偏った態度なのか、はたまた単なる変態か(笑)。男と女の性別も、恋愛も、セックスも、人間が排出するアノ匂いと音と光景で語られ、ひしめき合い、混じり合うアレに人間の存在は分解され、混沌の中からパズルのように何かが生み出されるまったく新しいタイプの物語。
論理学者にして気鋭の小説家、三浦俊彦による待望の新連載小説!。
by 三浦俊彦
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■ 印南哲治によるレポート「カレー味の勇気君」(第57~58回)は、前回に記した菅瀬慎次乱入次第を省略し、貴美子は実名で蔦崎はタナカという仮名で登場させている。この微小な措置には、後に爆発する蔦崎公一への印南的陰伏意識が陰湿反映されているというのが定説である。
「カレー味の勇気君」掲載誌発売と同日に新聞社会面に関連記事が載ったことが確認されているおろち系事件として、首都近郊に、夜な夜な女性を襲う特殊変質者が出没していた。
特殊とは称されながら、人通り少ない環境を歩行中の女性に物陰から飛びかかり、さらなる物陰の物陰に引きずり込んでどうのこうのという点で極古典的な、架空めいているほど古典的な変質者である。
女性は手足を縛られ、猿ぐつわを噛まされるが、パンツもストッキングは脱がされず、そのまま横向きに転がされ脚を揃えて曲げさせられる。
当該変質者は尻の谷間にじっと鼻先を埋めて、パンツおよびストッキング越しに肛門の臭いをひたすら嗅ぎつづけられる。
というだけの被害であるという。
特徴は、頬まで尻間に埋没させてスースーとことさらに布との擦過音的鼻息を立てながらじっと五分間ほど嗅ぎ続けることで、その間被害者がおとなしくしている限り変質者もじっとスースー不動密着したままであるという。危害を加えることも、スカートを捲り上げたりズボンを下ろしたりする以上の挙に出ることもなく、ひたすら密着するだけ。
この「尻嗅ぎ魔」はたいていの場合(このおろち紀元黎明期特有の工夫なき呼称は当時の週刊誌記事に共通の呼称ゆえお認めいただきたい)、嗅ぎ終りと同時に丸めた紙幣を女性の猿轡にねじはさみ込み、
「ごちそうさまでした。怖がらせて申し訳ありません」
と立ち去ってゆくのだという。一時期B級事件ネタによく取り上げられたあの連続キス魔――エレベーターの中で女性に強引にキスをしてドアが開くと同時に「ごめんね」と言いながら降りていったと伝えられる全国マンモス団地荒らしの連続キス魔を髣髴とさせるが、こちら尻嗅ぎ魔の場合金額は確認されている範囲では最低でも五千円、最高で七万円に及んでおり、平均約九千二百円。
肛門臭の独自ランクが内面化されていた模様である。
おろち元年に入ってから、この尻嗅ぎ魔被害者の会が結成され、このときに尻嗅ぎ魔が残した金額(自己申告)にしたがってステージが決定される啓蒙的宗教団体「ボトムスペース」に発展したことはよく知られている。後に尻嗅ぎ魔の記録帳が公開されるにいたって、自己申告の虚偽が一部露見し、ボトムスペースの内紛から死者が出たことも記憶に新しい。
模倣犯も現われた。地理的に微妙にずれた地域で頻々と、「第二尻嗅ぎ魔」として知られた所業が繰り返された。
道行く女子大生やOLや主婦を押し倒して猿轡を噛ますまでは本家尻嗅ぎ魔と同じなのだが、ストッキングを脱がしてしまうところが違っている。しかしそのパンツ尻を嗅ぐのではなく、用意してきたストッキングを強引に穿かせる。その上で、本家と同じようにぴったり顔を密着せさて嗅ぎまくるのである。生足の女子高校生も幾人か、これは何も脱がされることなく、ストッキングを強引に穿かされている。
「たぶん、トラウマ的なパンストの好みがあるのだろう。銘柄はすべて同じリズシャルメルの特定素材なのだから」
という当時の定説は完全な誤りだったことが今日判明している。
「生地の厚みと穿き時間を揃えることで不平等を是正し、統一的条件で香りを比較堪能するためなのだ」という当時ごく少数だった異見が正解だったのである。
やがてこの第二尻嗅ぎ魔は、女性の下半身、やがて上半身をも全部脱がしてしまい、用意したスカートやブラウスをグイグイ着せてしまい、着替えを終えてからおもむろに尻嗅ぎに入るというところへ発展した。
「やはりトラウマ的な服の好みがあるのだろう。色は若干異なってもすべて同じエレウノの製品であったし」
という当時の定説はこれまた完全な誤りだったことが今日判明している。
「服装を揃えることで格差を是正し、たとえ夜目にも対象の性的雰囲気を統一することで、香りのみを純粋に比較堪能するためなのだ」という当時ごく少数だった異見がやはり正解だったのである。
それらの衣類は女性に着用させたまま、もとの服も放置したまま犯人は立ち去ってゆく。こちらは女性の尻臭レベルに関わらず一律に同じ措置を行なっている点で、金額差別をつけていた本家尻嗅ぎ魔とは別人であることがわかるだろう。
自分のマニア的好みだけが先行している浅いレベルにとどまっているのである。
ただし当時は第二尻嗅ぎ魔の平等主義的措置の方が密かに高く評価されていたふしがある。
しかし不思議なもので、本家尻嗅ぎ魔の被害女性たちはほとんど直後に警察に駆け込んだりしばらく後に被害届を出したりしているにもかかわらず――
第二尻嗅ぎ魔の被害女性たちは、ほとんど口をつぐんで、泣き寝入りしているということだった。
理由?
金銭とトップブランド品との相違に起因するものらしい。
被害を金銭で解決されようとした場合、体を買われた的屈辱感に囚われて憤る一方で、ブランド品をあてがわれた場合、逆に自尻の価値を認められたというムードに浸れてしまうのであろうか。つまり泣き寝入りではなく目覚めとでも言うべきだろうか(本当は一律評定の後者の方が間違いなく女性の個性を無視しており、モノ扱い的軽蔑度が甚だしいと言えるわけなのだが)。
本家被害・亜流被害の相違が被害女性の層によるのでないことは明らかである。前後して両方の尻嗅ぎ被害に遭った六人の女性(本家先が三人、亜流先が三人)が六人とも、本家についてのみ警察に訴えているからである。
これは統計的に有意な違いと言えよう。
ただし第二尻嗅ぎ魔の被害者も、やがて被害届を出すようになっていった。同種のエレウノを着ている、あるいは持っているということで、「あの犯人」の被害者だということが衆目にわかってしまうようになったからである。
まあ性犯罪被害者とはそういったものである。
第二尻嗅ぎ魔がそんなこんなで不定期気まぐれな周期で出没していた間、本家尻嗅ぎ魔はこつこつと定期的犯行を続けた。このあたりは〈揃え〉への執着が逆になっている。
ここで、おろち学者が長年論争を続けた問題が発生する。この二人の尻嗅ぎ魔の正体は誰であろうか?と。
より具体的には、〔おろち文化主流を脱落しかけていたどん底期の蔦崎公一〕は、どちらであろうか? 蔦崎は究極で挫折した反動として、修業的糞食い人生・糞爆食生活に見切りをつけあえて「マイルドなレベル」での暗躍にしばし専念することで、逆説的な再起を図ったものと見られているのだが、その観点から見た場合、――密室食糞―→路上尻嗅ぎ――という成程マイルドなレベルへと自己を解放した蔦崎公一像がまさにぴったりなのであり、彼こそが本家尻嗅ぎ魔に違いないという結論に現在落ち着いている。(東亜系エステでの笹原圭介の言葉を思い出されたい。純生天然尻の臭いは、こうしたレイプ方式によってこそ得られるという当然自明の結論がどうのこうの的議論が通奏低音なす中、おろち文化内の任意の人物に天然尻ハンティングの使命が皺寄せされることが予定されていた調和的同然に対し頷いておかれたい)。
なお東亜系エステとの絡みで言うなら、今や九割九分蔦崎公一と見なしてよい本家尻嗅ぎ魔のこの通り魔的天然尻ハンティングの動機について、おろち考古学右派から国家主義的新解釈が提示されていることを付記しておこう。
その解釈によれば、天然尻の本場が
――東亜系エステ――
という外資系風俗にあるという笹原的人間観が暗黙のうちにおろち文化の背景となっていることに苛立った本家尻嗅ぎ魔が、おろち文化主流からの脱落を糊塗する最後の手段として
――純和尻の優位――
を確かめるため、日本人OLの帰宅途上を集中補足したものと考えられている。犯行約八十件目において尻嗅ぎ魔は理想の尻に巡り合ったとみえ(基準は、遺された断章から推すに「弾力性」「温度÷湿度」「臭気律」の三つであったようだ)、尻嗅ぎ魔は五分間の密着吸引の末にすっと顔を上げ、被害者の縄を解いてふつうならそのまま走り去るところを、ニコニコと満面笑みをたたえつつ「どうも申し訳ありませんでした。悪気はなかったのです」と語りかけたという。「あなたのようなお尻に出会えた以上、もう思い残すことはありません。お詫びに何かさせてください。警察に突き出されても結構です」と囁き気味にまくし立てるのに対して被害者が訥々と相槌を打つにつれて尻嗅ぎ魔の顔が曇り、
「もしかして……」
とおそるおそる被害者の手を取り、
「上海出身です」と被害者が問われもせぬまま国籍を明かすと、
「!」
尻嗅ぎ魔は飛びのいて国旗のポールのように真っ直ぐ突っ立ち、
「やはり……」
夜目にも眼を斜め上に剥いて
「和尻は……中華尻に勝てなかったかああああ!」
叫びざま二度転倒しながらああああああああああああああああああと哀切な咆哮をたなびかせつつ走り去ったという。この時のショックが、後の蔦崎発大事件における《反国家主義的科白》となって迸ったのだろうというのが、この解釈の骨子である。
骨子なのであるが。
二つの疑問が抱かれるだろう。
小さな方の疑問として、本家尻嗅ぎ魔が蔦崎公一であるならば、被害者にしばしば顔を目撃されていながら何故にその醜貌が証言に反映されなかったか、という点。蔦崎の個性的醜貌が女性に強力かつポジティブな印象を与えてきたことは縷縷報告してきたとおりなのだから。
これは、マイルドレベルに生活を切り替えた基本的安らぎに加えて、現場での
――尻嗅ぎのリラックス効果――
――密着尻嗅ぎのリラックス効果――
――だから密着尻嗅ぎの顔面リラックス効果――
により蔦崎の表情が別人的に和らぎきっており、当面顔面改良されてしまい、暗がり効果も伴って醜貌目撃が個性的認識に至らなかったと一応説明できる。
一応も二応も何応も説明できる。
他方第二の疑問ははるかに重要である。
すなわち、国家主義なり反国家主義なりを持ち出す以上……
中華尻そして朝鮮尻に相次いで和尻が凌駕された悲哀を臓腑の芯まで味わった経歴の持ち主は他でもない
――必然的に印南哲治――
ではなかっただろうか。
もちろんそうである、直接には。
蔦崎公一が東亜系エステ・中華尻朝鮮尻ショックに直接関わった痕跡は見あたらない。淡い痕跡すら発見した研究者はいない。
ではなぜ本家尻嗅ぎ魔の蔦崎的同定が定説となりえたか。
もちろん「単純憑依説」が支持を集めたゆえである(初期蔦崎公一の印南哲治化事例については第39回ほかを参照されたい)。
ましてや印南哲治的イデオロギーがおろち群像の結節点各々に完全熟成的に乗り移りつつあった時期だからである。
広範囲のこの憑依現象については、取り憑かれた人物群の隙や体質に起因するというより、取り憑き側、送魂側の崩壊が予示されているというのが周知のとおり現在の定説となりつつある。
実際なりつつあるのだ。
つまり蔦崎公一ではなく印南哲治の方の窮状を第一に物語っているというわけだ、一連の尻嗅ぎ魔騒動、騒動と言うにはおろち元年以降初発掘されたにすぎない当時ちゃんちゃら週刊誌ネタ的小騒動は。
(第60回 了)
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