーコスして、プレイしたって件だろ? くー、羨ましい!!」
激しくヘッドバンギングする蛸錦の髪から湯が飛び散った。
「やめんか暑苦しい!」
「そういや、なんだったんだろうなあれ」
体育館の裏で、覆面レスラーと化した未来と池王子は戦った。
勝負は引き分けに終わり、未来と池王子のあいだには友情が芽生えた。
その後に、羊歯は池王子のもっとも大切にしている鏡を壊し、モップで追いまわしたのだ。
ふたりの争いをさらに煽るためなのか、鎮めるためなのかは、横からみていてもわからなかった。
しかも、その日だけのことだった。
いまでは羊歯は他の誰にたいするのとも同じように、池王子にも無関心な態度を取り続けていた。
「なんかさみしそう! あんたほんとはドMなんじゃないの~?!」
鬼の首を獲ったような顔で、蛸錦が池王子の肩に手をまわし、揺さぶった。
ふだんなら即座に気の利いたセリフを返してくるはずの池王子は、だが、されるがままになり、ぼそりと呟いただけだった。
「そうかも。おれドMかも」
「え? わはははは。え? えっ?」
蛸錦は明らかに反応に困っていたが、別の話題も出てこないようだった。
「まじ殺されるかと思ったんだけどさ、後で思い返すと、なんか妙に安心すんだよな。なんで羊歯のやつ、もう襲ってこないんだろ」
真剣極まりない顔をした池王子の口から、理解不可能な発言が飛びだした。
理解不可能ながらも、その発言はおれの心に沁みた。傷口に沁みる消毒液のように。
――よかったな、未来や羊歯に絡まれることもなくなって。もしかして物足りなかったりして。
ついさっき、池王子をそうからかったときに感じた自己嫌悪の理由がわかった気がした。
物足りないのはおれじゃないか。
網走に着いてから、未来はおれに見向きもせず雪景色やホテルの内装に見とれていた。
性格に似合わず、メルヘンチックなものには目がないのだ。
いつものようにあれやこれやとわがままをいわれないことが、物足りないといえなくもない。 ……ってことは……おれもドM?
「襲われると安心するって、あんた……さらっと爆弾発言してない?」
蛸錦の目は充血していた。
ネタになりそうで食いつきたくてたまらないが、できることなら関わりたくはないという恐怖心とのあいだで引き裂かれている顔だった。
「いや……あんとき、羊歯の顔、ってか頭を見たときにさ」
池王子はちらりとおれに横目をくれた。
体育館の便所でモップを振りまわして暴れているうちに、羊歯のヅラがずれ、つるっつるの頭が剥き出しになった。
その頭は全力でつるっつるで、夕陽に照り輝き、鏡のように光っていた。
そこには、便所の景色が映っていた。便器に、扉に、タイルに、未来に、おれに、池王子が。
羊歯の頭に映った池王子は、笑っていた。
あそこまで安心しきったひとの笑顔を、おれは見たことがなかった。
このうえなく安心しきった顔だった。
コンパクトミラーを覗きこみ、髪の乱れを直している池王子の顔が浮かんだ。
おれを横に立たせて男子便所の鏡に向かい、キメ顔を作っている池王子の顔も。
いまになってみると、どれも安心とはほど遠い表情を浮かべていた。
まるで、親にはぐれた子どものような。
――あんなサイテーなやつ知らねえ。
――サイテーだぞあんな女。
屋上で、ふらのスペシャル★ランチボックスとメイドさんお手製の重箱弁当を棄てようとしていた池王子の姿が浮かんだ。
母親は市会議員でスーパーの経営者にして十個の会社の取締役。父親は彫刻家で、アトリエやら大学やら愛人のマンションやらに入り浸ってほとんど家に帰ってこないって噂だ。メイドのミレイさんだけを唯一の肉親として育ったようなもの。
そんな家で、池王子は心から安心したことがあっただろうか。
しょっちゅう鏡を覗きこみ、「ぼくってかっこいい?」と聞いてまわらずにはいられない。
池王子の心にぽっかりと開いた穴をおれは覗きこんだ気がした。
鏡とメイドだけが友達だった。
だが鏡は友達ではない。
蜃気楼の水では乾きを満たせないように。
だからこそ、おそらく池王子は永遠に鏡を手放せなかっただろう。
羊歯に出会うまでは。
羊歯の頭は池王子を映した。
池王子の鏡を奪っておきながら、羊歯は池王子の鏡になったのだ。
それは初めて蜃気楼ではない水を飲んだようなものだったのかもしれない。
鏡ではなく、ひとのなかに、初めて根づくことができたのだ。
池王子が羨ましい……とは、だがおれには思えなかった。
大事なものを奪われ、モップで追いまわされてなお、羊歯を求めてさらに襲われたがっている。未来に絡まれることがなくなってつかのまの休息を満喫しているおれには、とうてい理解できなかった。
「そんなに襲われたきゃ、おれが襲ってやんよ!!」
「おぅわっ! やめいっ」
蛸錦が池王子にヘッドロックをし、湯のなかに引きずりこもうとした。
池王子は身をよじって蛸錦を突き飛ばす。
そのまま日本式泳法で逃げていく蛸錦を、池王子はバタフライで追いかける。
蛸錦の、異様に長い襟足が湯のなかで八本に分かれ、まさに黒い蛸が泳いでいるようだった。
(第15回 了)
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* 『ツルツルちゃん 2巻』は毎月04日と21日に更新されます。
■ 仙田学さんの本 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■