ルーマニア語に”haz de necaz”(ハズ・デ・ネカズ)という言葉がある。大変な時にこそ笑うという意味なのだ。困った時、ひどい目に合った時、本当は泣きたい時など、なんとか力を振り絞って、冗談を言いながら悲しみをごまかす。周りの人を笑わせることで自分が前向きになるし、また日の目を見るまで希望を失わないでいられる。
このような表現から見ると、大変な時にこそ笑うことが、恐らくルーマニアの人の性格に深く根付いている心構えである。気質的には、うちの国の人はどちらかというと明るい人種ではないかもしれない。人間の性格は、居住する地域の気候に影響されるという説がある。この説から考えれば、ルーマニアにも日本のような四季があるのだが、寒い季節が長くて曇りの日が多いため、日差しが見えない状態が長く続く中で気が滅入る。冬は憂鬱の時である。結果的に、あの有名な英語のフレーズ、「ガラスに飲み物が半分入っているか、半分しか入っていないか」でいうと、半分しか入っていないと答える人が多いだろう。何かに取り組もうとする時、上手くいくはずがないと考えてしまう。物事が望み通りに進まないと、すぐに絶望する。そして少しでも体調を崩すと、私はもう死ぬのだとすぐに考えてしまうのだ。ルーマニアではこのような考え方をするタイプの人が多いと思う。
絶望の哲学者として西洋で有名になった作家、エミール・チョラン(日本ではフランス語の発音に従って〝エミール・シオラン〟と表記されることが多い)がルーマニア生まれであることも、この悲観的な傾向に関係あるかもしれない。『絶望のきわみで』のような著書は、まさに悲観の探究である。絶望にこれほど多くの段階やニュアンスの豊かさがあったとは、チョランの著書が出るまで誰も考えなかっただろう。面白いことに、彼のニヒルな世界観はまずフランスなどで大受けしてから、後にフランス語からルーマニア語に翻訳され、母国でも広く読まれるようになった。
チョランの著書に見えるニヒリズムはルーマニア人の本性だとしても、絶望を極めると、その限界には結局笑いがある。多くの場合はシニシズムなのだが、”haz de necaz”という言葉が示すように、絶望と笑いは表裏一体なのである。
Haz de necazという気の持ち方が極端なところまで至ることの一例として、ルーマニアのマラムレシュ地方にある「陽気なお墓」が思い浮かぶ。悲しみに出会う時にこそ笑おうとする人たちにとっては、人生でもっとも深刻な悲しみである「死」のことまでも笑いの対象になり得るのだ。サプンツァという村の墓地では、全ての墓標は明るい色で描かれた十字架である。墓標には漫画のような絵があり、その墓石の下に眠っている人の職業や趣味などが描かれている。そして絵の下には、その人の人生を簡略にした形で面白おかしく紹介する歌がある。愉快な絵と歌は、人生が終わったことの悲しみと暗さを晴らし、人が生きたことの喜びを強調するのだ。
例えば一人の男の墓標には次のような内容の歌がある。「俺は何某の家の長男に生れ、畑仕事が得意だった。畑を耕す時に一番だった俺は、お酒好きや女好きとしても一番。〇〇歳で人生を終えたのだが、生きることが楽しくて、もう少し生きたかった。」というような感じの歌である。
「陽気なお墓」として知られるこの墓地は、決してルーマニア民族を代表する伝統的なお墓作りではない。木彫りと絵描きを職業とし、民族歌を作るのが好きだった一人の職人が、1935年頃にこのようなお墓を作り始めた。以来、このようなお墓作りはサプンツァという村だけに伝わる職人芸である。
「陽気なお墓」は極端な例なのだが、深刻な時に笑うようにするルーマニア人の心理をよく表している。笑うことと幸せであることは、もちろん別のものだ。本当は誰しも幸せでありたいと当然思うのだが、物事は思い通りにいかないお馴染みの世の中で、できるだけ笑うようにするのが大事だと、”haz de necaz”という言葉の心理が主張するわけである。
もちろんどうしても笑えない状況も多々あるのだが、希望を呼び寄せるために、少しでも笑ってみるのが手っとり早い対策である。笑うことはあくまで、困った状態の解決方法を考え出すまでの過渡期にできることの一つである。物事が落ち着いて、人が幸せになったら、もう無理して笑わなくてもいい。というような考え方もあり得るかもしれない。
以上の笑い論の意味ははつまり、笑う門に福来る。序説が長くて申し訳ない。
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話が少し変わるけれど、3月1日はルーマニアでは特別な日である。春の始まりを祝う日で、Martisor(マルツィショル)という名前が付いている。ルーマニアの冬は本当に長くて日差しに乏しい季節で、春めいた日になる3月1日頃には、花が咲き始め、鳥の囀りが聞え始めるので、人はみんな心が躍るような気持ちになる。
春が始まる喜びの表れとして、3月1日にマルツィショルという、紅白の糸で作られたお守りが交わされる。日本の神社でも見られる紅白の糸によく似たルーマニアのマルツィショルは縁起のいいものとされる。この糸に手作りの四つ葉のクローバー、小さな造花、天道虫などのような幸運を呼ぶものを付けて、友達やお世話になっている人にプレゼントする。マルツィショルをもらった人は、願いをかけてその紅白の糸を花が咲いた木の枝に結べば願いが叶うと言われる。この習慣は長い冬の終わりに希望を呼び寄せて、新たな始まりに向けての準備ができたことを意味するのだ。
ラモーナ ツァラヌ
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■