大学2年生から日本文学の勉強をはじめた。既に一年間、日本語の勉強をしていたが、さすがにまだ原文で古典を読むことはできなかった。『源氏物語』の最初の九帖はルーマニア語に翻訳されているが、それ以外の主な古典作品をとりあえず英語訳で読んだりしていた。
中世文学の勉強に入った時、能楽が初めて授業で取り上げられた。その時に解説付きの映像も見た。色鮮やかな衣裳を身に纏い面をつけた能楽師の立ち振る舞いが、とても迫力があったのを覚えている。しかし舞いの仕種や謡の言葉の意味がよく理解できず、何を見ていたのか今ひとつ分からなかった。
同じくらいの頃に、ドイツで活躍されている能楽研究者のスタンカ・ショルツ先生がブカレスト大学でゲスト講演をなさった。能楽に関する入門的なお話の後、3年生や4年生の先輩たちは先生と一緒に〈鵺(ぬえ)〉という謡曲を輪読した。2年生以下の私と同級生のみんなは、常用漢字の400文字ぐらいしか読めなかったが、その輪読会に立ち会った。
能といえば〈葵上〉、〈松風〉、〈敦盛〉などが有名で、〈鵺〉はあまり目立たない方の謡曲である。しかし非常に面白い側面のある曲だ。物語は普段、英雄の視点から語れることが多いが、〈鵺〉の物語は源頼政に退治された怪物の視点、つまり敗者(被虐者とも言えるかもしれない)の視点から展開している。罪深い怪物だと自覚している鵺の幽霊が登場し、己が退治される場面を繰り返し再現する。先生の解説によると〈鵺〉は世阿弥が晩年に作った能で、彼自身の立場を反映している作品だそうだ。
〈鵺〉の輪読を聞いて、このような作品を作った世阿弥についてもっと知りたくなった。そこでまず謡曲が読めるようになるために必要な日本語能力を、できるだけ早く身につけるように努力をした。日本語の勉強に励みながら数ヶ月おきに〈鵺〉の文章を取り出して、どれくらい読めるようになったかを確認していた。4年生になり日本語能力試験には合格したが、まだ望み通りに〈鵺〉の文章を理解できていないことに気付いた時、大学院に入ることに決めた。あともう少し勉強を続けたら、世阿弥の謎が解けるだろうとひそかに期待していた。
その間に〈鵺〉とは別に世阿弥の世界に触れる機会があった。3年生の時に、『風姿花伝』を始めとする英語に翻訳された世阿弥の能楽論に出会った。世阿弥の芸能に関する思想のあり方に驚嘆し、刺激を受けた。中世のテキストだから、時代的にも文化的にもかなり特殊な論で、最初は理解できない部分が結構あった。しかし何となく分かった部分は非常に面白かった。
例えば、観客の気分によって公演がうまく行かない時もあるのだと世阿弥は論じている。このような時には落ち込まないで、運がまた自分の方に戻る時を待って、一生懸命お稽古するべきだという。このように世阿弥は、観客の存在を意識して芸を論じていることが多い。公演は舞台に立つ者と観客が共有するもので、両方の存在がないと公演は成り立たないということだ。西洋の演劇論、少なくとも近代までのものは全て演者中心の論で、世阿弥のように観客の存在を意識する論は長い間なかった。20世紀半ば以降になって、やっと観客論を含めた演劇論が生れたのだが、これは世阿弥の能論の一部分である東洋の芸能論の影響で成立したのではないかと個人的には考えている。
世阿弥の能論のもう一つの大きな特徴は、秘伝だということである。世阿弥が自分の後継者のために綴った論であり、外の目には絶対に触れてはならない文章として書かれたのである。通常、論を書く人はその論が公開されること、つまりたくさんの人に読まれることを強く意識している。論は著者の思いを吐露することよりも、人に働きかけるための「公」用にできているのである。世阿弥の論はそのような公的側面が薄い「私」用のもので、彼が芸について考えていたことの誠実な反映である。その分、論旨が矛盾したり、意味不明だったりするところもあるのだ。
『風姿花伝』のような芸能論に魅了され、世阿弥が必死に守ろうとした芸の道とはどのようなものだったのか知りたくて、能楽の研究をはじめた。最初はドイツのトリアー大学に行き、能楽をはじめ一般的に日本の演劇について色々学ぶことができた。ただ日本文学についてそれなりの知識を持っていても、芸能である能楽をより深く理解するためには、舞台芸術そのものに関する知識がなければならないと思った。
世阿弥は古典文学を頼りに能楽の演目を作成したが、彼自身は文学を書いているといった意識が全くなかった。あくまで役者として上演用の台本を作り、芸論を書いたのである。そのため役者の仕事とは具体的にどのようなものなのか、とりわけ中世の日本の能役者はどのような状況で活動していたかを知る必要があると感じた。
現在は日本に留学して世阿弥研究の専門家の元で勉強し、授業で世阿弥や彼の生きた時代の能楽について話を聞いているといった毎日だ。それがどれほど恵まれているかは十二分に自覚している。ただこのような環境で勉強ができることには、言うまでもなくそれなりの責任もついて回る。「知りたい」という気持ちで大学院に入ったのだが、研究過程を無事終了しても、世阿弥について有意義な発言や研究を発表するために、さらに勉強し続けなければならないだろう。
そんなわけで私は世阿弥と結婚しているのだ。冗談だが、そう言うと私の知り合いは頷きながら笑ってくれる。それくらい勉強や研究に時間をかけているから、ある意味で真実だ。世阿弥は実に面白い研究対象なので、彼が理想としていた能楽の世界を探検できるのは幸せだ。大成期の能楽の基盤となった世阿弥の思想には普遍的な要素があり、その時代の能楽と現代の能楽、日本と日本以外の全ての舞台芸術に通じるものがある。世阿弥がどのような環境に活動をしていたか、何を目指していたかについて調べ続けることは、日本の芸能史だけではなく、世界の芸術史にとって大きな意味を持っていると思う。
ラモーナ ツァラヌ
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■